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252.冷遇令嬢はこき使われる

私室でエイナル様とふたり、ばあやのサンドイッチをいただく。



「コルネリアは、ほんとうにばあやのサンドイッチが好きだよね?」


「ええ、ここぞというとき、いつもわたしを励ましてくれましたから」


「ふふっ、そうか」



窓の外では日が落ち、王宮はにぎやか。


大広間では、すでに舞踏会が始まっていて、テンゲル諸侯の馬車が次々に到着してくる。



「……もったいぶれだなんて、ふふっ、やっぱり落ち着きませんわね」



カリスが、みなと話し合ってくれていたのは、わたしとエイナル様が舞踏会の最後の最後に登場するということだった。



『皆、楽しんでおるようじゃな』



という王様にでもなった気分だ。



「はははっ。でも、コルネリアは女王だしね」


「……世の中の王様はみな様、舞踏会に遅れて登場するまでの間、なにをして過ごされているのでしょうか……?」


「トランプでもする?」


「そ、そうしましょうか……」



みなが、わたしの誕生祝いに駆け付けてくれての舞踏会だというのに、落ち着かないことこの上ない。


だけど、これが散々ふり回されてきたロアン帝国への反撃の狼煙になるのだという、カリスからの献策は的を射たものだった。



   Ψ



「園遊会では、みんなが競ってネルに挨拶に訪れていたわ」



と、カリスが涼やかに微笑んだ。


王宮の目立たない一室。手狭で飾り気のないお部屋に、テンゲルの中枢を担う主要メンバーが集まってくれていた。


壁沿いには、カルマジンから到着したばかりのクラウスの姿もあった。



「ええ、そうね。……わたしがあまり社交の場に顔を出してなかったから。これからは積極的に……」


「ううん。むしろ、これまでより『出し惜しみ』するくらいでいいと思うのよ」


「えっ? そんな、大物ぶっても……」



と、戸惑うわたしに、ルイーセさんが淡々と報告してくださる。



「……行宮に入ったシャルルと帝妹に、いまのところ目立った動きはない」


「ええ……」


「護衛名目の騎士にも、周辺に放った陰働きの騎士にも厳重に監視させている。が、正直なところ、すべての動きを捕捉できるかは、はなはだ疑問だ」



シャルルの登場が、目算を狂わせていた。


闇組織と対峙しているとき、陰働きの騎士たちにはフル稼働で情報の収集にあたってもらっていた。



「……だが、結局、チーズ屋の主人の告白や、醸造所の親方の告白があるまで、ほとんど情報をつかめなかった」


「そうですわね……」


「帝妹は行宮に籠り切りだが、シャルルはマーティンを従え、行宮近くのアティラ伯爵領の街に散策に出ている」



と、仰ってから、ルイーセさんは鼻の頭を掻かれた。



「シャルルが、マーティンに従い……、だな」


「ええ……」


「……そのとき、声をかける街の者たち。川魚の屋台の主人。甘味処の売り子。貸し荷馬車屋のオヤジ……。会話のなかに、なにか暗号でも含まれていたとしても、それと気付くのは難しい」


「かといって、いまの時点では、シャルルを捕縛するだけの証拠をそろえられそうにもない」



と、ビルテさんが、話を引き取る。



「……いまあるのは、元無頼という身元の怪しい犯罪者からの証言だけだ。正式な外交使節の一員として現われたシャルルを捕縛する根拠としては、あまりに弱い」



壁にもたれて立つクラウスが、冷淡な声を重ねる。



「……王都に入る前、チラと様子を窺ってまいりましたが、手配した似顔絵とは別人……。髭と髪を整えただけですが、見事な擬態と言わざるを得ません」


「闇組織のすべてを調べ上げられていたかといえば……」



と、居心地悪そうにクラウスの隣に立つ、デジェーが言葉を添えた。


国家の重鎮ばかりが集まる密談の席に自分も加えられていることが、どうにも落ち着かないのだろう。



「……断言できる材料もなく」」



デジェーになにかと世話を焼いていたクラウスが、説明を捕捉した。



「逆に闇組織が完全に壊滅しているなら、監視の手を割かざるを得ないシャルルの存在は、別に間諜を忍びこませるための囮……、とも考えられます」


「つまり、疑えばキリがないわ」



と、カリスが肩をすくめた。



「そうね……」


「だから、ネルにはポトビニスに行ってもらいたいのよ」


「ん? ……どういうこと?」


「……なにか仕掛けてくるなら、ネルの不在中は、絶好の狙い目になるわ」


「わざと隙をつくるってこと?」


「そう。……私やフェルド伯爵が留守を守るけど、ネルが帰ってきたら、なにか大問題が起きてるかも……」


「ふふっ。それを片付ければいいのね?」


「だからね、ネルにはポトビニスだけじゃなくて、もっと色々〈お出かけ〉してもらいたいのよ」


「もう……。カリスはわたしに〈もぐら叩き〉をやらせようって言うのね?」



わたしが〈お出かけ〉して、帰ってきたら、その間に起きた問題を解決して、また〈お出かけ〉する。


敵が動き出さないかジッと監視して過ごすのではなく、動きやすいようにして誘い出し、のぞかせた頭を叩く。


その繰り返しで、この1年をしのげというのが、カリスからの献策だった。


ビルテさんが険しい声を重ねた。



「仮にロアンの兵が本当に1年間、ジッと動かなかったとして、それでも1年後にはふたたび軍事衝突の緊張が高まるだろう」



現在分かっているロアン帝国の伸長で、平和的、外交的に併合した国はない。


すべての国は征服して蹂躙し、既存の秩序を破壊した上で版図に加えてきた。


帝妹ソレーヌとシャルルを送り込んだ策謀が空振りに終わったとしても、大河流域を狙う皇帝バスチアンの野望を挫かない限りは、いずれ開戦は避けられない。



「大河流域国家のすべての兵力を合わせれば、ロアンの半分まではいく。そうなれば、充分に勝負になる。……国境をつなぐ交易路の防衛戦になるのか、ロアン軍を引き入れての決戦か、あるいは、こちらから攻め入るのか」


「ええ、そうですわね」


「だが、戦略戦術はともかく、まずは大河流域各国がすべての兵を出せる状況をつくれるかどうがが、最初の勝敗の分かれ目になる」



現状では、テンゲルでも、すべての兵力をロアンとの国境――、ソルダル大公領にさし向けることは出来ない。


隣接するバーテルランドとブラスタへの、備えの兵を残さざるを得ないからだ。


全兵力を出してのロアンとの交戦中に、万一、テンゲル本国の後背を突かれたら、容易に陥ちてしまう。


それは、ほかの国にとっても同じ。


大河流域国家がまとまって出兵し、ロアン軍と対峙できたとしても、現状では恐らく3割程度の兵は相互監視のために国元に残さざるを得ない。


そうなれば、2倍だったロアン軍との兵力差は、単純計算で約3倍にまで広がる。


それも、大河騎士団は存在するとはいえ、こちらには指揮官が6人いる状態だ。



「戦争を避けるにしても、こちらが勝負になる状況をつくることは、軍事侵攻を諦めさせるために重要な外交カードだ」


「……当然の発想ですわね」


「つまり、コルネリア陛下の〈お出かけ〉は、各国の宮廷をまとめるためでもある」


「え? ……それって」


「ふふっ。もちろん、各国の王への手前、宮廷に直接介入はできないわね」



と、カリスが悪戯っぽく笑った。



「ネルには各国で社交の場に顔を出してもらって、信頼関係の醸成に励んでもらわないとね」


「……そうなるわよね」


「どこの宮廷でも、大切なのは〈雰囲気〉だわ。対ロアンの機運を高めて、王を中心に結束してもらう……」


「もう……、そんな簡単に……」


「人気者になってね?」



つまり、ポトビニスを皮切りに、各国を歴訪して宮廷の結束を促し、その合間にテンゲルに帰国しては、シャルルの陰謀を叩き潰せというのだ。



「こ、こき使うわね……」


「ふふっ。でも、大河委員会議長で大河の盟主であるネルにしかできないことだわ」



みんなが、わたしを力強い視線で見詰め、頷いている。


1年は長いようで短い。


大河流域各国の、恐らく国王同士の信頼関係は充分に醸成されている。


それを、各国の宮廷にまで広げるために、わたし自身が直接足を運び、各国の諸侯と関係を結んでいくというのは、たしかに理に叶っている。


ナタリアが艶やかに微笑んだ。



「テンゲルの社交界は、私どもが守ります。帝妹の好きにさせるつもりはありませんが、それでもかき回されるなら……」


「たまに顔を出すわたしが、にっこり微笑んで整えていけってことね?」


「はい、仰る通りです。もちろん、乱させるつもりはございませんが、その際には、コルネリア陛下とエイナル陛下のお出ましを願いたく……」



そして、帝妹はテンゲル社交界への華々しいデビューの場として、わたしの舞踏会を狙ってくるだろうというのが、ばあやの見立てだった。



「コルネリア陛下とエイナル陛下を中心とした場に、きっと帝妹は遅れてやってくるでしょう」


「ふふっ、古典的な手ね」


「ええ、それだけに効果的です。……ことの経緯上、コルネリア陛下が帝妹をみなに紹介する形となりましょう。そうなれば、帝妹の思う壺。舞踏会の主賓のごとくにふる舞い、中心の座を奪いにきますわね」



当初、ロアンとの和平条件に入っていた、エイナル様と帝妹、わたしとマーティンの〈定期的な接触〉という文言はなくなった。


最終的に合意したのは『誠意をもってもてなす』という文言だ。


帝妹には舞踏会への招待状を出していないけれど、押しかけてきたら、追い返すことはできない。



「これまでこういった場では、ネルが最初からいて来客を出迎えてきたことを、たぶん、シャルルは知ってるわ」


「……裏をかくのね?」


「かかれっぱなしじゃ悔しいでしょ?」


「ふふっ、そうね」


「最後の最後にお出ましくださって、お礼の言葉を述べてくれるだけでもいいわ」


「なんだか大物ぶってない?」


「いいのよ、ネルは大物なんだから」



冗談めかしたカリスの口調に、みなが笑った。


要するに、カリスは『相手にするな』と言っているのだ。



「……すでにテンゲルはネルの国で、中心にはネルがいるわ。張り合ってるように見えたら、帝妹を引き立てるだけよ?」


「帝妹を、むしろテンゲルの弱点をあぶりだす道具として泳がせるってことね?」


「そうそう。もしも、テンゲル宮廷の結束を乱す諸侯がいるなら、帝妹が近寄って教えてくれるわ」



三国を滅亡させた帝妹の手練手管を放し飼いにするという策は、危険を伴う。


だけどそれだけに、乗り越えたならテンゲル国内の結束はより強固なものになる。



――誘い出して、叩く。



カリスがみなと調整してくれた防諜策――カウンター・インテリジェンスは、この思想で貫かれていた。



「……1年で、テンゲルと大河流域国家のすべてを対ロアンでまとめるには、有効な策だと思うのだけど、どうかしら?」


「ふふっ、見事だと思うわ。……わたしだと〈わたしを使う〉という発想には至らなかったと思う」


「ロアン最強の武器が帝妹ソレーヌなら、大河の最強の武器はネルだわ」



カリスが涼やかに微笑み、1年間の〈もぐら叩き作戦〉の概要が固まった。



   Ψ



エイナル様とのトランプが2勝2敗になったとき、カリスが私室の扉をノックした。



「……帝妹が現われたわ」



豪奢なドレスを身にまとい、近侍させる侍女にも豪華な装いをさせているという。


フェルド伯爵が案内して、枢密院の諸侯たちが挨拶している。


これは、入念に打ち合せた段取りどおり。


国家の重鎮が丁重にもてなす体裁で、ほかの諸侯が近寄るのをガードしているのだ。


そして、帝妹の王都の港に到着したときの挑発的な姿勢は鳴りを潜め、実に殊勝なふる舞いを見せているそうだ。



「憐れな人質……、っていう()()でいくことにしたみたいね」


「カリス……。ちょっと意地悪な笑い方をしてるわよ?」


「ネルだって」



と、笑い合ってから、カリスにドレスを着せてもらう。


ウルスラが姿を見せた。



「……ケメーニ侯爵が、帝妹を下座に移動させてくださいました」



わたしが登場したとき、帝妹はいちばん下座からわたしを仰ぎ見ることになる。


熱血のペーチ男爵がわたしに駆け寄るのを合図に、枢密院の諸侯が挨拶の順番待ちに並ぶ。そうすれば、ほかの諸侯も続く。


帝妹は、それをかき分けるか、順番を待つか、下座にぽつんと取り残されるか、気に喰わなければ帰るだろう。


わたしは慣れないのだけど、社交界の主導権争いとは、こういうことだ。


エイナル様が腕をさし出してくださった。



「それでは、コルネリア陛下。まいりましょうか?」


「ふふっ。ええ、エイナル陛下」



逞しくて頼もしいエイナル様の腕に手をかけ、カリスの先導で、ウルスラを従えて、大広間へと向かった。



本日の更新は以上になります。

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