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250.冷遇令嬢は迷いを晴らす

マーティンの侍従シャルルが、闇組織の黒幕シャルルだと気が付いた者が、どれほどいたのかは分からない。


マーティンは、こちらが出迎えの儀仗を省略したことを気に留める様子もなく、馬車に案内しようとするアティラ伯爵の肩を馴々しく抱いた。



「おうおう、久しいなアティラ。壮健であったか?」



自分を取り巻く微笑が、ロアン帝国への外交儀礼に過ぎないことに気が付かないのか、気付かないフリをしているのか。


アティラ伯爵は困惑気味の笑みで取り繕い、マーティンはひとり悦に入る。


それを、シャルルは人懐っこそうな微笑みで見守り、筋骨隆々の胸を張っている。



「熱くなるな。……あの筋肉お化けの周辺に、陰働きの騎士を放つ。席を外すぞ」



ルイーセさんの囁きで我に返った。


顔を向けると、わたしの瞳を見詰めるルイーセさんが、にこやかに微笑んでくれた。


初めて目にする、ルイーセさんの表情。


腕にかけていたわたしの手を、エイナル様がキュッと握ってくださった。



――ルイーセに任せよう。



手のぬくもりが、そう仰っていた。



「……お願いします」


「微笑は鎧、簡単に脱ぐな」


「心します」



いつもの不愛想な声を聞かせてくださったルイーセさんが、そっとその場を離れる。


と、その時、背後の街で騒ぎの声がした。


ビルテさんが、グイッと前に出る。



「いささか、街の衆が盛り上がり過ぎておるようです。……ソレーヌ殿下とマーティン殿下に護衛の兵を増やさせていただく」


「ふむ。……そなたは?」



マーティンが、尊大にアゴをしゃくった。



「テンゲルにて女王コルネリア陛下より、大将軍の職を預かります、騎士団長ビルテ・ランツァウと申します」


「ランツァウ……。リレダルの者か」


「いまは、コルネリア陛下より伯爵位を賜る、テンゲルの臣民にございます」



河風に鮮やかな赤い髪を揺らすビルテさんは、威風堂々たる態度を崩さず、マーティンに拝礼も捧げない。



――斬れ。



と、わたしが命じれば、マーティンもシャルルも一閃、斬り捨てるだろう。


騎士たちが整然と、マーティンたちを取り囲み、片膝を突いた。



「ご、ご苦労なことであるな」



声を震わせたマーティンは、アティラ伯爵の肩から腕をどける。


アティラ伯爵は肩を払った。


帝妹ソレーヌ、そしてマーティンがロアンから連れてきた護衛の兵はごくわずかだ。


あたかも、



――いつでも、手を出してこい。



とでも言わんばかりの最低限の兵と、近侍しか連れていない。


シャルルが、にこやかな表情を保ったままで腰を折り、マーティンの耳元に口を寄せた。



「……テンゲルのご厚意、ありがたくお受けされるべきかと。それよりも、あまりソレーヌ殿下をお待たせしては……」


「そ、そうであるな」



マーティンの声が、かすかに上ずった。


わたしの手を握り続けてくださる、エイナル様のあたたかな手を握り返した。


微笑を絶やさず、サッと周囲を確認する。


闇組織の元親分たちから奇襲を受けた、あの深夜の森でのように神経を研ぎ澄ます。


ロアンの者たちは、誰もマーティンに敬意を払っていない。シャルルの物言いにも、マーティンに有無を言わせない圧がある。


マーティンの濁った瞳の奥には、怯えの色が見える。



――マーティンは、ソレーヌが……、いや、ロアンが恐ろしいのか……。



マーティンを〈救出〉するべきか? いや……、むしろ、ソレーヌの側で泳がせておくべきか。



「……アティラ伯爵。ビルテさん。おふたりを無事に送り届けてくださいね」


「はっ。コルネリア陛下の御意のままに」



ビルテさんが、わたしに片膝を突くと、枢密院の顧問官たちも一糸乱れずに続いた。


フェルド伯爵が髭の縁取る四角い顔を、恭しくあげる。



「我らエルヴェン朝テンゲル王国の臣民あげて、コルネリア陛下の〈お客人〉をもてなすでありましょう」



分かりやすいパフォーマンスだ。


わたしの指示ではない。


ビルテさんとフェルド伯爵が示し合い、瞬時に差配したのだろう。


馬車で待つ帝妹ソレーヌが、その美しい顔を扇で覆い、表情を隠すのが見えた。


今日に至るまで、散々に揺さぶられた。


強大な軍事力を背景に、民の命と暮らしを人質にとった、離婚要求。


マーティンの帰国要求。散々にもったいぶり、カーナ妃殿下の心身を削った上での、離婚要求取り下げ。


すべては、三国滅亡の美貌、帝妹ソレーヌを、無警戒にテンゲル王都に送り込むための仕掛けだったのだろう。


極め付きは、シャルルだ。


大河流域で闇組織を支配した黒幕。ロアンとシャルルの関係は、まだ断定できない。


だけど、シャルルなら、わたしのことをよく知っているだろう。


わたしの新通貨発行で闇組織が壊滅に向かうと見るや、すべてを放棄して姿をくらませたのは、今日の帰還を見据えてのことだったのか。


いや、恐らくは……、



「……大河の富が、約30年にわたって、ロアンを育てたのですわね」



闇組織を壊滅させても行方が分からない財貨、宝飾品。隠し金山の金。


すべては、遥かな西方、大陸の弱小国ロアンにわたり、強大な大帝国に育て上げる養分にされていたのだ。


皇帝バスチアンは36歳だと聞く。


ロアン王、親子二代の策謀なのか。まだ、そこまでは断定できない。


だけど、交易を軽んじ、旧来のギルドをすべて潰し、既存の経済構造をすべて破壊してもなお、大陸を制覇する兵を養ったのは、間違いなく大河の富だ。



――馬鹿にするな。



激しい憤りを、微笑で包み隠す。



「……アティラ伯爵。おふたりを行宮に案内してください」



テンゲルすべての枢密院顧問官が片膝を突き、わたしへの忠誠を明らかにするなか、つとめて穏やかな声で、アティラ伯爵に促した。


あ、う……、と、無様な呻き声を漏らすマーティンを、シャルルが急かす。



「……ソレーヌ殿下を、これ以上お待たせするおつもりか?」


「あ、いや、そんなつもりは……」


「……ご移動を」



マーティンとシャルルを囲む、わたしの騎士たちが、ザッと立ち上がる。


その威に怯むマーティンの脇に、シャルルがグッと腕を差し込み引き上げた。



「……姿勢が崩れておりますぞ、マーティン殿下?」


「あ、う……、すまん」


「……帰国にお骨折りくださった、バスチアン陛下の顔に泥を塗るつもりかな?」



ロアンがマーティンを帰国させた意図は、これで明確になった。


テンゲルを嘲弄するためだ。



――テンゲル王家の者とは、実に無様なものなのだな?



マーティンはシャルルに脇を抱えられたまま、足をもつれさせながら馬車に向かう。


両脇をわたしの騎士に押し包まれながら、筋骨隆々の堂々たる体躯で胸を張って歩むシャルルに比べ、マーティンのなんと貧相で無様なことか。


わたしに片膝を突いたままの枢密院顧問官たちが、苦々しげな表情で顔を伏せる。


シャルルを捕縛しようにも、まずは侍従シャルルが闇組織の黒幕シャルルその人なのだと、ハッキリ証明できる証拠が、この場には何もない。


そして何より、ロアンの武力を後ろ盾にしている。


感情任せに捕縛してしまえば、たちまちロアンに再侵攻の口実を与える。


それは、大河の盟主たるわたしの失態となり、大河流域国家の結束は、間違いなく乱れる。ロアンにつけ込まれる。


恐らく、帝妹ソレーヌも人質の役には立たない。



――ソレーヌを奪還せよ!



と、侵攻の口実が、ひとつ増えるだけだ。



――バスチアンは妹ソレーヌを宝物のように可愛がっている。



という、フレイザー大使ハリス侯爵から聞いた風聞を、あてにはできない。


帝妹ソレーヌを乗せた豪奢な馬車と、マーティンとシャルルの乗る、アティラ伯爵が用意した馬車が走り去るのを見送った。


静かに、細く長く、息を吐く。



「……バスチアンは、奇襲攻撃を好むと聞いていたけど……」


「見事に、してやられましたわ」



と、エイナル様にお応えした。


激昂し、戸惑う枢密院顧問官たちを鎮める。


馬車が走り去った方を睨み続ける、ビルテさんのお顔を見上げた。



「……ずいぶん、タイミングよく騒ぎが起きましたわね?」



わたしの言葉に、ビルテさんが口の端をあげた。



「ゲアタ殿が、メッテ殿の指示で王都に入っている」


「まあ……」


「……無頼の衆が待機していたということだ。すまんな、勝手に」


「いえ、助かりましたわ」


「今ごろ、ケンカの芝居も終わっていることだろう。案じなくていい」



わたしがなんの指示もしなくても、万一に備えてくれていた。


護衛名目で、帝妹ソレーヌとマーティンに監視の騎士を堂々と随行させる、口実を準備してくれていたのだ。


感謝しかない。



「……首を獲れというなら、すぐにも上げてくるが……」


「ふふっ。……誘惑しないでください」


「はははっ! さすがのコルネリア陛下でも怒ってるか」


「怒りますよ」



ここまで徹底的に揺さぶられ、愚弄されたのだ。


頭にこない訳がない。


エイナル様との離婚すら交渉のダミーで、マーティンの血筋はテンゲルを()()()()()材料でしかなく、すべては帝妹の美貌で大河をかく乱するための……。



「いや……」



と、考え込む。それが、バスチアンの術中なのだと分かっていても考え込む。



「……バスチアンがテンゲルに送り込みたかったのは……、シャルル?」



わたしたちの捕捉できていない、闇組織の残存組織が存在するのか?


大河の富を根こそぎ奪いにきているのか?



「でも……、それなら、シャルルが姿まで現す必要はなかった……。それにしても、なぜ帝妹ではなく、マーティンの侍従?」


「……コルネリア?」



エイナル様のお声で、我に返る。



「あ、はい……」


「……どうする? 一度、王宮に戻る?」


「いえ、予定通りに」



ロアンの狙いが読めない。


本当に、帝妹ソレーヌの美貌で、テンゲルの社交界を乱し、やがては大河の結束をも壊そうというだけなのか……?


考えのまとまらないまま、エイナル様のエスコートで、王都の市街を歩く。


〈コルネリア生誕祭〉は今年も盛況だ。


昨年は更地の王都に多数の天幕を張った。


けれど、今年は再建された多くの商館を各国の商人が訪れては、活発に商談が行われている。


期間の後半には、ブロムの芸術家たちも訪れてくれる予定で、街の賑わいはさらに増すことだろう。


行き交う民が、わたしとエイナル様に手を振ってくれる。うしろに続く〈コルネリアの騎士〉に黄色い声が飛ぶ。


肉串屋の主人が声をかけてくれた。



「コルネリア陛下! エイナル陛下! ブラスタ王国から新種のマスタードを紹介されまして……、お味見くださいませんか?」


「あら! 美味しい~っ!」


「へへっ……。テンゲルの豚に、よく合うでしょう?」



ちいさな営み。ブラスタとの関係改善が、あたらしい味を生み、あたらしい商いとなり、民と民の絆となって、大河を賑わす。


その喜ばしい味が、本当はいまいち分かっていない。


頭の大半を、ロアンと帝妹ソレーヌ、それにシャルルの笑みが占めている。


せっかくのお祭りを楽しみ切れないままに、王宮に戻った。


大河騎士団を通じ、各国の王に『シャルル現る』の急報を届け、カルマジンにも早馬を飛ばす。


至急、対応策を練り直す必要があった。



――王宮で開く舞踏会には、帝妹も顔を出そうとするだろう。マーティンは? シャルルは? ……出席を断る理由を探すべきか、いや、それとも……。



と、そんなわたしの迷いを晴らす言葉が、思いもよらないところから届く。



『此度の顛末。ポトビニスは全面的にコルネリア陛下を支持します』



ヨジェフ陛下からの返書。


わたしの誕生日をお祝いしてくださるお言葉と共に綴られていた。



『……小国の生き残り策として、コルネリア陛下のご判断は比類なきまでに完璧。ポトビニスでは諸侯から民にいたるまで、コルネリア陛下への静かな称賛であふれております』



小国ポトビニスが、いかに生き残ってきたのか。その〈知恵〉を夢中になって読み込み、目を輝かせる。



本日の更新は以上になります。

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バスチアンの本当の狙いはコルネリアの首?
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