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249.冷遇令嬢は冷ややかに微笑む

カーナ妃殿下のご尽力により、ロアンとリレダルとの和平合意からは〈婚姻〉の文字が削除された。


つまり、外形的には、帝妹ソレーヌは、



――ただ、テンゲルに遊びに来るだけ。



ということになる。


フレイザー大使のハリス侯爵などは、



「……かの帝妹ソレーヌを人質に、ほぼ無条件でロアンを撤兵させるとは……」



と、絶句したほどだ。


帝妹を王都に迎えるにあたり、テンゲル諸侯の結束を確認し、親睦を深めるため、王宮の中庭で開いた園遊会でのこと。



「かつて大陸の弱小国だったロアンはどこへやら、国力を伸ばした後の高圧的な外交姿勢は目に余ったものですが……」


「ハリス侯爵は……、どう読まれます?」


「……尋常に考えるなら、バスチアンは帝冠をかぶったばかり。国内政策に注力するため、元々、本格的な侵攻の意図はなかった……、ということになりましょうが」


「ええ……」


「これまでロアンには、フレイザーも散々に裏をかかれてきました。ご油断されることのないよう……、としか」



ロアンに追加で放った密偵からの連絡は、まだ返ってきていない。


帝妹ソレーヌの人となりや、3ヵ国が滅亡にいたった詳しい経緯は謎のままだ。



「……バスチアンは妹ソレーヌを、宝物のように可愛がっていると聞きますが……、それも交易商から聞く噂話の範疇です」



と、ロアンとの関係が悪いフレイザー帝国も、帝妹ソレーヌの詳細な情報は持ち合わせていなかった。


園遊会にお招きしたハリス侯爵には、ロアンから要求された元々の和平条件が『エイナル様と帝妹ソレーヌの婚姻』であったことは伏せてある。


いや、枢密院顧問官以外のテンゲル諸侯にも伝えていなかった。


説明していたのは、飽くまでも帝妹とマーティンのテンゲル来訪。主眼はマーティンの身分の取り扱いについてであった。


そのことが、吉と出るか凶と出るかは、いまは分からない。


婚姻の文字が消えたことで、独身の帝妹は、すべてのテンゲル諸侯とその令息の、恋愛対象になり得ることになったのだ。


秋の陽射しが降り注ぐ中庭で、良縁を求めてご令嬢方との歓談に勤しむ令息たちを眺める。


わたしの望んでいた光景でもある。


政略などではなく、本当に好きな人と結ばれるようになってほしい。


援軍の出兵準備を命じていたテンゲル諸侯の間には、安堵の空気が流れている。


そこに、外形上はテンゲルとは敵対関係でなく、友好国リレダルとの軍事衝突も回避されたロアンの帝妹が、友好親善に訪問してくる……。


背筋がゾクリとする。



――事情を知らない諸侯や令息にはなんの警戒もさせずに、三国滅亡の美貌だという帝妹ソレーヌのテンゲル侵入を許してしまったのではないか……。



最初からこの状態がロアンの狙いだったのだとすると、わたしは盛大に裏をかかれたことになる。


これから1年、側に置く、帝国からの賓客。


テンゲル諸侯との絆は確認した。わたしの治政に厚い支持を寄せてくれている。


それが試される1年になるのだと、表情を緩め、挨拶に来てくれる令息たちに笑顔を向けた。


園遊会の数日後。帝妹とマーティンを乗せたリレダルの用意した軍船が、王都の港に到着した。


わたしとエイナル様、枢密院の顧問官、および大将軍のビルテさんと国軍の将帥たち、それに〈コルネリアの騎士〉が勢揃いして出迎える。


背後の王都市街はお祭り騒ぎ。


カーナ妃殿下の粘り腰の交渉が長引いたこともあり、当初の見込みより帝妹とマーティンの到着が遅れ、〈コルネリア生誕祭〉は昨日から開幕している。


軍船のタラップから、緋の毛氈が長く伸びていく。


まず、帝妹ソレーヌが姿を見せた。


河風になびいた長い髪は、淡い桜色を帯びた金の絹糸のようで、腰を過ぎてもなお、さざ波のような正確なうねりを描く。


ひょろりと細い体躯は、華奢というよりは頼りなく、その重さだけで息が詰まりそうに豪奢なドレスがまとわりついている。


後ろに控えるウルスラの囁き声が聞こえた。



「……すごい美貌って聞いてましたから、もっとこう……、カーナ妃殿下やメッテ様、あとはリエパ陛下みたいな、ドーンッ! とか、ババーンッ! って感じの美人を想像してたんですけど……」


「すこし、声が大きいわね。ウルスラ」



と、ナタリアが嗜める声がした。



――ドーンッ! とか、ババーンッ! って感じの美人……。



と、ウルスラの表現に頬が緩みそうになる。


たしかに、皆さま、美貌の種類は違っていても、どことなく押し出しが強い。


ドーンッ! 美人ですけどなにか!? ババーンッ!という気品と迫力がある。


帝妹ソレーヌの佇まいはその対極にある。


ただ、その美貌は完璧だった。


陶器のように白い肌に表情はなく、硝子玉のような瞳は、三度(みたび)嫁ぎ先の国が滅ぶのを見ても、なにも映してこなかったかのごとくに静まり返る。


いくつもの宝石がキラキラとその身を飾り、皇帝の威光を示すためだけに、惜しみなくカネが注ぎ込まれたであろうその姿は、まるで歩く国宝のごとくだ。


なのに、どこまでも存在感が希薄。


儚さにドレスを着せたかのような帝妹ソレーヌの美しさは、生気というものを感じさせないからこそ完成されている。


風に吹かれたように楚々と歩いてタラップを降り、わたしの前に進み出た。


帝妹――、正式には皇女の称号を持つソレーヌと女王。どちらの格式が上かというのは、実は微妙な問題だ。


国家元首としては、明確に女王が格上。


通常の外交儀礼においては、その扱いで問題がなく、到着したソレーヌは、わたしに無機質なカーテシーを捧げた。


ただ、血統の問題とするなら、「皇族」であるソレーヌは、「王族」であるわたしより格上だという解釈も成り立つ。


また、国力の問題なら、大帝国ロアンはテンゲルを圧倒している。


だけど、わたしが格上とするこの外交儀礼は、カーナ妃殿下が熾烈な交渉を経て定めてくださったものだ。


悠然と、その拝礼を受ける。



「……ロアン皇帝、バスチアン陛下が妹、皇女ソレーヌにございます」



か細く嫋やかな声。顔をあげたソレーヌの面立ちは、やはり、つくりもののように美しい。


ふと、ソレーヌの視線がわたしの横に滑り、エイナル様を不思議そうに眺めた。


そして、わたしとエイナル様にだけ聞こえるような、微かな囁き声を震わせた。



「コルネリア陛下は……、エイナル陛下とは、いつお別れになられるんですの?」



感情も生気も感じさせない、あえて言うなら素朴な疑問を、ただ口にしただけであるかのような口調。


硝子玉のような瞳からも、その意図を読み取ることは出来なかった。



「ふふっ。大陸の覇者、皇帝バスチアン陛下の御妹君(おんいもうとぎみ)、帝妹ソレーヌ殿下から、エイナル様がわたしの王配であるとお認めいただき光栄ですわ」


「あら? ……私、そんなことを?」


「ええ、ソレーヌ殿下は、エイナル()()……、と」



エイナル様をソルダル大公世子として扱うなら、尊称は〈閣下〉だ。



「ほんと……」



と、ソレーヌは、テンゲルの地を踏んでから初めて笑顔を見せた。



「ふふふっ……、おっかしぃ~」



ほそく優美な指がそろった手を口元にあて、いつまでもクスクスと笑っているソレーヌは、エイナル様より歳上の31歳。


だけど、そうは見えない。熟練の職人に磨き上げられた宝石のような、あたかも人工物のような美貌を誇る。



「……随分、街がにぎやかなのですわね。私の訪問をテンゲルの民が喜んでくれているのかしら?」


「いえ、わたしの誕生日を祝ってくれておりますのよ?」


「あら、素敵。……あとでお祝いの品を届けさせていただきますわね」



騎士団の儀仗を受ける間も、その瞳になにが映っているのか、わたしが窺い知ることはできなかった。


近侍に促され、ソレーヌはロアンから運んだ豪奢な馬車へと向かう。


大きく湾曲した車体は白塗りに金箔で飾られている。


馬車に乗り込むソレーヌの姿を、すでに枢密院顧問官の過半は、好意的な視線で見詰めていた。



――これは、とんでもない時限の罠に嵌められたのかもしれない……。



唇を噛む。


いまは、交渉の経緯を知る者たちだけで出迎えていたので、ソレーヌの発言が聞こえていたとしても、それほど問題ではない。


だけど、そうではない者たちの前で、ソレーヌが、



――エイナル様と婚姻の約束がある。



とでも呟こうものなら、それだけでも一大醜聞になりかねない。



「……大丈夫だよ、ボクたちが堂々としていれば」



エイナル様の囁きに、堅く頷いた。


軍船からは次々に、ソレーヌのものと思われる荷物が降ろされていく。


それが、アティラ伯爵が用意した荷馬車に積まれていくのを、ただ眺めて待つ。



――マーティンがこない……。これでは従者なみの扱いではないか。



すでに馬車に乗り込み、アティラ伯爵の用意した滞在場所への出発を待つソレーヌを、さらに、わたしたちが立ったままで待たされている。


マーティンが従者扱いなら、わたしたちは従者を待っていることになる。


念の入った嫌がらせだ。


タラップから伸びていた緋の毛氈も片付けられていく。


非礼に抗議させるべきか悩みつつ、



――そうか……。マーティンはテンゲルの者ではないか、という扱いか。



抗議への反論を想定すれば、迂闊な動きがとれない。


逡巡する間に、板が剥き出しのタラップに、マーティンが姿を見せる。


陽光を土色に反射する黒髪。似合わない口ひげを伸ばしているのは、童顔を隠すためだろうか。



――ほ、ほんとに見覚えがないわね……。い、いや……、どこかで……?



という、ありふれた顔立ち。


背丈は帝妹ソレーヌより、すこし高いくらいの、いわゆる中肉中背。


感慨深げに口ひげを撫で、街並みを見下ろしているのが、かえって滑稽に見える。


やがて、のしのしと尊大な歩き方で、タラップから降りてきた。



「久しいな、コルネリア陛下」


「……ご壮健そうでなによりですわ」



と、ナタリア先生に猛特訓していただいた〈勘違いさせない程度〉の微笑みを、形ばかり返す。


そのとき、鳩尾(みぞおち)を、ヒヤリと冷たいものが走った。


身体の底から湧き上がるような嫌悪感。


マーティンの後ろからゆらりと姿を見せた、筋骨隆々の男。


短く切りそろえたブラウンの髪。ヒゲのないアゴを、これみよがしにつるりと撫でた。


だけど、鷹のように鋭い目つきを人懐っこそうに細める、その表情。


わたしの前で、わざとらしい恭しさで、拝礼を捧げた。



「シャルル・ノアイユと申します。……ロアン皇帝バスチアン陛下より格別の命を受け、マーティン殿下の侍従を務めております。以後、どうぞ、お見知りおきを」



闇組織の黒幕シャルルが、ロアン皇帝バスチアンの後ろ盾を得て、テンゲルに、大河流域に、ふてぶてしくも戻ってきた。


いや……、シャルルはそもそも、皇帝バスチアンの手先だったのか。



「テンゲル女王、コルネリアです。……忠勤に、励まれることですわね」



冷ややかな笑みを、シャルルに向けた。



本日の更新は以上になります。

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人身掌握術ってのは、容姿は関係ないからなぁ。 いや、関係はあるか。 でも、ソレーヌは「分かりやすい美女」ではなかった。 ただただ兄皇帝の言いなりに振り回されているだけのお姫様じゃなくて、本当にソレーヌ…
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