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25.冷遇令嬢はふわふわする

見るからに狷介そうな風貌の中年博士から、論争を挑まれた。


ひろいお部屋はシーンッと静まり返って、皆さんの視線がわたしに集中している。


エイナル様が、そっと、わたしの手を握ってくださった。


チラッと、ふり返ると、いつもの優しい微笑みで、わたしを見詰めて下さっていた。



『……バカでなくても、奥さんにしてくださいますか?』


『もちろん、喜んで』



何度も何度も反芻して噛み締めたやり取りを、もう一度、頭の中に響かせた。


遊覧船も、堤防改修も、燻製の燻煙器も、リサ様のサロンも、わたしはそれとなく示唆した。


正面切っての論争、議論は初めてのこと。


目は輝くけれど、心の奥底に居座る恐怖が、足をつかんで放さない。


黒板に歩み寄り、数式を書く。


後ろでどよめきが起きるけど、いまは気にしない。


わたしが指摘した箇所の簡易な絵図面を描いて、向き直った。



「……今のままでは、堅すぎます」


「し、しかし、堅くない堤防など、なんの役に立つというのだ!?」


「いなすのです」



と、黒板に水流を示す矢印を描き足す。


別邸でふたり、お母様と議論を重ね、独自に発展させていた理論。


狷介そうな博士が唸った。



「その手があったか……」


「決まりですわね」



と、初老の女性博士が、愉快そうに笑った。



「この一事をもってしても、敵国の水防を破壊しようという意図は見えません。……コルネリア様。どうぞ、我らをお導きくださいませ」



皆さんが立ち上がり、わたしに頭を下げてくださり、わたしも慌てて頭を下げる。


心の奥底で、恐怖は足をつかんだままだ。


だけど、わたしは進む。恐怖を引きずり回してやる。恐怖が消えるのを待つのでは、負けた気がする。



「こ、こちらこそ! よろしくお願いいたしますっ!!」



と、勢いよく頭を下げたら、テーブルにおでこをぶつけてしまった。痛い。


そのとき、奥の扉が開き、露草色を基調とした瀟洒なドレスに身を包んだ、可愛らしいお姫様が入ってきた。


ブロンズを思わせる落ち着いた髪色。黄金のティアラからは、黄金の羽根が伸び、威厳を漂わせる。


けれど、顔付きはまだ幼く、頬がまるくて、赤茶色の夕陽のような瞳には、あどけなさが残る。



「第一王女、ユッテである。父国王陛下より、コルネリアへの諮問を検分するようにとの命を受けた」


「……お、恐れ入ります」



と、慌ててカーテシーの礼を執る。おでこのことは、皆さん、なかったことにしてくれていて、ありがたい。大人だ。


ユッテ殿下のお声には幼さが残るけど、張りがあって淀みがない。響きからは高貴な威厳が感じられた。



「博士たち。これで、異存はないな?」


「ははっ」



居並ぶ博士たちがそろって声をあげ、狷介そうだった博士も納得顔を浮かべてくれていた。



「うむ。ならば良し。……コルネリア。つい先日まで戦火を交えた国より来たとはいえ、わが国の民のため、大河伯の重責。しかと勤めよ」


「かしこまりましてございます」


「ふふっ。そなたには、兄上も世話になった」


「……え?」


「そなたが、カーナにエイナルを諦めさせてくれたお陰で、兄上は長年想い続けたカーナを射止めることができた」


「さ、左様でしたか……」


「あ、そなたに結婚を申し込んだことも嘘ではないぞ? ……ソルダル大公家より大河伯が出れば、身分を問わぬといえども、大公家の政治力が高まり過ぎる」


「……はっ」


「そなたが兄上を選べば、重臣間のバランスが崩れぬ。だが、そなたがエイナルを選んでくれたおかげで、兄上はホイヴェルク公爵家から王太子妃を出すことでバランスを取るという、大義名分を得たのだ」



気まぐれで奔放に見えたフェルディナン殿下の行動にも、王政に関わる深い意味があったのだと、……不敬な言い回しだけど、感心した。



「王家は常に貴族間のバランスを取ることに腐心しておるという訳だ。な、エイナル?」


「ご叡慮にひれ伏すばかりにございます」



涼しい表情でエイナル様が、ユッテ殿下へと拝礼を捧げられた。


権謀渦巻く王政の中心――、というものを肌で感じられて、



――お……、おお~っ!!



と、目を輝かせ、心を躍らされる。



「しかし、エイナル。コルネリアを緊張させぬために別室で検分せよとは、いささか愛が重いぞ?」


「お聞き届けいただき、感謝の言葉もございません」


「長々と、惚気を聞かせるような書簡を送ってきおって。父上と母上も頬を赤くして呆れておったぞ?」


「……恥じ入るばかりにございます」


「抜かせ。……良き妻を得られることになったな、エイナル」


「はっ。幸甚の限り」


「さすがに国王たる父上を別室に控えさせる訳にもいかず、私が出張ってきたのだぞ? 生涯、恩に着ろよ?」


「ユッテ殿下に、永遠の忠誠を」


「抜かしおるわ」



気持ち良さそうに笑われるユッテ殿下。


わたしは、



――そ、そんなご書簡を……、



と、エイナル様の横顔をポオッと見詰めていた。



「そういうのは、後にしろ」



と、ユッテ殿下の苦笑いで、我に返る。



「し、失礼を……」


「よいよい。これなら両国和平は成ったも同然。むしろ安心したわ。ただ、嫁入り前の身には刺激が強かったというだけだ」


「……恐れ入ります」


「うむ。旅の疲れを癒したら、ただちに大河伯の引き継ぎに入れ」


「かしこまりました」



それから、ユッテ殿下は現任の大河伯様の長年の労を労われ、退出していかれた。


急に現実感が失われる。


あれ? ……いま、わたし。大河伯就任が確定した……、ってこと?


お部屋から出て、大河院の廊下を歩くのだけど、なにか、ふわふわする。


中庭に差し込む陽光に見惚れ、立ち止まると、カリスが、やさしく微笑んでくれた。



「おめでとう、ネル」



約束通り、ふたりだけの内緒な友人関係。


エイナル様にも聞こえないよう、ちいさなちいさな声で、囁いてくれた。



「……抱き締めてもいい?」


「うん……、嬉しい」



カリスが、そっと抱き締めてくれて、それからギュッと力を入れてくれた。


今度こそ、訳の分からない涙がこぼれてきて、こらえ切れずに嗚咽が漏れた。



「ボクも、まだなのに……」



と、エイナル様が呟かれていた気がしたけど、応えることが出来なかった。


中庭に、南から飛来したツバメが舞い降りた。


もう、わたしも好きなところに飛んでいけるのよ? ……と、ツバメに語りかける。


そして、馬車に戻り、わたしは違う緊張で、身体をカチコチにする。


エイナル様の御父君と御母君に会いに行くのだ。

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