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248.冷遇令嬢は歩みを止めない

社交界とは、様々な貴族が様々に開く社交の場の総称であって、どこかに明確な「社交界」という場所がある訳ではない。


王家主催の宮廷舞踏会。有力貴族の夫人が開くサロン。貴族の集う歌劇の夜会。特定のクラブでの会合……。


こうした無数の「社交場」の総体、すなわち「ネットワーク」そのものを指す言葉だ。


そして、その中心は常に移ろう。


ある時代においては、王妃の主催する晩餐会が「中心」かもしれない。


だけど、政治的実権を握る宰相の夫人が開く文化サロンが、真に情報を交換し合い、根回しや裏取引が活発に行われる「中心」だということもある。


国王が寵愛する愛妾の私室こそが、すべての陳情が集まる、宮廷の「真の中心」だった国も時代も、数多く存在した。


誰でも出入りできるから「中心」だということもあれば、限られたメンバーしか参加を許されず、みなが参加を渇望するからこそ「中心」になるということもある。



「すべてはコルネリア陛下の権勢次第。権勢が衰えたと見れば、いまは忠義を捧げる者たちも、次の権勢に群がりましょう」



と、いまのテンゲル王都社交界の顔役ともいえる前公爵夫人が、わたしに、にこやかに紐解いてくれたのは、そういう意味だ。


女王位にあれば、社交界の中心でいられるというものではない。


王位とは、民が思うほどには、絶対的な権威を約束してくれるものではないのだ。


前公爵夫人は、前王の暴政が始まるコショルーでの大敗より前に、公爵家に嫁いだ。


つまり、テンゲル諸侯が華やかな社交界を形成していた、かつての時代と、ご自身の青春時代が重なる。


往時の社交界の華。


それゆえに公爵家という良縁を勝ち取られたのだ。


諸侯間の連帯によるテンゲルの復興を望んだわたしの意向を汲み、王都社交界の再建に汗をかき、骨を折ってきてくださった。


夫である前公爵は、動乱においてわたしとは敵対する側に立っていたけれど、夫人は優雅なものだ。


わたしが領地を三分割させた3人の息子から、それぞれに年金を支給させ、ひとりで王都の邸宅に住む。


お茶会をひらき、すでに年頃を迎えていたご令嬢方の縁談をまとめてあげたり、諸侯各家が久しぶりに主催する、舞踏会や晩餐会の作法礼法の指南を乞われたら、快く引き受ける。


途絶えていたテンゲル王都の社交界は、前公爵夫人のお骨折りによって、ようやく形成され始めたばかりだ。



「……カリス閣下やナタリア様、ノエミ様とウルスラ様のデビュタントで、マリアン様からご指南いただきましたバーテルランド風の趣向には、大いに影響を受けておりますのよ?」



と、前公爵夫人は少女のように瞳をキラキラと輝かせた。


政治的野心よりなにより、華やかな社交の場がほんとうにお好きなのだろう。


ちなみに、わたしも忘れがちだけど、マリアンとは、ばあやの名前だ。


マリアン・ポレン。


バーテルランドで由緒あるポレン伯爵家の未亡人で、旦那様を早くに亡くし、リサ様のご実家マスランド公爵家に出仕した。


財務卿をお務めのマスランド公爵や王妃陛下の覚えもめでたく、バーテルランドの社交界に精通している。



「マリアン様とは、お互いもっと若い頃にお会いしたかったですわ」



と、前公爵夫人は、ウットリとした表情で微笑んだ。


若き公爵夫人として持て囃されるはずだったかつてのテンゲル社交界を、前王の暴政に奪われたと儚むよりも、若いばあやとの社交を想像するだけでも楽しくてたまらないといった表情だ。


帝妹ソレーヌ、そしてロアンとの戦いが、さし当たっては社交の戦いになるのなら、ぜひとも助言を受けておきたいひとりだ。


前公爵夫人は、にこやかに微笑んだ。



「……社交の場とは、コルネリア陛下の権勢を測り、測られる場と心得られるのがよろしいかと」


「前公爵夫人からご覧になられて、わたしの権勢の源泉とは、なんでしょうか?」



かつての政敵の夫人であり、社交界の中心の移ろいを知る前公爵夫人だからこそ見えている、わたしの()()を知っておきたい。


前公爵夫人は艶やかに微笑んだまま、口元を扇で覆った。



「……恐れながら申し上げますと、『大河伯コルネリア』のご異名……、かと」


「異名……」


「すでに、数多の栄えあるご称号をお持ちのコルネリア陛下にございますが……、雨期は来年もやってまいります」


「ええ」


「大河の治水は国の要。それは、領地大事の諸侯にとっても変わりありませんわ」


「……ご助言、胸に刻みました」


「ほほほっ。……さし出がましいことを申してしまいましたわ」



わたしを原点に立ち戻らせてくれる、本当に貴重な助言だった。



「……コルネリア陛下のご美貌ですもの。王都の社交界がなお一段と華やぐことは、間違いございませんわ」


「ご指南をお願いいたしますわね」


「ほほほっ、陛下のお側にはマリアン様もいらっしゃいますのに、私ごときでお役に立てることがございましたら、喜んで」



前公爵夫人を下がらせると、近侍してくれていたカリスがお茶を淹れ直してくれた。



「ネル……。私、『ほほほ』って笑う方に、はじめて会ったわ」


「ふふっ。あの方は、最初からそうだったわよ?」



実は前公爵夫人には、テンゲルの地を踏んだ最初の日にお会いしている。



「あっ……。お茶会にお招きくださって、エイナル陛下のことを『ボンヤリ』って仰ってたわねぇ」



あの頃のわたしでは、どう受け止めたらいいかの分からず、帰りの馬車の中で、ばあやとカリスに慰めてもらったものだ。



「……天然、だったのね」



わたしの苦笑いに、カリスも笑った。



  Ψ



テンゲル諸侯との面会を重ねたり、帝妹の受け入れ準備を確認したりと、慌ただしい日々が続く。


決して前向きな作業ではないのだけど、これまであまり縁のなかった諸侯とも、じっくり話す機会が持てたことは良かった。


領地の治水や産業の振興についても相談に乗って、枢密院につなぐ。


わたしとの取り次ぎには、カリスやナタリア、それにウルスラを任じ、諸侯とのつながりを強化。


ばあやには近く大仕事を頼む予定で、諸侯との取り次ぎからは外して、ウルスラたちの助言役に回ってもらっている。


ウルスラも緋布のドレス姿がすっかり板につき、持ち前の度胸強さもあって、諸侯との関係を深めてくれている。


諸侯のご令息からプレゼントをもらって帰ることもある。



「……い、いただいておいて、よろしいのでしょうか?」


「ふふっ。ちゃんとお返しをしておけば大丈夫よ。返礼品選びに困るなら、ばあやかナタリアに相談してね」


「は、はいっ!」



それでも律儀なウルスラは、誰からなにをもらい、なにを返礼の品に贈ったのか、逐一、わたしに報告してくれる。


適切な距離感でお付き合いできているようで、とりあえずは安心だ。


侍女たちを取り次ぎにした、わたしと諸侯の直接の連帯の網は、王政を緩やかに包み込むセーフティネットになる。


女王、枢密院、諸侯という階層型の統治機構だけに信頼を置きすぎず、いわゆる宮廷文化が統治をバックアップする体制を、急ピッチで整えていく。


やりすぎれば腐敗の温床にもなる。だけど、ウルスラたちの様子を窺うかぎり、いまのところ、その心配はない。


大河騎士団の〈コルネリアの騎士〉たちは、諸侯の宴席に招かれるようになり、王都のご令嬢方を賑わせはじめた。


デジェーはそれに加えて王都市街の酒場や、ギルドの寄り合いなどに顔を出し、つながりをつくりはじめてくれた。


本人は自分を卑下しがちだけど、街娘の間では人気になっているらしい。


ロアンからの要求を、いまの時点で民に広めることはしない。


カーナ妃殿下の交渉が妥結し、最終的に和平条件が確定してからでいい。途中経過で動揺させる必要はない。


わたしが軍船を堤防に突き刺した、ブラスタ国境付近の荒地開拓にも着手した。まずは湿地帯を干拓しつつ、小川の流れを付け替える土木工事からだ。


統一規格の木箱の普及で、職にあぶれ始めた港湾荷役の人夫たちに土木仕事をあっせんする。


取りまとめは、大親分メッテさんの子分たちが引き続き担ってくれる。


内政改革の歩みを止める訳にはいかない。


そして、カーナ妃殿下から、ロアンとの和平交渉における、最終的な合意案が届けられた。


わたしが承認すれば妥結。


ロアンは国境地帯から兵を引く。


エイナル様、カリス、ビルテさん、ルイーセさん、フェルド伯爵など、主だったメンバーをわたしの執務室に集めて分析する。



「ふむ……。条文には、婚姻含みであることが一切、記載されておりませんな」



と、フェルド伯爵が唸った。


カーナ妃殿下の粘り強い交渉で、帝妹ソレーヌの扱いについては、



――ロアンと大河流域諸国の友好親善のため、テンゲル王都に1年間滞在する。



としか書かれていない。


テンゲルに義務付けられているのは『誠意をもってもてなす』ことだけだ。


エイナル様が眉を寄せ、何度かちいさく首を縦に振られた。



「これは……、カーナが随分、頑張ってくれたね」


「……開戦も辞さずと、一歩も譲らずに交渉してくださったようですわ」



もちろん、開戦は脅し(ブラフ)だ。カーナ妃殿下のご心労を思うと、わたしまで胃が痛くなる思いがする。


マーティンについては、帝妹に随行するとだけ書かれており、ほとんど〈おまけ〉のような扱い。



「……これはこれで、テンゲル王家を軽んじているようにも読めますわね」



と、カリスが複雑な声を出す。


王宮を中心に、マーティンと面識のある文官などからの聞き取りを行った結果、



――凡庸、愚昧、享楽的。



と、散々な評判だった。


せめて男前なのかと聞いたら、みなが盛大に苦笑いして、なにも答えなかった。


困った。


ルイーセさんが言うところの『エイナル様にやきもちを焼かせてあげる』役にすら立ちそうにない。


やはり、敵は帝妹ソレーヌだけ。


三国滅亡の美貌だけが、わたしの敵になりそうだ。


そして、ビルテさんとルイーセさんが、感嘆の声をあげた。



「……カーナ。恐るべき交渉手腕だな」



ロアンとソルダル大公領をつなぐ、狭隘(きょうあい)な交易路。帰属が曖昧な僻地だったものを、すべてソルダル大公家の管理下に置くことをロアンに呑ませていたのだ。


ビルテさんが頬に拳をあて地図を睨む。



「……こちらから見て、交易路の〈出口〉に城壁を築いて封鎖すれば、天然の要害を利用した難攻不落の城塞にできるな……」


「いや、そんなものを築いても、いつでも攻め落とせるというロアンの余裕だろう」



ルイーセさんの白々とした声に、ビルテさんが苦笑いを返す。


ただ、野戦と守城戦とでは、まったく趣きが変わってくる。



「……当面の危機は去ったと、こちらに思わせたいのでしょうね……」



わたしの言葉に、みなが頷いた。


ロアンの思惑は、



――帝妹ソレーヌを大河流域に送り込む。



この一点に集約されているのだと確認できた。


エイナル様が、おどけるように肩をすくめられた。



「なんだ。この分だと、帝妹が口説くのは、別にボクでなくてもいいみたいだね」


「…………なんで、ちょっと残念そうなのですか?」


「ええ~っ? ……コルネリアへの愛を証明できる、いい機会になると思ってたんだけどなぁ……」


「ま……」


「……あとで、寝室でやれ。ふたりで。もったいない」



と、ルイーセさんが不愛想な声を響かせた。



「も、もったいない?」


「もったいないだろう。せっかく、ふたりでイチャつけるところなのに」



ルイーセさんらしいご発言に、みなが笑った。


合意内容を、みなで丁寧に吟味した上で、テンゲルとしては反対しない旨を、急使でカーナ妃殿下に報せた。


和平合意は、あくまでもロアンとリレダルの間で結ばれる。


帝妹の滞在は、リレダルからの要請をテンゲルが受け入れた形であり、ロアンとの対立関係を公式にはテンゲルにまで及ぼさないという、カーナ妃殿下のご配慮だ。


テンゲル女王、そして大河委員会議長としてのわたしを、対ロアンにおいてはフリーハンドのままにしてくださった。


そして、ロアンとリレダルの和平交渉が整い、ついに、帝妹ソレーヌとマーティンが王都の港に到着した。



本日の更新は以上になります。

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