244.冷遇令嬢は決意した
侍女たちに、ロアンからの要求と、帝妹ソレーヌとマーティンをテンゲル王都に迎え入れることを伝える。
できるだけ抑揚をおさえ、淡々と語り聞かせたつもりだったけれど、ナタリアは顔を真っ赤にして憤慨してくれた。
「なんと……、あさましく、醜い所業でしょうか!」
ウルスラも険しい顔付きでナタリアの言葉に何度も頷く。そして、チラリとわたしの顔を見た。
「……エ、エイナル陛下のお気持ちは、大丈夫なのですよね?」
「大丈夫に決まっています!!」
と、ナタリアが答えてくれた。
その勢いに、思わずわたしとカリス、それにばあやが目を見合わせ、苦笑いした。
「……すでにご結婚されているおふたりの側に、いわば浮気相手を住まわせろとは、なんと破廉恥な要求! それも男女両方だなんて! その恥知らずな帝妹とやらと、マーティンが結婚したらいいのですわ!」
「そ、そうね……、ほんとだわ」
「ロアンの堕落し乱れた気風を、大河流域に持ち込もうというのでしょうが……、そうはさせませんわ!」
わたしのために激しく憤ってくれるナタリアに、涙をこぼしそうになりながら、ひとしきり吐き出してもらう。
そして、ゆっくりとナタリアに話しかける。
「ありがとう、ナタリア。わたしのために怒ってくれて」
「い、いえ……、当然のことですわ」
「……だけど、その思いを、これからやってくる帝妹やマーティン、それからロアンの護衛たちにぶつけたらダメよ?」
「それは……」
「帝国からの賓客として礼を尽くすの。どんな揚げ足もとられないように。1年。たった1年だけ耐えたらいいのよ?」
「で、ですが……、このように非道な要求。徹底的に非を打ち鳴らし、糾弾するべきです……。王都の民も、いいえ、大河の民が、コルネリア陛下とエイナル陛下の味方になってくれるはずですわ!」
「……そうね」
「はいっ! 徹底的に戦いましょう!」
「でもね、ナタリア。それはいずれ、ロアンとの戦争を求める声になってしまうわ」
民が反ロアンで激昂すれば、わたしの手で抑えこむのは難しくなるだろう。
わたしとエイナル様のことを慕ってくれていればいるほどだ。
民はテンゲルと大河の正義を声高に叫び、喜んで戦地に赴きますよと武器を手に取る。王都に滞在する帝妹ソレーヌを襲撃することもあるかもしれない。
そうなれば、戦争を避けたいわたしとしては、帝妹の護衛に騎士団を動員するしかなくなる。民に刃を向けることになる。
そして、民の怒りは、わたしに向かう。
ブラスタでレオナス陛下がいまだに手を焼かれているように〈弱腰批判〉というのは実に厄介だ。
「ですが……」
「わたしも、ただ我慢してやり過ごすつもりはないのよ? ……当面の開戦を避けられたのは、カーナ妃殿下が勝ち取ってくださった大きな戦果。わたしは、できた時間を存分に使わせていただくつもりよ」
「コルネリア陛下……」
19年も待てたわたしにとって、1年はごく短い期間だ。
いや、そうでなくても1年は短い。
新興の大帝国ロアンの弱みをあぶり出し、益のない戦争を避けつつ、その野望を打ち砕かなくてはならないのだ。
「ふふっ。ナタリアにもウルスラにも、王都社交界の華になってもらわなくちゃね」
「……え?」
「帝妹にテンゲル王都で好きにさせないため、わたしに対ロアンの対抗策を準備する時間をつくってもらうため」
3ヶ国を内側から喰い破った美貌。
メッテさんの仰った通り、戦いの最前線は社交の場に移るだろう。
わたしとエイナル様の愛が試される戦いだと捉えていたら、足元をすくわれる。
帝妹にあからさまな非礼をおかせば、ロアンはそれを口実に侵攻を再開させる可能性がある。それは、大河の盟主たるわたしの失態となり大河流域国家の結束は乱れる。
新帝バスチアンの術中に嵌まる。
「帝妹にもマーティンにも、礼を尽くす。約束できないなら、わたしにとっては、とてもツラいことだけど、ナタリアにはカルマジンに残ってもらうしかなくなるわ」
グッと奥歯を噛み締めたナタリアは、堅い表情で頷き、そのまま俯いた。
そして、ポトポトと涙をこぼす。
「……コルネリア陛下とエイナル陛下は至高。至高のカップル……。諦められた、サウリュス陛下が不憫です」
「……ん?」
「あれほど強くコルネリア陛下のことを想われていたというのに……」
カリスの耳元で囁く。
「……サ、サウリュス……陛下って……、その……、わたしに〈そういうの〉だったの……?」
「さあ……? 私は気が付かなかったけど」
ナタリアが、ガバッと顔を上げ、涙に濡れた顔に笑みを浮かべた。
「耐えます! そして、コルネリア陛下をお支えさせてくださいませ!」
「ええ……。よろしく頼むわね、ナタリア」
「はい!」
サウリュス陛下のことは、とりあえず置いておこう。聞いても、たぶん終わった話だ。
ただ、ちょっとだけ〈コルネリアの部屋〉には近寄りにくくなった。
だけど、いまは深く考えないでおこう。
「ウルスラは? ……クラウスの側にいたいなら、側で助けてあげても……」
「いえ! 私もどうか、コルネリア陛下のお側に! ……役に立たないから置いていくと仰るなら、仕方ありませんが」
「なにを言ってるの? わたしもウルスラに側にいてほしいに決まってるじゃない」
「……でも、私が社交界の華だなんて、とても、そんな……」
「あ、そこ……? あ、うん。それは、すこしずつで大丈夫だから……」
ちなみに、わたしもカリスも社交界の経験は浅い。
「……私もネルも、豪雨対応にテンゲル動乱。かと思ったら、闇組織対応でカルマジンに引っ込んだままだったものね」
と、カリスが苦笑いした。
お互い、ほぼ自分のデビュタントくらいしか経験がない。
社交界の華……、という言葉も、なんとなくのイメージだ。
なんかこう……、すごそう、みたいな。
「私にお任せください」
ばあやが胸を張る。
「リサ様をバーテルランドの社交界でお支えした経験がございます。……ナタリア様は伯爵令嬢にして枢密院議長のご令嬢。ウルスラ様も子爵夫人の勲功爵をお持ち。かつ、おふたりとも女王侍女。王都社交界で輝かないという道理がございませんわ」
みんなでばあやを囲み、社交界での経験談に、ほうほうと首を振る。
顔には微笑を浮かべて足の引っ張り合い。麗しい仮面の下に渦巻く嫉妬と野心。ハンカチの刺繍のわずかなほつれや、会話選びの稚拙さを囁き、扇子で口元を隠しながらクスクスと笑う。ライバルを蹴落とし、家名を高め、より良い縁談を勝ち取るための華やかな戦場。
ばあやの語り口が軽妙で、煌びやかな社交界のドロドロとした裏話に、思わずみなで目を輝かせてしまう。
「……き、貴族令嬢になったみたいです」
というウルスラに、みなで笑い合った。
「テンゲル社交界の中心は、あくまでもコルネリア陛下。それに相応しく、清く正しく美しく、誠実な社交界を築いてまいりましょうね」
ばあやの言葉に、みなで頷き合い、侍女団の結束を確認した。
カルマジンを発つ前に、慌ただしく打つべき手を打っておく。
ルイーセさんには、ロアンに潜ませる密偵の数をひと桁、増やしてもらう。
バスチアンの治政の実態が知りたい。
そして、帝妹ソレーヌの美貌が3ヶ国を内側から喰い破ったという話も、いまの時点でわたしが知るのは、民が囁く噂話の域にとどまる。
実際には何が起きていたのか、詳細な情報がほしい。
できれば、それを帝妹自身が望んでやったことなのか、兄バスチアンに強いられてのことなのかも――。
そして、カリスに手伝ってもらいながら、各国の王に事情を説明する親書を発する。
大河流域国家の結束は、ロアンの野望に対抗していく上で、なによりの基盤だ。
大河評議会の正式設立にむけた議論を加速させるよう、各国の大使への後押しをお願いした。
「……やっぱり、カリスも王都に来てくれる?」
「うん、いいけど。どうしたの?」
「ナタリアの気持ちは嬉しいんだけど、あの熱さはちょっと心配だわ」
「……そうねぇ」
「王家領の新任代官たちの点検もあるし、王宮の中もまだ点検が行き届いているとは言い難いわ」
マーティンを王位に就けるという、かつてのシャルルの陰謀の話は、捕縛した元親分たちからの証言のみ。つまりは、こちらも伝え聞きの噂話にとどまっている。
王宮には闇資金の毒がまわっていたと思われるのだけど、その実態を解明するところにまでは至っていない。
マーティンを王都に受け入れるにあたり、枢密院だけではなく、カリスにも目を光らせておいてもらいたい。
「……クラウス閣下を王都に戻すのもむずかしいしねぇ」
「フェルド伯爵も有能なのだけど、警戒しておくに越したことはないから。……着手してもらったばかりの新型ボウガンの開発も、王都でやってもらわないといけなくなるけど」
「うん。急いで準備するわね」
「ごめんね。お願い、カリス」
「ふふっ。ネルにこき使われるのは慣れてるわよ?」
テンゲル復興のため、内政改革の推進も止める訳にはいかない。
カリスには、側にいてもらいたい。
ルーラント卿にも、わたしのカルマジン不在を伝え、後事を託す。
闇組織とマーティンの繋がりに、明確な証拠をつかんでもらいたいところだ。
「……ベルタ様とフランシスカ様」
「あ、ええ……」
「すこしずつ対話を積み重ねております」
「……ルーラント卿にはわたしの私事まで託すことになり、申し訳ございません」
「いえ、何事にも焦られず、結論を急がれませんように」
「お言葉、胸に刻ませていただきます」
狷介博士には各国の水脈調査とあわせ、荒地開拓のため、あらたな灌漑についても調査をお願いする。
出来る限りの準備を整えてから、カルマジンを発った。
エイナル様の馬の前に乗せていただく。
「……王都に行っても、朝の鍛錬は続けようね?」
「え? ……いいのですか?」
「ふふっ。う~ん、ダメな理由が見当たらないなぁ」
「……嬉しいです」
「帝妹がロアンにお帰りになるときには、コルネリアも馬に乗って見送ろうね」
「は、励みます!」
エイナル様は、1年を乗り越える目標をわたしに与えてくださった。
背中をポスッと、エイナル様の胸の中へと預ける。とても居心地がいい。
わたしが帰れる場所。わたしの最高の伴侶の胸の中。世界でいちばん温かい場所。
――新帝バスチアン……。必ず、その野望を打ち砕いてみせますわ……。
夏から秋に移ろう西の空を、エイナル様の胸の中から見上げて、そう決意した。
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