24.冷遇令嬢は奪われない
夕陽が世界を茜色に染め、大河がゆったりと流れる。河岸の樹々は新芽を膨らませ、空には渡り鳥の群れがシルエットになって飛んでいく。
雄大な景色に見惚れ、しばし、隊列を止めてもらう。
わたしの視界を遮るものは、なにもない。
ひろく見渡せる風景に目を輝かせるわたしのために、エイナル様はやや高台の道を選んでくださる。
アップダウンが激しくて、わたしたちを乗せてくれる馬には、すこし申し訳ない。
ひとり馬車に乗るカリスは、いつの間にか編み物を始めていた。わたしとエイナル様の関係に安心してくれたのだろう。
「……船旅では、こうしてコルネリア殿とずっと近くにいることが、出来ませんから……」
と、エイナル様が告白してくれた。
わたしから視線を逸らし、景色に見惚れるフリをしていらっしゃる。
わたしが背中を預けると、ピクッと身体を震わせ、それからゆっくりと力を抜いていかれる。
可愛らしいと思ってしまう。
寒さが緩み、コートは薄手になって、エイナル様の温もりをより感じられる。
「実は……、コルネリア殿が最初にエルヴェンを通過するとき、護衛騎士を追加しました」
「ええ。よく覚えておりますわ」
銀のプレートアーマー、青と白のマント。
初めて臣下からの拝礼を受けて、ドキドキした。馬車の深緑のベルベットを撫でながら、カリスと反省会。
ん? ……実は?
「……あの中に、ボクもいたのです」
「ま、まあ……」
身分を隠し、こっそりのぞき見たわたしにいかに衝撃を受けたかと、告白されるエイナル様に、わたしの方が赤面した。
やがて、王都ストルムセンに入った。
謹厳さと猥雑さと、活気と静粛と。人は皆忙しそうで、これが首都であるということかと、馬車の中で目を輝かせる。
レンガ造りの建物の合間を、運河が張り巡らされている。舟が行き交い、ヒトやモノが運ばれていく。
――の、乗ってみたい!
と、目を輝かせるわたしに、船上の人たちが振り返る。
窓に張り付くわたしを眺めている。
馬車の通る道とは距離があるので、いつまでも目が合っている。
――ネルは、自分の顔面の破壊力を知るべきだわ。
カリスの言葉を思い出し、肩をすくめた。
「ね?」
という顔のカリスと、口元に手をあて眉を寄せて微笑まれるエイナル様とに気が付いて、ふかふかの座面に座り直した。
母国の王都より先に、敵国の王都の景色を知ってしまった。
王都を抜けるまでは、カリスは父に忠実だった。逆らって随従を取りやめにされないよう慎重にふる舞ってくれたのだろう。
エイナル様も、わたしのためにカリスの陪乗をお認め下さった。
やさしいふたりに囲まれ、緊張をほぐしながら、馬車は王宮へと入った。
同じ感想なのだけど、
――母国の王宮より先に……。
と思いつつ、馬車を降りる。
侍従とおぼしき方の先導で、わたしはまず〈大河院〉を訪れた。
老博士が出迎えて下さり、再会を喜ぶ。
「この老木めが、コルネリア様を無理に引っ張り出してしまいましたな」
「いえ。身に余る栄誉この上なく。光栄に存じますわ」
そして、現在の大河伯様に面会し、ふたつみっつの諮問を受けた。
真っ白な髪にお髭。落ち窪んだ目に、深いシワ。遠国から招かれ、平民の出自ながら長く大任を担われた大河伯様は、お疲れのご様子だった。
ふと、エイナル様がわたしの手を握ってくださった。
振り返ると、やさしげに微笑んでくださっている。
「コルネリア殿。実はまだ、大切な情報を隠しておりました」
「……な、なんでしょうか?」
「実は……」
「はい」
「ここでは、賢しらであることが尊ばれるのです」
――な、なるほどぉ~っ!!
と、自分が真顔になるのが分かった。
大河伯様に向き直り、諮問にお応えする。
「……老博士の仰られる通りであった」
と、大河伯様が手をあげ、わたしの話を止めた。
――賢しらな振る舞いが、気に障られたのかしら……。
ふと不安に襲われたけれど、大河伯様の瞳には安堵の色が浮かんでいた。
「ようやく、引退できる」
と、囁くようなかすれ声で仰られた大河伯様は、急にお身体が、ひと回り小さくなったように見えた。
老博士が労うように、大河伯様の肩に手を置いた。
「なんの、まだまだ。王立学院で教鞭を取ってもらわねばならんぞ?」
「まだ、この老いぼれをこき使うのか? リレダルは、ひどい国だな、おい!?」
長年の盟友関係を想わせる砕けたお姿。
だけど、急激に老いが進まれたようにも見え、大河伯の責任の重さを、ひしひしと感じられた。
それから、大河伯様と老博士に伴われ、広いお部屋へと案内された。
広いテーブルを囲むのは、気難しそうな博士たち。ピンと張り詰めた空気に、思わずたじろぐ。
けれど、わたしの目は、テーブルの上に奪われる。
リレダル王国を縦断する大河の図面が広げられていたのだ。詳細な情報も書き込まれていて、支流も詳しく載っている。
国家機密級の図面に、思わず歩を速めた。
「コルネリア様。思われるところを述べられよ」
と、大河伯様が仰られたとき、既にわたしの目は図面に釘付けだった。
涙が出るかと思った。
なんの涙だろう。お母様に授けていただいた学問が、わたしの頭のなかで、活き活きと呼吸を始めたような感覚。
書物もなく、メモも書いたらすぐに焼き捨て、わたしの頭の中にしかない、たったひとつ、お母様がわたしに遺してくださった、大切な形見。
イヤリングも、ブローチも、ドレスも、きっと、みんなフランシスカに奪われた。
だけど、頭の中にあるものまでは奪えない。奪われない。
わたしは、図面を指差した。
「ここと、ここ。……ザッと拝見しただけですが、この二か所が弱いかと」
「何をバカなことを」
と、狷介そうな顔をした、中年の博士が顎をしゃくった。
――お……、おお~っ!?
と、わたしは感動し、初めて目にする〈ややこしい学者〉の顔をまじまじと見詰めてしまった。
きっと、友だちいないんだろうな。でも、すごい仲良しが2人くらいいるんだ。それで、喧嘩のような議論をいつもして、プンスカしながらお酒飲んだりするんだ。
と、勝手な妄想を膨らます。
「どこが弱いというのか、教えてもらいたいものですな」
論争を挑んできた狷介博士に、わたしは目を輝かせ、エイナル様がそっと手を握ってくださった。
本日の更新は以上になります。
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