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238.冷遇令嬢は迅速にもどかしい

ヘラルト殿下は大仰に眉を寄せ、深刻そうに何度も首を縦に振る。



「……カーナ妃殿下を特使に派遣とは、リレダルの平和にかける思いがよく伝わるお話ですな……」



そして、6年に及んだ、リレダルとバーテルランドの和平交渉の困難さをふり返り始めた。



「さても、クラウス閣下のご尽力。……バーテルランドの者たちは、みな心に刻んで忘れておりません」


「……恐れ多いことです」


「相互政略結婚策によりリレダルより嫁いでこられたご令嬢方。コルネリア陛下をはじめとした、わが国よりリレダルに嫁いだご令嬢方のお働きも忘れてはなりません」



長々とお喋りになられるけれど、お話に中身はない。


メッテさんなど、あからさまに退屈そうなお顔で窓の外に目を向けられている。


ただ、フレイザー大使のハリス侯爵に比べたら、ヘラルト殿下は分かりやすい。


わたしへのサインを送っていた。



「ヘラルト殿下とバーテルランドが、大河の平和にかけられる熱い思い。よく伝わりましたわ」


「おお……、コルネリア陛下よりそのようなお言葉を頂戴しようとは」


「……わたしから、バーテルランド諸侯のみな様に親書を発しましょう。これまでのご協力に厚く感謝申し上げ、なお一層、大河の友好促進にご尽力を賜りたい、と」


「それは、みな喜びましょうな。……かつて、ブラスタの諸侯に送られた親書は、とても丁重なものであられたとか……」


「ふふっ。……もちろん、丁重な親書を送らせていただきますわ。わたしの母国の諸侯方ですから」



要するに、わたしが頭をさげて協力を求めた体裁を整えてくれと仰っているのだ。


旧敵国であるリレダルを守る行動への葛藤、いつの間にか自分たちより遥かな高みにある存在となったわたしへの反感。


それでも、ロアンの武力が大河流域にまで伸びることへの不利益は認識している。


万一、リレダルが陥ちれば、バーテルランドはロアンと国境を接し、直接対峙しなくてはならなくなる。


感情と利害が複雑に絡み合うなか、さらに、わたしを無条件に支持してくれる親世代との、世代間対立まである。



「わたしを快くグレンスボー子爵たるエイナル陛下に嫁がせてくださった、バーテルランド諸侯には感謝しておりますのよ」


「それをぜひ、みなに聞かせてやってくだされ。……コルネリア陛下ご署名の親書は、各家の家宝として末永く伝えらることにございましょう」



いま最も危機に直面しているのは、わたしの嫁いだソルダル大公家だ。



――コルネリアが知恵者だというのなら、義実家の危機くらい自分でどうにかしたらどうなんだ?



と、毒づいているであろう者たちの気持ちを宥め、ことがリレダル一国、ソルダル大公領だけの問題ではなく、大河流域国家すべての危機であることに理解を求める。



――そうまで言われては……、助力せんでもない。



と、言わせてあげるのに、わたしのメンツなど関係ない。



「親書は、整い次第、ヘラルト殿下にお届けさせていただきます。お手間をとらせますが、バーテルランド諸侯にはヘラルト殿下よりお配りいただけませんか?」


「それは、ありがた……。いえ、承知いたしました。……私の添え状も付けさせていただきますが、それでよろしいか?」


「むろんにございますわ。どうぞ、よろしくお取り計らいくださいませ」



バーテルランド国内では、ヘラルト殿下がわたしに膝を折らせたと伝わるだろう。



――コルネリアにこうまで言わせたのは私だからだぞ? ここは私の顔を立てて、リレダルの支援に反対しないでくれ。



といったところだ。


こうしたやり取りを重ねながら、徐々に信頼関係を醸成していくしかない。


わたしがバーテルランド宮廷に常駐できたら、もっと話は早いのだろうけど、そうもいかない以上、やむを得ない。


窓に向いていた視線を戻されたメッテさんが、ニカッと笑われた。



「私もほしいな。コルネリア陛下よりの親書」


「まあ……」


「彫るか、ご署名を。左腕にでも」



と、薊の刺青をピシリと叩き、みなが困惑した笑みを浮かべた。


やはり、貴族社会において、メッテさんの鮮やかな刺青は異質だ。


そして、ブラスタの利害を代表する大河委員会大使でありながら、大河流域の裏社会を従える大親分でもあるメッテさんの存在感は異質極まりない。


その異質さを際立たせる発言に、イグナス陛下やユッテ殿下など、メッテさんを好意的に捉える方々も戸惑いを見せた。



「……バカを言うな。コルネリア陛下のご尊名をなんと心得る」



と、冷淡に言い放ったクラウスに、メッテさんが呵呵と笑われ、本日の準備会合は休会の手続きに入った。



「各国のご厚意に感謝申し上げる」



と、ユッテ殿下が感謝のお言葉を述べられ、ロアンの脅威に対し、各国一致してリレダルを支援することが確認された。


次回会合では、支援体制の具体的な内容を詰めるものとして、散会になった。



「……多国間協議とは、もどかしいものですな」



帰り際、クラウスが呟いた。



「ふふっ。それでも、二国間の協議を六ヶ国で積み重ねることを思えば、迅速な方だと思うわ」


「……それも、そうですな」


「……ポトビニス大使が、ヘラルト殿下の説得に随分骨を折ってくださっているようですわね」


「お気付きでしたか……」


「ポトビニス大使の馬車は、頻繁にバーテルランド大使館に出入りしているとか。クラウスからも労いの言葉を……」


「……かしこまりました」



小国であるポトビニスは、大河委員会体制に国運を賭けると決めてくれた。


国王ヨジェフ陛下の叔父君を大使として寄越したのも、その決意の表れだ。


外交状況によっては国王すら使い捨てにするというポトビニスにおいて、叔父君は本来、ヨジェフ陛下の〈スペア〉だ。


万一、わたしが失脚したなら、ヨジェフ陛下に代わって即位するお立場だった。


それを、大河委員会大使に任命したということは、ポトビニスが全力をあげてわたしを支援する立場を明らかにしたも同然。



「……ポトビニス大使は、ヘラルト殿下と似たお立場。国元の大河委員会体制に懐疑的な方々への押さえとして派遣されています。ヘラルト殿下と分かり合えるところも大いにあるのでしょう」


「はっ。……気を配っておくようにいたします」


「頼みましたよ、クラウス」



そして、一旦、私室に戻る。


ルイーセさんが3人の騎士を従えて、お待ちくださっていた。



「コルネリア陛下からご下命のとおり、特に目端の効く者を選抜した」


「ありがとうございます。……皆さん、お顔を上げてください」



3人の騎士は、みんなこれといった特徴のない顔立ち。手配した西方風の衣裳に身を包んでいる。


深夜の森での闇組織との戦闘で、ルイーセさんと共に、敵陣深くを駆けた騎士たち。


わたし独自の情報源として、ロアン帝国への密偵として送り込む。



「……ソルダル大公家も、リレダルもロアン帝国には陰働きの騎士を放ちました。ですが、頼りきりという訳にも参りません」



3人はわたしの言葉に、軽やかな表情で頷いた。頼もしい限りだ。


命がけの潜入。それを激励する慣例として、私手ずからに注いだグラスになみなみの赤ワインをとらせる。


そして、3人はバラバラになって西へと旅立った。



「……あいつらなら大丈夫だ」



と、不愛想ながらも信頼のこもるルイーセさんの声音と一緒に見送った。


夜は、急いで親書をしたためる。


すべてのバーテルランド諸侯あてるのだ。数が半端ではない。



「……こちらの子爵は、先ごろご嫡男がお生まれになられたばかりだそうです」


「ご夫人の出自は……?」


「いや、妾腹だそうよ?」


「あら……。では、ご夫人のお気持ちも労わないといけないわね」



と、ナタリアとカリスに手伝ってもらう。


ヘラルト殿下が仰ったとおり、親書は家宝として保存されるだろう。


遠い未来の子孫が読んでも、自家の誇りとしてもらえる文言を練る。


ばあやのサンドイッチを頬張り、ウルスラの淹れてくれたお茶をいただきながら、久しぶりに夜なべの作業。


エイナル様は、クラウスのいるテンゲル大使館に行かれたし、侍女たちだけとワイワイ言いながら作業を進める。



「ほら、ネル。あと半分」


「ふぁ~。手が痛くなってきた……」


「マッサージいたしますわね」


「……ありがとう、ばあや」


「あっ、じゃあ、反対の手は私が!」


「……ウルスラも、ありがとう。そっちの手は使ってないけどね」


「あ、そうですね……」


「ふふっ、ウソウソ。嬉しいわ、とても」



さしあたっての対ロアンの体勢が固まりつつあり、侍女たちと過ごす時間も和やか。


翌日にはすべての親書を書き終え、ドレスを着せたウルスラを遣わし、ヘラルト殿下に届けてもらう。


そして、次の準備会合に向けた準備を進めていたころ。


ふたたび、ソルダルのお義父(とう)様からの急使が、大河流域を揺るがす。



――ロアンに軍事侵攻開始の兆しあり。



風雲急を告げる報せを受け、わたしは王都のビルテさんに、出兵の準備令を発した。


大河流域国家が統一行動をとる前に、ロアンがソルダル大公領に侵攻すれば、わたしの目論見は狂う。


だけど、ここで焦りは禁物だ。


ジリジリとした思いに耐えながら、続報を待った。



本日の更新は以上になります。

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