236.冷遇令嬢は探り合う
「気を使わせてしまったな」
と、ユッテ殿下に苦笑いさせてしまった。
王都に発つ朝、鍛錬の時間。
エイナル様のご指導で、ふたりゆっくりとストレッチをしながらのことだ。
「……なんのことでしょう?」
「ふふっ。……わが父、リレダル王がエルヴェン公爵に叙爵してまで、コルネリア陛下をリレダルに繋ぎとめておきたかったのは、大河伯としての治水の才のためではない」
「はい……」
「豪雨災害において、リレダルを見事にまとめあげたその政治手腕だ」
「……光栄なことですわ」
「ソルダル大公領の独立。……それを、本国ではなく私に囁く。見事な策だ」
西方諸国との外交窓口だったお義父様、ソルダル大公はリレダル王国内で厳しい立場に置かれている。
ロアンによる大陸諸国統一を見通せなかったことに、非難の声が高まっている。
ユッテ殿下が、笑った。
「大公が口にすれば、重大な問題ともなろうが、世子夫人の戯れ言であれば風聞にとどまる。そして、リレダルの者は、みな考える。〈ロアンとの国境を王都に近付けても良いものか……〉とな」
「……ご慧眼に恐れ入るばかりですわ」
「私でも考える。……ソルダル大公がロアンに膝を折れば、大河流域にロアンが侵攻拠点を持つことになる」
「そう簡単に屈する、お義父様ではございませんが……」
「はははっ。……分かっておる。エイナルの無言の笑みが、すべてを雄弁に物語ってくれておる」
ユッテ殿下の皮肉気な笑みにも、エイナル様はお応えになられず、穏やかに微笑まれたまま、脚の筋肉を伸ばすわたしを補助してくださっている。
「……ただ、われらが勝手に考えてしまうというだけのこと。そして、そうはならんよう、ソルダル大公を支援せねばという機運が高まろう」
ロアン帝国の成立は、リレダルの国難になり得る。
大河流域国家もそうだけど、まずはリレダルが一丸となって対処しないと、必ず足元をすくわれることになる。
「……コルネリア陛下は、私の身の上を案じてくれたのであろう?」
「どうでしょうか……?」
「……リレダル王家、ソルダル大公家、ホイヴェルク公爵家。リレダルの主要三家を見渡して、いま、ロアンへの政略結婚に出せる年頃の娘は、私しかおらんからな」
「ユッテ殿下を敵国に嫁がせるようなことには……、させたくありません」
思わず語気を強めてしまったわたしを、ユッテ殿下は優しく見詰めてくださった。
ロアンの軍事力は脅威だ。
しかも、現時点では情報が不足し過ぎていて得体が知れない。
ユッテ殿下を〈駒〉のように考える者が、リレダル宮廷に現われてもおかしくない。
「……ソルダル大公のみならず、リレダルの全体が、西方諸国……、ロアンに屈するのか、大河流域国家の一員であり続けるのか。重大な選択を突きつけられておる」
「はい……」
「リレダルの平和のためであれば、私の結婚など些事でしかないが……」
「そんなこと!」
「はははっ。コルネリア陛下はお優しい。……私も、バーテルランドとの戦争が終結し、ようやく復帰できた〈大河の民〉であり続けたいと願っているぞ?」
わたしより歳は若くとも、王家にお生まれになられた責を強くお感じのユッテ殿下。
丸いほっぺたは愛らしいのに、わたしには〈お姉さん〉な微笑みを向けてくださる。
「……見た目は姫のようでありながら、やはり、まっすぐで熱い男だな」
と、イグナス陛下のことに話題を変えられた。
「万一のとき、クランタスは援軍を送るとのお言葉。……しかと、リレダル本国に伝えさせてもらった」
「イグナス陛下は交わしたお約束を、必ず守られるお方です」
「うむ……。やはり、ちょっといい、な」
すでに、ご自分の結婚をリレダルの重要な〈外交カード〉だと認識されたようなお声の響きに、胸が締め付けられた。
戦争は避けたい。
ユッテ殿下の思いが成就もしてほしい。
ロアンの侵攻を止めるため、リレダルからの人質も同然に、ユッテ殿下を差し出すようなことも避けたい。
「はははっ。ご自分は政略結婚で幸せをつかんでおきながら」
と、ユッテ殿下から笑われてもだ。
ユッテ殿下のことだ。ロアン帝国との関係が落ち着くまで、イグナス陛下には想いを伝えることさえ控えられるだろう。
青春の思い出として心の奥底に仕舞い込み、胸を張ってロアンに嫁いでいくことも、なしとはされないお方だ。
「……必ずや外交交渉の糸口をつかみ、ロアンからの侵攻を喰い止めます」
「うむ! ……大河の盟主たるコルネリア陛下であれば、必ずや成し遂げられることであろう!」
爽快な笑顔は、わたしに責任を感じさせるでなく、かといってわたしの言葉を信じていないという風でもなく。
ご自身の人生を、ご自身の責任において引き受けられる、実にユッテ殿下らしいものだった。
それだけに、口にした言葉をどうしても本当にしたい。
王都に向けて出発するとき、
「……ちょっと、顔が怖いぞ?」
と、護衛についてくださるルイーセさんに眉を寄せさせてしまった。
「さすがに、緊張しておりますわ」
「……敵が強大であるときほど、肩の力を抜くのがいい」
「剣聖様からのご助言。胸に刻みますわ」
「強い敵は、私の強さを証明するために現われてくれるのだ」
「ふふっ。……心しますわね」
そして、王都に入る。
フレイザー帝国の大使、ハリス侯爵と会う前に、まずは枢密院議長のフェルド伯爵とテンゲル王国内の動向を確認する。
「……すでに諸侯には、動員準備を命じております」
「反応はどうですか……?」
「動揺は隠せませんが……、コルネリア陛下に加え、大将軍ビルテ閣下の指揮で戦ってみたいと意気込む声もあります」
万一のときは、テンゲルも援軍を出す。
いくら戦争を避けたいからといって、懐ではしっかりと刃を握っておかないと、外交など成り立つものではない。
「……動乱において、わたしとの関係が遠かった者たちはどうですか?」
「コルネリア陛下への忠誠の見せどころと張り切ったフリをしておりますが……」
「ええ……」
「……戦争は避けたいという本音は隠せておりませんな」
その思いは、わたしも同じだ。
前王弟の伯爵や、テンゲルの若き公爵。わたしとの関係が遠い者たちへの対応を丁寧にと、フェルド伯爵に頼む。
「……大河流域の各国と協調し、外交に全力を挙げていることを、彼らにもよくよく伝えてください」
そして、エイナル様にエスコートしていただき、ハリス侯爵と対面するため、謁見の間へと向かった。
回廊を渡りながら、王都の街並みを見下ろす。
闇組織による放火攻撃も乗り越え、水没策からの復興は八割ほどまで進んでいる。
街は活気にあふれていた。
「ふふっ……、エイナル様の仰る通りでしたわ」
「ん、なにが?」
テンゲル動乱中、平穏そのものだったフェルド伯爵領でお聞かせいただいたお言葉。
――バーテルランドとの戦争中、リレダルの王都で、たとえばボクは学院時代をクラウスやカーナたちと謳歌した。
西方で起きた大きな事件の気配は、テンゲル王都では微塵も感じられない。
だけど、危機は確実に迫っている。
西方でロアンとは対立関係にあるフレイザー帝国なら、より詳しい情報を持っているはずだ。
玉座を並べるわたしとエイナル様に片膝を突く、捉えどころのない貴公子と向き合った。
「……コルネリア陛下よりご依頼のあった『シャルル』という男。わがフレイザー帝国に属する交易船では見かけた者はおらぬとのことで……」
「そうですか……」
「お力になれず」
「いえ、ご協力に感謝しますわ」
ハリス侯爵は、アイボリーの長い髪を揺らし、ちいさなお顔に薄く笑みを浮かべた。
シャルルの件と、偽造緋布の件。
まずは、わたしに恩を売る話題を済ませた後、本題を切り出される。
「……ロアンの〈暴れ馬〉めは、交易を重視しません」
「ええ……」
「大河流域におかれましては、海上交易の重要性がますます高まりましょう」
「……そうですわね」
ハリス侯爵の用件は、テンゲルからクランタスまで、大河の河口四ヶ国で、先行して国際河川化を図ってはどうか……、というものだった。
「クランタスの新王サウリュス陛下。ポトビニスのヨジェフ陛下。ブラスタのレオナス陛下。……いずれも、コルネリア陛下が王冠をかぶせた王であられます」
「……恐れ多いことですわ」
「コルネリア陛下が後見なさる国々とであれば、ことはスムーズに進むのではないかとお察しいたします」
「さあ、どうでしょう……」
「恐れながら、フレイザー帝国としてはコルネリア陛下の後押しを……」
ハリス侯爵の申し出は、大河交易の発展によって得られる実利を取りにきたとも、大河流域国家の分断を図っているとも受け取れた。
うかつな言質を与えることはできない。
「……フレイザーの皇帝陛下は、ロアンの新帝バスチアン陛下とは、仲がよろしいのですか?」
「ふふっ……、まさか」
「大陸の脅威に、フレイザー帝国がどう備えておられるのか……、とても興味がありますわ」
「海が隔てておりますゆえ。これといった備えはしておりません」
お互い、腹の内を知りながら、腹を探り合う時間が続く。
わたしとしては、フレイザー帝国に海からロアンを牽制してもらいたい。
戦争にまではいたらなくとも、ロアンが、ソルダル大公領に向けた軍事行動を起こすまで、時間を稼げたら充分だ。
一度だけ訪れた、ソルダル大公領の主城。
エイナル様と尖塔から眺めた、西方につながる陸路は山と山に挟まれ狭隘だ。
あそこに、大河流域国家の連合軍を布陣させられたら、大軍でも迎え撃てる。
迎撃態勢が整えば、ロアンとしても侵攻は躊躇うはずで、実のある外交交渉に持ち込める可能性が高まる。
それには、大河流域国家をひとつにまとめる時間が必要だ。
ハリス侯爵は神秘的なお顔立ちに、真意の探りにくい平たい笑みを浮かべた。
――なにを土産に持たせたら、フレイザー本国を動かせるのか……。
この捉えどころのない貴公子と、優雅な微笑みを交わし合う。
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