表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

235/265

234.冷遇令嬢は心を軽くしてもらう

わたしが眉根を寄せたのは、自分が冷え冷えとした表情になるのを避けるためだった。


ベルタが切々と語るその話は、わたしの仮説、そして、ルーラント卿の推論にピタリと符号していたのだ。



「……モンフォール家は、バーテルランド王国の至宝、テレシア様を理由なく幽閉しておりました。お生まれになられたばかりのコルネリア陛下まで」


「ええ……」


「その秘密を……、私にも守るようにと強いられ……」



父の第2夫人となることが、病だと聞かされていた母テレシアの助けになるのだと、使命感に溢れて嫁いだ先で知った〈真相〉。


同世代のご令嬢方の間では『テレシア様の第2夫人』となるベルタを、羨む声も囁かれていたらしい。


それは、すべてを知ったベルタを、なおのこと絶望のどん底へと突き落とすものだった。



「……妻の務めとして、フランシスカを儲けましたが……。私にはどうしても愛することができませんでした」


「そう……」


「フランシスカとは、明確に言葉を交わした覚えすらありません……」



同席してくださったルーラント卿が、動揺するわたしに代わって、ベルタに話の続きを促してくれる。


軟禁されていても母テレシアからたっぷりの愛情を注がれて育ったわたしと、母親から存在を疎まれ無視されて育ったフランシスカ。


あの高い壁に、わたしの身体は自由を奪われていても、心には絶対的で無条件なお母様からの愛を注ぎ続けていただいた。


だから……、だから、壁の外に出た瞬間から、わたしは〈自由〉だったのだ。


連れ戻されることに怯え、お母様から授けていただいた学問を隠さなくてはならないと、わが身を守りながらも、……わたしは自由だった。


見るものすべてに目を輝かせ、リンゴの砂糖漬けの甘さに喜び、カリスとお友だちになれたことに感激し、お美しいエイナル様に心をときめかせることができた。


わたしの心は、自由だった。


それは、ひとえにお母様から注いでいただいた愛情のおかげでわたしの心の根底に、「自分には愛される価値がある」という揺るぎない思いが育まれていたからだ。


たとえ、父やフランシスカ、出入りするメイドたちからどんなに邪険に扱われても『お母様から愛された、わたし』を、疑うことはなかった。


お母様にとっては祖母レナータから愛されなかった、悲しい記憶の反動だったのかもしれない。


だけど、いま、それは考えない。


とにかく、わたしは愛された。


わたしの仮説とは、



――母テレシア亡き後に、フランシスカのわたしへの嫌がらせがひどくなったのは、母を亡くしたわたしへの同情だったのではないか。



というものだ。


つまり、あれがフランシスカなりの愛情表現だったという、わたしとしては、とても受け入れ難いものではある。


ただ、闇組織事件を通して、フランシスカと改めて向き合った結果、想像を絶するほど『他者に共感する能力』が欠如していることに気が付いてしまった。


わざわざ別邸に足を運び、トンチンカンな学問をご教授くださったことも、ご飯を抜かれたことも、すべては母を亡くしたわたしに、



『これで、お姉様は私とおなじ母親の愛情がない存在になった。やっと、お姉様は私の気持ちが分かるところに落ちてきた』



という、歪んだ「同質化」の喜びの発露だったのではないか。


愛されているという価値を自分に見いだせないままに育った、フランシスカの自己防衛だったのではないか。



「……今日は、ここまでとしましょう」



と、わたしの顔色を案じたルーラント卿が、ベルタからの聞き取りを打ち切ってくださった。


ナタリアが心配げな面持ちで運んでくれた、温かいお茶をいただく。


()()()のバーテルランド王都で生活していたカリスとばあや、それに、自身も幽閉された環境で育ったウルスラは、この件から遠ざけている。


わたしの問題で、彼女たちのどんな傷口を開いてしまうか分からない。


ベルタからの聞き取りを明日からは代わってくださると仰るルーラント卿に、かろうじて笑みを返した。



「……ルーラント卿もまた、バーテルランドのご出自。わたしとお母様の境遇をよくご存じですわ」


「はい……、ですからこそ」


「……すべての始まりは、父のとても浅薄な虚栄心です。自分より妻が栄達することが面白くないという」


「ええ……」


「その父が〈破壊〉した、最も複雑な残骸こそが、フランシスカ。……そのフランシスカを『更生』させ『再生』する。これ以上の父への報復はないと……、考えるようになったのです」



大河流域には、いまだ闇組織の残した〈沈黙の掟〉の爪痕に苦しむ者たちがいる。


心の奥深くにまで刻まれた恐怖が、彼らの心を縛り、今もなお、心を幽閉しているかのようだ。


あるいは、王領伯に幽閉されていた茜集落の者たちにも、解放後しばらくしてから、心身の不調を訴える者が出ている。


そして、隠し金山。


シャルルが去った後も、それとは知らず、黙々と金を掘り続けていた。


身体は解放されたとはいえ、心に刻まれた傷はいかばかりのものだろうか。



「……彼らの心を癒すのに、心の幽閉から解き放つのに、フランシスカの更生は、よい知見を得られると思うのですが……」


「それは、ご慧眼にございますな」



と、ルーラント卿は気品ある所作で、ティーカップを口元に運び、目を伏せた。



「ですが、私としては強く献言せざるを得ません。……コルネリア陛下は、フランシスカ殿の件から距離を置かれるべきです」


「……お考えをおうかがいします」


「まず、コルネリア陛下は、フランシスカ殿の最大の『被害者』であられます」


「ええ……」


「その陛下が、フランシスカ殿の前に『良き姉』として現われた瞬間、フランシスカ殿の歪んだ心は、陛下の優しさすらも『利用』しようとするでしょう」



フランシスカは、獄中仲間のチーズ屋の元主人に、



――私は女王コルネリアの妹なのよ?



と、自慢していた。


わたしとしては腹立たしい以外の何ものでもないのだけど、ルーラント卿は、それこそがフランシスカの〈病理〉であると、わたしに優しく諭してくださる。



「……フランシスカ殿にとって、コルネリア陛下は、最初から『姉』ではなく、自らの価値を証明するための『道具』でしかありません」



わたしの奥底に根差す〈感情〉を刺激しないよう、ルーラント卿が言葉と声音を選んでくださっていることがよく分かった。



「つまり、コルネリア陛下が優しくすればするほど、あるいはツラくあたればあたるほど、フランシスカ殿は自分が『特別な存在である』との囚われを深くします」


「はい……」


「……コルネリア陛下の優しさは、フランシスカ殿が自らの力で立ち直る『機会』を失わせてしまうのです」



こうまでハッキリと言われては、わたしとしても、事後のことをルーラント卿に委ねるしかなかった。


ルーラント卿が、これまで以上にお優しい表情で、わたしを見詰めてくださった。


ふだんはその身にまとわれる高貴な気品すらも脱ぎ捨てた、だたわたしを思い遣るお気持ちだけに染められた、温かな眼差し。



「……罪人の更生は、私にとっても重要なテーマです。進捗はすべてコルネリア陛下にご報告させていただきます。どうか、私にご一任いただけませんか?」


「え、ええ……」


「……あの時代。コルネリア陛下とテレシア様が理不尽にも幽閉されていたバーテルランドの王都で、同時代を生きたひとりとして、コルネリア陛下の〈復讐〉のお手伝いをさせてもらえませんでしょうか?」



フランシスカが『更生』するかどうかも分からないし、更生したフランシスカを見て、父が何かを感じるかも分からない。


だけど、ほんの少しだけ夢想するのだ。



――わたしとフランシスカの仲睦まじい姿に愕然とし、歯噛みする父の顔を見てみたい……。



フランシスカからご飯を抜かれても、恋愛小説の最後の3ページを破かれても、そもそも、わたしを軟禁していたのは父だ。


父ひとりの罪だ。


再審庁の地下牢でノビノビとくつろいでいた父の顔を思い返すにつけ、その思いを深くしてしまう。


あんなことするんじゃなかった……、と心から悔しがる父の顔が見たい。



――ここに至っても、妄想ですら『悔いる父』ではなく『悔しがる父』しか思い浮かべられないとは……。



と、自嘲の笑みを口元で噛み殺した。



「……よく理解いたしました。ルーラント卿にすべてお任せいたします。お手間をおかけすること、この上ございませんが、何卒、よろしくお願いいたします」


「コルネリア陛下の心の平穏は、われらの平穏。大河の平穏。……必ずやご期待に沿えるよう微力を尽くさせていただきます」



ベルタからの聞き取り、および、それを受けての『フランシスカの更生プログラム』の策定を、ルーラント卿に委ねた。



「……賢明な判断だと思うよ?」



と、寝室でわたしの背中を優しく抱きしめてくださる、エイナル様が仰った。



「コルネリアは大きく傷つけられた本人である訳だし。……それとも、どうしても自分の手でフランシスカ殿を立ち直らせたかった?」


「いえ……、まさか」


「だよね。……大河公安局の局長たるルーラント卿が、自ら乗り出してくださった『特別扱い』は気になるところだろうけど……。まあ、ワガママのうちには入らないかな?」


「そうでしょうか……?」


「うん。……フランシスカ殿には、船荷証券の謎を解いてもらった功績もあるしね」



エイナル様のやさしいお言葉に、心をすこし軽くしてもらう。


ほんとうに罪とは、犯罪とは。深い傷跡を残し続けるものだ。解決したつもりでいても、まだまだ奥底には傷が残っている。


翌日。フランシスカの身柄を、法的には大河公安局に移す手続きをとった。


燻製小屋での強制労働は従前どおり。


ふっと自分の肩から力が抜けていくような気がしたのは、やはり、わたしの心がフランシスカに囚われていたからなのかもしれない。


フランシスカは、本来ならばモンフォール侯爵領における罪人だ。それを、当時のわたしの目が届きやすかったエルヴェンの燻製小屋での強制労働としたのも、その表れだったのかもしれない。


妙に心が軽く、そして、なぜか心細く感じてしまう自分に苦笑いした。


やがて、風に夏の終わりを感じながら、ルーラント卿から届けていただいたフランシスカの『更生計画書』に目を通していたときのことだった。



――さすがはルーラント卿ね。すべてが論理的で、無駄がない……。時間がかかることにも説得力があるわ。



と、感心していたわたしのもとに、ソルダル大公たるお義父(とう)様からの急使が届き、顔を青ざめさせた。



「ロアンの王が……、帝冠を被った」



反ロアンの国々をすべて外交的に屈服させ、ロアンが大陸諸国を統一。ロアン帝国が成立したという一報だった。


外交的な統一により、ロアン帝国は兵力を温存。いや、屈服した国々の兵もあわせ、強大な軍事力を握るに至った。


その軍事力が、ソルダル大公領、ひいては大河流域に向くのは時間の問題だった。


わたしは大河評議会の準備会合を緊急招集。情報収集に追われる。


西からの戦雲が、大河に迫っている。



本日の更新は以上になります。

お読みくださりありがとうございました!


もし気に入っていただけたり、おもしろいと思っていただけたなら、

ブクマや下の☆☆☆☆☆で評価していただけるととても励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ