232.王配陛下は剣となった
Ψ Ψ Ψ
厳粛な空気の漂う、清流院の謁見の間。
各国の大使がご列席くださるなか、ボクはついにコルネリアに両膝を突いた。
「汝は、大河の流れを清らかならんとし、大河の平和を守る、清流院総裁たる、私コルネリアへの忠誠を誓いますか?」
「はい、誓います」
コルネリアが掲げていた剣を、ゆっくりとボクに向ける。
剣はコルネリアが個人所有するものでも、テンゲルの宝剣でもなく、この日のために新たに用意されたもの。
大河の清流で清められ「戦いのための剣」ではなく「平和を守るための剣」であることを象徴する、刃を落とした儀礼用の新しい剣だ。
その清らかな剣の平らな面が、ボクの両肩を軽く叩いた。
「いまこの時より、汝は〈コルネリアの騎士〉である。大河の平和を守る、〈大河の民〉の守護者として精励せよ」
コルネリアが厳かに宣言すると、緋の毛氈が敷かれたトレイを恭しく掲げたナタリアが、ボクの前に進み出る。
清流院の紋章が刻まれた銀製のマント留めをトレイから取り上げ、自ら装着した。
それと同時に、各国の大使から盛大な拍手が贈られ、ボクの〈コルネリアの騎士〉への叙任式が無事に終わった。
ボクは初めて、明確にコルネリアに忠誠を捧げられる地位を得た。
王政の都合に左右される政略による婚姻関係でも、あくまでも対等たらんとコルネリアが扱ってくれる王配でもなく、ボクはコルネリアを公式に仰ぎ見ることができる。
コルネリアがなにかにつけ、
――いまの私があるのは、すべてエイナル様のお陰です。
と言ってくれることは、心から嬉しいし誇りに思う。
愛しているし、一生大切にしたい。
だけど、偉大なるコルネリアに、湧き上がる忠誠の念を止めることもできずにいた。
――コルネリアの騎士。
大公家に生を受け、たくさんの称号を保持するボクだけど、これほど嬉しい称号はほかにない。
玉座に腰を降ろしたコルネリアの横に、ボクは大河騎士団の団長予定者として立つ。
「……素敵な鎧が、よくお似合いですわ」
玉座からボクを見上げるコルネリアが、頬の上側をすこし赤く染めて囁いた。
「そう? ありがとう」
ボクはコルネリアを守り支える剣として、側に控えることを許された。自分の玉座に隔てられることなく、すぐ側に立てる。
はにかむコルネリアと微笑み合いながら、
――いちばん自然な形に落ち着いた……。
そんな感慨を噛み締めた。
これからも、テンゲルの王配として公式の場に出るときには、コルネリアと玉座を並べる。
だけど、大河の盟主たる、大河委員会議長にして清流院総裁のコルネリアが統べる場においては、ボクはただ〈コルネリアの騎士〉として、一本の剣として、コルネリアを護ることができる。
――後世の者に、コルネリアがこんなにも可愛らしくて、可憐で、お茶目なところもあって、とても素敵な女性であることは、正しく伝わるだろうか……。
と、つい考えてしまうほどに、コルネリアが次々に成し遂げる偉業はすさまじい。
いみじくも前王弟が漏らした、
――美しく可憐な怪物。
というひと言。
後世に、コルネリアへの畏怖の念だけが伝わるなら、それはすこし寂しい。
だけど、いまを生きるボクにできることは、必ずやコルネリアを守り抜くということだけだ。
この先、いかなる敵が現われようとも、コルネリアを守り、支え、そして、愛しみ合う。大切にする。
コルネリアの微笑みに、そう誓った。
各国の大使たちが退出し、続いて各国から派遣された騎士たちの叙任式が始まる。
残念ながら、コルネリアが構想する〈大河評議会〉の設置交渉は停滞している。
大河騎士団の成員となる〈コルネリアの騎士〉を、各国相互に承認しての叙任という形は断念せざるを得なかった。
ただし、その臨機応変な判断こそが、コルネリアの深淵な才と知性の成せる技だ。
まずは、ユッテ殿下がリレダルから選抜された騎士をお連れになる。
騎士は、あくまでもリレダル王とコルネリア、二者関係における契約として叙任される。
「リレダル王国は、我が国の至宝であるグンナー・スキヨル卿を、コルネリア陛下の騎士として推挙する!」
ユッテ殿下が快活なお声で、騎士を紹介した。
国家の威信をかけて送り出された騎士が、煌びやかな儀礼用の甲冑姿で、コルネリアの前に両膝を突く。
リレダルは母国であるし、グンナーという騎士のことはボクもよく知っている。
――外見も選考対象だったのだろうな……。
と、苦笑いする、見目麗しい長身の騎士。
ボクやクラウスより、ひとつ歳上で、王家直属の騎士として活躍していた。
学院時代は当然ひとつ先輩で、ボクのあとに入学したカーナを追いかけていた。
コルネリアが厳かに告げる。
「汝は、汝が主君リレダル王への忠誠を違わず、また同時に、大河の平和を守る清流院総裁たる、私コルネリアへの忠誠を誓いますか?」
騎士とは本来〈ただひとりの主君〉に忠誠を誓う存在だ。
それを、ふたりに誓う両属の騎士という存在は、もちろん異例で前例がない。
これは、清流院総裁たるコルネリアと、各国の王の利害が対立するようなことがあってはならないという象徴だ。
大河評議会の設置、および大河委員会条約の改正を待たずに発足させる大河騎士団は、秘密協定に基づき、清流院の下に置かれる。
軍事情報という最高度の機密情報を扱う以上、現時点ではやむを得ない組織体系だ。
誓いの言葉を述べた騎士の両肩に、コルネリアが剣を乗せる。
その姿は神々しいまでに美しく、大河の盟主に相応しい威厳と気品に満ちていた。
ユッテ殿下とグンナーが退出すると、次はバーテルランドの大使ヘラルト殿下が騎士を連れてこられる。
叙任は、大河の最上流から下流にむけた順で行う。
大河の流れに沿う地理的な順番であることから、各国に政治的序列を生じさせない。
そして、次に現われたテンゲル大使のクラウスが、コルネリアの即位後で初となる、テンゲル出身の騎士を連れてきた。
コルネリアが優しげな眼差しを向ける。
「傷は痛まない? ……デジェー」
「はっ。全快とは参りませんが、儀礼を滞りなく務められるほどには……」
闇組織事件の解明が進むにつれ、デジェーの献身的な潜入への称賛の声が高まった。
――これほどの組織に、それと知りながら潜入し、女王陛下のために働くとは、なんという忠義の心……。
コルネリアが自身で暗殺未遂事件への罰をすでに与えていたこともあり、デジェーを騎士にと推挙する声が数多くあがった。
腐敗していたテンゲル王国の騎士は、コルネリアが即位したときに、すべて準男爵に叙爵し直し、テンゲル出身の騎士は不在。
テンゲルの騎士団は、いまはすべてリレダルから移籍した者たちばかりだ。
その騎士団の活躍もあり、テンゲル出身者からも騎士をと囁かれていたところに、デジェーの噂が広まり、声望が集まった。
デジェーは王家領の在地貴族に生まれ、領主としての国王の直臣という家柄だ。
ただ、父である王領伯が犯した罪もあり、コルネリアはデジェーに新家を興すように命じ、まずはテンゲルの騎士に叙任した。
そして、テンゲルから大河騎士団に派遣するなら、リレダル生まれの者ではなく、テンゲル生まれのデジェーが相応しいと、ビルテとルイーセから推挙されたのだ。
もっとも、今日を迎えるまでビルテから厳しく躾けられたらしい。
「……カッコ悪い」
「ふっ、私のどこが……」
「まず、その『ふっ』っていうのをやめようか。思わせぶりなのがカッコイイと思ってるのは田舎者の証明のようなものだ」
「ふっ、……はい」
「よし。それでいこう。見栄えは悪くないんだから、地位に相応しい所作を覚えようか?」
「……はい」
「初対面で人当たりが悪かったり、ミステリアスなのが、後で『まあ! ほんとうはこんなにも優しいお心をお持ちなのですわね!?』……なんてのが持て囃されるのは、夢見がちな物語の中でだけだ」
「……はい」
「実際に会えば、ただ人間的に未熟なだけだからな? 『優しいのはいいけど、あの態度がねぇ』と陰で笑われるだけだ。……エイナルを見てみろ。初対面でも、相手が誰であっても温和だろ?」
「……はい」
「逆にクラウスなんか最初から最後まであの冷たそうな態度で一貫してる。相手が誰でもだ。やるなら、あそこまで徹底しろ」
「……はい」
「それから、コルネリア陛下の騎士になるなら、自分勝手に判断しないこと。あんな危険で無謀な潜入、騎士なら恥でしかないからな? いま褒められてるからって、つけあがるんじゃないぞ?」
「……はい」
とまあ、まだ傷の癒え切らないケガ人だというのに、テンゲルを代表して派遣される騎士に相応しいよう、ふる舞いと所作を徹底的にしごかれたらしい。
ビルテからの報告書を受け取り、コルネリアとカリスが肩をプルプル震わせていた。
その甲斐あってか、
「……コルネリア陛下に、永遠の忠誠を」
と、実に殊勝に、両肩にコルネリアの剣を受けた。
デジェーは既にカルマジンの住民や茜集落の者たち、ウルスラにも、前歴を丁重に詫びて、許しを得た。
ボクとコルネリアの取り成しに加え、わが身の危険を顧みない潜入劇が、住民たちの心を打っていた。
あの深夜の森での戦闘のあと、荷馬車でデジェーを介抱したウルスラがニコリと微笑んだ。
「デジェー様は幽閉されてた私たちの待遇改善にも取り組んでおられました。……優しいお心は知っておりましたよ?」
「ふっ……、いまとなっては、なんの力にもなれなかったが」
「あ~っ!? いま『ふっ』って笑ってましたよ~? ……また、ビルテ様に叱られちゃいますよ?」
「……はい」
「ふふっ、一緒にコルネリア陛下をお支えしましょうね」
ウルスラが、自分たちを幽閉する側にいたデジェーを受け入れようとするのは、コルネリアが見せるフランシスカ殿への公正な姿勢を見習ってのことだろう。
いま、コルネリアは、フランシスカ殿の生母であるベルタ殿にカルマジン訪問を打診している。
お人好しと言われれば、そうだろう。
だけど、諸歴あったフランシスカ殿への私怨に囚われることなく、更生に骨を折る姿が、みなの心を打っている。
そして、6ヶ国から推挙された6人の〈コルネリアの騎士〉の叙任式が滞りなく終わり、大河騎士団の結団式に臨む。
「大河騎士団、団長。エイナル・グリフである。たったいま叙任されし〈コルネリアの騎士〉たちよ、わが前へ!」
6名の騎士が、自らが佩用する〈母国の剣〉を抜き放ち、その切っ先を謁見の間の中央で重ね合わせる。
その上に、ボクの剣を重ねた。
「われら、出自も主君も違えども大河の平和を願う心において、ひとつなり! われら、コルネリア陛下の御名のもと、各々ただひと振りの〈陛下の御剣〉として、〈大河の民〉の盾とならんことを誓う!」
ボクの誓いの言葉を受け、騎士たちが剣を鞘に納めたとき、コルネリアが厳かに玉座から立ち上がる。
その美しい微笑みの前に、ボクは6名の騎士を従えて片膝を突いた。
「このコルネリア、大河の平穏を守る、大河騎士団の結成を心から嬉しく思います」
列席する大使たちから温かい拍手が贈られ、ボクはコルネリアの剣となった。
「……エイナル様。よろしくお願いいたしますわね」
安堵の微笑みを浮かべるコルネリアに、ボクも笑みを返す。
西方の大陸諸国の混乱は深刻だ。
大公世子として、日々刻々と情勢の変化が届けられている。
今後いかなる政変、いかなる苦難が待ち受けていようとも、ボクはコルネリアの側から離れず守り抜ける公的な地位を得た。
コルネリアの佩く、剣となった。
そして、まもなく大河流域国家に激震をもたらす報せが、西方から届くことになる。
その日に備え、心づもりをしていたつもりだったボクの心も大いに揺さぶられる。
やがては、コルネリアの側からナタリアが離れ、メッテ殿が離れ、そして、カリスまでもが離れることになる。
だけど、このときはまだしばらく、ようやく訪れた平和を享受し、穏やかで煌びやかな日々を心から祝い楽しんでいた。
ボクの大切なコルネリアと、ともに。
本日の更新は以上になります。
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