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230.冷遇令嬢は挟まれる

各国から大河委員会に派遣された大使が、その性格上、わたしとの深い関係構築を求めるのはやむを得ない。


昨日着任され、ほとんど初対面のポトビニス大使などは尚更だ。


なので、ほどよいところでカリスとふたりで貴賓室のテラスに出るというのは、予定通りの行動だ。


この後、大使のみな様方には〈大河評議会〉という、大河委員会の意思決定機関を構成していただく運びだ。


これまでは、事あるごとに各国からの使者が飛び交っていた。


6ヶ国が6ヶ国に使者を飛ばし合うのだ。


高速船を用いてもタイムラグは生じるし、なにより非効率なことこの上ない。



「……あれ? このレオナス陛下からの親書って、リレダル王からの親書を読まれる前に書かれたものかしら? それとも、読んだ上でのご提案?」



といったことが、何度か起きていた。


特命全権大使が一堂に会して討議する体制に移行することで、最終的に各国の王と宮廷からの承認は要るにせよ、委員会の運営は飛躍的に円滑化するはずだ。


そして、円滑な討議には大使同士の信頼関係が欠かせない。


ユッテ殿下は照れを押し隠したご表情で、メッテさんがお仲立ちくださった情報交換の場について、イグナス陛下のもとへとご自分からお話にいかれたし、わたしの出番は終わり。


まだ昼間の暑気が残るテラスで、カリスと街並みの建物越しに街の中心部、広場のあるあたりを眺めた。


広場では大きな炎が焚かれ、その周りでは住民が歌ったり踊ったりしているハズだ。



「……住民は、みんな楽しそうね」


「うん。エイナル様のお陰もあって、新しい住民ともうまくやってくれてるし、ありがたい限りだわ」


「ネルも、あとで遊びに行く? お忍びで」


「え~? ……迷惑じゃないかな?」


「う~ん……、ルイーセさんに護衛を頼んだら大丈夫じゃない?」



あ、そっちで受け止められたかと、苦笑いしつつ、広場の炎が照らす夏の夜空を見上げた。



「……わたしが、モンフォール侯爵を継いだときね」


「うん……」


「農地改革をやって、その前にはエルヴェンで燻煙器を改良したり、遊覧船を就航させてもらったり……。あ、その前には果物屋のおかみさんにエプロンをプレゼントしたりして……」


「ええ、懐かしいわね」


「……これからは壁のない民の近くで、民と一緒に笑い合って生きていくんだって思ってたんだけどなぁ……」


「そうね。ネルは偉くなっちゃったわね」


「ふふっ。……やり甲斐はあるのよ? 思い描いてたより、ずっと早く『大河の国際河川化』を実現させられるかもしれないし」



テンゲル動乱を平定したのが始まり。


だけど、女王に即位しても、最初は王家領への行幸に出掛け、古い段々畑を復興して薬草栽培を勧めたり、カルマジンでも灰汁(あく)を使って染料の抽出効率を上げたり……、あの頃はまだ民の暮らしに近かった。


カリスが優しげに、すべてを許してくれるような笑みでわたしを見詰めた。



「……大河評議会が正式に立ち上がれば、大河委員会条約の改定作業。大河委員会を〈大河連合〉に格上げするんでしょ?」


「うん。そのつもり……」


「ふふっ。大河はもっと栄えて、大河の民はもっと笑顔になるわ」


「うん……、そうなるといいな」


「ネルにしかできないことよ? ……私も手伝うから、さっさと終わらせて、また民の近くに戻りましょうね」


「ふふっ、そうね」


「もうひと踏ん張り。……闇組織対応で急ごしらえの体制を、常設で安定させたら、大河の歴史をネルが100年は早く進ませることになるわ」


「もう、大袈裟ね……」



でも、そうなのだ。いまが千載一遇の好機であることは間違いない。


大河流域国家が一丸となって闇組織に対抗した熱が冷めないうちに、いまの体制を固めてしまいたい。


大河騎士団に移行する統合幕営など、1年前には誰も夢にも思わなかった仕組みだ。


各国が夢から醒めないうちに、さらに大きな夢の中に、みんなで突き進んでいくなら、いまほど相応しいときはない。



「……ねぇ、カリス」


「なあに、ネル」


「……全部、終わったら、モンフォール侯爵領にしばらく引っ込もうか?」


「あら、どうしたの弱気になって」


「弱気じゃないのよ。……モンフォール侯爵領は、カリスには故郷でしょう?」


「え、ええ……、そうとも言えるわね」


「……カリスの故郷で、しばらくのんびりしたいなぁって」


「ふふっ。エイナル陛下は?」


「もちろん、一緒よ?」


「……要するに、ネルは旅行に行きたいのね」


「あ……、そういうことになるのか。でも、カリスの生まれ育ったところ、ゆっくり〈お出かけ〉してみたいなぁ……」


「……コルネリア陛下」


「なに、急に改まって」


「話の流れから、大変申し上げにくいのでございますが、私、生まれも育ちも、バーテルランドの王都でございます」


「あ、そっか」



と、笑い合う。


考えてみれば、カリスとこんな無駄話をできるのはいつ以来だろう。


無駄なので、前がいつだったか覚えてない。



「……近場ならフェルド伯爵領にお邪魔させてもらって、ナタリアの生まれ育ったところを案内してもらったら?」



と、優しげに微笑むカリスには、わたしの考えていることはお見通しだ。


わたしには守るべき故郷がない。


あの高い壁に囲まれた別邸を、お母様と過ごしたわたしの故郷だと思い込もうにも、それも豪雨災害時に父の引き起こした洪水で倒壊し、すべてを取り壊した。


カルマジンに元からいる住民が故郷の伝統を大切に守りながらも、新住民も快く受け入れる姿を目にして、()()()()()()()に駆られてしまったのだ。


せめて、仲の良い友人の故郷を訪ねてみたくなった。



「そうね、……醸造所のみなさんにも会いたいし、それもいいかもしれないわね」



と、フェルド伯爵領の風景を思い描いたとき、部屋の中から騒ぎの声がした。


カリスとふたり、まずはそっと様子を窺った。



「さすがに見苦しいぞ、ヘラルト殿下」



と、ヘラルト殿下の手首をねじり上げていたのは……、



「……な、なんの、ほんの戯れではないか……、ユッテ殿下」



と、慣れた調子で弁明するヘラルト殿下に、



――そうだった……。この方、女癖が悪いのだった……。



と、額に手をあて、天を仰ぐ。


ヘラルト殿下と、ユッテ殿下の間では、ナタリアが、スンとした表情で左の手首を右手でさすっている。


お給仕を担当してくれていたばあやが、スススッとわたしに近寄り囁いてくれるのを聞くまでもなく、



――ヘラルト殿下がナタリアに言い寄り、相手にせず立ち去ろうとしたナタリアの左手首をヘラルト殿下がつかみ、そのヘラルト殿下の腕をユッテ殿下がねじり上げた……。



と、なにが起きているのか、その場に立ち会っていたかのように情景が思い浮かぶ。


そして、ちっとも悪びれず、ユッテ殿下に手首をつかまれたままのヘラルト殿下は、平然とされている。


見かけは精悍に見えるのに、こんな場面には慣れているのだろう。


頭いたい。


離れたところでメッテさんは腹を抱えているし、イグナス陛下はユッテ殿下に目を輝かせている。


エイナル様が、ユッテ殿下に囁かれた。



「……夏の夜の戯れ。よい座興を見せていただきました。どうぞ、このあたりで」


「うむ、そうであるか」



と、ユッテ殿下が手を放されると、ヘラルト殿下との間に、スッとエイナル様が入られた。


身のこなしがスマートで隙のない動きに、思わずわたしの目が輝いてしまった。



「ヘラルト殿下も、お気を悪くされませんよう」



と、にこやかに微笑むエイナル様だけど、万一、ヘラルト殿下が逆上してユッテ殿下やナタリアに手を出したりすることのないよう、盾になる位置に立たれていた。


カリスが、わたしの耳元で呟いた。



「……エイナル陛下、素敵ね」


「うん……」



ヘラルト殿下はヘラルト殿下で、けろりとした様子で、



「……女性からの袖にされ方が下手になってしまった。無粋な真似をした、許されよ、ナタリア殿」



などと、殊勝に頭をさげている。


最年長のポトビニス大使が、穏やかに笑われた。



「夏祭りの夜に相応しき、恋のひと幕にございましたな。いや、よいものを見せていただき、気持ちが若返りましたぞ」



などと、場を盛り上げてくださる。


さすがは、外交巧者のポトビニスからの大使というべきか。


軽妙な語り口もあって、なんとなく和やかな場に戻る。


騒ぎが収まった以上、わたしが出ていけば逆効果にもなりかねない。チョイチョイッと手招きして、ナタリアをテラスに呼んだ。



「……騒ぎにしてしまい申し訳ありません。うまく断ることができず……」


「ううん、ごめん。わたしが席を外してたから……」


「いえ。この程度の場面もさばき切れないようでは、女王侍女の名折れ。ヘラルト殿下にも要らぬ恥をかかせてしまいました。……精進いたします」



嫋やかに頭をさげて見せたナタリアに、あのレムのつきまとい事件の頃のような脆さは感じない。


だけど、申し訳なさでいっぱいだ。


父フェルド伯爵が枢密院議長に就任したこともあり、いまナタリアにはテンゲル王国内から縁談が殺到している。


デビュタントで知り合った令息たちが、いよいよ本腰を入れてナタリアとの結婚を望み始めたのだ。


だけど、ナタリア自身は澄まして、



「……ようやく、コルネリア陛下のお側仕えに戻れるというこのタイミングで結婚など……、考えられませんわ」



と、すべて断っている。


その理由を挙げられては、わたしも、



――サウリュス陛下とはどうなの?



とは聞けずにいた。


カリスが、そっと部屋の中を指さす。



「……みなさまの親睦は、かえって深まってるみたいよ?」



見れば、ヘラルト殿下がユッテ殿下に頭をさげられ、それをみな様が囲む輪になっている。


わたしに言い寄りフラれたことを逆手に取って、政略に活かされたヘラルト殿下のしたたかさを思い出し、苦笑いした。



「……あれは、フラれ芸ね」



というカリスの呟きに、わたしとナタリアが吹き出す。


部屋のなかのエイナル様と目が合って、やさしげに微笑んでくださったので、あとのことはお任せすることにした。



「……ああいうのは、メッテ様の独壇場だと思ってたけどねぇ……」


「ユッテ殿下の立ち回りも素早かったですわよ」


「リレダルは、本当に武に秀でたお国柄なのねぇ……」



と、カリスとナタリアが、ヒソヒソと笑い合っている。


カリスが、ナタリアを気遣って話かけてくれているのだと分かる。


隣国の王子とトラブルになったのだ。


ヘラルト殿下が、そういうご気性の方だとはいえ、ナタリアの心の内も穏やかであるはずがない。


わたしも一緒になって、ヒソヒソと噂話に花を咲かせた。


シャルルの追捕。ロアン王国への対処。フレイザー帝国の思惑。そして、大河委員会の発展と安定。


課題は山積みだけど、貴賓室から響いてくる大使たちの笑い声、そして、カルマジンの街を賑わす民の声。


明るいふたつの声に挟まれ、なんだか幸せな夏の夜だった。


そして、翌日。ユッテ殿下とイグナス陛下の、最初の〈情報交換会〉が開かれる。



「なんで、わたしまで……」



なぜか、わたしとエイナル様も呼ばれた。



本日の更新は以上になります。

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