23.冷遇令嬢は前を向く
日を追うごとに、大聖堂から足を運んでくださる楽士様が増えていく。
ホイヴェルク公爵家とソルダル大公家。
王国二大権門の世子がそろって、婚約者との私的な舞踏会を開いているのだ。当然と言えば当然。
しかも、育ちが抜群に良いリサ様は、イヤな顔ひとつせずに、夕食を供されたり、お土産を持たせたりされる。
〈じいや〉や〈ばあや〉も、邸宅が賑やかになることはリサ様のお慰めに良いことだと、心を込めておもてなしする。
わたしのデビュタントの練習……、にしては盛大過ぎる大楽団の演奏で、背筋を伸ばしてステップを踏んだ。
「これが、コルネリア殿の狙いだったのですね……」
と、エイナル様が、感嘆の声を漏らしてくださった。
「ね、狙い……、というほどでは。でも、うまくいきました」
「感服しました」
エイナル様の視線の先では、両国の画家が互いの絵画を見せ合い論評している。
その隣では、詩人が旋律について議論し、またその隣では彫刻家が互いの道具を見せ合い、さらに建築家がバーテルランド様式の意匠に見入っていた。
リサ様の邸宅は、ブロムの芸術家たちがお連れの芸術家たちと交流する、一大サロンになった。
「しゅ、宗教都市は、芸術都市であることも多いと……、教わりました」
演奏が終わり、テーブルに戻ると、リサ様とセヴェリン様が一枚の絵画を一緒に眺めて感想を述べ合われていた。
ニコニコうなずいたり、難しい顔をされたり、リサ様が表情豊かに、セヴェリン様に寄り添われていた。
ふたりを邪魔しないように、エイナル様と微笑みあいながら、そぉ~っと、別のテーブルに移動する。
忍び足で移動していたつもりだったけど、リサ様と目が合った。
ポッと、頬を薄桃色に染めて、ちいさく控え目に頭をさげてくださった。
「もう、ふたりは大丈夫だね」
と、エイナル様が耳元で囁いてくださって、今度はわたしが頬を紅く染めた。
その距離は、まだ慣れません。
戦争で長く交流の途絶えていた芸術家たちは、互いに刺激を受け合い、競うようにして新しい表現を生み出していく。
とりあえず分かりやすいところで絵画を、エルヴェンから画商を呼んで買い取らせたら、カーナ様に苦笑いされた。
「コルネリア様は、商売もお上手なのね」
「い、いやぁ……。一応、総督代理のお役をいただいてますし……」
河川交易が盛んなエルヴェンへの販路は、ブロムの芸術をさらに盛り上げてくれるはずだ。もちろん、エルヴェンも潤う。
リサ様にお勧めして、邸宅で展覧会をひらくと、街の人たちが大勢訪れてくれた。
展示を見終わった人たちに、リサ様がお茶を供され、みな饒舌に感想を述べる。
いつもは静粛を保つブロムの民も、感動的で情熱的な芸術を体験し、興奮気味に語り続けた。
最初、リサ様は空色の瞳をパチクリさせておられたけれど、やがて、一緒になって感想を語り合われるようになられた。
絵画や彫刻を求める声があがり高い値がついても、リサ様が手数料を取られたりするはずもなく、
「おめでとうございます」
と、可憐に微笑まれ、むしろご祝儀を渡されるので、芸術家たちから感謝される。
ますます芸術家たちが集う。近隣都市から足を伸ばす者たちも出てきた。
続いて開催した演奏会も大盛況だった。
リサ様の邸宅はいつも賑やかになって、その中心にはリサ様とセヴェリン様の笑顔があった。
街の人たちとも交流が深まり、リサ様は好んで街あるきをされるようになった。
セヴェリン様と並んで。
黒い猫ちゃんだけ、すこし退屈そうにアクビをしてるけど、
『やっとアタシからは卒業だニャ~』
と、ご主人様の幸せを喜んでいるようにも見えた。妄想だけど。
わたしとエイナル様が、王都ストルムセンに向けて出立する日が近付き、リサ様とふたり大聖堂の尖塔に昇った。
見晴らしの良い景色。大河を遊覧船が通っていき、ふたりで手を振った。
「コルネリア様のおかげで、……私もリレダル王国でやっていけそうな気がしてきました」
「わたしは、なにも。皆が邸宅に集うのは、リサ様とセヴェリン様の人徳あってのこと。……セヴェリン様と打ち解けようとされた、リサ様のご努力の賜物ですわ」
「ふふっ。コルネリア様は、この息の詰まる堅苦しい街から、柔らかいところを抽出して、私に差し出してくださいましたわ」
「……いい、街ですよね。ブロム」
「ええ。……好きになりましたわ。とっても」
「良かったです」
「さすがは王国の鬼才と謳われたテレシア様のご息女。……フランシスカ様が仰られていたのとは大違い」
「……フランシスカは、わたしのことを、何と……?」
「えっ……」
と、リサ様の目が泳いだ。
いつも気品に満ち、控え目で清楚なリサ様の、その反応だけで、フランシスカが何を言っていたのか察しはつく。
「学がなくて、世間知らずだ……、と?」
「……そんなところですわ」
おふる舞いは控え目でも、これまでリサ様が言葉を濁されるようなことはなかった。
リサ様が口にするのも憚られるような汚い言葉で、フランシスカはわたしを貶めていたのだろう。
「でも……、誰も信じておりませんでしたのよ?」
「そうですか……」
「本当ですのよ?」
「あ、いえ……、疑った訳では」
「コルネリア様は、お身体が弱いという訳では……、なかったのですね?」
「……風邪ひとつ引いたことがありません」
「このこと……、国元の父に伝えても?」
「……リサ様に、お任せいたします」
正直、それが母国にどんな影響を及ぼすのかよく分からない。
誰かが、父とフランシスカを糾弾してくれるのだろうか?
そうしたら、わたしとエイナル様の縁談はご破算になって、和平も壊れてしまうのだろうか?
いや、和平を望む声が、逆に父を守ってしまうのだろうか?
それとも、わたしとお母様を軟禁し続けたことは、父が罪に問われたり、名声を落とすようなことではないのだろうか。
だけど、わたしは、
――わたしが、父をかばう必要はない。
ということに、ようやく気が付いていた。
わたしは19歳だし、籍がモンフォール侯爵家にあるからといって、リレダル国王から任命される大河伯への就任を、父が邪魔することはできない。
目の前を流れる大河を見て、すでにやりたいことがたくさん浮かんでいる。
いや、逃亡して平民でもいい。
お母様から授けていただいた学問が、世の中に通用することは、充分確認できた。
わたしは自立できる。
ただ、エイナル様とは結婚したい。
ずっと一緒にいたい。
それには、モンフォール侯爵家の籍が必要だ。
政略結婚として成立させられないなら、わたしたちの結婚から、意義がなくなる。
別邸でわたしが望んでやまなかった、モンフォール侯爵家からの追放。父には当主として、その権限がある。
「ふふっ……、コルネリア様?」
と、リサ様が微笑まれた。
「私と……、仲良くしてくださいね?」
「え? ……ええ。こちらこそ、よろしくお願い致します」
「私たちはリレダル王国の二大権門、その世子の夫人となるのです」
「……そうですわね」
「母国との和平のみならず、リレダル王国を繁栄させてこそ、私たちが結婚を国に捧げた意味があるというものですわ」
「本当ですわね、リサ様!?」
リサ様の可憐な雰囲気に変わりはなかったけれど、わたしを見詰める空色のまっすぐな瞳から、確かな自信が感じられた。
セヴェリン様との絆が、リサ様を強くしていた。
「リサ様、ありがとうございます」
「えっ?」
「わたしも、エイナル様を信じます。信じると決めたことを、貫きます」
「あら? おふたりのように仲睦まじくなりましょうねって、セヴェリン様と語らっておりましたのよ?」
「え?」
「うふっ。敵国だからといって身構えすぎていたと、コルネリア様から教わりましたわ。コルネリア様は私の……、憧れです」
きゃっ! 言っちゃった! と、ピョンと飛び跳ねるリサ様は、可愛らしい。
「あ、ああ。そ、そうかい?」
と、ふたつ年上のわたしは、なんだかお姉様っぽくふる舞ってしまい気恥ずかしい。
お姉様の概念がおかしいけど。
尖塔から降りると、エイナル様とセヴェリン様がそろってお待ちくださっていた。
カーナ様も交えて送別の晩餐会を開いてくださり、多くの芸術家たちも駆け付け、盛大に見送っていただいた。
一路、王都ストルムセンを目指し、ふたたびエイナル様と旅立つ。
大河伯就任と合わせたわたしのデビュタントは、国王陛下の主催と決まった。
「ええ~っ!? カーナ様が、フェルディナン殿下と!?」
「ええ。正式に決まるまでは黙っていてほしいと言われていたのですが……」
「決まったのですね!?」
「コルネリア殿のデビュタントとあわせ、祝いの席が設けられます」
「わぁ~!! カーナ様、王太子妃殿下になられるんですね!? すごく、お似合いですね!」
「ふふっ」
「え? ……なんで、笑うのですか? わたし、なにか変でした?」
「……カーナの幸福を、手放しに喜ばれるところも……」
「え? 嬉しいでしょう?」
「……好きだなぁ、と思って」
「ま」
馬の前に乗せていただき、エイナル様のお顔が見えないところも、気恥ずかしさを増させてしまう。
そんな突然、不意打ちのようにやめてほしい。ほっぺたが赤くなっちゃうわ。
馬車から達観した視線で目をほそめるのを、やめなさい。カリス。親友だけど、主君ですよ? わたし。
例年より厳しかった冬は、例年より早く終ろうとしていた。
ポカポカと日差しが温かい。
いろいろ気がかりはたくさんある。暗い話を始めたらキリがない。
だけど、いまは、エイナル様の胸のなかで、あたたかさに包まれていよう。
エイナル様が握ってくださる手を、わたしから放してしまうようなことは、絶対にしないでおこう。
そう心に決め、わたしは前を向いた。




