224.冷遇令嬢は頭を悩ませる
ふぁう……、と欠伸を噛み殺したら、わたしにドレスを着せてくれるカリスに、クスクスと笑われた。
ユッテ殿下に〈剣の手ほどき〉をすることになったエイナル様から、
『コルネリアは、まずは基礎体力づくりからだね』
と仰っていただき、朝夕にウォーキングをすることになった。
まあ、清流院の庭園を3人でお散歩するだけなのだけど、執務に影響が出ないよう、すこし早起きすることになったのだ。
そして、カリスは、クランタスから帰国したあと、
『私にもネルに、少しくらい侍女らしいことをさせてほしいわね』
と、朝のお着替えを担当してくれるようになった。
「すっかり朝型になったわね、ネル」
「……そうね」
「どこかで放火されてるんじゃ……、という夜を過ごすのはツラかったわね」
「うん」
「……為政者の責任は重いわね」
宮中伯の重責を担ってくれるカリスもおなじ思いでいてくれたのだろう。苦みと安堵の入り交じる、複雑な笑みを交わし合う。
新年に王都で火を放たれてから、夜はどことなく落ち着かなかった。
日の出の朝陽は寝起きではなく、徹夜明けで目にするものになっていた。
結果として、慣れない早起きに、欠伸が止まらない。
女王として、いかがなものか。
おのれ、闇組織め。こんな形で女王の威厳を損なわせようとは……、
「……ふぁう」
「ふふっ。いいじゃない、健康的で」
「そうなんだけど……、眠くて」
「朝は涼しいでしょ?」
「……うん、空が白んだばかりは空気が澄んでるし、お庭を歩いたら気持ちいいんだけど……」
盆地は、昼は熱がこもって蒸し暑いけど、朝は放射冷却で気温が下がりやすい。
この盆地特有の昼夜の寒暖差から身を守るため、羊の毛は密度が高くなり、良質な羊毛が採れる。
カルマジンで緋布づくりの紡績、織物産業が発展した由縁でもある。
早朝の牧草地にもお散歩で行ってみたいのだけど、
『そんなに一度にウォーキングの距離をのばして、無理をしたらいけないよ』
と、エイナル様からやんわり止められた。
「ふふっ……。エイナル陛下、なんだか張り切られて見えるわ」
「え? ……そう?」
「……きっと、ネルに教えてあげられることがあって嬉しいのね」
「そっか……」
「エイナル先生のご指導を、ちゃんと聞いてあげてね」
「うん、分かった」
わたしの一日は、早朝に寝室を出て、まずはカリスから、ウォーキング用のお衣裳に着替えさせてもらうところから始まる。
お衣裳は、ばあやの特製でとても可愛い。
せっかく早起きしてくれてるんだから、カリスも一緒にどう? と誘ったのだけど、
「……邪魔したくないわ」
と、涼やかに笑って、カリスは付き合ってくれない。
「おはようっ! 今日もいい朝だな!」
と、大使館からわざわざ清流院にお運びいただくユッテ殿下とエイナル様と、3人でちいさな庭園をゆったりと歩く。
「……ユッテ殿下にお招きいただいた『第一王女の世襲庭園』とは比べものにならない、こじんまりとしたお庭ですけど」
「なに、味わい深いではないか! ……私には、テンゲルの花は珍しいしな」
「ふふっ。なら、良かったです」
「……ど、どんなお花がお好きであられような……」
「え?」
「イ、イグナス陛下は……」
「あっ……、う~ん……」
と、ふたりで頭を悩ませたりもする。
エイナル様も首をひねってくださる。
「……ボクには、お酒がお好きなイメージしかないなぁ。儀礼用の花々にはいつも囲まれてるけど、どれか特定の花を好まれてるという印象もないし……」
と、エイナル様のご意見も参考にはならない。
「……やはり、私はイグナス陛下には薔薇が似合うと思うのだが……、コルネリア陛下はどう思う?」
「え、ええ、そうですわね……」
「……いきなり花を送り付けたら、変に思われるだろうか?」
「う~ん……、変というか、……リレダルは礼儀正しい国だなぁ……、と感心していただけるのではないかと……」
「そうかぁ~、まずは大使同士の王女と前王陛下だからなぁ~」
といったお喋りを楽しんで、街が動き始めた頃にユッテ殿下をお見送りする。
そして、カリスに今度は執務用のドレスを着せてもらうのだ。
「ふふっ。可愛らしいわね、ユッテ殿下」
「そうなのよ~っ」
「……正規の外交ルートでご縁談を持ちかけられるおつもりはないのかしら?」
「う~ん……、イグナス陛下のメッテさんへのお気持ちを慮られてるんだと思うわ」
「そっか……。正式に申し込んだら、断るのにも理由がいるしね」
「……内諾を得てから正式な申し入れっていうのは、まずは順当な手順ではあるのだけど……、内諾をご自分で取りにいかれるのが、ユッテ殿下らしいわね」
「ふふっ、ほんとね」
なにせ、王女殿下と前王陛下。
本来であれば、それなりの身分の者を密使として遣わし、意向を伝達。お返事も内々に得るというのが通常考えられる手順だ。
ただ、わたしとカリスのイメージしていたユッテ殿下なら、
――どうだ!? 私の婿に来ないか!?
と、イグナス陛下に自信満々に胸を張り、ほっぺたをぷっくり膨らませられるお姿を思い浮かべていた。
だけど、実際にはイグナス陛下の〈お近付き〉になる方法はなにがいいかと、あれこれ頭を悩まされている。
応援したい気持ちでいっぱいになる。
けど、勝手に手出しや口出しするのも、たぶんユッテ殿下を傷付けてしまう。
ソワソワと見守り、話だけはカリスに聞いてもらう。
「……イグナス陛下にはメッテさんとのこともあるし、どちらがどうとは、わたしには決められないんだけど……」
「ユッテ殿下には、悔いのない形で想いを伝えていただきたいわね」
「そう! それなのよ! さすがカリスは分かってくれるわねぇ、わたしの気持ちを」
そして、お着替えが終わり、お迎えに来ていただいたエイナル様にエスコートしてもらい、謁見の間へと向かう。
今日、最初の執務は母国バーテルランドから着任した、大河委員会大使の信任状奉呈式だ。
エイナル様と並んで玉座に座り、バーテルランド王からの信任状に目を通す。
「……確かに。大河平穏のため、どうぞ今後ともよしなに、ヘラルト殿下」
「大河委員会議長陛下の御意のままに」
と、丁重と慇懃無礼の境い目くらいの笑みで頭をさげる、バーテルランドの第2王子ヘラルト殿下。
濃い銀色をした髪は、よく磨かれたスプーンのような輝きで、知的な額を強調するように髪を一筋も残さず後ろへ流している。
肩幅が広くて、眼光は鋭く挑発的。
戦場でエイナル様やクラウスと相見えたこともある武断派で、バーテルランドにおける〈反コルネリア派〉の筆頭だ。
「バーテルランドは、議長陛下の祖国。大河委員会体制への協力は惜しみません」
と、わたしを飽くまでも〈議長陛下〉と呼ぶのは、
――バーテルランド王国内では、モンフォール侯爵として臣下ではないか。
という意思の現れだ。
含みのある皮肉気な笑みを、わたしに向ける。
「……ヘラルト殿下を遣わされた、バーテルランド王のご叡慮に感謝するばかりですわ」
「ふっ。バーテルランドとしても、言うべきは言わせてもらわねばなりません」
「ええ、忌憚のないご意見をお聞かせいただいてこそ、真の平和を保てるというものですわ」
張り詰めた空気のなか、にこやかな微笑みを返す。
「そういえば、議長陛下が取り逃がされたシャルルとかいう者……。5年ほど前になりますが、わがバーテルランドにも入国していた形跡がありました」
「これは貴重な情報をいただき、感謝申し上げますわ」
「ふふっ、それはなにより」
と、鋭く光る銀髪を揺らし、ヘラルト殿下が退出されると、近侍するウルスラが眉を寄せた。
「……か、感じの悪い方ですねぇ~」
「ふふっ。……ヘラルト殿下は、アレでいいのよ」
「そうなんですか?」
と、ウルスラが目を輝かせる。
ウルスラの興味は人の機微にあって、王立学院への進学も改めて断られた。
ただ、人間へのつよい関心は、実は政治の道に適性があるのではと最近思い始めたところだ。
「わたしに批判的な方とも、おなじ席に就いて話し合うことが大切なのよ?」
「へ、へぇ~」
「わたしはお友だちがほしくて、大河委員会をつくった訳じゃないの」
「な、なるほど~」
「……友好は大切だけど、友好的でない方とも関係を結ばないと、民の生活を守ることはできないものなのよ?」
「そうなのですね……」
「ふふっ。だから、シャルルの情報はわたしに教えてくださったでしょう?」
「あっ! ……本当ですね」
「わたし、明日はヘラルト殿下をお茶会にお招きしてるけど、ウルスラも近侍する? もうすこし、詳しいところまで見られるかもしれないわよ?」
「え? そ、それは、ぜひっ!」
「ふふっ。……面白そうな劇を楽しみにしてるみたいね?」
「劇より面白いです!」
「ふふふっ、そう。じゃあ、ばあやに伝えておくわね」
そして、執務室に入り、一日の執務を終えてから、夕刻にはふたたびユッテ殿下とウォーキング。
「コルネリア陛下!」
「は、はい……、なんでしょう?」
ユッテ殿下が興奮気味に、両拳を握ってわたしを見詰めた。
「カルマジンでは、まもなく夏祭りだというではないか!」
「あ、ええ……、わたしも楽しみで……」
「お、お誘いできぬものだろうか……、イグナス陛下を」
と、頬を紅く染めたユッテ殿下が、サッとわたしから目を逸らした。
えっと……、わたしからイグナス陛下をお誘いしたらいいというお話ですか?
本日の更新は以上になります。
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