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221.冷遇令嬢は暑い夏を迎える

クランタス群臣の視線の色合いは、面白いほどにクッキリと分かれていた。


イグナス陛下には恐れの色が、サウリュス陛下には親愛の色が浮かぶ。


わたしが、サウリュス陛下の芥子色の髪の上に黄金の王冠を載せたとき、白亜の大聖堂にはクランタス群臣の漏らす安堵のため息が満ちた。


どちらの陛下もお顔立ちは美麗で、男性としては柔和な印象が強いと言っていいだろう。


おふたりが並ばれ談笑などされている様は、まさに天上の楽園に紛れ込んだのではないかというほどに麗しく美しい。


だけども、群臣や近侍が向ける気配には、明確な違いがあった。


人の上に君臨するとは、なんと難しいことかと、呻き声を漏らしそうになる。



「……イグナス陛下には、この国の悪弊を一身に背負わせてしまいました」



と、祝賀の晩餐会で、気品ある年配の女性が声を潜めた。


ちいさな名門伯爵家のご当主の女伯爵だそうで、学業の家柄であることから政争とは距離を置いてこられたのだという。



「……激しく果断なご処置で、諸侯群臣からは恐れられながらも、この国を清浄に戻してくださいました」


「ええ……」


「……イグナス陛下は、いつも、コルネリア陛下のことを熱い尊敬の念を込めて語られておりました」


「……え?」


「同じく、武力をもって王権を確立されながら、諸侯からも民からも、あれほどに敬われ愛されるコルネリア陛下は、自分とは大違いだ……、と」



晩餐会の場でもイグナス陛下を取り巻く視線には、恐れと緊張に満ちている。


にこやかにふる舞う貴族たちも、どこかイグナス陛下の顔色を窺う気配が隠せない。


イグナス陛下のご治政はテンゲルの前王が敷いた暴政とはほど遠い。公正な善政であったと評価されていい。


それでも、一度、粛清の恐怖で王政を革新したという過去は拭えないのか。



――イグナス陛下は……、孤独でいらしたのだ。



と、胸が締め付けられる思いがした。


ゆっくりと時間をかけた政治闘争では、クランタスに蔓延っていた悪弊を一掃することは出来なかったかもしれない。


老女伯爵が、生真面目さを体現するようなカーテシーを、わたしに捧げてくれた。



「……コルネリア陛下。私どもではイグナス陛下をお支えできませんでした。どうぞ、今後ともイグナス陛下の良き友でいてくださいませ」


「もちろん、喜んで。……伯爵閣下」


「はい」


「伯爵閣下がイグナス陛下のために、わたしに頭をさげてくださる。その一点をもってしても、イグナス陛下が良き国王であられたのだと胸に沁みますわ」


「……お言葉、生涯忘れません」



と、老女伯爵は目に涙を浮かべた。



「……この国の悪いところ、すべてを背負わせ、イグナス陛下をご退位に追い込んでしまった、我ら不甲斐なきクランタス群臣にとって、これ以上なき誉れを頂戴いたしました」


「ほら……、伯爵閣下」



と、扇で口元を覆い、老女伯爵に顔を寄せた。つとめて明るい声音で囁く。



「イグナス陛下が、マウグレーテ殿下とご歓談されていますわよ?」


「……ほんとう」



涙を指の腹で拭い、老女伯爵は穏やかな微笑みで、イグナス陛下とメッテさんを見詰めた。


イグナス陛下の武断によって恩恵を受けたと理解しつつも、本質的な恐怖が拭えずにいたのだろう。


老女伯爵の安堵の笑みには、複雑な色合いが浮かんでいた。


メッテさんでなくとも、



――イグナス、お前は偉い!



と、声を大にして、みんなに聞かせたい気持ちだ。


深々と頭を下げた老女伯爵がわたしから離れると、エイナル様が、すこし寂しげに呟かれた。



「……コルネリアがサウリュス陛下に戴冠して王権を後見することで、イグナス陛下はご自分の復位はないと世に明らかにしたかったんだね」


「はい……、潔いお覚悟。イグナス陛下らしい、おふる舞いにございました」


「サウリュス陛下と仲良くしないとね」


「ええ、一緒に国を豊かにしていきたいですわ」



メッテさんが戴冠式にご出席されたことで、クランタスとブラスタの間に横たわっていた遺恨も解消に向かうだろう。


凛と美しく、薊の刺青を隠すこともなく、気持ちのいい笑顔を見せるメッテさんに、クランタスの貴族たちも魅了されている。


父母を奪われながら、それを遺恨に思われることもなく、ただ民の生活を想われるメッテさんの生き様こそ、わたしにとっては敬愛の対象だ。


ふと、わたしに近侍するウルスラの視線が、ポオッと一点を見詰めていることに気が付いた。



「ふふっ。……キレイね、ナタリア」


「あ……、は、はい! おキレイです」



ウルスラの視線の先には、急きょドレスアップして戴冠式に列席させたナタリアの姿があった。


テンゲルの宮中伯として列席したカリスに従い、サウリュス陛下と歓談している。



――これで、いいんでしょ? ネル。



と、カリスが、わたしに視線を向けた。


テンゲルに帰国したら、ナタリアがサウリュス陛下に顔を合わせることは、しばらくないだろう。


せっかくなら伯爵令嬢として、しっかりドレスアップした姿を覚えておいてもらいたいという……、わたしのワガママだ。



「……わたし、おせっかいでしょうか?」


「ううん、いいじゃないかな」



と、エイナル様が目をほそめられた。



「……本当にイヤだったり、コルネリアの侍女として近侍したかったら、ナタリアはそうハッキリ言えるようになったと思うよ?」


「そうですわよね」



気になるのは、クランタスの貴族令息たちがナタリアに向ける熱い視線の方ではあるのだけど、ナタリア本人が意に介する様子はない。


サウリュス陛下と、優雅なふる舞いで歓談を楽しんでいるように見える。



「……わたし、はしゃいでませんか?」


「ぷぷっ……」


「え?」


「は、はしゃいでは、……いるね」



と、エイナル様が笑いをこらえられるものだから、頬をちいさく膨らませた。



「……いいよ、すこしくらい、はしゃいでも」


「でも……」


「ながくツラい時を乗り越えたんだ。……やっと迎えた暑くて爽やかな夏。みんなが幸せになったらいいと、はしゃぐくらい、どうってことないよ」



からかうような口調の中にも、わたしの心を解きほぐそうとされるかのようなエイナル様の優しいお声に心を軽くしてもらう。



「ナタリアだって、コルネリアに『押し付けられた』とは思ってないよ」


「そ、そうでしょうか?」


「うん。……つい、世話を焼いてしまいながらも、ナタリアの気持ちをいちばん大事に考えてることは、きっと伝わってる」


「はい……」



クランタス貴族が代わる代わるに挨拶に訪れてくれる合間を縫って、ひそひそとエイナル様と言葉を交わす。


やがて、メッテさんが、わたしの側に来てくださった。



「……そろそろ、抜けるぞ」


「あ、はい。クランタスの子分さんたちに会われるのですよね?」


「ああ。なんのかんの、実際に会うのは初めてだ。……あくどいことはするなと、しっかり釘を刺してくる」


「あ、あの……」



と、グラスのお酒をグイッと空けられたメッテさんを見上げた。



「ん? ……なんだ?」


「……イ、イグナス陛下とは、どんなお話をされたのですか……?」



退位した今こそ、結婚の約束を果たしたい――、といったお話があったのではないかと、興味津々に聞いてしまった。


もし、そんなお話があったのなら、わたしも全力で応援させてもらいたい。



「ああ……、ふふっ」



メッテさんは空のグラスを額にやって、意味ありげに笑われた。



――こ、これは、期待が高まる!



と、思ってしまった。


メッテさんだって、右の手首、静脈の上という大切な場所に、イグナス陛下のお名前を刻まれているのだ。


ことあるごとに『終わった話』と仰るけれど、憎からず思われているに違いない。



「ふたりで、約束をどう果たすか……」


「や、約束……、ですか?」


「そうだ。私も無頼として、一度交わした約束は、命を懸けて守らないといけないからな。……イグナスとは、その相談ばかりしているよ」


「は、はいっ!」


「……ぷっ」


「え?」


「コルネリア陛下の治政を支える。私とイグナスが交わした約束は守らないとなぁ」



と、意地悪な微笑みを浮かべて、メッテさんがわたしの顔をのぞき込んだ。



「コルネリア陛下も、そう思うだろ? ……ご期待に沿えなくて申し訳ないが」


「も、もう……、わたしを、からかわれましたわね?」


「はははっ! 他人の恋路に、そんなに瞳をキラキラさせて幸せを祈るコルネリア陛下は、やはり大人物だ。私の忠誠を捧げるだけの価値がある」


「そんな……、忠誠だなんて」


「……女王陛下と無頼の契りを交わす訳にもいかず、さりとてブラスタの王女としては臣従する訳にもいかない。せめて、言葉でくらい『忠誠』と言わせてくれ」


「もったいないことです……」



テンゲルにおけるメッテさんは、あくまでも客分という扱いだ。


再審庁の長官を引き受けていただいているけれど、厳密には臣下ではない。


じゃあなと、メッテさんが晩餐会から立ち去るお背中を見送ってから、



――あれ? ……イグナス陛下とのことを煙に巻かれた?



と、気が付いて、かるく苦笑いした。


翌日。テンゲルへの帰国の途に就く。


サウリュス陛下よりお見送りいただき、ふたたび大河に揺られた。


テンゲルに戻れば、闇組織事件の最終的な対処や、数々の外交案件が待っている。


ブラスタとクランタス、ふたつの王国の、ふたりの王に冠を載せる旅は、わたしにとって、つかの間の休息になった。


王都で、各種案件の進捗をクラウスから報告してもらい、必要な指示を出す。


そして、カルマジンに戻り、クランタスから着任した、駐カルマジン大河委員会大使からの拝礼を受け、絶句した。



「……イ、イグナス陛下?」


「玉座を譲り、クランタスには居場所がありませんから。……それに、嫌われてますから、私」


「き、嫌われてるということは……」


「国王サウリュスの名代として、新たな大河の秩序づくりに参画させていただきたく……」



と仰るイグナス陛下の視線は、チラチラとメッテさんを探している。


わたしのいる清流院に、メッテさんはいらっしゃいませんよ。


と、言ってあげるべきか、すこし意地悪な笑みを浮かべてしまった。


カルマジンは暑い夏を迎えた。


そして、その夏をさらに暑くする、あのお方もまた、大使として赴任してこられたのだ。



本日の更新は以上になります。

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