220.冷遇令嬢は絵筆の哲学を聞く
夕闇包む砂浜で、茜色が藍色に染まりゆく空の下、波頭の砕ける白色を、サウリュス陛下とエイナル様に挟まれ静かに眺める。
水平線を染める残り香のような『赤色』。
――至高の緋色を、赤と一緒にするなど、美への冒涜、神への背徳だ。
王領伯の開いた晩餐会を凍りつかせたサウリュス陛下のひと言を思い起こしてしまい、口の端がすこし上がる。
一日の執務を終え、サウリュス陛下の前に30分座る日々は、夕焼けを眺める日々でもあった。
『……あの空は、サウリュス殿の目には何色に映るのですか?』
『赤橙、金赤、紅緋、鉛丹、樺、茜……』
『へぇ~』
なにもせず、ただ座っていたあの時間を、自分が『充実していた』とふり返ってしまうのは、なんでだろうかと考えるのだけど、うまく言葉にすることが出来ない。
夕焼け空の赤色の種類を、わたしが、いまだに見分けられないせいだろうか。
サウリュス陛下がお持ちの色彩への鋭く豊かな感性に、わたしは大きく助けられた。
偽造緋布を見分け、ギーダの工作した堤防の草の色を見分けていただいた。
わたしたちの視線の端。波打ち際を、メッテさんとイグナス陛下が歩かれている。
すでに薄暗く表情はよく見えないけれど、茜空が影絵のように映し出す、おふたりの姿は仲睦まじいものに見えた。
背後にある離宮のテラスでは、カリスとばあやが「浜焼き」の準備をしている。
獲れたばかりの新鮮な海産物を、そのまま網で焼いていただく漁師の料理だそうで、ルイーセさんが興味深そうに眺める。
ナタリアは、ウルスラを誘って街あるきがてら、市場に野菜を買いに行ってくれた。
――ご即位されたサウリュス陛下に顔を合わせるのが、照れ臭かったのかしら……?
と、ナタリアの心中を思ってみたりもする。
沈んだ夕陽が余韻を残す夕闇空を眺め、サウリュス陛下との旅の終わりと、新たな旅の始まりを感じた。
「……私は、亡くした母を描きたかったのです」
と、サウリュス陛下がポツリと呟かれた。
「……お綺麗な方だったとおうかがいしておりますわ」
「ええ、母は美しい人でした。……ですが、特別に『いい人』だった訳でもありません」
「はい……」
「……駆け落ちした父が王位に就くとき、黙って身を引き、姿をくらませたそうですが……、私には最期まで恨み言を言っておりました」
「そうでしたか……」
「ですが、私には美しい母でありましたし、その姿を正確に描き残したかった」
ここから、サウリュス陛下はただひたすらに、わたしのことを褒め称え続けるものだから、内容はあまり覚えていない。
――あ、あれだけ……、美しい絵にしてくださったのですから……、言葉でまでお伝えいただかなくてもいいのですけど……。
とも言い出せず、チラッとエイナル様のお顔を見上げると、うんうんと頷いておられて……、むしろ照れた。
「勝手なものです……」
と、サウリュス陛下が自嘲するように笑った。
たぶん、真っ赤になってるわたしの顔を、宵闇が隠してくれていた。
「な、なにがでしょうか……?」
「……あれほど、母を描きたかった気持ちが、コルネリア陛下を描かせていただき、気が付けば欠片も残っていなかった」
「……そ、それは、お母上に悪いことをしてしまいました……」
「いえ、いいのです」
サウリュス陛下の視線が、波打ち際のイグナス陛下の方に向いた。
「……人は色」
「は、はい……?」
「王は絵筆」
「……絵筆?」
「イグナスより王位を譲られ、玉座に座れば、人はそれぞれ色を持って生まれてきているのだと分かった。……分かりました」
「え、ええ……」
「私はその色を活かし、美しい絵画に仕上げる絵筆になれば良いのだな……、と」
「……とても美しい帝王学ですわね」
「で、あるならば」
「はい……」
「私という絵筆を取る者が必要なのでしょう。……それを、人は神と呼ぶのかもしれません」
「素晴らしいご決意に感銘を受けました」
「……そうでしょうか?」
と、サウリュス陛下は照れ臭そうに鼻の頭に手をやられた。
以前の〈宮廷画家サウリュス〉には見られなかった、内気な少年のような仕草に、思わず胸をトキめかせてしまう。
「……神の描く絵画のごとくに国を治める。国をつくる。王はその絵筆であり、色彩豊かな民を活かす者である。……わたしも玉座を預かる者として、心しておきたいお覚悟ですわ」
「コルネリア陛下との対話のなかで行き着くことのできた真理だと……、思っております」
「対話……、ですか? ……わたし、なにを申し上げましたでしょうか?」
「あ……、いえ。そういうことではなく、……画家が絵筆を取るとき、そのモチーフを心の奥底にまで招き入れ、ただひたすらに対話を重ねるのです……」
「あ……、なるほど」
解からない。ということが、分かった。
という気持ちで、かるく苦笑いを浮かべてしまった。
「……イグナスは一本気な男で、何でもすぐに行動に移してしまう」
「え、ええ……」
「ただ、その行動の結果を、ジッと待ち続けられる胆力も備えています」
思わずハッとして、メッテさんと何やら語り続けるイグナス陛下のシルエットを見詰めた。
イグナス陛下のことを、そういう風に捉えたことはなかった。
ふっと、サウリュス陛下が笑った。
「……そして、自分が相手に押し付けた約束であろうとも、必ず守ろうとする」
「それで……」
「ええ、根負けです。……恐らく言葉を交わした訳ではないのでしょうが、我ら異母兄弟の亡き父に約束していたのでしょう。私に王位を譲ると」
そわっ……、とした視線で、エイナル様を見上げた。
――メ、メッテさんとの約束……、こ、婚約も守りたい……、と?
――ふふっ、どうだろうね?
と、エイナル様と視線で会話してしまった。
やがて、ナタリアの帰ってきた声がした。
それから、サウリュス陛下もイグナス陛下もご一緒に「浜焼き」を楽しんでくださった。
「ふ、ふわぁ~っ! 美味しい~っ!!」
と、大きな貝や、海老、お魚などを、野趣あふれる、焼きたての熱々でいただく。
正直、国王がいただくようなお料理ではないのだけど、
「新鮮な魚介をいただくのに、これ以上の食べ方はありませんから」
と、イグナス陛下が微笑んでくださった。
穏やかな夜の浜辺。
夏の暑さが心地よく、潮風が肌をしっとりと包む。
ルイーセさんは旦那さんとの旅行に、この離宮を使わせてもらう訳にはいかないかと、サウリュス陛下と交渉されている。
「ふふっ。お世話になりましたルイーセ親衛長のお望みでしたら、なんなりと」
「おおっ。よき王になりそうだな! サウリュス陛下!」
ルイーセさんの誰が相手でも変わらない語り口に、みなが吹き出し、和やかな夜が過ぎていった。
Ψ
数日を、浜辺の離宮で過ごさせていただいた。
ナタリアは、初日にだけお運びくださったサウリュス陛下に、なにやらご即位のお祝いを、こそっとお渡しできたようだ。
サウリュス陛下の中性的なお顔が一瞬、驚きの色に染まり、それから実に柔和に微笑まれた。
エイナル様の耳元で囁く。
「……お、折りを見て、正式に縁談を申し入れるべきでしょうか?」
「ふふっ。……まずは本人同士を温かく見守っていればいいんじゃない?」
「で、ですが……」
「なに?」
「……クランタス貴族のご令嬢方も、きっと王妃の座を狙うでしょうし……」
「うん。それは、そうだろうね」
「ナタリアだって、テンゲルの枢密院顧問官フェルド伯爵のご令嬢なのですから、なんの遜色もないとは思うのですけど……」
やきもきしてしまうわたしに、エイナル様は優しげに微笑んでくださった。
「コルネリアの言う通りだよ? ……だから、ナタリアも分かってるよ、きっと」
「……え?」
「本気で考えるなら、早い方がいいって」
「そ、そうですわね……」
「ふふっ」
「な、なんですか?」
「……大丈夫。ナタリアは、ちゃんと自分の将来を自分で考えられる娘だと思うよ」
エイナル様の視線は、ナタリアを頼もしげに見詰めていた。
わたしがエイナル様に、カルマジン公の称号と〈陛下〉の尊称を贈る前、
――大河伯とソルダル大公家の取次であった頃のように、コルネリア陛下をお支えになられては?
と、伝えてくれたと、エイナル様から教えていただいた。
「コルネリアは本当に臣下に恵まれ、愛されているね」
エイナル様がわたしにかけてくださった、敬意と愛情のこもったお声が、とても誇らしくて、嬉しかった。
「そ、そうですわね……。ナタリアの気持ちが定まったら、わたしに相談してくれますわよね?」
「うん。きっと、そうだと思うよ」
「エ、エイナル様に相談があったら……」
「ふふっ、大丈夫。ナタリアはちゃんとコルネリアに相談してくれると思うよ?」
テンゲル動乱時、人質同然にわたしの元に送り込まれ、そして、忠誠を誓ってくれたナタリア。
正直、最初はわたしに向けてくれる愛情の深さを、持て余し気味だった。
だけど、炭焼きの村の長老のところにも、コショルーのお祖父様のところにも、わたしと一緒に行ってくれた。
そっと、わたしにヴェールをかけてくれた優しさを、忘れることはできない。
もちろん、闇組織事件でも大活躍だった。
いまは可愛くてたまらない。どうしても幸せをつかんでほしい。
だけど、ナタリアの人生だ。
そわそわする気持ちをエイナル様にだけ聞いていただきながら、やきもきして過ごすことにした。
落ち着かないところはありつつも、浜辺の離宮では、思いっきり羽根を伸ばさせていただいた。
初日を除き、サウリュス陛下もイグナス陛下もご遠慮下さって、クランタスの群臣からも面会を求められなかった。
漁村に足を運び、漁師の小舟に乗せてもらって海の広大さに目を輝かせたり、何度見ても飽きない水平線に沈む夕陽を眺めたりと、心からのんびり過ごさせてもらう。
やがて、静養を終え、名残惜しいながらも離宮をあとにする。
「また、来ようね」
「はいっ! ……次はぜひ、海の向こうの国にも渡ってみたいですわ!」
と、エイナル様と微笑み合う。
わたしの軍船に乗り込み、大河を遡ってクランタスの王都に向かう。
そして、異文化が行き交う猥雑な街の中心に円く広がる大聖堂で、サウリュス陛下の戴冠式に臨んだ。
本日の更新は以上になります。
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