22.冷遇令嬢は孤独を想う
Ψ Ψ Ψ
カーナ様の弟君の婚約者、リサ様に面会を求め、お住まいへと向かう。
母国の名門、マスランド公爵家のご令嬢。
わたしのお母様を「大変な大人物であられた」と、カーナ様にお伝え下さった。
「ネル? ……深呼吸したら?」
と、カリスの声にビクッとして、自分が緊張していることに気が付いた。
「ありがとう……」
「大丈夫。仲良くなれるわよ、ネルなら」
「ふふっ。だといいけど」
おおきく息を吸い込む。冬の冷たい空気が、わたしの熱を冷ましてくれた。
やがて、おおきな邸宅が見えてきた。
エントランスで来意を告げると、品のいい年配の執事が中へと案内してくれる。
そして、奥のお部屋では、たくさんの〈じいや〉と〈ばあや〉に囲まれたリサ様が、控え目な笑みでお待ちくださっていた。
「……お会いしたかったですわ。コルネリア様」
と、頬を薄桃色に染めたリサ様が、うつむき加減に仰られた。
濃い蜂蜜がサラサラと滴っているような、目に鮮やかなハニーブロンド。空色の瞳には、わたしへの敬意と興味が映る。
手元には毛の長い黒猫を抱かれ、指がずっと猫を撫でているのは、リサ様も緊張されているということだろうか。
「……初めまして。モンフォール侯爵が長女、コルネリアにございます」
「マスランド公爵家、世子が次女、リサにございます」
わたしがお会いする、ふたり目の〈貴族令嬢〉は、まさに深窓のご令嬢という言葉がピッタリのお方だった。
邸宅を彩る観葉植物の陰で、楽士がバイオリンを奏で、爽やかな調べが聞こえる。
暖炉の熱気で廊下まで暖かかった。
瀟洒な建物には母国の意匠がそこかしこに散りばめられ、まるで自分がバーテルランド王国にいるよう。
すべてが、リサ様おひとりのためにあり、遠く離れたご家族からの愛情を、そのまま持って来られたかのようだ。
そして、気恥ずかしげに、俯き加減のままで微笑むリサ様からは、なんの気負いも感じらない。
高貴な身分と財力を、わたしに誇って見せられるようなところは、微塵もない。
優美で可憐で控え目なカーテシーの礼を見せてくださり、くつろいだお部屋へとご案内下さった。
まるで、この邸宅には何ひとつとしてリサ様を傷付けるものがないかのように、ふわふわで柔らかなソファに腰を降ろす。
温和なふる舞いの〈ばあや〉がニコニコと、珍しいマンゴーのジュースを、わたしだけでなくカリスにまで出してくれた。
「父が……、いつも御母君のお身体のことを案じておりました」
と、リサ様が控え目なお声で言われた。
「コルネリア様もお身体が弱くお生まれになられたと聞いて育ちましたので、こうして遥か異国の地でお会いできることになろうとは、夢にも思いませんでしたわ」
「そうでしたか……」
母国の王都で、わたしとお母様がいかに語られていたのか。父がなにを吹聴していたのか。
その一端を窺い知ることができた。
そして、リサ様が、嫁ぎ先となるホイヴェルク公爵家で馴染めずにいるという話にも、ふかく納得できた。
ブロムの地に入り、すぐに分かった。
素朴だった辺境のグレンスボーとも、復興の途上とはいえ活気に満ちたエルヴェンとも違う、厳粛な空気。
大通りでさえ静粛で、行き交う人たちからは囁き声も聞こえてこない。
大聖堂を中心とした、荘厳な宗教都市。
もちろん、わたしの目は輝いた。初めて肌で感じる空気感に、心が躍った。
けれど、
――リサ様のご気性であれば、街に出ることにも萎縮され、居心地のよい邸宅に引き籠られてしまうのも無理はない……。
自然、婚約者であるカーナ様の弟君にも心を開くことなく過ごせてしまう。
邸宅にいる限り、なにもかもが満たされていて足りないものがないのだ。
リサ様は17歳。義妹フランシスカと同い年。王立学院で同級生であられたはずだ。
けれど、手厚い歓待に、根掘り葉掘りお話をおうかがいすることも憚られ、和やかな空気のまま、リサ様との面会を終えた。
エントランスで、見送りの〈じいや〉と〈ばあや〉たちが整列し、わたしに深々と頭をさげた。
「……婚約者に目移りをさせてはいけないと、リサ様と仲の良かった若い侍女の随従をことごとく、旦那様がお認めにならなかったのです」
「仲良しを……」
「はい。……今日は久しぶりに歳の近いご令嬢とお話し出来て、とてもとても嬉しそうなお顔を拝見できて……」
と、涙ぐむ〈じいや〉と〈ばあや〉たち。
わたしはカリスと目を見合わせた。
――リサ様は、孤独なのだ……。
父から輿入れになんの支度もしてもらえなかったわたしと違い、リサ様はいたれりつくせりだ。
政略結婚で敵国に送り出すリサ様を護る設えが、これでもかとされている。
まるで、高い壁で囲み、リサ様を覆い隠してしまうかのように……。
わたしは〈じいや〉に頼み込んで、もう一度、リサ様のお部屋に戻った。
「……今日はコルネリア様にお会いできて、楽しかったですわねぇ」
と、黒猫を撫で、伏せていたお顔を上げたリサ様が、パッと笑顔になられた。
「リ、リサ様……、実は、わたしのデビュタントを催していただけるのです」
「まあ!? ……そうですわよね。ずっと、お屋敷で療養されてお育ちになられたのですものね……」
わたしに労わりの視線を向けてくださるリサ様の〈誤解〉を解くのは、後でもいい。
わたしはリサ様の手を握った。
空色の瞳を見開かれ、わたしを見詰めてくださるリサ様。
「れ、練習させていただけませんか? その……、舞踏会の」
「……え?」
「こちらには、楽士もいらっしゃるようですし、ホールもございますわよね? リサ様から貴族令嬢としてのふる舞いを学ばせていただきたいです」
「まあ……」
と、リサ様は、控え目な喜声を漏らしてくださり、はにかむように、ちいさく頷いてくださった。
Ψ
エイナル様とご歓談されるカーナ様のお姿が見えてきて、背筋をピンと伸ばす。
わたしが、リサ様にはひとりでお会いしたいから、おふたりで待っていてほしいとお伝えすると、カーナ様に笑われた。
「コルネリア様には、やきもちってものがないの?」
「え? ……やぁ~ん! カーナ様が、エイナル様を口説かれてしまうってことですかぁ!?」
「もう……、バカね。逆に妬けるわ。深く信頼し合ってて」
カーナ様の口から出る「バカ」という言葉に蔑みの響きはない。だけど、すこし安心してしまう自分に戸惑う。
別邸に、学問の書物は一冊もなかった。
お母様が亡くなられ、ひとりになったわたしに、フランシスカの嫌がらせは、より陰湿になった。
外に出られないわたしに、ニヤニヤと見下す視線で恋愛小説を置いて行く。
叶わない外を夢見ることが、わたしにとって、どれほどツラく虚しいことか分かっていての仕打ちだ。
しかも、最後の3ページが破り取られていて、わたしは結末を知ることが出来ない。
「……そんなに、わたしが嫌いなら、お父様に言って追放してしまえばいいじゃない!?」
と、思わず言い返したときは、5日も食事を抜かれた。
ひどい空腹で、惨めで、消えてしまいたくて、悔しくてたまらないのに、恋愛小説でも読むしかなくて、さらに悔しかった。
だけど、無理矢理、夢中になって、途中までの物語に溺れた。手の届かない結末を想像したら虚しさに押し潰されそうで、最初から何度も読み返した。
そうでもしないと耐えられなかった。
「食事抜きね!!」
と、言い渡される訳でもない。
ただ、いつもの時間に食事が来ない。そして、次にいつ来るのかも知らされない。
その間は、世話してくれる無愛想なメイドも別邸に寄り付かず、ただ孤独に過ごす。
「わたしは、カーナ様のことも信頼しておりますわ」
「あら? 嬉しいこと言うわね。エイナル様だけじゃなくて、私まで口説いてしまわれるおつもり?」
と、苦笑いされるカーナ様の瞳には、わたしへの敬意が浮かぶ。
わたしを認め、祝福してくださっていることが、柔らかく伝わってくる。
過去を乗り越えられたカーナ様のおふる舞いは優雅で、凛々しく、憧れる。
迷惑をかけられた側のエイナル様も、いまのカーナ様を受け入れられ、その度量の大きさに……、惚れ直す。
わたしは、外の世界に出られた。
孤独ではなくなった。
カーナ様の結末も、エイナル様の結末も、わたしの結末も、これからだ。
Ψ
翌日、大聖堂に立ち寄り、見学させてもらってからリサ様の邸宅におうかがいする。
楽士はひとりではなく、楽団だった。
本格的な演奏が始まり、エイナル様と手を握ってステップを踏む。
エルヴェンでもレッスンを受けていたけど、リサ様やカーナ様の視線が面映ゆく、新鮮な気持ちで踊る。
エイナル様がエスコートしてくださるデビュタントでは、もっと面映ゆい気持ちになるのだろうなと、想像に胸を膨らませる。
リサ様の婚約者、セヴェリン様は生真面目な雰囲気。礼則どおりの所作でリサ様に手を伸ばされる。
銀髪で、カーナ様の弟君らしい眉目秀麗さだけど、リサ様との距離を測りかねておられる様子がわたしでも見てとれた。
おねだりしてカーナ様のダンスも見せていただき、湖面を蝶が舞うような優雅なステップに見惚れる。
踊りながら目の合ったカーナ様とリサ様が微笑みを交わされ、貴族令嬢たる者の優雅な所作を学ぶ。
リサ様は、カーナ様のことも、セヴェリン様のこともお嫌いな訳ではないと見て取れて、すこし安堵した。
明日もお願いしますと、リサ様に申し上げると、嬉しそうな微笑みを躊躇いがちに返してくださった。
「……セヴェリンも、まんざらではないな」
と、エイナル様に囁かれ、見ると、セヴェリン様も微かにはにかんでおられる。
エイナル様とふたり、ニヤリと視線を絡ませると、なにか企みごとをしてるようで、思わずウキウキと心を弾ませてしまった。
翌日も大聖堂に立ち寄る。
石造りなのに軽やかな薄衣が舞い飛ぶような彫刻は何度見ても感嘆の念を隠せず、とても一日では見学しきれない。
大神官様の説明に頷き、宗教音楽に耳を傾ける。
大河の氾濫を止めた英雄王の神話を歌う詩人の声に聞き惚れ、壮大な宗教絵画の数々に圧倒される。
「あの……、もし、良ければなのですが」
と、わたしの申し出を快諾してくださり、大聖堂の楽士様がリサ様の邸宅でも優雅な調べを奏でてくださった。
ひと通り、舞踏会の練習を終え、お茶をさせていただく。
エイナル様は、セヴェリン様と同世代で、なにかれとなく話題を提供してくださる。
けれど、リサ様から何かをお話しになられることはない。
高い壁に囲まれ孤独に苛まれている最中に「心を開け」などと、どれほど優しい声音で伝えても、届く訳がないことを、わたしは身を持って知っている。
たとえ壁が自分を護るためのものであっても、同じことだ。
賢しらだと思われてもいい。
あの頃のわたしに手を差し伸べるように、リサ様のために、なにかしてさしあげたかった。
お部屋の片隅に目をやると、邸宅の楽士と大聖堂の楽士様が、なにやら熱心に語らっている。
楽譜を広げ、時折楽器を手に取り、真剣な様子で音を重ねる。
きっと彼らの奏でる調べは、静かな湖面に投げ込まれた一滴の雫で、やがては大きな波紋となって広がる。
ふと、リサ様が、大聖堂の楽士様に夕食を供するようにと〈ばあや〉に命じられた。
〈ばあや〉は嬉しげにいそいそと、楽士様を食堂へと案内していく。
コトリと、リサ様の心が動く、音がしたような気がした。




