217.冷遇令嬢は断りにくい
雨期が終わり、夏が来た。
高くて色の濃い青空。入道雲は真っ白だ。
天上の神様に、敬虔な祈りを捧げる。
――来年の雨期は、何事もありませんように。
壁の外に出られて2年連続で、雨期には大事件に遭遇してしまった。
テンゲル動乱に、闇組織事件。
気が早いのだけど、いまの内から神様にお願いしておきたい。
女王に即位して、大河の盟主になって、わたしの雨期はどうにも騒がしい。
来年の雨期こそは、大河の水位だけ気にしながら、編み物でもして過ごしたい。
こう……、雨の日こそのんびり、みたいな風情を堪能してみたい。
と、願いながら、執務に励む。
闇組織から捕縛した者たちのうち、罪の軽い者たちは既に裁きが定まり、贖罪の務めに赴き始めている。
鉱山での強制労働、荒地の開墾、街道整備、城壁補修、干拓、植林。罪を償いつつも世の中の役に立つ事業に従事させる。
柳のじいさんをはじめ、元親分や罪の重い者たちの詮議は続いている。
ただ、すでに闇組織は完全に壊滅させたと判断され、暗殺の恐れのなくなったモンフォールの父は、ブラスタとの国境、ラヨシュたちの小舟が潜んでいた湿地帯の干拓に向かわせた。
まだまだ刑期は長い。真面目に働いて世の中の役に立ってほしい。
そして、フランシスカとチーズ屋の主人には、当面の間、再審庁裏手の燻製小屋で働いてもらう。
フランシスカとの約束もあるし、チーズの燻製の開発も順調だ。
もとは主人の店を行きつけにしていたルイーセさんも、ときどき顔を出してはアドバイス……、という名目で、ちゃっかり燻製の試作品を堪能しているらしい。
「……かなり美味くなってきてるな。旦那もそう言っている」
とのことなので、まもなく「フランシスカ印のチーズの冷燻」を発売できるかもしれない。
というか、ルイーセさん。
ちゃんと旦那様の分も、試作品をもらって帰ってらっしゃる。
そして、きっと試作品の味について、旦那様と語り合われているのだ。
――ふふっ。これで「ほかの女に目移りさせる」のは無理なんじゃないかしら?
と、思ってしまうのだけど、本人には言わないでおく。
大河流域各国から『駐カルマジン大河委員会大使』が赴任してきたら、回収した不正資金の分配を話し合う。
「……取り戻したのはテンゲルであるし、気を使ってくれなくても良い」
と、リレダル王もバーテルランド王も、各国ともに言ってくれた。
だけど、闇組織が蓄財していた不正資金には、各国の犯罪組織からの資金洗浄によって得られた財貨も含まれている。
できれば、各国の民の手に戻させてほしいと、わたしから頼み込んだ。
大河流域国家を揺るがせた闇組織事件も収束の目途がついていく中、いまだ『黒幕シャルル』の行方は、何の手がかりもつかめていない。
テンゲルの騎士団も衛士団も優秀だけど、かつては逃亡したデジェーの行方もつかむことはできなかった。
人間ひとりが潜むだけの「余白」は、テンゲル国内だけでも充分に広い。
シャルルの捕縛を諦めはしない。
だけど、まずは民の生活に、平穏を取り戻すことを優先する局面に入った。
クラウスの指揮のもと、テンゲル復興の各種事業を再開させ、産業振興策にも力を入れていく。
わたしが公正な治政を保つ限り、胡乱な菌糸が伸びる隙間はなくなると信じる。
そして、執務に追われる中、ずっとウキウキソワソワしていた〈お出かけ〉に出発する日がやってきた。
カリス、ナタリア、ばあや、ウルスラ。
わたしの侍女団はすべて引き連れ、ダギス家ご当主のメッテさんにも同行してもらい、当然、エイナル様には馬の前に乗せていただき、親衛長であるルイーセさんの護衛でカルマジンを出発する。
柳の組合が根城にしていた港町。
桟橋を改良し、大型軍船も着岸できるようにした。
彼らの小舟へのこだわりは、結局のところすべて偽りだった。闇組織の密かな連携に便利だっただけのことだ。
あっさりと、中規模な港につくり変えた。
闇組織には関与していなかった、善良な住民たちは喜んでくれたし、柳のじいさんに飴をもらっていた子どもたちは、相変わらず元気に駆け回っている。
カルマジンからの真正緋布と茜緋布の出荷にも便利になった。
大型軍船に乗り込み、支流を下る。
夏空の下の船旅が心地よく、エイナル様の腕に手をかけ、行く手の生命感あふれる色の濃い景色に目を輝かせた。
Ψ
ブラスタの王都に入る。
沿道には夥しい数の住民が押し寄せ、テンゲル女王の紋章と、ダギス家の薊の紋章を描いた小旗を振って、盛大に出迎えてくれた。
わたしとエイナル様の馬車に、白銀のドレスをお召しになったメッテさんも陪乗されている。
ご身分を考えれば、自身の馬車で後に続かれても、騎乗で続かれてもおかしくはないのだけど、
「……照れ臭くて、たまらねぇ」
と、わたしたちの馬車に乗り込んでこられた。
それだけ、ブラスタ王都の民は、生存が絶望視されていた『奇跡の王女』の帰還を、熱烈に歓迎している。
「キャ~っ! マウグレーテ殿下――っ! お帰りなさいませ~っ!」
と、黄色い声をあげる若い娘などは、絵の具で腕に薊の紋章を描いてるほどの大人気だ。
サウリュスが無頼向けに描いたメッテさんの肖像画が、街に出回ってしまったのだ。
「……まったく、嫁のもらい手がなくなっても知らねぇぞ」
などと仰るメッテさんだけど、難しい顔をされているのは照れ隠しだと分かる。
王族という身分にあって、民から慕われることは何より嬉しいことだ。
メッテさんから父母を奪ったのは、あくまでもブラスタの王侯貴族。民からの歓迎が嬉しくない訳はない。
窓から、ちいさく手を振り歓声に応えておられる。
そのチャーミングな仕草に、世にも可憐な王女マウグレーテ殿下の面影を見せていただいた思いで、エイナル様と微笑み合う。
「……な、なに、ふたりでニマニマしてるんだよ?」
「いいえ。……メッテさんがブラスタ王都の民に愛されてるんだなって、嬉しくなっていただけですわよ?」
「カッ、刺青入りの無頼王女に、物好きなヤツばっかりだ」
馬車が大聖廟に着き、メッテさんが先に降りられると、さらなる歓声に包まれた。
凛々しくも可憐なお姿で、薊の刺青が映える腕を軽く挙げて歓声に応えられた。
そして、大歓声は、わたしとエイナル様にも向けられた。
「いまや、大河の人気者だからな、コルネリア陛下は」
と、メッテさんに、ニヤリと笑われる。
エイナル様の腕に手をかけ、反対の手をちいさく振って歓声に応えた。
そして、ブラスタ二十八王家の墓所、ブラスタ大聖廟の長い階段を登っていく。
メッテさんから父母を奪った王侯貴族。そのすべては先の政変で失脚し、さらに続いた謀反を鎮圧され、完全に没落した。
レオナス陛下のご配慮により、いわれなき罪を着せられていたメッテさんのお父様とお母様の名誉は回復され、ブラスタ大聖廟に改葬された。
ダギス家の悲劇以降、メッテさんは初めてご両親のお墓参りに帰国できた。
「……私は仇を討ってやらなかったが、レオナスが討ってくれた。それで、勘弁してくれよな」
と、愛おしそうに目をほそめるメッテさんに並ばせてもらい、わたしとエイナル様も祈りを捧げた。
「これが、コルネリア陛下だ! 私の惚れた女だ! ……覚えておいてくれ」
メッテさんがご父母にご紹介くださる言葉に、目をまるくして、それから微笑んだ。
そして、レオナス陛下の戴冠式に列席するため、本殿に向かう。
改めての戴冠式は、謀反を起こした前王派への勝利宣言だ。ブラスタ二十八王家の内、実に20の王家が討伐された。
そのうち6王家の当主の座を、メッテさんが引き受けることになった。
「ま……、しゃあなしだ」
と、頭をかかれたメッテさんは、元のダギス家も含め7王家の当主になる。
レオナス陛下はご出自のピピラス家を含め、15王家のご当主に。
完全勝利と言っていいけれど、討伐された王家の分家を、家名ごと廃絶することは出来ないというところに、現在のブラスタ宮廷の複雑さがあるとも言える。
のこる6王家の当主と、ブラスタ諸侯が列席するなか、レオナス陛下はわたしの前で両膝を突いた。
わたしは、レオナス陛下の戴冠役を引き受けざるを得ないことになってしまった。
というのも、サウリュスから……、いや、クランタスの新王、サウリュス陛下から戴冠役を依頼されてしまったのだ。
これは、断りにくい。
なんのかんの昵懇の仲と言っていいし、素敵な絵も描いてもらった。
引き受けることにしたのだけど、それで、レオナス陛下の方だけお断りしては角が立つというもの。
結局、わたしは大河河口の三ヵ国、すべての王を後見することになってしまった。
ただ、引き換えにブラスタからは、農業の技術支援を受けられることになった。
国境地帯、いつかひまわり畑にしたい荒地の土壌改良に、わたしは数年かかると見込んでいたのだけど、ブラスタの技術なら、およそ2年でいけるという。
競合する農作物を育てないという条件は付けられたけど、それは、わたしもそのつもりだったので問題ない。
「……レオナスとしては、国内の基盤強化に、大河の盟主であるコルネリア陛下の後見がほしい。私に気前よく6王家もくれたのも、そのせいだ」
「ええ……、ご苦労が続いておりますものね」
と、メッテさんに苦笑いを返す。
戴冠式を終え、記念の晩餐会を待つ間、豪華な控え室に通された。
「それに、エイナル陛下のソルダル大公家、私に肩当てをくれたリレダル王家、そのカーナ妃殿下のご出自、ホイヴェルク公爵家との縁も繫いておきたい。……ま、これまで外交に無頓着だったブラスタにしたら、頑張ってる方だな」
「……リエパ陛下のご手腕ですわね」
「それもある。……私はコルネリア陛下の側から離れる気はないし、7王家の当主って言ったって、領地はリエパに任せるしかないからな」
大河流域国家の中では、ブラスタ王国の政情がもっとも不安定だ。
テンゲルの隣国でもあるし、わたしの存在が役に立つのなら、喜んで使ってもらおうと、覚悟を決めた。
「いやぁ?」
と、エイナル様とメッテさんのお声がそろった。
カハッと笑われたメッテさんが、エイナル様に発言を譲られる。
「……大丈夫かな? クランタス」
「そ、それは……、きっと大丈夫ですわ」
わたしの絵を描き上げたあと、サウリュス……陛下は、実に気品ある落ち着きを見せていた。
「た、たぶん……、ですけど」
そして、ブラスタを辞し、大河をさらに下っていく。
サウリュス陛下の戴冠式も楽しみだ。
だけど、わたしはついに、この目で海を見ることができる。
ジッと甲板に張り付いて、まっすぐ前を見詰めて、目を輝かせ続けた。
本日の更新は以上になります。
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