210.冷遇令嬢は待ちわびた
森の中の街道を進んでいた騎士団の隊列は長く伸びている。
街道の左側。火の手は、わたしから遠い方であがった。
右側、デジェーが現われた側。森と街道との境に膝を突いたわたしを護るように、円陣が組まれ、騎士が森の中にまで展開している。
街道はこの先大きく右に曲がる。
本来であれば、わたしがそこを通過するときに奇襲を仕掛け、前後の隊列と切り離す算段だったのだろう。
「……わたしだけが敵の狙いですわね」
クラウスが応急手当てを施す、デジェーの苦悶の表情を見詰めながら呟く。
わたしの耳は、樹々の葉を打つ雨音に紛れる、騎士たちが油壷を弾き返す音に集中している。
あがった火の手は、敵が見せたいものしか照らさない。
「どうする? ……斬り込むか?」
メッテさんが、ルイーセさんに囁いた。
「……矢が飛んで来ない」
「そうだな……。ん? あいつら、弓矢が使えないのか」
「凶悪なだけで、ただのチンピラだ。……突っ込めば、取り逃がす恐れがある」
不愛想なルイーセさんの視線も、わたしと同じく火の手と逆方向の、円陣を敷く騎士たちの松明が揺らめく夜闇を睨んでいる。
騎士たちは、炎にも闇にも狼狽えることなく冷静に対処してくれている。
心強い限りだ。
そして、ルイーセさんの仰る通り、敵を殲滅するのでもなく、撃退するのでもなく、すべてを捕らえたい。逃したくない。
この思いを、すべての騎士たちが共有している。
王家領の元無頼。小舟をつかう小規模水運事業組合。西方から流れてきた者たち。
ようやく核心に迫りつつあるにせよ、いまだ情報は断片的に過ぎる。
――お前たちは、いったい誰なんだ!?
謎多き闇組織の全容解明に、みなの意識が集中している。
これまでずっと、特にわたしが移動する際には、油壷攻撃に備えた警備を厳重に敷いてきた。
――やっと、出てきてくださいましたわね! ついに、お会いできましたわね!
長年想い続けた恋人に、ようやく会えたような感慨さえ湧く。
もっと早くに、わたしひとりを狙って攻撃を仕掛けてきてほしかった。
絶え間なく響く油壺を打ち返す音が、愛の囁きのようにさえ聞こえてくる。
メッテさんが険しくも呆れたような声を、鋭く響かせた。
「あの壺、どれだけ運んできてるんだ」
「だが、雨だ……。油が燃え尽きれば、火はそれ以上には燃え広がらない。それに、軍用外套は防火仕様だ」
と、ルイーセさんが不愛想に応えた。
「……とはいえだな、この辺り一帯が油まみれだぞ?」
わたしの隣で一緒に膝を突き、デジェーの顔をのぞき込んでくださるエイナル様の耳元に、口を寄せた。
「……エイナル様。全体の指揮をお願いできますか?」
「え? いいけど……、ルイーセは?」
「別のお仕事をお願いしたく」
「ん、……分かった」
ルイーセさんを呼び、隣で膝を突いてもらう。
「後軍から精鋭の選抜を。……ルイーセさんの専門分野です」
「斥候か」
円陣を組み油壷攻撃を防ぐわたしたちは、長く伸びた隊列を〈通せんぼ〉する形になっている。
隊列の後方、後軍はいまだ無傷で温存されている。
「……わたしが、お母様ほど足が速かったら良かったのですけど」
「無茶を言うな。女王に走り回られてたまるか」
「ふふっ。ほんとですわね」
クラウスも交え、2、3、打ち合せる。
頷いたルイーセさんが素早く駆け出した。
「すみません。わたし、弱いんで」
と、苦笑いして、両脇をメッテさんとクラウスに護ってもらう。
「……油壺を弾く音。リズムと方向からは統率が感じられません」
「なるほどな……」
と、メッテさんが視線をすこし上げ、雨滴に目をほそめながら夜空を睨んだ。
「彼らには、明確な指揮官がいないことを示しています」
「まあ、攻撃は派手だが烏合の衆だな」
「……ですが、いくつかの群れにはなっているようです。方向ごとに、音の種類が異なって響いています」
クラウスが頷く。
「ふむ。……ですが、それでは全体の指揮官を突き、全体を崩すという策がとれませんな……」
「ええ、ですから、こちらで作って差し上げましょう。指揮官を」
デジェーの介抱を騎士たちに任せ、わたしは立ち上がって外套を脱いだ。
略装ながらに緋布のドレス姿が、松明の灯りで照らされる。
油壺を払いのける音が、明確にわたしの方を向き始める。
「はははっ。今度は囮の役に立っておられるではないか」
「ふふっ。……堤防では、ピシュタにいい所を持っていかれてしまいました」
音のリズムは速くなり、目標が定まったことで、敵の目がすべてわたしに向いたのだと確認できた。
油壺のひとつひとつは小さい。
とはいえ、数が多く、円陣の外は油まみれで、後軍を前に進めて陣を厚くすれば、騎士たちが油の上に立つことになる。
そこに火を放たれては、たとえ鍛え抜かれた騎士たちといえども大変なことになる。
ルイーセさんたちには、油の輪の外側に走ってもらった。
厳選してもらった、斥候の騎士たち。
「……エイナル様。間もなく、ボウガンの出番です。敵に気付かれぬよう、密かにご準備を」
わたしの言葉に、エイナル様が頷かれ、囁くようにして騎士たちに命を発する。
騎馬の腹に据え付けてあるボウガン――、板ばねで矢を発射させる石弓。
剣や騎槍による肉弾戦を主とする騎士にとっては補助武器だ。
いま、このタイミングで、デジェーがわたしの前に姿を現したのは何故なのか。
伏兵の危険を知らせるためだろう。
だけど、生死の境を彷徨うような重傷を負っているのは、それを止めようとして、止められなかったからだ。
「裏切りだ! セゲド親分が裏切った!」
斥候の騎士の声が、森の中から響いた。
デジェーは何故、止められなかったのか。
幾人もの元無頼の親分たちが、口々にわたしを討ち取る機会だと、盛り上がってしまったからだ。
ひとりの指揮官であれば、言い包め、説得することが出来ても、親分衆が群れをなして高揚していたなら、その熱を冷ますことは容易ではない。
そして、引き時を誤ったデジェーは、親分たちから血祭りに上げられた。
「後ろに気を付けろ! ケレメン親分が女王に俺たちを売ったぞ!」
「ビンツェ親分が投降した!」
「気を付けろ! 味方のフリをして、俺たちを女王に売るつもりだ!」
斥候の騎士たちが挙げる名前は、ジイちゃんの証言で闇組織に加わっていることが確実な、実在の元親分たち。
クラウスに確認しながら、いくつかの名前をルイーセさんに伝えた。
バシュッ! と、ボウガンの発射音が響き、木陰から現われた男の太ももを射抜く。
流言に狼狽え、同士討ちに怯えて姿を見せてしまったのだ。
斥候の騎士たちの声と、ボウガンの音が鳴り続け、射抜かれた男の悲鳴が響く。
「……後軍を二手に分けて動かしましょう。油だまりを避け、左右に大きく迂回して進ませれば、今なら敵の後背をとれます」
「ん、分かった」
頷かれたエイナル様が、後軍に伝令を走らせてくださる。
ルイーセさんたちの流言で疑心暗鬼に陥った襲撃者たちは、逃げ出そうにも、後ろに退くことも出来なくなっている。
「お、俺は裏切ってなんかねぇ!」
と、射抜かれた太ももを押さえて倒れ込む、セゲド親分。ごめんなさいね。嘘吐いて、悪い噂を流してしまって。
でも、ありがとう。あなたが信頼されてなかったおかげで、みんなが流言を信じてくれたわ。
いや、きっと悪いことをして得たおカネだけで繋がる闇組織の者たちに、本当の意味での信頼関係はない。
いつも自分が出し抜かれるんじゃないかと、仲間のことも疑いの目で見ていたはず。
残念な人たちだ。
クラウスに耳打ちし、炎が揺らめく夜の森に向かい、声を張り上げてもらう。
「枢密院議長クラウス・クロイである! 女王陛下はご存知だ! 貴殿らが家族を人質に取られ、やむなく剣を取っていると!」
つづいて、メッテさん。
「いま、武器を捨てれば、女王コルネリア陛下の名において、貴殿らの家族の保護を約束すると仰せである! 再審庁のメッテ、大河の大親分メッテが、その証人だ!」
親分たちに向けた呼びかけではない。下っ端の者たちには、きっと脅され、やむなく従っている者がいる。
彼らの動揺を誘う。
さらに、クラウスに言葉を重ねてもらう。
「チーズ屋の主人を知っているか!?かの者は沈黙を守ってもなお、女王陛下は家族ごと手厚く保護されているぞ!」
そこに、森の中を駆け回る斥候たちが「裏切りだ!」「投降したぞ!」「女王に走った!」と、声を挙げ続ける。
森の全体が裏切りで満ちているかのように錯覚させるため、あらゆる方向から、ポツリポツリと声を挙げてもらう。
火の手があがらず、騎士が手にする松明の明りだけの街道右手でも、次々にボウガンの矢に射抜かれ、男たちが倒れ込む。
武器を置き、投降を叫ぶ者が現われはじめ、その場で地に伏させる。
エイナル様が、ニヤッと笑い、わたしの耳元で囁かれた。
「……コルネリアのお母上の流言飛語策だね?」
「ふふっ。……おひとりで駆け回られ、同士討ちでコショルーの反乱兵を潰滅させたお母様には、遠く及びませんけど」
「でも、コルネリアには、ボクたちがいるからね」
「ええ、心強い限りですわ」
エイナル様と微笑み合った。
やがて、樹々の隙間から、遠くに松明が一列に並んだのが見えた。
敵の後背に回り込んだ後軍が、位置についたのだ。
街道の左側も右側も、敵を完全に包囲した。
すうっと息を吸い込む。
「わたしの声が聞こえますか。テンゲル女王コルネリアです。あなた方の家族は、わたしの民です。わたしが、必ず守ります」
最後の投降を呼びかけ、森の向こうから松明の列が一列に進軍を始めた。
挟み撃ちにして、敵をすべて捕える。
本日の更新は以上になります。
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