21.大公世子はステップを踏む
Ψ Ψ Ψ
ボクは、和平交渉の実務責任者であるクラウスともよく話し合い、
――なんとしても、コルネリア殿との婚約を守る。
と、決めていた。
エルヴェンで再会したコルネリア殿に〈蕾が開花し始めたようだ〉と、感じた。
だけど、それは少し間違っていた。
コルネリア殿の中からは、次から次に蕾が現われる。無数の蕾の塊を、まるで花であるかのように感じていたのだ。
すべての蕾が今にもはち切れんばかりに膨らんでいる。なのに、まだまだ蕾が現われてくる。
そして、蕾の中で咲かんとする花からは既に香りが漏れ出し、民を魅了し、より良い道へと導いていく。
それは、とても儚く、美しく、そして、いびつで危うい姿だった。
大輪の花弁を大量に咲かせるのと同時に、コルネリア殿自身が弾け飛んでしまうのではないかという、……危うさ。
「家族……、だな」
クラウスとボクの意見は一致した。
やはり、コルネリア殿の生家、モンフォール侯爵家には根深い何かがある。
身上書に書き込まれた生母の偽り。
遊覧船でカーナに指摘されたとき、コルネリア殿は激しい感情の昂ぶりを見せた。
軽い気持ちでボクが出した〈お母様〉という単語には、コルネリア殿のお心がふわっと、どこかに漂い去ろうとした。
和平を壊すための謀略として、モンフォール侯爵が身上書に偽りを忍ばせたのではないかとも考えた。
だけど、エルヴェンでくだらない騒ぎを起こした、浅薄な人物像と合致しない。
ボクはすでに充分にコルネリア殿を愛しているし、手放したくない。和平を成立させたい想いは、クラウスとも共有している。
王太子フェルディナン殿下が、コルネリア殿との結婚を競いたいと仰られたとき、
「殿下の御心のままに」
と、お答えし、さげた頭の下で、激しく後悔していた。
――ああ~っ! なんで、ボクはこういうときに、いいカッコしちゃうのかなぁ~っ!?
たしかに、和平のための政略結婚としては、コルネリア殿のお相手が王太子殿下でも成立はするだろう。
「……なら、オレにも競わせろよ」
と、いつもは冷静なクラウスにボヤかれ、面目ないと頭をさげた。
内心ハラハラと4日間を過ごし、コルネリア殿がボクを選んでくれたとき、心の底から安堵した。嬉しかった。天に昇った。
もし、次に同じことがあれば、
「コルネリアはボクのものだ! 誰にも渡さないぞぉ!」
と、立ちはだかると心に決めた。
そして、奔放なフェルディナン殿下は、気まぐれに、コルネリア殿を開花させた。
居所を失ったように、コルネリア殿が辺りをキョロキョロと見回し始めたとき、
――突然の大抜擢に、舞い上がっている。
と、皆が、微笑ましく見守っていた。
違う。そうではない。ボクは内心の狼狽を押し隠しながら、ゆっくりと歩み寄った。
「……エイナル、……様?」
手を握り、見詰めているのがボクであることに、コルネリア殿はなかなか気が付かなかった。
「……奥さんにしてくださいますか?」
「もちろん、喜んで」
コルネリア殿が、ギュッと手を握り返してくれたとき、心を繋ぎ止められたのだと、全身からドッと汗が吹き出した。
周囲は、誰も気付かない。
ただ、カリスという侍女だけが、ちいさく拍手しながら、ボクに感謝の視線を送ってきた。
たったひとり、生家のモンフォール侯爵家からコルネリア殿に近侍する黒髪の侍女。
クラウスがどんなに探りを入れてもガードが固いと、さじを投げていた。
デビュタント用のドレスづくりを口実に、ボクは大半の役職を返上する手続きを開始した。父上に早馬を飛ばし、後任を選定してもらう。
少なくとも無事に婚礼を終えるまで、出来るだけコルネリア殿の側から離れないためだ。
――和平のため。
と言えば、父上はそれ以上、何もお尋ねになられなかった。
フェルディナン殿下が、王都で他のバーテルランド王国のご令嬢方から聞かれた情報は、父上も既に掴まれているはずだ。
――父親が屋敷に囲い込んで、誰の目にも触れさせなかった……。
身上書からは読み取れなかった情報。
父上も不穏なものをお感じなら、王都で動き出されているはず。
それも含めての〈大河伯内定〉であるはずだ。コルネリア殿の才と身柄を、リレダル王国で囲い込もうとされている。
「……それでも、やはり難題は、……婚礼だな。国王陛下のご臨席を賜ることが確実な結婚式に、花嫁側の家族を出席させない訳にはいかない」
と言う、クラウスと、眉間のシワの深さを競った。
もちろん、コルネリア殿に似合うドレスを選ぶのは、ウキウキと楽しんだ。
何着も試着してもらい、コルネリア殿の美しさを心ゆくまで堪能させてもらう時間は、控えめに言っても最高だった。
頬の上側をすこし紅潮させて、はにかみながら、姿見の前でクルリと回ってみるコルネリア殿。最高だ。いますぐ結婚したい。
「はぁ~」
と、見惚れて思わず、ため息を漏らすと、
――いいのですよ……。わが主君を、ご存分に堪能なさいませ。
と、侍女カリスが、達観した視線でクールに微笑んだ。
底知れないコルネリア殿は侍女も底知れないと、照れ笑いに苦笑いが混じった。
和平交渉は、まだ終わっていない。
停戦合意から、平和条約の締結へと進まないといけない。クラウスは、バーテルランド王国側と定期的に接触している。
コルネリア殿の家族について、探りを入れてもらうことを託し、ボクはコルネリア殿と、ブロム大聖堂へと旅立った。
馬上、コルネリア殿が、
「わたしは、どう見えているのですか?」
と、ボクに尋ねられた。
コルネリア殿が秘めたる、……何かに、懸命に向き合おうとされていた。
ボクは、正直に、誠実に、答えなくてはならないと、手綱を握る手に、力を込めた。
コルネリア殿の内側で『咲きたい! 咲きたい!』と匂い立つ、大輪の花々の、その片鱗について、嘘偽り、誇張なくお伝えすることを心がけた。
「母から……、授けていただきました」
と、仰られたコルネリア殿は、やがて、ゆっくりと息を抜かれた。
そして、可憐なお背中を、ボクの胸にそっと預けてくださった。
――ボクを……、信頼してくれたのだ。
と、初めて実感を持てた。
抱き締めたら折れて壊れてしまいそう。ただ一緒に、馬に揺られた。
お互い、冬のコート越し。だけど、それ以上に温かく、胸がいっぱいになった。
Ψ
ブロムの地に入ると、コルネリア殿の目が輝いた。
大聖堂ではカーナが待ち受けてくれていて、中を案内してくれる。
学生時代の悪行などなかったかのような、優雅なふる舞い。だけど、元々、ボクに関すること以外では聡明な女性だ。
パカッと開いた口を扇で隠すコルネリア殿を眺め、カーナと微笑みあった。
3人でお茶をして、それから、ホイヴェルク公爵家の嫡男と婚約しているバーテルランド王国のご令嬢に、コルネリア殿だけで会いに行かれた。
カーナとふたり、コルネリア殿について語り合う。
「すごい娘だとは思いましたけど、……まさか、大河伯とは」
「ふふっ。それを、遊覧船の往復で見抜いたカーナの慧眼だね?」
「あら、私を褒めてくださいますの?」
「無論だよ。ボクの婚約者を褒めてくれたんだからね」
「どうせなら、学生時代にお聞かせいただきたかったですわ」
「抜かせ」
と、笑い合った。
カーナと、こうして語り合える日が来るなんて思いもしなかった。
ボクでは変えられなかったカーナを、コルネリア殿は一瞬で変えてしまった。
もちろん、カーナが変わる最後の一歩を、後押ししただけなのかもしれない。それでも、すごいことだ。
やがて、コルネリア殿が目を輝かせて帰ってこられた。
「……エ、エイナル様? ……しばらく、こちらに滞在できるのですよね?」
「ええ。王都でのデビュタントに間に合えば良いので、ゆったりとした旅程を組んでおります」
「で、ではっ! お願いがっ!」
と、デビュタントの練習として、ご令嬢の居宅で小さな舞踏会を開きたいと仰られた。
カーナが、眉をしかめて笑う。
「まっ!? ひどい娘ね? エイナル様とのダンスを、私に見せつけるつもりね!?」
「ち、違いますよぉ~」
「せいぜい悔しがって、ハンカチでも噛んで見せてあげるわね?」
と言う、カーナは実に楽しそうだ。
カーナはこんな笑い方もするのかと、しばし、ふたりのやり取りを眺めてしまった。
学生時代、カーナにもう少し向き合ってやれば良かったと、胸にチクリとしたものを感じた。
日を改め、ご令嬢の居宅にコルネリア殿と訪れ、……呆れた。
――バーテルランド王国の様式。……建てたのか、実家が。
豪邸と言っていい。
居宅というよりは屋敷だ。
ご令嬢は、バーテルランド王国のマスランド公爵令嬢、リサ殿。
カーナの弟君と、政略結婚で縁組された。
――クラウスの苦労が忍ばれるな……。
夫人教育で、実家が娘のために屋敷を建てるなど、聞いたことがない。
要するに、意地の張り合い、見栄の張り合い、カーナのホイヴェルク公爵家に無理難題を呑ませたのだ。
屋敷の中では、大勢の使用人がリサ殿ひとりのためだけに働き、楽団まで連れて来ている。
やがて、カーナと弟セヴェリンも姿を見せ、小さな舞踏会が始まる。
リサ殿とセヴェリンの間は、見るからによそよそしい。険悪とまではいかないけれど、これから夫婦になろうという空気ではない。
――政略結婚とは、こうしたものかもしれないが……、それにしても……。
と、鼻白みながら、コルネリア殿とステップを踏む。
リサ殿とセヴェリンもダンスを始め、
――要するに、コルネリア殿はふたりの仲を取り持とうというのだな……。そのキッカケづくりか、この舞踏会は。
と、了解して、コルネリア殿と出来るだけ和やかな空気をつくることを心がけた。
ところが、コルネリア殿は、
「カ、カーナ様のダンスも、……見てみたいです。……ダメですか?」
と言い出され、なぜか、ボクとカーナが一緒に踊る。
「ふふっ。……学生時代も叶いませんでしたのに。コルネリア様から、いい思い出をいただきましたわ」
「なら、良かった」
「……縁談が来ておりますの」
「そうか」
「お相手を聞いてくれませんの?」
「ふふっ。……誰?」
「……フェルディナン殿下ですの」
「……は?」
「俺もコルネリアにフラれて来た。フラれ同士、仲良くやろう、……ですって」
「受けるのか?」
「もう、受けましたわ。笑い転げて、勢いで」
「……そうか。幸せにな」
「ええ。私、王妃として、意地悪しちゃうかもしれませんわよ?」
「ははっ。受けて立つよ。コルネリア殿とふたりで」
「あら、それは手強そう」
ステップを踏みながら、カーナとにこやかに語り合う。
それを、コルネリア殿は、ポオッとした視線で眺めている。たぶん、ボクではなくカーナを。
毎日、大聖堂に立ち寄って目を輝かせてから、リサ殿の屋敷に通う。
舞踏会は少しずつ賑やかになる。
やがて、コルネリア殿の思いもよらない計らいが明らかになって、ボクはまたしても驚愕させられることになった。




