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207.冷遇令嬢は設計図を描く

「……先日、コルネリア陛下が布告された『大河公証役場』という言葉を耳にして……、ようやくこの手紙のことを思い出したんでさ」



という、ジイちゃんの言葉の通りだった。


お母様がテンゲルを離れるにあたり、ジイちゃんに託した手紙。


まさしく〈幽霊船荷〉を防ぐための『大河公証役場』の構想が詳細に綴られていた。


お母様の金融学への理解は、荒いところはあるものの、ノエミや老博士から教えてもらったものと大きな齟齬はない。


それどころか、ところどころにおいては、さらに先を行くものさえあった。


わたしの頭の中では『大河公証役場』の設計図に、若干の修正が加えられるほどだ。


やはり、お母様はすごいと、胸に迫るものがあった。


手紙の最後に、



『……ただし、王政が正常化してから導入しないと、この仕組みですら悪用されかねません』



という警句が添えられている。


お母様はご自身が民のために考案した〈高度な相互扶助の金融システム〉が、悪用されてしまったことに苦悩されていた。



『……世間の歩みに合わせ、制度を適切に添わせていかないと、悪辣な者たちに悪用されてしまいます』



お母様がわたしに金融学をお授けくださらなかった理由は、この一文で語り尽くされている。


わたしがあの別邸の高い壁の外に出られたなら、そのときの〈世間の歩み〉に合わせて学べばよいとお考えだったのだ。


一緒に過ごせた16年間。


善意から出たものだとはいえ、ご自身がテンゲルに播いてしまった〈悪の種〉のことが、気がかりだったに違いない。


だからこそ、わたしにはひと言も触れずにおられたのだ。



「……わたしが刈り取りますわ、お母様」



と、手紙の文字を、そっと撫でた。


さすが、わたしのお母様。


神話級の天才。


善意から気軽に播いた〈悪の種〉は大きく芽吹き、大河流域のすべてに根を張り、大輪の〈悪の華〉を咲かせてしまった。


才覚とは、正しく用いなければ、民に大きな迷惑をかけるものにもなり得る。


わたしにとっても、大きな戒めになった。


ジイちゃんの話は、まだ終わらない。


顔をあげ、ジッと耳を傾ける。



「……話をつけようと、久しぶりに〈柳の〉の根城に足を運んだら、良くない取り巻きに囲まれておりました」


「西方から流れてきた者たちですね?」


「へい……、仰る通りで」



暴力性が高く、道理を弁えなくて狡猾。


そういった者たちが、王家領に根を張る秘密結社を変質させていた。



「……テレシア様は、こうも言い残してくださってました。あの人たちとは早目に手を切った方がいい……、と」


「そうですか……」


「秘密結社の王家領の者たちと、諸侯領の者たちとで話し合いの場が持たれ……、血も流れましたが、今後は互いに関与せずということで話がつきました」



道を別った両組織は、その後、交わることもなく今日を迎えた。



「……それでも、噂は聞こえてきます」



柳のじいさん率いる王家領の秘密結社は凶暴性を増し、代官のすべてを掌中に収め、脅して不正に手を染めさせた。


その資金を洗浄し、私腹を肥やす。


他国の犯罪組織ともつながり、資金洗浄を持ちかけて請け負い、さらなる財貨を得た。



「互いに関与せずと無頼の約定を交わしたのは事実ですが……、儂がもっと早くコルネリア陛下に打ち明けておれば……」


「いいえ。……厳重な秘匿捜査を敷いたのはわたしです。わたしが秘密結社の存在を追っていることを、ジイちゃんが知る術はなかったのですから」



たしかに、お母様の手紙をもっと早く手にしていたら、事件は早期に解決していた。


けれど、それは後付けというものだ。


悔やんでも仕方がない。



「しかし……、よもやこれほど大規模な組織に育っておろうとは……」



ジイちゃんが呻いた。


各国一斉の共同強制捜査によって、闇組織の存在は、民にも広く噂されることになっている。


闇組織の暴発を警戒し、詳細は伏せた。


けれど、チーズ屋の主人のような〈善良な隣人〉が、ある日突然、王政に捕縛されたのだ。それも大量に。


噂が噂を呼ぶことは、止めようがない。



「ジイちゃん……。柳のじいさんたちだけではなく、王家領の元無頼たち――、秘密結社の全貌を話してくれますね?」


「へい。……無頼の信義には、もとりますが、儂の知る限りのことはすべて……」



ジイちゃんは、苦悶の表情を浮かべ、所在なさげに呟いた。


まず、メッテさんを呼ぶ。


そして、ジイちゃんと無頼の契りを交わしてもらい、メッテさんの子分にしてもらった。



「これでジイちゃんは、大河の大親分、無頼王女メッテの子分です」


「へ、へへーっ」


「……メッテ親分。卑怯で残忍な、沈黙の掟に毒された無頼のことを王政に打ち明けるのは、無頼の道にもとることですか?」


「はははっ! そんなヤツらは、無頼の風上にも置けねぇ。……風上に置けないってのは、腐り果て臭くてたまらねぇってことだ。……王政に協力するのは無頼として、私の子分として、当然のことだな」



メッテさんがニヤリと笑い、ジイちゃんは目に涙をためた。


湧き上がるその想いは無頼としての生き様に根ざすもので、わたしがすべてを理解することはできない。


ただ、自分の孫のような歳の大親分、メッテさんの懐に収められ、ひどく安堵していることだけは、よく分かった。



「……メッテさんは、わたしの大切な友だちです。そのメッテさんの子分を、悪いようには決していたしません。まして、わたしの『ジイちゃん』です。……どうか安心して、すべてを話してください」



わたしの言葉に、ジイちゃんは力強く頷いてくれた。


クラウスを呼び、衛士団にジイちゃんを引き渡す。詳細な供述を得るためだ。



「……オレも、最初にあの醸造所の親方に会ったひとりです。衛士団には丁重に扱わせます」



という、クラウスに軽く頷き、後事の差配を託した。



「ちょっと早いが、もう行くか?」



と、メッテさんが声をかけてくださった。



「ふふっ。そうですわね……。外の空気を吸った方が良さそうですわ」



天幕を出ると、黒い雨雲の向こうで夕陽が照らすのか、赤いひび割れが走っているかのようだった。


大河を覆っていた怪物の、断末魔を描いたような不気味な空を睨む。


まもなく日が沈み、夜半過ぎには、闇組織の小舟が目の前に現われるという読みだ。


皆とも話し合ったし、この読みには自信がある。


わたしの両脇にはルイーセさんと、メッテさん。


堤防に登り、さらにはしごを登って、決壊部を塞ぐ大型軍船に上がった。大河に面する船尾側に、わたしの本陣を置く。


既に簡易天幕が張ってあり、野戦指揮官用の椅子に腰を降ろした。


日没を間近に、薄暗くなっていく雨の大河にメッテさんが目をほそくした。



「……なあ、コルネリア陛下。この軍船は解体しちまうんだよな?」


「ええ。退役間近でしたし、水門をつくるときには、そうしようかと……」


「……見晴らしもいいし、このままカフェにでもしたら人気になるんじゃねぇか?」


「あら、素敵ですわね」


「ふふっ、そう? ……堤防に突き刺さった船なんざ、ほかにない景色だからな」


「ほんとですわね……」



ついつい、あたまの中で設計図を描いてしまう。


国境も近く、ブラスタ側からの観光客も見込めるかもしれない。


立ち上がり、大河を眺める。


いまは軍用高速船が展開する物騒な景色だけど、ふだんなら雄大な眺めを一望できるはずだ。


そして、数年後には背後の荒野も、一面のひまわり畑になる予定だ。



「……いいですわね」


「はははっ。切った張った以外でも役に立てたかな?」


「ええ、とても素敵なアイデアですわ」


「……そうなったら、旦那と旅行にでも来るか」



と、呟くルイーセさんが、無性に可愛らしくて、メッテさんと目を見合せて、クスクスと笑ってしまった。


軍用高速船のうち3隻を前衛として、エイナル様とクラウス、それにビルテさんが乗り込む。


エイナル様はわたしに「カッコいいところ」をお見せくださるらしい。楽しみ。



「……なんだか最近、ルイーセとメッテ殿ばかり活躍してるしね」



というエイナル様のお言葉もあって、ルイーセさんとメッテさんは、わたしの護衛ということになった。


そして、のこり1隻は後詰めとし、前衛が取り逃がした小舟を遊軍として追う。


国境が近く、できればブラスタ領内に逃げ込まれる前に捕縛してしまいたい。



「最悪、私がその1隻に飛び降りて、ブラスタ領内まで追うさ。……なにせ、ダギス家当主。ブラスタの王女だからな、私は」



と、メッテさんが笑った。活躍しそう。


日が沈み、夜闇に包まれる。


灯りは焚かず、雨のそぼ降る中、ジッと小舟が来るのを待つ。


そして、わたしの読みよりも早く、松明の炎に照らされた小舟の船団が、遠く上流側に姿を現した。


緊張の高まる中、ルイーセさんがすこし間の抜けた声を出した。



「いや……、あれは松明じゃないな」


「ん? ……どれ?」



と、目を凝らすメッテさん。


近付く船団からは、徐々にかすかな怒鳴り声が響いてきた。



「……追われてるのか?」


「燃えてるのは、追っている舟。……恐らく、コショルーの舟だな」


「お、恐ろしい連中だな……」



と、メッテさんが苦笑いされた。



「……舟を燃えっ放しにして追い駆けてるぞ? え? 沈まないのか、あれ?」


「遠くて、まだよく見えないが、恐らく、あの舟は大木をくり抜いた、(いかだ)のような構造だな」


「え? ……それ、燃えて沈まない理由になる?」


「まあ……、舟底が燃えて穴があき、なかが水浸しになっても、舟そのもの……、大木そのものの浮力が残るから……」


「ふふっ。山岳地帯の急流を下ることもあるコショルーの民ならではの知恵ですわね。……転覆や座礁に備えて、水に浮き続けることを最優先に設計されているのでしょう……、けどね」



と、わたしも苦笑い。


油をかけられ燃え上がった舟で、そのまま追い駆け攻撃してくるとは、闇組織の者たちも予想外だったようだ。


恐慌をきたし、必死で逃げる様が伝わってきた。



「……こりゃ、私でも恐いな」



と、メッテさんが爆笑しながら、肩をすくめた。


コショルーの強兵、恐るべし。


これでは狂戦士(バーサーカー)ではないか。


テンゲル諸侯の兵が壊滅させられたことに、改めて納得がいった。


全速で逃げる闇組織の小舟を捕縛すべく、こちらも臨戦態勢をとった。



本日の更新は以上になります。

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