205.冷遇令嬢は先手を取る
主だった者を集め、落ち着いて状況を確認していく。
「……葦原に隠した小舟に潜みながら、闇組織の者たちが、丘の開削に気が付いていなかったとは考えられません」
わたしの言葉に、皆さんが頷く。
冷静になれば、状況はそこまで悪くない。
むしろ、偶然とはいえ、行方の分からなかった敵の居場所をあぶり出せた、絶好の機会だ。
そして、すぐには追えない以上、敵の心理を可能な限り正確に読んで、先手を取る。
「……つまり、あの工事がテロ対策だとは気が付いていなかった……。ひいては、こちらに内通者はいないと考えられます」
エイナル様が腕を組まれた。
「ふむ。……じゃあ、彼らにしてみれば、突然の鉄砲水に襲われた訳だ」
「ええ、堤防から丘までは荒野を挟んで距離があり、自分たちの仕掛けた堤防破壊テロと、丘の開削工事が結びつかなかった」
ルイーセさんが無愛想に呟く。
「……あるいは、人の背丈より高い葦のなかに身を潜め、なにをしてるか、よく見えていなかった……」
「その可能性も充分にあり得ます。……事実として、彼らは激流が流れ込むまで逃げなかった」
ビルテさんが皮肉げに笑った。
「ふふっ。……まあ、テロの決行地点が暴かれたとしても、まさか排水路の設計が間に合うとも、実際に掘るとも思わないか」
「はい。排水路の測量も設計も終わっていたのは、単なる偶然でしたから」
「たしかにな」
ブラスタ側の堤防に決壊の恐れがあったことは、広く知られてはいない。
「ですから、闇組織の者たちは、自分たちを攻撃するために丘を開削したと誤認しているはずです」
「ははっ。なかなかに壮大な、鉄砲水攻撃を仕掛けられたと思っている訳か」
と、エイナル様が膝を打たれた。
「恐らく、どこから水を引いたか、そんなことを考える余裕もなく逃げるしかなかったはずですわ」
こちらもビックリしたけど、向こうはもっとビックリしたに違いない。
姿を隠すこともできず、慌てて舟を漕ぎ出したのだ。
相当に混乱しているはずで、追撃の好機だ。
ただ、わたしがここから追っ手をかけるには、その湿地帯が行く手を阻む。
加えて、騎士団も国軍も、体力的に疲労のピークだ。
ビルテさんが、頭をかいた。
「……気力は充分なのだが、無理をさせても使い物にはならないな」
「回復まで、どのくらい見込めばいいですか?」
「騎士団は、急速に回復させる術が身に付いている。……腹いっぱい食わせて、1日……、いや、万全を期すなら1日半、休ませたら、脱落なく最速を出せるだろう」
募兵で集めたばかりの国軍は、練度が低く、さらに1日から2日程度は休ませる必要があるとのことだった。
ともあれ、急ぎ、大量の炊き出しを命じ、早く休んでもらう。
ウルスラが、炊き出しの手伝いに駆け出してくれる。
「あ、ウルスラ。お肉もたっぷりね!」
「わっかりました~っ! 炊事兵長に伝えま~す!」
こういうときもウルスラは、空気を和らげるのが本当に上手。
ウルスラの張り切った背中を、皆で目をほそめて見送った。
ふたたび、地図に視線を戻す。
「柳の組合……、闇組織の者たちが、ふたたび散り散りにテンゲル国内、あるいは大河流域で姿を消しても、いずれは、捜査の網にかかり捕縛できます」
「……コルネリアは、なにか違う可能性に気が付いているんだね?」
エイナル様が、やさしいお声で問いかけてくださった。
「はい……。やっと、思い出したんです。鍾乳洞を蓋していた大岩の見覚えのない加工方法。……あれは〈熱応力破砕〉。西方諸国で使われる技術ですわ」
岩や石の表面を火で集中的に熱し、急に冷水をかける。
急激な温度変化が「熱応力」を発生させ、亀裂を入れたり、薄く剥離させたりする。
大河流域ではノミで削るのが一般的で、見かけない加工方法。
ノミを打つ音が出ず、加工は静かに行え、秘密のアジトづくりには最適な方法だともいえる。
「西方諸国とつながっているのか……」
「はい、恐らく。……あれだけの大規模な組織が、柳の組合だけで構成されているとは思えません」
「それで、西方に逃げる……、と?」
「可能性として。……ただ、そう考えると、危険なのは王都です」
「王都?」
「首魁、幹部……、そういった者たちを西方に逃がすため、王都で陽動の動きに出るでしょう」
「……火を放つか」
「はい……。鍾乳洞に油壺はひとつも残されていませんでした」
「オレが単騎、王都に駆け、急を報せましょう」
と、クラウスが立ち上がった。
早馬に出せる騎士は、コショルーへの急使で使い切っている。
比較的、体力の損耗の少ない衛士団は、馬の扱いがそこまでではない。
クラウスの判断も志願も理解できる……、のだけど。
「ビルテは全軍の指揮を執らないといけないし、ルイーセとメッテはコルネリア陛下の護衛が大事。エイナルは王配陛下だ。……いま、急使を務められるのはオレしかいません」
「……枢密院議長閣下に、申し訳ありません」
「オレは、コルネリア陛下の一騎士のつもりでおります。どうぞ、お気遣いくださいませんよう」
「はい。……とても、嬉しく思います。ただ、状況の可能性は無限にあります。王都に伝えてほしい内容は、まだ……」
「……座ります」
カッコよく立ち上がってもらったところを、大変申し訳ない。
エイナル様、ビルテさん。同級生の気安さは解かるのですが、そうあからさまに笑いをこらえたら、クラウスに悪いですわよ?
ルイーセさんのように我関せずを貫くか、メッテさんのように、やさしく肩をポンポンッて叩くくらいにしておきましょう。
わたしは、話題を変える。
「実は……、ちょうどコショルー兵が支流を下ってくるタイミングに、ぶつかっているのではないかと……」
皆の視線が、地図に落ちる。
「……湿地帯から逃げた闇組織の小舟が、小川をくだり、支流に出たところで……」
「ははっ。そう、うまくいくかね?」
メッテさんが、地図を睨みながら笑う。
「はい、楽観的観測です。……そもそも、バッタリ出くわしたとしても、ただの小舟の群れを『悪いヤツら』だと、コショルー兵が気が付いてくれるかどうか……」
「……いや、意外と闇組織の方が慌てるかもしれんな」
ルイーセさんが不愛想に呟いた。
「突然、鉄砲水で攻撃され、湿地帯の隠し港を暴かれ、そこに、コショルー兵が待ち受けていたら……」
「……パニックを起こし、攻撃を仕掛ける……、か」
と、ビルテさんが頷いた。
わたしは地図を指さす。
「そして、小川から支流に出ても、すこし遡れば、テンゲル水軍の基地が目と鼻の先。さすがに、そこは避けるでしょう」
「……なるほどな」
「つまり、闇組織の小舟は支流を遡れず、大河に出るしかない」
「小舟を放棄し、陸に逃れる可能性は?」
「そうなれば徒歩の逃亡。強制捜査以降の厳戒体制下ですので、必ず足取りを追えますし……、敵もそれが分かっているので、鍾乳洞のアジトを放棄しても小舟の確保を優先したのでしょう」
「ふむ……。陸に徒歩より、大河に小舟の方が追いにくいか」
「ですが、来ると分かっていれば、網を張って捕らえることもできます」
闇組織の小舟の群れは、支流沿いに王都に向かう陽動部隊と、大河まで出て西方に逃れようとする主力に別れると想定できた。
「……そして、西方に向かうなら、大河を遡り陸路で向かうか、あるいは大河を下って海に向かうか、それしか道はありません」
「うん。でも、陸路で西はないね」
と、エイナル様が片眉をさげ、自信ありげに笑われた。
「はい。陸路ということは、守りの堅牢なソルダル大公領を通るということ。陸上交易が盛んで関所が厳しく、密出国はほぼ不可能です」
「うん。……強制捜査直後で厳戒態勢が解かれていないのは、大公領も同じだしね」
「……つまり、闇組織の小舟、その主力は、わたしたちが今いる目の前の大河を通って、海に向かう可能性が高いと思われます」
ツーッと、地図上で指を動かした。
ルイーセさんが、その指先を睨んだ。
「……軍用高速船を並べて非常線を張るか。4隻ではやや心許ないが」
「はい。カリス襲撃時の乗組員たちの目撃証言から速度を推定すると、闇組織の小舟がここまで到達するのは今夜半」
「水兵だけでいけるか?」
「ふふっ。……そこは、剣聖様や無頼王女様、騎士団長様もいらっしゃいますから」
「……こき使ってくれるな」
「申し訳ありません」
帷幕に苦笑いが広がる。
だけど、皆さん、戦意は充分。
王都での陽動作戦は主力の逃亡の成否に関わらず、実行犯を捕らえるまで続くだろう。おそらく、無差別に放火の炎が上がり続ける。
当座は、王都のフェルド伯爵とゲアタさんに任せるにしても、最終的な鎮圧には騎士団が必要で、なるべく早く向かわせたい。
騎士団はこちらの対応に温存するため、休息を優先させたい。
逃亡してくる闇組織の主力は、わたしの信頼する最精鋭で迎え撃つ。
「ま……、やるしかねぇな」
と、メッテさんが気持ち良さそうに笑われた。
「女王陛下の思し召しだ」
当面の作戦を決定したところに、王都からの定時連絡が届いた。
書簡を持った騎士の手を握る。
「お疲れのところすみません! 折り返し、王都への急報をお願いします! 馬は乗り替えてください!」
ということで、急使の任がなくなったクラウス閣下にも、最精鋭チームに入ってもらえることになった。
わたしは、とても助かっているので、腹をかかえるのはやめてください、エイナル様。ビルテさんも。
枢密院議長で、歴戦の勇将ですよ?
定時連絡がこの時間に必ず来ることを忘れてカッコつけちゃったことくらい、なんの問題もありませんよ?
Ψ
風雲急を告げるなか、奇妙な平穏が陣を包む。
メッテさんは哨戒に立ってくださった。
エイナル様とビルテさん。それにクラウスは、休息を取る騎士団と国軍の督励に回ってくれている。
指揮官クラスが穏やかな顔を見せて回ることで、休息がはかどるらしい。
わたしは、緋布の天幕にもどり、定時連絡で届いた王国各地、また大河流域各国からの報告に目を通す。
護衛についてくださるルイーセさんを話し相手に、粛々と事務作業をこなした。
大河委員会は急ごしらえの組織ながら、有機的に機能している。わたしや大河院の助言をもとに、大河の増水をうまくコントロールしてくれていた。
「要するに、水位の上昇が遅かったのは、コルネリア陛下が考えていたより、大河委員会がうまく機能していた……、ということだな?」
「ええ……、そうみたいですわ」
鉄砲水テロではないかと、フェルディナン殿下を山岳国家群に行かせてしまった自分の杞憂に、苦笑いする。
雨期も中盤にさしかかろうとしており、僻地にいたるまで、すべての集計が届いた。
支流の上流などでの、こまかな水門の操作で大河への流量を制御している積み重ねが、想定よりもうまくいっていた。
「コルネリア陛下の指導力の賜物だな」
「……現場のみなさん、おひとりおひとりが、真剣に取り組んでくださっているお陰ですわ」
小さな積み重ねが、大河のうねりをも変える。
支流のそのまた支流に流れ込む、山奥のせせらぎに据えられた小さな水門……、というところまでは、当然、具体的な操作の指示を出せない。
だけど、大河流域に存在する何百もの水門が、ひとつの意志のもと、自律的に連携し、おおきな成果を上げていた。
書類にすれば数字の羅列で、しかも、ひとつひとつは、ちいさな数字だけど、わたしには感動的な輝きを放って見えた。
――わたしの考えを、会ったこともない水門操作の村役人たちが尊重し、大切にしてくれている……。
今までに感じたことのない感動が、胸の奥から湧き上がる。
感慨に耽っているところに、怪訝な顔をしたウルスラが戻ってきた。
「あの……、コルネリア陛下に会いたいという者が……」
「ん? ……お客様?」
「それが、カリス様からの書簡を持参しておりまして……」
ウルスラから書簡を受け取る。
「あら、なんだ。ジイちゃんじゃない」
「ジ……?」
平民の老爺が決して裕福ではない身なりの旅装で、わたしを訪ねて来たので、ウルスラは警戒していたらしい。
サジー酒の醸造場の親方。幼い日の母テレシアが、世話になった。
身内らしい身内のいないわたしのために『ジイちゃん』になってくれた。
――わたしを心配して、わざわざ会いに来てくれたのかな?
と、ウキウキする思いで、天幕のなかに通すように命じた。
本日の更新は以上になります。
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