203.冷遇令嬢は熱く語り合う
ブラスタ兵の着陣を待ち、ビルテさんを親善使として送る。
軍と軍が至近の距離で、それぞれ別の任務にあたることになる。儀礼を交し合い、友好関係を確立しておきたい。
そして、わたしの要請で出兵してもらったので、こちらから先に軍使を送るのは正しい外交儀礼だ。
この後、返礼使が来るはずなので、緋布の天幕に入り、正装のドレスに着替える。
「……私もかよ」
と、苦笑いのメッテさんにも、白銀のドレスにお着替えいただく。
「ブラスタからの返礼使ですもの。ダギス家のご当主としてお迎えされた方がよろしいでしょう?」
「ま、両国友好のため、ってヤツだな」
そして、返礼使を待つ間に、王都のフェルド伯爵に書簡をしたためる。追加で必要になる資材を、至急送ってもらうためだ。
わたしの手元をメッテさんがのぞき込んだ。
「……次から次に、よく考え付くな」
「ふふっ。必死ですから」
返礼使到着の先触れが届き、天幕の外に出て、エイナル様と並んで待つ。
「大丈夫、コルネリア? 眠くない?」
「とても眠いです」
「あ、そりゃそうか……」
「……正直、一斉共同捜査のときの睡眠不足が、まだ、こたえてます……」
「……あ、うん。あのときは、手伝わなくて悪かったね……」
「ふふっ。怨みますわよ?」
「ええ~? なにか穴埋めするよ?」
クスクスと笑い合えるくらい、あの頃のエイナル様とのすれ違いは、もう昔話だ。
「期待してますわね、エイナル陛下っ」
「ふふっ。なにがいいかなぁ……」
やがて、遠くに松明が揺らめき、返礼使の姿が見えた。
シュッとスリムな騎士が、淡い緑色を帯びた高貴な黄金色に輝く瀟洒な鎧兜姿で、供の者に天蓋のような傘をささせ、ゆったりと白馬を進ませている。
おそらく鎧と兜は、グリーンゴールド製の儀礼用のものだろう。
目を凝らすと、腰まで伸びたながい髪も、似た輝きのグリーンブロンドなので、髪色に合わせて作らせたものかもしれない。
わざわざ礼装を整えてくれたのかと、気を引き締めたとき、後ろに控えてくださるメッテさんのお声が皮肉気に響いた。
「はははっ。……やりやがったな」
「……え?」
「あれは、リエパだ」
「ええっ!?」
メッテさんに向けていた顔をブンっと振って、もう一度、目を凝らす。
王妃自らご出馬くださったという驚きより、体型への驚きが勝る。
――ほ、ほそっ……。
エイナル様も大きくあけた目を白黒させ、首がすこし前に出ている。
やがて、白馬が近付いてきて、慌てて威儀を正して表情を取り繕う。
メッテさんが、
――あんな美人はいなかったんだ。
と仰った、おおきなライムグリーンをした瞳に、清楚なお顔立ち。
ながい手足に、精緻な意匠の施された鎧兜姿がよくお似合いだ。
驚きを表しては失礼にあたると、微笑を保ちながら、白馬から優雅に降りられるリエパ陛下をお迎えする。
「ふふっ。コルネリア陛下の侍女様からお教えいただいたダイエット食。とても、よく効きましたのよ」
「そ、それは何よりでしたわ」
スッと姿勢を下げられたリエパ陛下は、わたしの耳元で囁いた。
「……すべて、コルネリア陛下のおかげ」
「い、いえ……、そんな」
思わず緊張してしまうくらい、お綺麗で、いい香りまでする。
「ふふっ。コルネリア陛下が、レオナス陛下を王位に就けてくださったおかげで、長年、口に含み続けた綿を、ようやく出すことができましたのよ?」
「……え?」
「あと、お腹に巻いていた綿も……」
や、やりやがったな……、とメッテさんと同じ気持ちだ。
「お食事が美味しくて、今度は本当に太ってしまいそうですけど」
「ふふっ。そのときは、ぜひ、ばあやのダイエット食でお励みください」
「あら、ほんと。そうさせていただきますわね」
リエパ陛下のご美貌は、前王政下のブラスタ宮廷が、いかに危険な場所であったかを雄弁に物語っていた。
常軌を逸した『擬態』で、無害で愚鈍に見せかけ、夫と自身の身を守りつつ、前王打倒の機を窺い続けたのだ。
メッテさんは愉快そうに笑っているけど、ご両親は前王に焼き討ちに殺された。
「ちったぁ、マシな国になりそうだな。リエパ」
「ふふっ。マウグレーテ殿下がテンゲルで、その身を明らかにしてくださったお陰ですわ」
「はははっ! コルネリア陛下のおかげってことだな」
ポケッと、リエパ陛下を眺め続けるエイナル様の太ももをつついた。
「あ、いや……、ビックリしてただけだよ?」
「ほんとですかぁ~?」
「ほんと、ほんと。コルネリアだって、ビックリしたでしょ?」
リエパ陛下とメッテさんと3人で笑い合ってから、天幕の中へとご案内した。
「素敵ですわね~、緋布の天幕……」
と、目を輝かせてくださるリエパ陛下と、テーブルをはさむ。
グリーンゴールドの兜を外されると、グリーンブロンドの髪がふわりと広がって、なお一層にお綺麗。
お茶を出してくれたウルスラも、息を呑んでいた。
流れるように優雅な所作で、お茶を口にされ、リエパ陛下は、わたしをまっすぐに見詰め、蕩けるような笑顔を向けてくださった。
「……万一、ブラスタの小麦畑が潰滅したら、三国水防協定、大河委員会への加盟、これらすべて、私が独断で行ったことになります」
「え?」
「レオナス陛下は何も知らなかったとして、私を罰し、それでも約定は約定であるとして、テンゲルとの友好関係は続き、レオナス陛下が王位を追われることもありません」
「……そ、そんな。レオナス陛下のご命令ですか!?」
「いえ……」
と、リエパ陛下は美しく微笑まれた。一点の曇りもない笑顔。
「……レオナス陛下はご存じありません。こちらは、本当に私の独断。……ですが、ポトビニスのヨジェフ陛下には、口裏を合わせてほしいとお願いしてあります」
夫を守ろうとする、あまりにも壮絶な覚悟に言葉を失ってしまった。
協定や条約が王妃の独断というのは、かなり無理のある『設定』だ。けれど、それで押し切らせようというのか……、あるいは、既に策謀が張り巡らされているのか。
ブラスタの宮廷闘争の激しさには、想像が追い付かない。
「コルネリア陛下、それに、エイナル陛下」
「は、はい……」
「私がいなくなっても、どうか、レオナス陛下のことを、よろしくお願いいたしますわね」
可憐で清楚な微笑み。なんの心残りも感じさせられない、透んだ微笑み。
エイナル様が、やさしく柔らかなお声で応えられた。
「大丈夫。コルネリアが、ブラスタの小麦畑を守り抜きますよ」
「あら、私ったら。……まるで、コルネリア陛下のことを信じてないようなことを申し上げてしまって……」
「いえ」
と、リエパ陛下に微笑みを向けた。
「見事なお覚悟に、感服いたしました。……きっと、レオナス陛下のご治政に、リエパ陛下はまだまだ必要」
「ふふっ。なにより嬉しいお言葉ですわ」
「ですから、ご自害などお考えにならないでください」
「あら……、尖塔に幽閉……、くらいかなって思ってたんですけど」
「え? あ、なんか……、ごめんなさい」
「リエパが自害なんかするかよ」
と、メッテさんが片眉を下げて笑った。
「どうせ、尖塔から王政を操り、レオナスの王政を助ける手配も済んでるんだろ?」
「まあ。マウグレーテ殿下ったら……」
リエパ陛下が、ほそくまっすぐな指を、紅く艶めく唇の前に立てた。
「……内緒ですわよ」
「カッ、相変わらず、喰えない女だな」
メッテさんが愉快気に笑い、ブラスタからの〈返礼〉は、つつがなく終わった。
ブラスタとはお互いに情報将校を交換し合って、連携を密にとる。
天幕のまえで、リエパ陛下をお見送りすると、メッテさんがボヤくように呟かれた。
「ま、気にすんな」
「あ、ええ……」
「……リエパは、ブラスタでも相当にイカれてるヤツだ」
「そ、そうでしょうね」
「ははっ。さすがに、言わなくても分かるか。……ただ、レオナスを守る覚悟は本物だ。小麦畑を守ってやろうぜ」
「ええ、それは、もちろん」
メッテさんも見送り、ビルテさんから復命を受け、天幕の寝室に入った。
ちなみに、親善使のビルテさんは、返礼使のリエパ陛下が無事にお戻りになるまで、いわば人質としてブラスタの陣にいてくれた。
「……ブラスタ陣中の雰囲気は悪くなかった。総じてテンゲルに好意的、士気も高く見えたな」
と、報告も受けている。
そして、エイナル様と『リエパ陛下の衝撃』を熱く語り合う。
「カーナと、どっちが〈強い〉かな?」
「うわぁ~! どっちでしょう!?」
「いずれカーナも王妃になったら、絶対、顔を合わせるよね?」
「ええ、ええ……、うわ、すごいことになりそうですわね! なんか、すごそう!」
などと、興奮気味に語り合ってしまうのだけど、眠気には勝てない。
「……エイナル様? 王配であっても、わたしのために犠牲になろうとはしないでくださいね?」
「うん。ボクはずっと、コルネリアの側にいるよ」
エイナル様のやさしげな微笑みに安心して、眠りに落ちていった。
なかなかに、衝撃的な夜だった。
翌早朝。誘導水路の丁張が始まり、工事が本格化する。
わたしはエイナル様の馬の前に乗せていただき、皆を激励して回る。
両脇には長柄の矛を握るルイーセさんと、鉾槍を肩に乗せるメッテさん。
すでに開削が進んでいる排水路も視察。
騎士団と国軍の大半を動員した人海戦術による突貫工事。なかなか活気に満ちているし、スピードも速い。
工事区域ごとに現場責任者の騎士から進捗の説明を受け、激励しながら進む。
そして、広い荒野を横断する排水路工事沿いに馬を駆けさせていただき、その先にある小高い丘に登った。
この丘が最大の難所。すでに木杭が打たれ、貫板がかかり、工事の準備は万端。まもなく着工。
ふり返れば、堤防は遠い。
元々はブラスタ側から溢れる水を大河に戻す「排水路」として設計していたので、この丘は計画に含んでいなかった。
けれど、想定とは水の流れが、まったくの逆になるので、この丘を越えて水を逃がさないといけない。
丘の向こうに広がるのは、背の高い葦が青々と生い茂る低湿地帯。
なかなかの広さがあり、遊水地として活用するに申し分ない。
さらに、湿地帯の向こうには、支流につながる小さな川が流れているはずで、水が溢れ出ても、そのまま流れていってくれる。
地形の確認を終えてから、
「……キレイですわね」
と、小雨の降りつづく、葦原を眺めた。
実際に目にするのは初めて。
エイナル様より背の高い葦が、風に揺れていた。
「うん。……久しぶりだね。こうして初めての景色に、一緒に目を輝かせるのは」
「ふふっ。ほんとうですわね」
と、背中を預け、エイナル様のお顔を見上げた。
おなじ方を向いて、おなじものを見て、おなじに目を輝かせている。
緊迫した情勢なのに、ふわりと温かく胸が満たされてしまった。
そして、2日後。王都のフェルド伯爵に頼んでいた、わたしの〈奥の手〉が大河を渡って到着した。
闇組織の卑劣な陰謀にふり回され、ただ排水路を掘らされたのでは悔しくてたまらない。
逆手にとって、民を栄えさせるのだ。
本日の更新は以上になります。
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