202.冷遇令嬢は土竜の執念を知る
堤防上に篝火を立ち並べ、斜面では騎士の掲げる何本もの松明が煌々と道をつくる。
軍用高速船の側面から板が渡され、次々に工作資材が降ろされ、堤防を越えて運び込まれていく。
荷卸しの指揮はクラウスに任せ、わたしはメッテさんの鉾槍が埋まった穴をのぞき込んでいる。
ややあって、穴からルイーセさんの足がもぞもぞと帰ってきた。
「……かなり深いな」
と、ルイーセさんが、ウルスラから手渡された亜麻布で、泥のついたお顔を拭われた。
「すみません……、無理をさせて」
「いや、構わん。坑道戦というヤツだ。私は得意だ」
と仰り、ふたたび穴に潜ってくださる。
坑道戦とは『土竜攻め』とも呼ばれる、攻城法だ。
目標とする城までトンネルを掘り、城壁を超えて中から攻め込んだり、城壁や城自体を崩したりする。
「……ルイーセは斥候として、どんな危地にも怯まず分け入り、結果として剣の腕が磨かれた。ここは任せておこう」
と、エイナル様も穴をのぞき込まれる。
穴の大きさは、小柄なルイーセさんが寝そべって、ズリズリと進めるくらい。
そこに、小さなランプと短剣だけを持って潜ってくださる。
念のため身体にロープを巻いてもらっているし、ルイーセさんのことは信頼しているけど、やっぱりハラハラしてしまう。
やがて、今度はメッテさんの鉾槍を持ち、後ずさりに這い出てこられた。
「お、すまんな」
「……メッテの鉾槍は、見た目よりずいぶん軽いな。今度、工夫を聞かせてくれ。興味がある」
「ははっ。剣聖様は貪欲だな」
と、メッテさんが笑われる。
ルイーセさんが少年のようなお顔を拭われた。
「……チョロチョロと水が流れ込んでいる。おかげで滑りがよくて助かるが、随分奥まで浸み込んでいる印象だ」
「そうですか……」
「今度は、いちばん奥まで潜る。……すこし時間がかかるが心配するな」
と、ふたたび穴に頭から身体を突っ込まれ、ズリズリと足が潜っていく。
ルイーセさんにつながるロープが、ズリッ、ズリッと穴の中に沈んでいくのを、ジッと見守る。
ロープはエイナル様が握られ、絡まったり引っかかったり、ロープだけで落ちていったりしないよう、慎重に送ってくださる。
そして、一定間隔で印がつけてあって、長さをひと目で測れるようにしてある。
ルイーセさんが戻られてから、体感で穴の角度を教えてもらえば、おおよそ穴の深さを知ることができる。
皆で見守る中、クラウスが姿を見せた。
「荷卸しを完了しました。……排水路建設中のビルテとも連絡が付いております」
「ありがとう。……まずは天幕を張り、騎士たちに休息を」
「はっ。……博士はすでに、誘導水路の設計に着手されています」
「分かりました。こちらが終わり次第、わたしも向かいます」
クラウスが騎士たちの元に戻っても、ロープはまだ地中に吸い込まれ続けていた。
「……相当に深いな」
メッテさんが、呻くように呟いた。
固唾を呑んで見守り、自然と眉根が寄る。
間違いなく、ギーダはこの穴をひとりで掘った。恐らく、最初は夜陰にまぎれて。
それから、ひとり穴に這いつくばり、土をかき出し、少しずつ少しずつ掘り進めた。
夜間、闇組織の小舟から補給を受けつつ、ジッと穴の中に潜み続け、泥だらけ、土だらけになりながら地中奥深くに進んだ。
まさに土竜のような生活を、長期間にわたって送ったはずだ。
なんという執念。
闇組織に脅されていたのか、わたしを深く怨んでいたのか。
それとも、ほかに何か理由があったのか。
やがて、ロープの動きが止まった。
ルイーセさんが、穴のいちばん奥に到達したのだ。
ロープの印を確認し、間違いのないように記録しておく。
ピンピンッと、エイナル様がロープを引いて、ルイーセさんに合図を送る。
ややあって、ルイーセさん側からも、ピンッとロープが軽く引かれた。
戻ってこられるルイーセさんにロープが絡まってしまわないよう、今度はエイナル様がゆっくりとロープを引いていく。
戦場で培われた、阿吽の呼吸というものなのだろう。
ロープが張り過ぎると、ルイーセさんの身体に負担になる。
指先に集中され、慎重にロープを引いていかれる。
まあ……、正直に言えば、集中されるエイナル様の凛々しい横顔に見惚れていた。
松明の揺らめく明かりに照らされ、本当に美しく、神話の一場面を見ているかのようだった。
もちろん、そんな場合ではないし、ルイーセさんが心配なのも本当なので、顔が緩まないよう、奥歯を堅く噛みしめる。
やがて、ルイーセさんの足がピョコッと穴から出てきて、ホッと胸を撫で下ろす。
ウルスラが新しい亜麻布をお渡しして、ルイーセさんは完全に泥だらけになったお顔を、グイッと拭われた。
手慣れたその仕草が頼もしかった。
「……途中、ちいさな横穴がいくつもあった」
と、ルイーセさんは記憶が鮮明なうちにと、穴の構造を描き止めてくださる。
そのスケッチをのぞき込み、唸った。
やや斜めに掘り始められた穴は、三段階に分けて、真下に向かう。
逆立ちするような姿勢になって、狭い穴を最深部まで降りてくださったルイーセさんにも感謝と驚愕を覚える。
だけど、それ以上に、知的好奇心をくすぐられるほどに、完璧な構造。
「相当に考えられてますわ……」
なるほど! と、膝を打ちたくなる。
水位が上がり切る前から、少しずつ雨水が流れ込み、堤防の根本付近から基礎部分にまで、ジワッと浸透していく。
地盤の固いこの区域でも、ゆっくりと水を浸透させることで、ふわふわにほぐされていく。
やがて、水位が穴を完全に覆う高さに達したら、堤防は水圧に耐えきれず、一気に崩落するはずだ。
つまり、洪水が起こせる水位になるまで堤防は崩れず、それまでに基礎を入念に破壊しておく。
まさに、執念の破壊工作。
わたしと狷介博士の研究を超えていた。
わたしがお母様から授けられた学問は、民の生活に役立つ学問。民に仇なす技術には発想が及びにくいのだと、改めて感じる。
――民の生活を守るためには、どう攻撃されるのか、どう脅かされるのかも考えていかないといけないわね……。
とはいえ、感心し、反省している場合ではない。
スケッチから顔をあげた。
「いまから堤防の基礎部分の強度を回復させることは不可能です。決壊は不可避として、排水路の建設に全力をあげます」
堤防を登り、夜の荒野を見渡す。
シトシトと雨の降り続く中、ブラスタとの国境沿いには篝火が立ち並び、ビルテさんの指揮で夜通し排水路の開削工事が行われている。
わたしの立つ地点からあそこまで、水を誘導する水路を建設する。
念のため、夜が明けたら、ほかにも同様の穴が堤防に穿たれていないか、探索隊を出すけれど、おそらく穴はひとつ。
これほどの執念の穴を、いくつも掘れるだけの技師は確保できないはずだ。
泥だらけにさせてしまったルイーセさんには、まずは天幕で沐浴してもらう。
わたしは、ビルテさんと合流し、本営を統合。
帷幕を張り、正式に幕営を開いた。
作戦全体の指揮は、騎士団長兼大将軍であるビルテさんに執ってもらう。
誘導水路と排水路の開削工事を一元的に管理する指揮命令系統を確立し、工事区域ごとに責任者を定める。
排水路工事の現状を確認させてもらい、修正箇所を指示する。
狷介博士が立案してくださった誘導水路の設計図面をビルテさんたちと囲み、施工手順を確認。
まずは崩落する堤防の土砂を受け止め、水と一緒にスムーズに流さなくてはいけない、非常に特殊で高度な設計。排水技師たちも交え、慎重に検討を重ねる。
ただ、図面を現場に落し込んで水糸を張る、丁張の作業は日が昇るまで出来ない。
工事の基準線となる水糸は正確に張らないと、工事全体が狂う。
なので、カルマジンから率いてきた騎士たちには夜明けまで休息をとってもらい、その後に着工とする。
クラウスは衛士団の精鋭を率い、周辺の警備と、聞き込み。もしかすると、何かを目撃した住民がいるかもしれない。
限られた時間での一大作戦。
入念な軍議を済ませ、帷幕を出ると、目が点になった。
「あっ、これを持ってきてたんだ……」
わたしとエイナル様のために組み上げられたのは、大きな緋布の天幕。
篝火に照らされ、実に豪華で瀟洒。
メッテさんとイグナス陛下の面会にも使った、移動宮殿と呼びたくなる天幕だ。
隣に立つビルテさんが、目をほそめた。
「いいではないか。女王の威厳を現すのに、これ以上のものはないと思うぞ?」
「……ちょ、ちょっと、はしゃいで見えませんかね? 工事現場なのに……」
「はっは。どうせ、後ろ暗い者たちは、どこか闇の奥で息を潜め、こちらを見詰めている。女王の優雅な余裕を見せつけてやればいい。……お茶会でも開くか?」
「もう……」
と、そのとき。ブラスタの国境側に、いくつもの松明の明かりが見えた。
馬蹄の音が響き、規則正しい明かりの隊列は、小麦畑をかき分けるようにして、こちらに向かっている。
「……ブラスタの兵も到着だな。コルネリア陛下、仮眠はしばらく待ってくれ」
「ええ、迅速な対応。頭がさがりますわ」
ブラスタのレオナス陛下には、小麦畑の周辺に土嚢を積んでもらうよう出兵を要請していた。
ギーダの、そして闇組織の、卑劣な堤防破壊テロを阻止する戦いが始まる。
本日の更新は以上になります。
お読みくださりありがとうございました!
もし気に入っていただけたり、おもしろいと思っていただけたなら、
ブクマや下の☆☆☆☆☆で評価していただけるととても励みになります。