201.冷遇令嬢は呆気に取られる
まだ早朝のうちに王宮に入った。
汗だらけの服をウルスラに着替えさせてもらい、正装のドレスを身にまとう。
謁見の間に赴き、エイナル様と玉座を並べた。
――陛下と陛下になって……、初めての王宮ですわね。
と、視線を交し合えたのは一瞬のこと。
在都の枢密院顧問官が勢揃いしており、その中央でナタリアの父、フェルド伯爵が片膝を突いた。
緊急勅令で託していた、王都の治安維持の任を、改めて命じる。
「フェルド伯爵。ご長女、ナタリアの働きには目覚ましいものがあります。どうぞ、ご令嬢に勝るお働きを」
「ふふっ。……コルネリア陛下と宮中伯カリス閣下に鍛えられたナタリアに、果たして私が及びますものかどうか」
相変わらず飄々と、人を喰った物言い。
だけど、それが頼もしい。
リレダルとの偽造緋布の補償交渉を大過なくまとめ上げ、ノエミの留学にも陰ながら骨を折ってくれた。
繊細な剛腕だ。
お腹周りもぶ厚くて丸い、大柄な体躯を鷹揚にたたみ、四角い顔をさげた。
「精一杯、娘ナタリアの名を汚さぬよう、務めを果たさせていただきます」
「父娘で、フェルド伯爵家の英名がますます上がることを期待いたしますわ」
そして、フェルド伯爵を伴い、衛士団を督励して回る。
騎士団は出兵済みで、連絡諜報を担う斥候の騎士を残し、王都にはほぼ不在。
国軍も多くをビルテさんが率いている。
エイナル様と、随行するクラウスも交え、フェルド伯爵と打ち合わせてから、メッテさんを呼んだ。
「……やはり、王都が手薄なのが気になります。申し訳ありませんが、ゲアタさんをお借りできますか?」
「承知した。好きに使ってやってくれ」
ゲアタさんには残ってもらい、王都の無頼と、港湾の荷役人夫たちを率いてもらう。
「王都の治安維持に、ご助力いただければ幸いです。必要な日当は王宮から支給させていただきます」
「豪雨災害時のエルヴェンと同様に……、ですね?」
「その通りですわ。……ただ、今回の脅威は水ではなく、人です」
「かしこまりました。すぐに取りまとめます。安心してお出かけくださいませ」
「ふふっ。物騒な〈お出かけ〉ですわね」
「どうぞ、よき旅を」
ゲアタさんが、ニヤリと笑ってくれた。
ふたたび略装のドレスに着替え、港に向かう。
ルイーセさんの指揮で、すでに荷物は荷馬車から軍用高速船に積み終えている。
「あら……?」
「……どうした?」
あたりを見回すわたしに、ルイーセさんがふり向いた。
「えっと……、あの髭の騎士は……」
「ああ、ゼンテか?」
「あ、はい」
「ゼンテは、カルマジンに置いてきた。……どうやら、あの髭ヅラに似合わず、カリスを守りたいらしい」
「あら」
「襲撃で負った火傷の手当てに握った、カリスの手が忘れられないんだそうだ」
「あらあら」
「……まあ、ふつう騎士は後詰めを嫌がるものだからな。理由はどうあれ、やる気のあるヤツを残しておくほうが安心だ」
「ええ、そうですわね」
「どうせ、口説いたりはできないだろうが。……髭ヅラに似合わず、シャイなヤツだからな、ゼンテは」
ルイーセさんの不愛想な物言いに拍車がかかっていて、どうやら髭を伸ばした男の人は好まないらしい。
エイナル様と目を見合せ、クスッと笑いながら、軍用高速船に乗り込む。
高速船は船体がちいさい。
4隻に分乗して、王都から出港した。
ラヨシュたちの小舟の行方が分からないことも気になっている。
場合によっては、大型軍船を急派してもらう可能性を、フェルド伯爵に伝えてある。
出港の前、ひと悶着あった。
「女王陛下を描こうという画家が、別の船に乗ってどうせよというのだ!?」
船には定員というものがある。
不愛想なルイーセさんが仏頂面を浮かべて、騎士のひとりを差し替え、サウリュスをわたしの乗る船に乗せてくれた。
メッテさんが、笑う。
「剣聖様も、エイナル陛下も、クラウスの旦那も、私も乗ってるんだ。降ろされた騎士は不満だろうが、コルネリア陛下の護りに問題はないだろ」
「それは、そうだが……。画家殿のことを、すっかり忘れていた私が、自分に残念なだけだ」
という、ルイーセさんを、みんなで宥めた。
なんというか……、あの存在感しかないサウリュスのことを失念するとは、ルイーセさんも豪気だ。
同行してくださる狷介博士のことはお忘れでなかったのに。
雨がシトシト降り続く大河を、下流に向けて快調に下っていく。
カリスが襲撃された後、軍用高速船は大幅に改良した。船体全体に薄い鉄を張って、油壷攻撃の炎から防御。
さらに、太い槍をボウガン状に飛ばす大弓を4門備え、小舟なら一撃で沈められる。
それでも警戒は怠らず、哨戒の騎士が油断なく目を光らせてくれる。
皆が徹夜で駆けた中、申し訳ないことに、エイナル様とルイーセさんから休息を勧められた。
「……現地に到着したら、コルネリアの目と感覚が頼りになる」
「そうだな。狭い船室だが、すこしでも身体を休めておいた方がいい」
ここは、素直に甘えることにした。
ある程度の範囲は絞り込めているものの、豪雨災害時、そして、ブラスタの堤防補修時とは、格段に難度が違う。
けれど、まずは目視で異変を発見したい。
集中力は不可欠だ。
「儂は荷馬車でぐっすり寝させてもらいましたからな! 貴重な船旅を楽しませてもらいます」
と、お元気な狷介博士を船橋に残し、船室に入らせてもらった。
波を切る音が大型軍船とは違うものの、窓を滴る雨水の情景はおなじ。
「……昨年の今頃は、コショルーに向かって駆けておりましたわね」
「そうだね。アッという間に1年が過ぎた」
と、ベッドの上で膝枕をしてくださるエイナル様が、わたしの髪を撫でる。
「サジー酒の醸造所の親方に会って……」
「ふふっ。……コルネリアの『ジイちゃん』だね?」
「そうですわ。ジイちゃん……、元気にしてるかな……」
ポツリ、ポツリと思い出話に微笑み合い、そのまま、まどろみに落ちていく。
昼過ぎ。エイナル様に、やさしく起こしていただくまで、夢も見ずに眠っていた。
軍用外套を着せてもらい、雨のそぼ降る甲板に出た。
「よう! 起きたか。どうだ、スッキリしたか?」
と、メッテさんが笑顔で迎えてくれる。
「はいっ! お陰さまで」
「イグナスが、グジグジと私の肖像画を握り締めてたって辺りまで来たぞ!」
「はい……、船首に立ちます」
言い方……、と苦笑いしながら、甲板を進む。
両脇をメッテさんとルイーセさんが固めてくれ、わたしは堤防に目を凝らす。
堤防は草が青々と生い茂る、土堤。
草の根は、天然の網になって土の粒子を固く結び付け、雨風による堤防表面の浸食を防いでくれる。
増水時には、草そのものがクッションの役割を果たし、水流が堤防の土を削り取るのを食い止めてくれる。
生い茂る草は、堤防の強度の証でもある。
ただ、いまは破壊工作の痕跡も覆い隠しているはず。
手元に図面を持ち、目視と見比べながら、草の根元を思い描く。
船尾には狷介博士。
騎士たちも目を凝らしてくれる。
とにかく、かすかな違和感でも、いったん船を停めて確認する。
見付かるまで、何往復でもする。
堤防の向こう側では、ビルテさんが排水路の開削を始めてくれている。
破壊箇所を特定し、そこから排水路に水を誘導する水路を、早急に築きたい。
ブラスタとの国境まで至り、折り返す。
ジッと目を凝らす。
あたまの中では、堤防の構造と、ブラスタ側の小麦畑までの距離、そのほか様々な要素を計算し続けている。
さらに、折り返す。
三往復して、四往復目を下り始めたころ、雨雲が茜色に染まり始めた。
――今日は、無理だったか……。
夜間は、目視での確認が難しく、襲撃にも備えなくてはならない。
より大変になるけど、松明を頼りに堤防の上を徒歩で確認して回ることにしている。
今日は切り上げようかと思ったとき、雨の中だというのに、わたしの側で木炭を走らせていたサウリュスが首を傾げた。
「……これは、なにをしている?」
「え?」
知らずに付いて来ていたのかと、吹き出しそうになるのをこらえ、目的を説明する。
サウリュスが、ますます不思議そうな顔をして、首を傾げ、堤防を指さした。
「……あそこだけ、草の色が違うではないか」
「停めてください!」
わたしの声で、船が急停止する。
「え? え? どこですか?」
「だから、あそこ……、見て分からないのか?」
「見て分からないから、聞いてるんです」
陽が落ちようとしている。すこし、焦っていた。
メッテさんが、苦笑い気味に、サウリュスに声をかけた。
「……サウリュス殿。申し訳ないが、その色が違うというところを、まっすぐに見て、それから指さしてくれるか?」
「ん? かまわんが……」
「ふふっ。……珍しく、コルネリア陛下がハッキリとお焦り遊ばされている。はやめにやってくれると助かるのだが」
「あ、ああ……」
と、サウリュスが堤防の一点を見詰め、長い腕をまっすぐに伸ばして指さした。
わたしも身を乗り出して、その場所を見詰めようとしたとき。
外套を脱ぎ捨てたメッテさんの、スタイルのいいお身体が、弓なりに大きく後ろにしなった。
右手にお持ちの長柄の鉾槍が、まっすぐ後ろに引かれ、次の瞬間、お身体の全体が前に大きく跳ね返る。
ながい銀髪が雨滴を飛ばして広がり、薊の刺青の映える右腕から、鉾槍が堤防に向かって放たれた。
呆気に取られ、堤防に目を向けると、長柄の鉾槍が土堤に深く突き刺さっていくのが見えた。
「す、すご……」
「サウリュス殿……。あそこでいいか?」
と、メッテさんが涼しげな表情で、額に張り付いた髪をかき上げた。
「あ、ああ……、そうだが……」
「だ、そうだ、コルネリア陛下」
「す、すごいパワーですね……。鉾槍の柄が完全に埋まって、見えなくなってます」
「はははっ。私は、そんな馬鹿力じゃねぇよ。ありゃあ、堤防に穴があいてるんだ」
「え? 確定じゃないですか」
急いで、軍用高速船を堤防に寄せてもらう。
『私だって、出来るもん』
という顔をしたルイーセさんと、メッテさん、それにエイナル様と一緒に降ろした小舟に乗り込む。
着岸し、エイナル様におんぶしていただいて堤防にあがる。
メッテさんの鉾槍が埋まったのは、かなり大河の水面に近い位置。
こんなに低い位置なのは想定外。
また、ギーダに裏をかかれたかと、苦笑いする。
そっと手を伸ばすと、鉾槍の開けた穴があって――、
「布です……。布の上に土を張って、草を植えてカモフラージュされていました」
サウリュスも、メッテさんも、異能が過ぎると、わたしが唸ったら、
「はははっ! コルネリア陛下の異才には敵わねぇよ!」
と、メッテさんに笑われた。
だけど、陽が落ちる寸前、今日の内にテロの決行箇所を見つけ出せた。
ただちに、対策の検討を開始した。
本日の更新は以上になります。
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