200.冷遇令嬢はひた走る
軍用外套のフードを目深にかぶる。
耳元では雨粒が厚手のフードを打つ音が響き、足元からは馬蹄の音が鳴り響く。
だけど、雨音はちいさく、顔を打つ雨も目を開けているのに困るほどではない。
雨量が少ないのは、いまは天の恵み。
やがて、雨雲の向こうで陽が沈み、松明が灯される。
行軍は荷馬車も連ねた大掛かりなものであるし、スピードを出すので馬蹄の音もけたたましく鳴り響いている。
決して隠密行という訳ではないけど、松明の量は最低限に絞ってある。
わたしの目では、先を行く外套を羽織ったルイーセさんの背中が、ぼんやりと見える程度の明るさでしかない。
だけど、わたしの右を護るメッテさんは意に介される様子もない。
「はははっ! 私が何度、闇討ちにあったと思う? たとえ真っ黒に塗った壺を投げ付けられたって見落としはしねぇよ」
「まあ……」
「38回です、闇討ち」
と、左を護るゲアタさんが、飄々とした調子で言った。
途端に、メッテさんがカハッと笑う。
「ゲアタ、数えてるのかよ?」
「……親分を、お嬢様と呼んでいた頃から数えております」
「はははっ! 私は怨まれてるな、おい」
さすがに、苦笑いを返すしかない。
闇討ち……、と言えば、わたしはデジェーが寝室に忍び込んだときくらいかな? と、首を傾げる。
「……ボクは、15、6回ってところかな?」
「エイナル様……、張り合われてます?」
「ふふっ。いや、そうじゃないけどね」
「大公世子も大変だな。……そこいらの王族なんかより、よほど要人だからな」
と、メッテさんが楽しげに首を振った。
雨音はちいさく、軽やかな応酬が続いて、これが最速で駆けている行軍であることを忘れそうになる。
それだけ、戦慣れした一騎当千の強者たちに護ってもらっているということだ。
わたしは君主として、武の者にも恵まれてきた。
わたしの剣聖様、ルイーセさんをはじめとしたリレダルから譲り受けた騎士団に、どれほど助けられてきたことか。
そして、メッテさん、ゲアタさん。無頼の衆にも豪傑は多い。
夜闇を切り裂いていくような行軍にも、わたしが不安を覚えることはない。
エイナル様の頼もしい胸板に背中を預け、頬を打つ雨滴を楽しみながら、皆さんが叩く軽口にクスクス笑っていられる。
やがて、かつての岩場を前に小休止をとった。
女性陣が幌付きの荷馬車に入り、外套を脱ぐ。
「ぷはっ。生き返るな」
メッテさんは白のタンクトップ姿になられて、さらに、それも脱がれる。
蒸し暑いのに、汗で身体が冷えている。
ウルスラが、わたしの身体を拭いてくれている間も、スタイル抜群のメッテさんをチラチラと見てしまう。
ランプの薄明りに照らされて、ほんとにお綺麗。
ルイーセさんが、グイッと、メッテさんに不愛想な顔を寄せた。
「……ウチの旦那にちょっかいを出してみる気はないか?」
「はあ?」
「一度くらい、やきもちを焼いてやりたいのだが、なかなか旦那を目移りさせる女が現われなくて困っている」
「はははっ! 剣聖様の旦那に手を出すなんざ、命がけにも程がある。ほかをあたってくれ」
「そうか、残念だな。……ゲアタはどうだ?」
気が付くと、ウルスラが耳まで真っ赤にして、笑いをこらえていた。
――笑ってもいいと思うわよ?
と、言ってあげるべきか悩んでいる間に、お着替えタイムは終了。
サラサラの服に着替えられて、すこしサッパリ。どうせ、すぐ汗だらけになるけど。
屋根と敷物だけの簡易天幕の下で、携行食をいただいて腹ごしらえ。
パプリカを効かせた極太ソーセージと、チーズを練り込んだ堅焼きパンをいただく。
さすが、ばあやの作。とても美味。
パプリカは風味付けだけでなく、防腐効果も高める。カロリーと塩分を同時に補給できて、行軍の携行食としては最適だ。
ウルスラと並んでいただき、ヒソヒソ話。
「……どうだった? クラウスの背中」
「え、ええっ~? き、聞かれます? そんなこと……」
「ふふっ。だって、気になるじゃない」
「……ちょ、勅命ならお答えしますが」
「じゃあ、勅命っ!」
「え、軽っ……」
「ふふっ、いいじゃない。教えてよぉ。……エイナル様のときと、違った?」
「え……、よ、よく覚えていらっしゃいますね……」
「だって、わたしの旦那様だもの」
ブラスタとの国境地帯。測量に行ったときに、エイナル様には近隣住民の様子を見に行っていただいた。
そのとき、ウルスラには初めて見る新しい景色に目を輝かせてもらいたくて、エイナル様に連れて行ってもらった。
「……エ、エイナル陛下に乗せていただいたときは、ゆっくりでしたし……」
「そっか~、クラウスにはギュッ! って抱き付かないといけないかぁ」
「も、もう……。からかい過ぎですよ~、コルネリア陛下~」
「クラウスはねぇ、エルヴェン攻略戦で副将を務めて武功をあげた、歴戦の勇将でもあるのよ?」
「あ~、道理で……」
「ふふっ。背中が立派だった? 広かった? 分厚かった?」
「あっ……、も、もぉ~」
などと、顔を真っ赤にしたウルスラを愛でているうちに、ご飯タイムも終了。
――そういえば……。わたし、エイナル様の馬の後ろに乗せてもらったことがないわね……、たぶん。
と、今さらながらに気が付いて、今度、晴れた天気のいい日にお願いしてみようと心に決める。
前に乗せていただくのとは、また違った景色が見えるのだろうかと、胸が高鳴った。
ふと、荷物が満載に積まれた荷馬車の隙間から視線を感じて、ギョッとする。
サウリュスが長い手足を窮屈そうに折りたたんで、木炭を走らせていた。
――雨だものね……。だけど、熱心ね。
と、苦笑いしてから、エイナル様の馬の前に乗せていただいた。
ここからは、松明の数をさらに絞り、部隊を三手に別ける。
クラウスには街道で待機する部隊を率いてもらい、荷馬車を守ってもらう。
――ジッとしてる間も、ウルスラはピタッと抱き付いてるのかしら……?
などと、にやけながら、クラウスたちと別れ、わたしとエイナル様の部隊は、メッテさんとゲアタさんに護られながら岩場に向かう。
そして、ルイーセさん率いる部隊が、チーズ屋の主人が証言した『攻撃部隊の本拠地』に突入する。
馬には口に枚を含ませた隠密行。枚とは、いななきを防ぐ木製の馬具だ。
メッテさんたちも口をつぐみ、馬蹄の音にも気遣いながら、夜闇を進む。
やがて、見覚えのある岩場に到着し、松明も消して夜明けを待つ。
日の出と同時にルイーセさんたちが急襲し、もしも敵を逃がせば、わたしたちの部隊が捕えるという布陣だ。
音を立てないよう気を付けながら、大きく息を吸い込んだ。
東の雨雲がわずかに白んだ瞬間、遠くで馬蹄の音が響き、雨の中、小鳥が飛び立つ羽音がする。
ルイーセさんが突入した。
グッと両拳を握りこむ。けど、背中に感じるエイナル様の胸板に気配の変化はない。
メッテさんも従容と構えられたまま、小鳥の飛び立った方角を静かに見詰めていた。
そ~っと、拳をひらく。
やがて、太陽は姿を見せないけれど、雨雲の半分くらいが白んだころ、ルイーセさんが単騎、姿を見せた。
「まあ……、予想しなかった訳ではないが、もぬけの殻というヤツだ」
「そうですか……。ご苦労さまでした」
「だが、面白いものを残していた」
と、ルイーセさんに案内されて、小川の方に馬を進めてもらう。
雨が川面にちいさな輪をいくつもつくるなか、かなり大きな岩が転がされていた。
ただ、中がザックリとえぐられていて、重さは軽そうに加工されている。
「……この岩を蓋にして、隠していた」
と、馬を降りたルイーセさんが、岩のあったであろう川縁を松明で照らした。
見覚えのない加工方法に気を取られていたけど、松明の方に顔を向け、途端にわたしの瞳が輝いた。
小川の水が流れ込む洞窟。松明の炎が乳白色の幻想的な景色を照らし出していた。
「わぁ……、鍾乳洞ですわね」
「ただの洞窟と聞いていたが……、風趣を解さぬヤツらだ」
「ええ……、とてもキレイ……」
「……中に入れる」
「ええっ! 本当ですかぁ!?」
「ふふっ……」
と、ルイーセさんが、めずらしくハッキリと笑い声を漏らした。
「……調子が狂うな。この中が、敵の攻撃部隊とやらの本拠地だと、証言を得ていたのだろう?」
「あ、なんか……、すみません」
初めて見る景色に、ただ目を輝かせてしまっていた。ちいさく肩をすくめる。
馬を降り、鍾乳洞のなかに進むと、外から見るより遥かに広い。
小川の水は、幅広の地下水路になって奥まで続いていて、その縁にある狭い鍾乳石の小道を、足を滑らさないように気を付けながら慎重に歩く。
当然のことながら、わたしの腰はガッシリとエイナル様がつかんでくださっている。
身長差があるのに、無理な姿勢を取らせてしまって申し訳ない。
途中、小道から枝分かれした横に逸れる道の方に進むと、開けた場所に出て、頭上からは微かに陽光が降り注いでいた。
恐らく、地上から見ると、なんてことのない岩場の裂け目。
その下に、壺を焼く窯があった。
――こんな空気の薄いところで、危険なことを……。
と、眉根が寄るけど、側に薪が積まれていて、さらに素焼きの欠片が散乱している。
どうやら間違いない。
欠片を拾い、カーブの形状から〈油壺〉の一部であることを確認した。
そして、小道に戻り、鍾乳洞のいちばん奥まで進んだ。
ながい年月をかけて垂れ下がったであろう、無数のつらら石が幻想的に輝く、広い地底湖に、たくさんの小舟があった。
ルイーセさんが、小舟に飛び乗られる。
「……これに、見覚えは?」
と、持ち上げてくださった、糸状の塊。
「……わたしが改良方法を伝えた、ラヨシュたちの網ですわ」
小舟はラヨシュたちのもの。
そして、柳の組合が、この場所に小舟を乗り捨てた意味は明らかだった。
「カリスを襲撃した小舟……、きっとより船足の速い小舟に乗り換えたのですわね」
「恐らくな……」
と、ルイーセさんが手にしていた網を舟底に、そっと丁寧に戻してくれた。
わたしが改良に関わった品ということで、敬意を表してくれたのだろう。
そして、ラヨシュは、漁師であることも、ここに捨てて行ったのだ。
キュッと、口を結んだ。
あの屈託のない笑顔が魅力的な、褐色の肌に白い歯をした青年は、……わたしの敵だった。
「いえ……、民の敵ですわね」
誰に言うでもなく呟くと、その場にいる皆が険しい表情で頷いてくれた。
ラヨシュたちの行方を、いまは追えない。
急ぎ、鍾乳洞を出て、街道に戻る。
そして、テロの決行地点に向かうため、まずは王都を目指し、ひた走った。
――ウルスラにも見せてあげたかったわね……、鍾乳洞。
すべての闇を晴らし、美しく幻想的な光景に、心からただ感動できるようになってから、もう一度、訪れよう。
顔を打つ雨滴に、険しく目をほそめた。
本日の更新は以上になります。
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