199.冷遇令嬢は行軍を開始した
チーズ屋の主人は、フランシスカを尋問した部屋で待たせているとのことだった。
エイナル様と一緒に再審庁に入り、裏手にある燻製小屋を視界から遠ざけるようにして、そのまま部屋へと向かう。
いまは、フランシスカの顔をまともに見れる気がしない。
リサ様やばあやから聞く限り、フランシスカは自分が名門侯爵家の令嬢だと、いつも鼻にかけたふる舞いをしていたらしい。
そういう性情だとはいえ、貴族籍を剥奪され、獄に落ちてなお、
――私は女王コルネリアの妹なのよ?
と、いわば獄中仲間に自慢する神経は、到底理解できるものではない。
まして、わたしだ。
自分が散々、虐げてきたわたしだ。
――お姉様が、テンゲルの女王に即位できたのは私のお陰でしょ!?
思い出すだけでも腹立たしい。
フランシスカは祖母レナータとは違う。自分の敗北を認め、受け入れている。それだけが、わずかな救いだ……、と思っていた。
それが、まるで、わたしを自分のアクセサリーであるかのように利用して、自分は特別だと誇って見せるとは。
それも、囚人を相手に。
「……厄介な娘だね」
と、エイナル様に気を使わせてしまうのも申し訳ない。
そう、世の中には〈厄介な人〉がいることも知っていて、そういう人にも、どうにか社会と折り合いを付けながら、笑顔で暮らしてもらいたい。
女王として取りこぼしたくはない。
フランシスカへの憤りは、完全に私情だ。
わたしが即位以来、一度も問うたことのない罪、〈女王不敬罪〉に問うべきかどうか悩んでしまうのも、公私の別がついてない気がしてしまう。
扉のまえで立ち止まり、大きく深呼吸をした。
これから会うのは大切な証人だ。
キッカケはどうあれ、長い沈黙を破り、わたしを頼って証言しようとしている。
心を乱している場合ではない。
再度、合流してくださったメッテさんが、申し訳なさそうに頭をかいた。
「……妹君の話を聞かせたのは余計だったな」
「いえ。チーズ屋の主人から突然聞かされなくて良かったですわ」
「ん。……そうか」
投降者の尋問はゲアタさんが担当中。
出兵準備に奔走中のルイーセさんに代わって、メッテさんが護衛に付いてくださる。
「……ボクがいるんだから、大丈夫なんだけどね」
と、苦笑いするエイナル様に、メッテさんがニヤリと笑う。
「なにを仰います、王配陛下。陛下も、護衛対象でございましてよ?」
「ふふっ。それは心強い」
「おふたりは国の宝。大河の宝。身体を張って護衛させていただきますことよ?」
おどけるメッテさんに、頬を緩める。
呼吸を整えてから、部屋に入る。
緊張からか、闇組織への恐怖からか、小刻みに身体を震わせる主人の前に座った。
フランシスカのときと同様、非公式な面会になる。
おなじ机を挟むことを許してある。
奥さんの同席も許したのだけど、それは主人が拒んだそうだ。
自分の犯した悪行を、奥さんに聞かせたくなかったのかもしれない。
本気で告白しようという気持ちの表れだと受け止めている。
「……わたしに話があると聞きましたわ」
できるだけ、やわらかな声を心掛ける。
出兵が迫る中とはいえ、わたしが焦って、ふたたび主人の心を閉ざさせたのでは、フランシスカに嫌な思いをさせられた甲斐がないというものだ。
「妻と子どもを……」
と、ボソリと言った主人に微笑みかける。
「ええ、必ず守ります」
「……王都の、無関係な民を……」
「え、ええ……、守りますわ」
「お約束を……」
「……分かりました。必ずや守り抜きますわ」
「こ、殺すのです……、無関係な者を」
「……どういうことかしら?」
驚きと困惑を押し隠し、穏やかに尋ねた。
「……沈黙の掟を破れば、無関係な者を殺します。お前のせいで死んだと……」
「それは……」
「そして、その者が、どういう家族に囲まれ、どういう人生を歩み、どういう将来が待っていたか、……掟を破ったお前が奪ったのだと、耳元で囁き続けるのです……」
眉根が寄る。悪趣味にも程がある。
「最後に、次は家族だぞ? ……と」
「……分かりました。必ずや、わたしの民のすべてを守りますわ」
わたしの言葉に、主人の喉が鳴った。
喉がカラカラなのだろうと、わたし手ずからに水差しから水を汲み、主人に渡す。
グビグビッと、ひと息にグラスをあけた主人が、チラッとわたしの顔を窺った。
「……私は父の代から、組織の一員です」
「そう……」
「父は、黎明期の組織の理念に共感して、協力するようになったそうです……」
「……黎明期の理念?」
「……王政に虐げられた者を逃したり、匿ったり……」
やはり、そうだったかと口の中に苦いものを感じた。
「父は資金をカンパし、時には追われる者を匿ったりしていました……」
「ええ……」
「それが……、いつの間にか組織が変質していき、意見した父は姿を消しました」
消された、ということだろう。
「……それから、私は組織の言いなりに生きてきました」
「ええ……」
「父の遺したチーズ屋を営みながら、悪いことをたくさんしました」
「はい」
「……人は、殺していません」
「信じます」
続きを素直に証言してもらいたいという以上に、とても無理だと感じた。
無頼の衆と普段から接するせいだろうか。
暴力の匂いが一切しないと、わたしでも分かった。
実は手練れの暗殺者でした、とかなら、わたしには見分けがつかないかもしれないけど、メッテさんも頷いている。
「……王都への放火は、攻撃部隊への道案内を命じられ、逃げ遅れました」
「攻撃部隊?」
「……はい。そういうことをする専門の者たちが、どこからかやってきます」
チーズ屋の主人は、かすれ気味の声で訥々と語り続ける。
闇組織の実態が、次々に明らかになる。
限られた人数。限られた専門の者たちが組織を牛耳り、恐怖で支配する。
客観的な意見としては、殺されたという無関係な者たちでさえ、実際に犠牲になっていたのか怪しいところだ。
――お前のせいで死んだのだ。
と、本当に無関係な死をこじつけて、脅しの材料にしていたのかもしれない。
ただ、陰湿で巧妙だ。
実際に家族を殺せば、それ以上の脅しにはならないし、当局に駆け込まれる恐れも出てくる。
――証言したら、誰かが死ぬ。
その重みに口を閉ざしてしまう、根が善良な者たちをターゲットにして協力させていたのだろう。
大河全域で四千人を沈黙させている。
その実態は、堅い組織の結束ではなく、沈黙する者を選んで、末端の仕事をやらせていたのだ。
「……フ、フランシスカ様の……」
きたな、と身構えた。
「あまりに……、奔放な言動とおふる舞いに触れ……、コルネリア陛下の掲げられる『正義』と『公正』、なによりも『慈悲』が、本物であると信じられました……」
「そうですか……」
「私も……、コルネリア陛下のお慈悲に、縋らせていただけませんでしょうか……」
このときの心境については、後ほどゆっくり一冊の本にまとめよう。
心の中で原稿が次々に書き上げられていく、ぶ厚い本を、ギュッと閉じた。
「ええ……。わたしの『公正』も知りながら縋ってくる者を拒むことはありません」
「はい……」
「……すこし、キツい言い方になってしまいました。主人の、多くの者を恐怖の掟から解放しようという『慈悲』の心。しかと受け止めさせていただきますわ」
穏やかに微笑み、主人を見詰め続ける。
しばし、目を泳がせていた主人は、視線を定めないまま、口を開いた。
「……私が、指示を受けていた、王都郊外のアジト――、攻撃部隊の本拠地を、お話します」
主人の告白に、静かに耳を傾けた。
Ψ
清流院の執務室に戻り、テンゲル王都近郊の地図を広げた。
チーズ屋の主人が告白した、闇組織の攻撃部隊の本拠地。
それは、驚くことに、ゲアタさんが投降者から尋問で聞き出した、油壺の窯元の場所と一致した。
ふたつの証言が重なり、確度が高い。
支流から、さらに別れた小川を遡った先にある――、
「やはり……、テンゲル動乱時に、わたしが陣を張った岩場の近くですわ」
ルイーセさんも交え、証言から得られた場所を何度も確認し、地図上で特定した。
エイナル様、カリス、ばあや、ルイーセさん。さらに後から合流したナタリアとクラウス。
あのとき一緒だった皆で唸った。
「……当時、陣の近辺は陰働きの騎士たちが丹念に探索して、安全を確認した」
と、ルイーセさんが呻くように漏らした。
「はい……、わたしもよく覚えています」
「……その目を欺けるほど、巧妙に隠していたということか……、信じがたいが」
強制捜査の以前、アジトがひとつも見付けられなかったことに、初めて納得した。
そして、その場所は、これからテロの決行地点に向かう、途中に位置している。
「急襲しよう……」
ルイーセさんの言葉に、エイナル様も険しい表情で頷かれた。
「新しい幹線道路からは少し外れるけど、いまから発って最速で駆ければ、ちょうど夜明けの直前に着ける。……急襲するにはベストのタイミングだ」
作戦計画の変更は、道中で行うものとして、慌ただしく出発に取り掛かる。
カリスは、わたしの全権代理。
ナタリアは、編纂室で引き続き押収資料の精査にあたってくれる。
ばあやは、体力的に不安ということで、ウルスラがわたしに随行してくれる。
クラウスの馬の後ろに乗せてもらい、目をキラキラと、頬を赤らめるウルスラに、微笑ましい気持ちになる。
――そういえば、ウルスラは、クラウスがタイプだって言ってたわね……。
わたしも軍用の外套を着せてもらい、エイナル様の馬の前に乗せてもらう。
両脇を護ってくれるのは、メッテさんとゲアタさん。
クラウスはすこし不満そうに、後ろを護ってくれ、ルイーセさんが先頭を駆ける。
皆、長柄の武器を手に、万が一、油壷での襲撃を受けた際に備える。
雨中の行軍は約1年ぶり。岩場の陣からコショルーに向かったとき以来だ。
闇組織の攻撃拠点を急襲し、そのままテロ決行地点に向かう。
雨のそぼ降る夕闇の中、行軍を開始した。
本日の更新は以上になります。
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