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20.冷遇令嬢は背中を預けた

エイナル様の御父君、ソルダル大公からの早馬が届き、わたしの大河伯への就任内定が、事実であると確認された。



「大河伯には、爵位も家柄も血統も、生まれた国も重視されない。そんなもの大河には通用しないからね。老齢で引退する現在の大河伯も、遠国の平民出身なんだよ?」



と、エイナル様が微笑んでくださり、わたしは改めて覚悟を決めた。



「ひ……、ひとつだけ。条件というか、……お願いがあります」


「うん」


「……川の水防を強化するということは、下流域で氾濫の可能性を高めるということでもあります」


「……ん?」


「……じょ、上流で氾濫しなかった水が、すべて下流域に押し寄せますから……」


「ああ……、なるほど」


「なので……、リレダル王国の下流域にあたる、母国バーテルランド王国との連携を深めていただきたいのです」


「うん。それは、もっともなことだね。コルネリア殿が頑張れば頑張るほど、母国が危険になるのでは、やりきれないよね」


「……はい」



いつの間にか、エイナル様がわたしの手をあたたかく包んでくださっていた。


知らず震えていたのだろう。


不思議なものだ。


手を握られることで、自由を制限されたように感じてもおかしくない。


なのに、なぜかエイナル様に握っていただくと、どこにでも行けるような気がしてしまう。



「分かった。コルネリア殿の意向は、すぐに父上に伝える。いいように取り計らってくれるだろう」


「……ありがとうございます」


「両国和平にもつながる話だ。和平推進派の父上としても喜んでやってくれると思うから、コルネリア殿は安心して大丈夫」


「はい……」



と、エイナル様のお優しい言葉に、気恥ずかしくなって視線を落としてしまう。


王太子殿下の御前で、わたしを奥さんにしてくださると約束してくださった。


お母様の遺言に背くのは、引っかかるけど、いまはエイナル様がわたしに向けてくださる想いに応えたい。



――大河伯となれば、王国中のどこにでも〈お出かけ〉できます。



カーナ様がお誘いくださった、ブロム大聖堂への訪問の実現に時間がかかったように、貴族の領地は独立性が高い。リレダル王国では特にそれが顕著。


エルヴェンの民がわたしを〈姫様〉と呼ぶのは、庶民にとって貴族が国王の家臣であることより、領地を治める君主だという認識が強いからだ。


大河に面した土地も、様々な貴族が治めていて、本来であれば統一した河川政策はとりにくい。


なので、リレダル王国が設ける〈大河伯〉という制度と役職、職権は実に先進的だ。


領主が誰であれ自由に立ち入って検分し、大河はもちろん、支流にいたるまで河川政策を立案、実行することが出来る。


エイナル様が仰ってくださったように、まさに〈壁はない〉立場となる。


敵国、リレダル王国内を自由に移動できる立場になる。



――お母様も……、わたしが〈壁のない〉ところに行くことに、反対はされないわよね……。



と、夜空を見上げた。


カリスが、温めたミルクを持って来てくれて、一緒に飲む。



「……って、カリスのはお酒?」


「ははっ、バレたか。ミルクに少しブランデーをたらしただけよ。飲んでみる?」


「う~ん……。また今度」


「ふふっ。お酒なんて、飲みたくなったときに飲めばいいの」



と、クイッとカップをあおるカリスの仕草がカッコよくて、ついマネしたくなる。



「デ、デビュタントでは……、お酒を飲まないといけないもの?」


「いけない……、ってことはないわね。基本は舞踏会だし」


「あ、そっか……」



デビュタントの起こり、歴史、国ごとでのドレスコードの違い、……なんかは、お母様から学問として教わった。


けど、自分が立つとは思っていなかったので、細かな催行内容までは把握してない。


義妹フランシスカからは散々自慢されたけど、そもそも平民出身のお母様が、正式な社交界デビューの場である、デビュタントに出られたのかどうかも定かではない。



「……でも、いちばん張り切られているのは、エイナル閣下じゃない?」


「ふふっ、……ねぇ?」



わたしのデビュタント用にドレスを新調するのだと、ブロム大聖堂訪問を、さらに延期してしまわれたのだ。


これに関しては、珍しくわたしの意向を聞いてくださらなかった。


けれど、職人さんから上がってくるデザイン案をいくつも比べて、にらめっこして、ニコニコしたり眉間にシワを寄せたりされてるお姿を見たら、



「……止められないわね」


「愛されてるわね、ネル」


「ねぇ?」



と、奥歯を噛みしめて、肩をすくめる。


いくらカリス相手でも、見せたくないほどに顔がにやけてしまうのだ。


照れ隠しに、寒空の夜空をまた見上げる。



――バカでなくても愛してもらえるのなら……、バカのふりしなくても、いいわよね? ……お母様?



と、返事のない問いかけをしてしまう。


夜、わたしがテラスに出たがるのは、もうわたしに越えられない壁がないことを確認する作業だったのだと、最近気が付いた。


最初の外泊から続く、わたしの習慣。


別邸の高い壁が、もうわたしを囲っていないのだと、充分に納得してから、ベッドに潜り込んでいたのだ。


横にはいつもカリスがいてくれる。


前下がり黒髪ショートボブの、わたしの腰細侍女様。わたしのことだけを、いつも考えてくれている。


わたしの結婚が落ち着いたら、カリスの結婚についても考えたい。


エイナル様と一緒に。



  Ψ



紆余曲折の末、わたしのドレスが出来上がり、ブロム大聖堂に向けて、ようやく出発することができた。


何着もドレスを試着させてもらえて、わたしにとっても夢のような時間だった。



「……う~ん。もっとコルネリア殿に似合うのが、あると思うんだよねぇ~」



と、何度も首をひねるエイナル様のお顔を見ているのも、新鮮で、とても幸せな気分にさせてもらった。


ブロムの地に港はなく、陸路、ゆったりとした旅になった。


馬車を降り、わたしはエイナル様の馬に乗せてもらう。


わたしが前。エイナル様が後ろから手綱を握ってくださって、懐の中に収めてくださっているような安心感に包まれる。



「……エイナル様に、わたしは……、どう見えているのですか?」



と、思い切って尋ねた。


いまなら、なんでも受け止められそうな気がした。


う~ん……っと、しばらく考え込まれていたエイナル様が、意を決されたように、だけど優しい声音で話しはじめられた。



「……魚市場の燻製づくりは、コルネリア殿の示唆で大幅に生産量を上げました。大河から離れた地域の保存食として、王国民に広く恩恵をもたらすことです」


「は、はい……」


「燻製づくりが効率化して、余った人手は織物産業が吸収して、遊覧船事業で増えた観光客の土産物として人気です」


「はい……」


「まだまだ経済力に乏しい庶民にとって、ドレス店が販売し始めたエプロンは、暮らしの彩りになっています」


「はい……」


「ドレス店の顧客層が広がり、経営基盤が安定しました」



エイナル様には、すべてお見通しだったのだ。



「……コルネリア殿が通られたあとは栄えると、庶民からの人気は絶大です」


「わたし……」


「ん?」


「……賢しら、……ですか?」


「賢いですね」



エイナル様のお声は透き通り、なんの淀みも濁りもなく、まっすぐに、わたしへの敬意を表してくださっていた。



「老博士からボクに、お詫びの手紙が届きましたよ?」


「え? お詫び?」


「待ちきれなかった、と。つい、ご自分の『老い先短さ』を意識して焦り、コルネリア殿を大河伯に推薦してしまったって」


「も、もったいないことです……」


「はははっ。結局、フェルディナン殿下にこじ開けられてしまった」


「あ……、ええ」


「どこで? どうして? など、後からゆっくり、コルネリア殿が話したくなったら、酒でも酌み交わしながら話しましょう」


「あ、はい」


「ボクは嬉しい」


「えっと……」


「コルネリア殿の才が、みなを笑顔にすることが嬉しくてたまらない」


「エイナル様……、そのように……」


「ボクの奥さんになる人なんだぞ――っ! って、みんなに自慢して回りたい」


「は……、母から……、授けていただきました」


「そうですか」



と、仰られたきり、エイナル様はそれ以上に何もお尋ねになられなかった。


わたしを本当に信頼し、尊敬してくださっていることが伝わり、えもいわれぬ感慨に包まれた。


大河伯の重責をまっとうすることはもちろんだけど、それ以上に、エイナル様の〈いい奥さん〉になりたいと、手綱をとられるエイナル様の逞しい胸に背中を預けた。


数日の旅程の後、ブロムの地に入った。


間近で見上げる大聖堂の威容に感嘆するとともに、



――これは……、母国から来られたご令嬢が、馴染めないはずだわ……。



と、馬上で作戦を練りながら、静粛な大通りを進んでいった。

本日の更新は以上になります。

お読みくださりありがとうございました!


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