198.冷遇令嬢は死角を突かれた
エイナル様が、やさしく柔らかに、わたしの手を握ってくださった。
「……落ち着いて、コルネリア」
「はい……」
「コルネリアの思考の死角を突かれたとはいえ、まだ充分、間に合うはずだよ」
すべての手配を終え、諸々の報告を待っている間、立ったり座ったりを繰り返すわたしを見かねたのだろう。
エイナル様が、やさしく微笑んでくださっていた。
「コルネリアは、もっと早く気が付けてたらって思ってるだろうけど……」
「ええ……」
「これまで進めてきた対策があればこそ、最後に特定できたんだ。充分、コルネリアの勝ちだと思うよ?」
エイナル様のお声に、かろうじて微笑みを返し、大きく息を吐いた。
テンゲルとブラスタの国境地帯。
答えが分かってしまえば、わたしと大河委員会体制の致命傷になり得るのは、この地点以外にありえない。
それだけに、……悔しい。
エイナル様が、わたしの顔をのぞき込まれた。
「レオナス陛下にも急報を届けた。ブラスタ側でも対応をとってくださるはずだよ」
「え、ええ……、そうですわね」
「みんなが準備を進めてくれてる。……激励に、お散歩しようか?」
エイナル様のお考えはよく分かる。
いまは、余計なことを考えても仕方がない。
姿を消した、柳の組合。
彼らの小舟がどこに向かったのか。
考えたいことは山のようにあって、それらのほとんどが、いまは答えの出ないことばかりだ。
まずは、テロを防ぐ。そのことに集中するべきだ。
エイナル様に、微笑みを返した。
「……エスコート、してくださいますか?」
「ふふっ、もちろん。喜んで」
エイナル様が差し出してくださる腕に、そっと手を乗せる。
わたしは女王だ。狼狽えた姿を見せる訳にはいかない。
笑顔をつくり、執務室を出た。
水脈史編纂室を訪ねると、メンバーが総出で押収資料の精査を続けてくれていた。
銀縁眼鏡をかけたナタリアが駆け寄る。
「……コルネリア陛下が特定されたテロの決行地点と重ね合わせて資料を読み直すと、裏付けとなりそうな記述がいくつか見付かっております」
ナタリアが走り書きでまとめたメモに目を通す。
エイナル様のご示唆に導かれた、天啓ともいえるテロ決行地点の特定。
短い時間なのに、ナタリアが自らの判断で、その裏付けを得ようとしてくれたことに感激を覚えた。
狷介博士の研究室では、推定される破壊方法の検証を続けてくれていた。
「一帯の地盤は固い。相当に掘り進め、基礎部分にまで穴が到達していることを想定した方が良いでしょうな」
「やはり……」
「ただ、まだ水位が足りないはず。いま堤防が壊れても、じわっと水たまりが広がっていく程度……」
テロ決行水位の検討に、わたしも加わりたいのだけど、なにか報せが届けば、すぐに抜けなくてはいけない。
「出兵には間に合わせます」
という、狷介博士に委ね、邪魔しないように、早々に退散する。
統合幕営と治安当局者会合は、クラウスの主導で合同会議を開き、断続的に治安維持体制について協議を続けてくれていた。
ばあやとウルスラは、夜間の行軍に備えた携行食の炊き出しを手伝ってくれている。
清流院全体が、テロに対抗しようとフル稼働してくれている。
心強い限り。
騎士団の詰所に向かう途中、回廊で大荷物をかかえたサウリュスに出くわした。
「……あら、お出かけ?」
「なにを言う! 今度は私も連れて行ってもらう」
「あ、あら……」
「……イグナスのワガママで、野外饗宴には連れて行ってもらえなかったのだ」
「ワ、ワガママという訳では……」
「ワガママだ! ……大河河口の四王が集う貴重な場面を、この目に収めることができなかったのだからな」
「え、えっとぉ……」
と、エイナル様を見上げた。
「ふふっ。……いいんじゃないかな? 荷物は騎士団の荷馬車に積んでもらおう」
「……大丈夫でしょうか?」
「ルイーセも、サウリュス殿のことは嫌いじゃない。文句を言いながら、どうにかしてくれると思うよ」
「おお! さすが、エイナル陛下! よく分かっておられる!」
と、珍しく上機嫌になったサウリュスを連れ、騎士団の詰所に足を運ぶ。
慌ただしく進む出兵準備。
荷積みの指揮を執る、髭ヅラの騎士から指示が飛んでいる。
「すぐに取り出しやすいよう、おなじ種類のものは固めて積むんだ! 乱雑になるな! 急いでやれ!」
騎士団は雨中の土木作業に備え、外套やショベル、ツルハシ、その他工具類を荷馬車に積んでいく。
常備品だけではないため、各所からかき集めてくれている。
「あっ、女王陛下!」
「そのまま、そのまま……。どうぞ、作業を続けてください」
エイナル様が耳元で囁いてくださる。
「ふふっ、コルネリアが見てくれてるってだけで、みんな張り切ってるよ?」
「はい……、ありがたいことです」
「……リレダルから来た騎士団は、戦争で雨中行軍にも土木工作にも慣れている。なにも心配することはないよ?」
別の騎士の声が、通用門から響いた。
「農夫から鍬を借りてきた! 結構な数になりそうだから手を貸してくれ!」
「おおっ!」
と、数人の騎士が駆け出す。
作戦の概要を既に皆が理解し、機敏に準備を進めてくれている。
カルマジンの住民も積極的に協力してくれているのだろう。
エイナル様が微笑まれた。
「コルネリアの準備は完璧だった」
「……えっ?」
と、エイナル様のお顔を見上げる。
「ここには、人の和がある。コルネリアが繋ぎ、積み重ねてきたものだよ」
「……はい」
あたたかいお言葉に胸が満たされる。
皆が自分のやるべきことを考え、自分から動いてくれている。
何度も思っていたことなのに、あらためて感動を覚える。
――わたしは、ひとりではない。
ルイーセさんの姿を見付け、サウリュスのことを頼む。
「……女王コルネリアが、大河の歴史に刻む名場面になるかもしれないしな。画家の帯同もいいだろう……」
不愛想に応え、サウリュスの荷物も積み込んでくれた。
「ネル……」
と、カリスの声にふり向いた。
こちらも、わたしを落ち着かせようという、柔らかな微笑み。
気持ちが嬉しくて、涙腺が緩みそうになる。
「ふふっ。ネルが不在中の体制について、草案ができたわよ」
書類を受け取り、目を通す。
「……私が宮中伯および、大河委員会事務局総長として、ネルの全権代理。……ってことで、クラウス閣下の手をあけるわ」
「ごめん……、大変だと思うけど」
「ううん。クラウス閣下と衛士団の精鋭も同行させたら、その場で実行犯を取り押さえられるかもしれないしね」
「カルマジンには最低限の騎士しか残していけないし、ほんと……、気をつけてね、カリス」
「ふふっ、大丈夫よ」
わたしが後手に回ったせいで、あちこちの備えが万全とはいえなくなった。
なかなかに悔しい。
清流院、統合幕営、治安当局者会合、その他すべてをカリスの指揮下に置くとの書類にサインした。
「緊急時の判断は私がせざるを得ないけど、基本は早馬を飛ばしてネルの判断を仰ぐから心配しないで」
「……カリスにだったら、クーデターを起こされても悔いなしだけどね」
「バカね。文官しか残らない清流院で、どうやってクーデター起こすのよ」
「あれ? 真剣に検討してた?」
「ん~、ちょっと?」
軽口を叩き合い、笑い合って、お互いの緊張をほぐす。
カリスにとっても大役になる。
だけど、この局面でわたしの代理人を務められるのはカリスしかいない。
「……まったく、元はしがない男爵家の傍流の生まれのハウスメイドだったのよ?」
「あら、わたしなんて、つい最近まで〈外の世界〉を見たこともなかったのよ?」
「ふふっ。……やるしかないわね」
「……お願いね、カリス」
「ネルも気を付けて……」
カリスと抱きしめ合う。
わたしの権威失墜を狙った堤防破壊テロは、大河の民の生活を巻き添えにしてしまう。
わたしは、そんなことのために〈外の世界〉に出たんじゃない。
「……必ず、阻止するわ」
カリスに堅く誓ったとき、メッテさんが再審庁から訪ねてきてくれた。
後ろにいるのは、チーズ屋の奥さん……。
「ま、色々あるんだけどな……」
と、メッテさんが頭をかかれた。
「……まず、投降者だが、カリス殿の襲撃に加わっていたらしい」
「まあ……」
「ヤツらの〈油壷〉をつくる窯元の場所を知ってるそうだ」
カリスの乗る高速船に投げ入れられた、油を詰めた素焼きの壺。
その窯元は、ずっと謎のままだった。
それが分かれば、闇組織の全容解明に、かなり近付くことができる。
「……思わぬ大ネタが出てきたが、厚かましいことに、身の安全と、相応の報酬を要求してきた」
「報酬ですか……」
「残りの人生では、食うに困らない生活を送らせてほしいってな」
「分かりました。……テンゲル女王の名において、お約束いたします」
「ん。……騙しても反故にしても、別にいいと思うぜ?」
「あら。女王が約束しましたのよ? ちゃんと守りますわ。……身の安全を守り、食べ物に困らなければいいんですわよね?」
「ふふっ、そうだな。妹君のようにな」
「ええ。新しい才能に目覚めるかもしれませんわよ?」
証言に見合った待遇は約束しても、過去に犯した罪は償ってもらう。
メッテさんと頷き合った。
「で、その妹君だが……」
「……はい」
メッテさんの後ろで小さくなる、チーズ屋の奥さんをチラッと見た。
「……昨夜ひと晩、チーズ屋の主人と地下牢で語り明かしたらしい」
「そ、そうですか……」
「私の姉がいかにすごいか……」
「……は?」
思わず、メッテさんに向かって失礼な声が出てしまった。
「……大河伯の妹で、女王の妹で、私は偉いのよって話らしいが……」
言葉を失う。
わたしを軟禁し、ご飯を抜いたり、お母様の遺品で着飾ったり、恋愛小説の最後の3ページを破って渡してきたり、散々にわたしを虐げてきたフランシスカが、
わたしの妹だと自慢していた。
腹立たしさのあまり、一瞬、目のまえが真っ白になる。
「……それでだ」
と、メッテさんの、わたしを気遣う優しいお声で我に返る。
逞しい腕に乗せた手を、エイナル様が反対の手で、やさしく握ってくださっていた。
「は、はい……」
「……チーズ屋の主人にしても、妹君の噂を聞いたことがなかった訳じゃない」
「はい……」
「そんな妹君でさえ、こうして守ってるコルネリア陛下になら、証言してもいいって、奥さんに漏らしたそうだ……」
ちょっと……、予想の斜め上をいかれ過ぎだ。思考の死角というなら、これ以上のことはない。
あまりに身勝手なフランシスカへの憤慨と、その身勝手なフランシスカを保護していることが、チーズ屋の主人の心を動かしたことへの受け止めと。
心が忙し過ぎる。
チーズ屋の奥さんが、申し訳なさそうに、か細い声を出した。
「……女王陛下に直接だなどと、なんとも恐れ多いことを申しており……」
「いえ……。それだけ、勇気のいることなのでしょう」
かろうじて、奥さんには微笑みを向けることができた。
主人に、闇組織への恐怖を乗り越えさせてくれたのが、フランシスカの身勝手さだという点については、後でゆっくり考えよう。
とりあえず、主人との面会は、フランシスカのいないところでと、手配をメッテさんにお願いする。
出兵を前に、もしも有効な証言が得られるのなら、それに越したことはない。
しかし、腹立たしい。
エイナル様になだめていただきながら、急ぎ再審庁に向かった。
本日の更新は以上になります。
お読みくださりありがとうございました!
もし気に入っていただけたり、おもしろいと思っていただけたなら、
ブクマや下の☆☆☆☆☆で評価していただけるととても励みになります。