197.冷遇令嬢は隘路を抜け出す
ルーラント卿、そして狷介博士から、ひと通りの報告を聞いたエイナル様が、腕を組んで、天井を睨まれた。
この会合に参加していただくのは、今回が初めてだ。
「う~ん……」
「な、なにか、お気付きのことが……?」
「コルネリアは、民の命を守ることに、いつも一生懸命だね」
「あ……、はい」
「うん……。王都、領都、都市部、市街地……、住民が密集してるところに、テロによる洪水が直撃したら、数多くの民の命が危機に晒され、生活は破壊されてしまう……」
「やはり、テロの恐れを、民に公開した方が良いと……、エイナル様はお考えですか?」
「あ、いや……、そうじゃないよ。いまの時点では、パニックも恐いし、自分たちで犯人を捕まえようとする勇ましい民が出るのも恐い。そこに異論はないよ」
「……はい」
エイナル様はお顔をさげられ、すこし眉を寄せ、所在なさげに笑った。
「……女王の座にあって、民の命をいちばんに考えるコルネリアは尊い。ボクの自慢の奥さんだ」
「あ……、え?」
ルーラント卿も狷介博士もいらっしゃるのに、……と、目を泳がせてしまう。
「でも、テロを目論む者たちにとっては、どうかな?」
「……はい。民の命を脅かすことで、自分たちの不当な利益を守ろうとする、悪辣な者たち……。とても、許すことは……」
「ふふっ。民の命を脅かし……たい、のだろうか?」
「え?」
エイナル様はニヤリと笑って、わたしの顔を、指さされた。
「敵は……、コルネリアだ」
「え? ……あ、はい」
エイナル様の浮かべる得意気な表情が、ワザとつくられているものだとは分かるのだけど、すこし戸惑う。
ルーラント卿と狷介博士と顔を見合わせてしまった。
指を立てたエイナル様が、ワザとらしく深刻ぶったお声を出される。
どこか楽しそうで、こちらも笑いを誘われた。
「……どうにか、コルネリアを討ち取れたらいいのだけど、周囲を固めるのは剣聖ルイーセに無頼王女メッテ。鳳蝶のゲアタも難敵。それに、王配エイナルもなかなかの手練れだそうだ」
「ふふっ。そうですわね」
「なにより、リレダル・バーテルランド30年戦争を戦い抜いた歴戦の騎士団が敷く鉄壁の警護体制は、とても突破できそうにない」
「はい……、ありがたいことです」
「……そこで、テロだ。標的は民じゃない。コルネリアただひとり」
エイナル様のご示唆は、テロ計画を察知した当初の、原点に立ち返らせてくださるものだ。
目の前に広げる地図に目を落とす。
エイナル様の楽しげなお声が続く。
「技師のギーダが犯行グループにいるとして……、ギーダの気持ちを考えていた」
「はい……」
「豪雨災害時、ギーダはリレダルにいた。テンゲル動乱時も随行していた。ギーダは、コルネリアをよく知っている」
「わたしの……、裏をかこうとする」
「コルネリアには、なにが見えてない?」
「え?」
思わず、顔をあげる。
エイナル様は茶目っ気たっぷりに笑われているし、ルーラント卿は肩をすくめている。
わたしも思わず苦笑いだ。
「それ、すごく難しいですわ……」
「だよね。だけど、ここにはルーラント卿も博士もいる」
「ええ」
「ふふっ。みんなで、コルネリアに勝つ方法を考えようじゃないか。……なんなら、クラウスやメッテ殿も呼んで、打倒コルネリアの秘策を練ろう」
と、エイナル様が、ルーラント卿と狷介博士のお顔をのぞきこまれた。
「そうだ。扉の向こうで護ってくれてるルイーセも呼ばないと、拗ねてしまうな」
「ふふっ。それは、手強そうですわね」
「これだけ大河流域諸国をまとめ上げたコルネリアの権威が、いまさら堤防の決壊ひとつで揺らぐはずがない! みんなの知恵を結集して、コルネリアを倒そうじゃないか!?」
「ふふっ……」
「まして、犯行予告もないんだ。相手は自然決壊に見せかけたいんだよ?」
スッと自然に、視線が地図の上に落ちた。
それは、ただの確認。間違いないと確信するためだけの。
「……ありました、ひとつだけ。わたしの権威を確実に突き崩せる場所が」
「はははっ! なんだ、コルネリアには、あっさりコルネリアが勝ってしまった」
やわらかに微笑んでくださるエイナル様に、力強く頷きを返す。
やっぱり、エイナル様はすごい。
テンゲル動乱時。夜の岩場で、やはり考えすぎて迷っていたわたしの策を解きほぐしてくださった。
――あのときは、ほっぺにキスしてくださったんだけどな……。
などと思いつつ、立ち上がる。
「ただちに出兵します」
清流院に詰める騎士たちが、ルイーセさんの指揮で慌ただしく駆けはじめる。
狷介博士との研究で、堤防の破壊方法は5パターンほどに絞り込んである。
いま見付けたばかりの想定区域に、適用できる破壊方法の検証をお願いする。
恐らく、もっとも困難な方法。
わたしの裏をかく、民の命は奪わない、実行が困難な破壊方法。
その破壊方法から必要資材を割り出し、ルーラント卿には盗品の集積ルート予測と重ね合わせての検証をお願いする。
地図を指さす。
「テロの決行地点は、テンゲルとブラスタの国境地帯のいずれか。三国水防協定を締結し、野外饗宴を開いた周辺。それも何もない荒野が広がるテンゲル側の堤防です」
地図をさす指を、スーッと下流側に動かした。
「テンゲル側の堤防が決壊し、国境を超えて水が押し寄せ、ブラスタの小麦畑が潰滅すれば、わたしの権威は地に落ちます」
わたしは民の命を守ることに気をとられ過ぎ、考えが隘路にはまり込んでいた。
人口密集地を守ることに考えが偏り過ぎていた。
「テンゲルの責任で小麦畑が壊滅すれば、和解は間違いだったと、ブラスタの前王派がレオナス陛下を退位に追い込むことは確実です。……新たな王は前王派の分家から立ち、大河委員会からは脱退」
エイナル様が険しい表情で頷かれる。
「なるほど……、そうなるね」
「さらに、ダギス家の帰参も取り消し。メッテさんを擁するテンゲルとは再び対立しつつ、潰滅した小麦に対し、莫大な賠償を求めてくるでしょう」
「大義名分があれば、クランタスのイグナス陛下も擁護しにくい……。そうなれば、ポトビニスも、ブラスタに追随して大河委員会を脱退せざるを得なくなるか……」
「はい。……そして、多額の賠償金は、復興途上のテンゲル経済にとって致命傷となり、大河の経済全体にも波及。他の加盟国にも経済的ダメージを負わせるわたしは、遠からず退位に追い込まれます」
「大河委員会体制は、崩壊する……」
「なにより……、小麦価格が高騰し、民の食卓を直撃することになります」
だけど、まだ間に合う。
人手がほしい。
王都のビルテさんに早馬を飛ばし、騎士団の本隊および国軍にも出兵を命じる。
「王都の王宮に、排水路の増設計画が置きっぱなしです。ビルテさんに持ってきてもらって……。いや、先に工事に着手してもらいます」
「……排水路?」
「はい。ブラスタとの関係改善前、ブラスタ側の堤防決壊に備え、測量しました」
「ああ……、イグナス陛下とフェルディナン殿下がおみえになられたときの……」
と、エイナル様が膝を打たれる。
「そうです。……恐らく、テロのための破壊工作は完了済みです。排水路を急造し、緊急放水路として活用。水を逃がします」
地図と資料を照らし合わせながら計算していた狷介博士が、険しく眉を寄せた顔を上げた。
「……この周辺で堤防を破壊するなら、かなり長期にわたってコツコツ掘り進めていたはずですな」
「わたしの迂闊さは、後で大いに悔いることにします」
下手をすれば、イグナス陛下をお迎えに行ったときの足元の堤防、あるいは、野外饗宴を開いていたとき、すぐ側の堤防では破壊工作が進行していた可能性すらある。
唇を噛む。
「いまは、対策に集中します。……ただし、正確な破壊地点は行ってみないと分かりません」
「……儂も行きます」
狷介博士が堅い表情で頷かれる。
統合幕営を通じ、至急、ブラスタのレオナス陛下にも出兵を依頼する。
小麦畑の周辺に土嚢を積んでもらいたい。
互いの情報将校が入念に打ち合わせし、偶発的な接触も避ける。
ビルテさんには王都から先行してもらい、排水路を掘り、出た土で、堤を築く。排水路の壁面は石積みにしたいところだけど、そこまでは間に合わない。
わたしは軍用高速船で堤防を確認し、破壊箇所の特定を急ぐ。
決壊は避けられないものとして、決壊箇所と排水路をつなぐ工事を、わたしが率いて行くカルマジン駐留の騎士団で行う。
「……水位が上がり切っていない今なら、ギリギリ間に合うハズです」
わたしの言葉で、皆が一斉に動き始める。
狷介博士には、小麦畑を壊滅させるだけの流量を計算してもらい、そこから逆算して、敵が堤防を決壊させる水位を推定してもらう。
残り時間が知りたい。
狷介博士の研究室がフル稼働で計算にあたってくれる。
王都から騎士団と国軍を駆り出すので、治安維持と、放火などのテロ対策は衛士団に委ねる。
ビルテさんは出兵、さらにクラウスとケメーニ侯爵も不在の王都で、衛士団の指揮はナタリアの父、リレダルから帰国済みのフェルド伯爵に執ってもらう。
指揮命令系統をクラウスと打ち合わせし、緊急勅令にサイン。早馬が飛ぶ。
クラウスとルーラント卿が、治安当局者会合にも諮ってくれ、各国での警戒レベルも上げてもらう。
わたしが堤防テロを回避させたら、統制のとれなくなっている闇組織が、無秩序に暴発する恐れをなしとはできない。
諸々の準備を進行させるお昼過ぎ。
ゲアタさんたちが予定より早く、闇組織からの投降者を護送して再審庁にもどったとの、報せが届く。
出兵準備が整う前に、投降者から、なんらかの証言が得られるかもしれないと、再審庁に向かおうとしたとき。
ゲアタさんが、わたしの執務室に飛び込んだ。
「すみません……、コルネリア陛下」
悲痛な表情をしたゲアタさんが、すみれ色の髪をワシャッと、かきむしる。
「……まさか、投降した者が?」
「いえ……。私がカルマジンを離れている間に〈柳のじいさん〉を逃がしました」
「え?」
「……柳の組合ごと、港町から姿を消したそうです」
姿を消したと推定されるのは昨夜未明。
夜が明けると、いつもは港に浮かぶ小舟が、一艘もなくなっていた。
港町を監視する無頼からの報告が、ゲアタさんの不在で、うまく届いていなかった。
加えて、急な出兵を優先して、クラウスからの内偵開始を延期していた。
それにしても、姿を消したタイミングは偶然? それとも、内通者がいるのか……。
いや、投降者が引き金か。あるいは投降者自体が闇組織からの罠か?
ともかく、これで〈柳の組合〉が闇組織に関与していることは、ほぼ確定した。
新規国債の偽情報に喰い付きながら、港町を捨てて、姿をくらませる。相当に混乱しているし、自ら正体を明かしたも同然だ。
グッと、歯を喰いしばった。
――ラヨシュや柳のじいさんに対する感傷を……、捨てる。
衛士団に行方を追わせるよう、クラウスに命じるけど、衛士団もテロ対策で手一杯。すぐに見つけ出すのは困難だろう。
まずは、出兵準備に集中しつつ、投降者からの証言を待った。
本日の更新は以上になります。
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