194.冷遇令嬢は呑み込んでおく
『なんて素晴らしいチーズの冷燻! ……分かりました、すべてをお話しましょう』
なんて、お伽噺を信じた訳じゃない。
ただ、チーズ屋の主人の瞳は、たしかに輝いた。ほんのわずかだけ、キラリと。
王都で営んでいた店は、チーズを売るお店で、主人も奥さんも、チーズづくりの職人という訳ではない。
だからこそ、だろうか、
――これは……、売れる。
という、瞳の輝かせ方をした。
ただ、その輝きは、ほんの一瞬。
風に吹かれたロウソクの芯が、最後に燃え切るように、フッと消えてしまった。
――もう、あの生活には戻れない……。
燻る主人の心が、暗い縁へとかき消えていく様が、手に取るように分かった。
奥さんと子どもが、主人を促す。
「あなた……、せっかくいただいたのですから、感想やアドバイスでも……」
「……僕は美味しかったな。と、父ちゃんはどうだった?」
ふたりが主人に向ける、すがるような視線に胸が締め付けられる。
強制捜査の前に、奥さんと子どもは厳重な保護に切り替えており、すでに王都のチーズ屋はたたんだ。
しばらく押し黙っていた主人が、重たそうに口を開く。
アドバイスは抽象的だけど的確。庶民向けか、貴族向けか、商品としての的を絞れば、もっと良くなるだろうというもの。
フランシスカが、アゴをしゃくった。
「ふ~ん……、チーズに詳しいのね?」
だから、チーズ屋さんだって紹介したでしょ!? ……と、心の中で呆れつつ、改めて主人に、この燻製小屋での強制労働を命じた。
主人は、放火未遂で有罪が確定している。
これまで、証言すれば、新しい名を与えて他国へ移住させるなど、ありとあらゆる司法取引を持ちかけてきた。
だけど、一切、応じていない。
闇組織への忠誠が厚いと見做してきたのだけど、あの瞳の輝きを見て考えを改めた。
――主人は心の奥底では、穏やかな生活に戻りたいと願っている。
異例中の異例だけど、燻製小屋では奥さんと子どもにも手伝ってもらう。
家族で一緒に働き、汗を流し、それが、主人の心を動かすのではないかと、一縷の望みを託したい。
実は、主人は四千人の捕縛者たちとは性質が異なる。
捕縛者の多くが、資金洗浄など経済事犯のみに関わったと疑われる中、主人だけは放火という〈攻撃〉に加わっていたのだ。
闇組織との、より深い関わりが強く疑われる。
証言を得れたら、いきなり核心を突く可能性は大いにあり得る。
「ふふ~んっ。私の弟子って訳ね」
と、斜め上にご機嫌なフランシスカが、小屋の中に主人を連れて入った。
続いて入ろうとする奥さんを呼び止め、そっと耳打ちする。
「……あの娘、わたしの義妹なのよ」
「え?」
「色々あって……、まあ隠す気もないんだけど、とにかく、ここ以上に暗殺対策が整ってる牢屋は、ほかにないわ」
「……は、はい」
「ちょっと、おかしな娘だけど……、それは我慢してね」
「いえ、そんな、とんでもございません。女王陛下のお慈悲で、家族一緒に暮らさせていただきますのに……」
「あっ、むしろ、あの娘に我慢できなくなって、証言した方がマシだ! ってなってくれたらいいんだけど……」
「え?」
「まあ、覚悟だけは……、ほんとに」
「あ、はい……、かしこまりました」
「……でも、わたしたちが、本気で証言者を守ろうとしてることだけは、伝わってほしいと思っています」
奥さんと見詰め合った。
『……あの人が、私たちにも打ち明けられず、ひとりで苦しんでいたのだとすれば、……解放してあげたいんです』
と、奥さんはカルマジン行きを承諾してくれた。
主人の黙秘ぶりから、警護範囲の特定は難しい。けれど、奥さんの親、兄弟、従兄弟や親戚など、捕捉できる範囲はすべて警護対象としている。
それを伝えてなお、主人は黙秘を続ける。
「……義妹は罪を犯したけれど、重要な証言をしてくれたから、ここで守られてもいるの」
正確には、すこし違うのだけど、いまそれは問題ではないだろう。
小屋から騒ぎ声がした。
フランシスカが、さっそく子どもと喧嘩していた。
わたしに一礼した奥さんが慌てて小屋に駆け入り、中をのぞくと、主人も仲裁しようという様子が見てとれた。
放火未遂犯に言うことでもないけど、きっと根は善良なのだ。
緊張が解け、家族のためにも証言する気になってくれることを祈った。
「ん? ……なにを言ってるのか意味がまったく分からないんですが……、もう一回、話してもらえます?」
という主人の間の抜けた声に、クッと笑いを呑み込む。
「だから~っ! 私が言ってるのは!」
フランシスカの金切り声が、雨音をかき消すように木霊した。
Ψ
定時連絡で届く、大河の水位情報にジリジリとしながら、ルーラント卿、狷介博士と打ち合わせをもつ。
「……テロは被害を大きくするのが目的。残念ながら防げなかった場合を想定し、各国の治安当局には、市街地での避難計画の立案と点検に着手させています……」
ルーラント卿のお声には疲れがにじむ。
想定していた以上に、敵の動きがつかめない。捜査の焦点は、テロの実行後に移り始めていた。
「土嚢の準備など、被害を最小限にとどめる備えにも着手しております」
「……はい」
各国の主要都市ごとに、洪水対策を確認していく。
後ろ向きな作業に気が滅入りそうになるのだけど、そうも言っていられない。
――もう少し、時間があれば……。
とは、わたしとルーラント卿と狷介博士、3人に共通する思いだ。
だけど、雨期に入って雨は降りやまず、テロの標的箇所が絞り込めないまま、水位は上がり続けている。
ノックの音に、顔を上げた。
クラウスだった。いつにも増して険しい表情。
淡々とした報告にも、憤りが滲む。
「……殺し合った跡?」
「はい。……テンゲル北部の山中で、数人が遺体で見付かりました」
ルーラント卿が複雑な笑みを浮かべた。
「……恐らく内紛を始めましたな」
「内紛……」
「コルネリア陛下の打ち手が敵を追い詰めている証左……。ですが、死者が出たとなると喜んでいいものか……」
「そうですわね……」
クラウスの報告によると、争う声が麓まで響き、近隣の農夫が衛士団に届け出たらしい。
発見された現場近くは、ただちに捜索が入り、新たなアジトと、多額の旧通貨が発見されたとのことだった。
クラウスが、報告書類から顔をあげた。
「……それでも、こちらが想定している金額に対しては微々たるものですが」
地図を見ていると、すべてを把握できている気になるけど、ひとつの王国は広い。
今回の件に限らず、行方の分からない逃亡犯はたくさんいる訳で、まだまだ、どこかにアジトがあるのに違いなかった。
わたしの執務室には、雨音だけが響き、重苦しい空気が漂う。
「よう! 朗報だ!」
メッテさんの笑顔があった。
白のタンクトップ姿に、薊の刺青が輝いて見えた。
「……朗報?」
わたしも無理に笑顔をつくる。
まだ内容は分からないけど、メッテさんの明るい声に救われた思い。
クラウスやルーラント卿の顔も、メッテさんに向く。
メッテさんは楽しげな風情で、美しい鎖骨のあたりをポリポリと掻いた。
「投降者だ」
「投降?」
「私の子分の子分の子分……、要するにチンピラに、『旧通貨を新通貨で買い取ってくれないか』って、持ちかけてきたヤツがいる。闇組織の人間だ」
「……え?」
「ふふっ。それも半額でいいから買ってくれってよ」
カハッと笑ったメッテさんが、ソファに腰を降ろした。
「ふふっ。……その私の配下にあるチンピラは、違法な金利で金貸し……、小口融資をやってるヤツなんだが、ここは、お目こぼしを願いたい」
「まあ。……善処いたしますわ」
「はははっ。ひとつ、よろしく頼む」
王政としては認められないところだけど、チンピラさんの商売は必要悪な面もある。
正規ルートではおカネを借りにくい行商人などが緊急的に資金を都合できる、マイクロファイナンスとして機能しているのだ。
違法な金利といっても、これまで摘発を免れているということは、悪辣な取り立てなどはしていないのだろう。
ここは、呑み込んでおく。
「……女王陛下の思し召しであれば、オレからは……」
と、クラウスもうなずく。
メッテさんが膝の上に腕を乗せ、身を乗り出した。
「そんな商売だから、裏の方にも顔が効く」
「ええ……」
「それで、持ち込まれた話を、親分に報告して、そのまた上の親分――、つまり、私の直接の子分が、話を持ち込んだヤツにコンコンと説教して、投降を決意させた」
「まあ」
「……組織のカネをつかんで、逃亡を図るつもりだったらしい。末端の捕縛者には沈黙を強いて、自分は逃亡。……性根の腐ったヤツだとは思うがな」
「ええ……」
「どこまで話すつもりかは、まだ分からねぇが、いまゲアタを迎えに回して、カルマジンに向かわせてる」
「わ、分かりました……」
「ふふっ。……隠匿資金に触れるってことは、恐らく幹部クラス」
「え、ええ……」
「ただ、幹部でも下っ端の末端ってところか。……もう、守るべき家族も友だちもいないんだろうな」
メッテさんは眉を寄せ、憐れむように笑った。
雨は降り続き、迫るタイムリミットを前に、わたしの切り札が微かな光明をつかんでくれた。
ここは確実にものにしたい。
グッとお腹に力を入れ、メッテさんに頷きを返した。
本日の更新は以上になります。
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