193.冷遇令嬢は微笑で黙殺した
エイナル様が、ニヤリと笑われた。
「……コルネリアが初めて吐く、ウソだね?」
「初めてかどうかは、自信がありませんが……」
と、苦笑いで応えてしまう。
「罠……、と呼んでほしいですわね」
「ふふっ。……清らかなる大河に一滴だけ毒を垂らす。見事な策だと思うよ?」
「恐れ入りますわ」
「カルマジン公就任後、ボクの初仕事という訳だ」
「……お願いできますか? エイナル様」
実際に、テンゲル復興国債の発行準備は整えている。
だけど、それはすべてダミー。本当に発行するつもりはない。
偽情報だ。
メッテさんが、目をほそめた。
「……もう、陛下と呼び合わなくていいのか?」
「て、照れてきました……」
「はははっ。それはそれで、らしい話だ。それではせめて、下々の者は陛下と呼ばせてもらおう……、エイナル陛下」
「はい、メッテ殿下」
と、エイナル様が悪戯っぽく笑われた。
「はははっ! メッテに殿下は変だろう? まあ、いいや。……エイナル陛下、今回は私が相棒だ」
「ふふっ。……カルマジン公を授けられ、ようやく日の目を見た王配が、功を焦って極秘情報を無頼の親分に漏らすんだね?」
楽しげに笑われたエイナル様は、メッテさんと協力し、さっそく仕事に取り掛かってくださる。
国債とは国の借金。
通常であれば、豪商や豪農などに話しを持ちかけるところだけど、今回は早急に闇組織にまで話を届けたい。
――有利な条件で国債を購入できる裏ルートがある……。それも、王配陛下のお墨付きなんだぜ?
と、メッテさん配下の無頼が、一斉に噂を流してくださる。
――旧通貨でも構わない、出所も問わないって話だ……。かみさんに内緒のへそくりでも、黙って隠し通せるぜ?
といった調子で、囁いてもらう。
――嘘か本当か、親分のメッテから降りてきたって話だ。たぶん、王配陛下が泣き付いたんだぜ、手柄がほしくてな……。えらい嫁さんもらうと大変だな。
えらい嫁さんもらうと大変とは心外だけど、罠のためだ。やむを得ない。
エイナル様が微笑まれた。
「謹厳で知られるクラウスの名でも、まして公正の女神のごとくなコルネリアの名でも、信憑性が出ない。いまのボクにしかできない仕事だね」
「……すみません。いきなり、こんなお仕事を頼んでしまって」
「ふふっ。……ボクは意外と嫌いじゃないよ? こういう策」
と、なんだかエイナル様は楽しそう。
内緒な儲け話に、人は弱い。
あっと言う間に噂は広まり、エイナル様の元には続々と問い合わせの書簡が集まり始めた。
それをもとに、クラウスの衛士団が内偵を開始する。
ちょっと人の悪い策だけど、闇組織の裏をかくためにはやむを得ない。
幽霊船荷による資金洗浄スキームが、テンゲル発祥なのは間違いない。闇組織の本体も、ほぼ間違いなくテンゲル国内にある。
わたしが即位する前から存在していたとはいえ、いまは、わたしが女王。
テンゲル王国の名誉にかけ、闇の本体を暴かないと、他国に顔向けができない。
そして、強制捜査で捕縛した者たちから、わずかな証言が得られはじめる。
ただし、証言の内容は同じ。
――喋れば、家族が皆殺しにされる……。
沈黙の掟とはそういうもので、予想はしていたけど、やはり、眉根が寄る。
被害者だとは言わない。多くは闇組織からおカネを受け取っていた形跡もある。
だけど、彼らも脅され、手伝わされていたのだ。奥さんや旦那さん、子ども、親兄弟を守るために働かされていた。
大河流域の全域におよぶ、約四千人の捕縛者。
各国の治安当局は尋問というよりは、全力で説得にあたっている状態だ。
「……守るべき家族をすべて教えてくれないか? 王政が責任を持って保護する」
けれど、闇組織の方が遥かに恐ろしいらしく、それ以上には口をつぐみ続ける。
治安当局者会合は、クラウスの計らいもあり、実質的にはルーラント卿が指揮を執ってくださるようなった。
なし崩し的な運営を、わたしは好まないのだけど、非常時に優先すべきは別にある。
堤防破壊テロに使うと思われる、盗品の集積ルート予測は効果を上げはじめ、一部の盗品は摘発できた。
その摘発場所、さらには強制捜査で得られたアジトの位置などを地図にマッピングして、さらに精査を続けてくれている。
狷介博士による検討も進み、各国に堤防の脆弱箇所の情報を提供。
リレダルのユッテ殿下などは、
「ちょっと守り切れないから、いっそのこと、こっちで壊して、遊水地化しておく」
と、なかなか荒っぽい対応までとってくださっている。
わたしが返書を出す前に、さらに書簡が届いて、
「……本当に、あっという間に壊れた。すごかった」
と、実証実験のようになってしまった。
水位が上昇した想定にするため、わざわざ水を汲み上げる機構まで組んでくださったらしい。
雨の中、頭がさがる。
そして、汲み上げた水を、小さな穴からどんどん流し込み、堤防は基礎から崩れた。
堤防の、どの場所でも、この破壊方法が通用する訳ではない。
狷介博士は、ご自身の検討が確かだったと胸を張って得意げで、ウルスラは拍手して褒めそやした。
だけど、証明されたのは事態の深刻さだ。
この急場をしのいだ後には、根本的なテロ対策に乗り出す必要がある。だけど、まずは、しのいでからのことだ。
ルーラント卿と打ち合わせる。
「ふふっ。実際に堤防を壊してしまうとは、豪快な王女殿下です。……が、いいデモンストレーションになりましたな」
「……と、仰いますと?」
「テロの計画を察知しているぞと、敵にだけ知らせることが肝要です」
広く公開捜査にすることは控えている。
民はきっと自警団を組み、警戒にあたってくれるだろう。
だけど、それは闇組織の標的にもなる。
民の血が流れる。
――ただ、もしも、知恵比べに負けて堤防が決壊すれば……、犠牲になるのは、やはり民。
という思いと板挟みになりながら、あらゆる方面からの捜査を見守り、指示を出す。
わたしの察知できないところでテロが断念されていて、すべてが徒労になってもかまわない。手を抜くことは出来ない。
――資金洗浄スキームは潰し、隠匿資金も凍結。観念して自首してきてほしい……。
儚い願いだとは思いつつ、そう祈らざるを得ない。
最上流、山岳国家群に赴いてくださっていたフェルディナン殿下からの報せが届く。
――流木や土砂崩れによる天然ダムは確認されたが、すべて安全に撤去した。テロの恐れはない。
相当な奥地まで足を運んでくださったらしく、こちらも頭がさがる。
水位の上昇遅れは、いまは天恵として受け止め、後日の研究対象だ。
すべてに対して反応が過敏になってしまう中、カリスと夜の雨空を見上げた。
「……自然災害より、人間が相手の方が落ち着かないわね」
「ほんと……、もし、まだテロを企んでるんなら、もう欲も得もなく、ただ仕返しがしたいだけなんじゃ……、って思ってしまうしね」
「うん……、ツラいところね。でも、ネルが闇を晴らそうとしてきたこと自体は間違ってないわ」
カリスが、わたしに微笑みを向けてくれた。
「……そうかな?」
「そうよ。絶対そう。……沈黙を守る四千人だって、当局に保護されたようなものだわ。きっと、本音ではホッしてるわよ」
「あ~あ~っ!」
「ふふっ、なに?」
「……悪い方にばっかり考えちゃう。きっと牢屋の中で、互いを監視し合ってるのよ? 捕縛した者たち」
「……ええ、きっとそうね」
「独房に入れて、互いを隔離するのにも限界があるわ。……どうやったら安心してもらえるのかしら? どうやったら証言してくれるんだろう?」
「ん~」
「……って、現場の取り調べ職人のような当局者たちが、必死で頑張ってくれてるのにね。これじゃ、ただのグチだわ」
「ダメもとなら……」
「え?」
「……家族ごと、隔離してみる?」
カリスの〈ダメもと〉で、急遽、王都から護送されてきたのは、チーズ屋の主人。そして、その奥さんと子ども。
再審庁の裏手に連れて行く。
「……ここの罪人が、チーズの燻製の新商品開発に取り組んでるんだけど、手伝ってやってくれない?」
「はあ!? 私、ひとりでやれるけど!?」
と喚く、フランシスカは、微笑で黙殺した。
打てる手は、打ってみよう。
暗く沈んだ表情のチーズ屋の主人が、奥さんに勧められ、フランシスカのつくったチーズの冷燻を口に運んだ。
本日の更新は以上になります。
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