192.冷遇令嬢は清らかならんとする
Ψ Ψ Ψ
小雨ふり続ける馬車の中で、エイナル様はやわらかに優しげに微笑みながら、わたしの話をたくさん聞いてくださった。
うんうんと頷いてくださり、ん? と、驚いてくださり、
――いっぺんに話し過ぎかしら……。
と、顔色を窺ってしまうのだけど、
「なんでもボクに聞かせて」
と、微笑みを重ねてくださる。
それに、エイナル様のお話もたくさん聞かせていただいた。
「……コルネリアの治政に、ボクが邪魔になってはいけないと考えていたけど、どうやら逆だったみたいだ……」
「逆……、ですか?」
「こき使われますわよ? ……って、ヤツだね」
カリスの口マネをするエイナル様の表情には、照れ笑いと苦笑いが入り交じる。
「……こ、こき使われて、……くださいますか?」
「ふふっ。もちろん、喜んで」
エイナル様のお気持ちとお考えは、よく分かっていた。それだけに、わたしの考えをお伝えすることに躊躇いがあった。
「……申し訳ありません。わたしがもっと早く、お話できていたら……」
「ボクの方こそ……、ダメだった」
「いえ、そんな、エイナル様がダメだなんてこと絶対にありませんわ!」
「ふふっ。……ボクたちにはもう、父上、ソルダル大公閣下も、リレダルの国王陛下もいない」
「えっ!? なにか変事の報せが!?」
腰が浮き、顔色を変えたわたしに、エイナル様が苦笑いを返された。
「ごめん。情勢が緊迫してるところに、ボクの言い方が悪かった」
「あ、いえ……、わたしこそ……」
エイナル様は、雨の流れる窓に顔を向け、遠くを見るように目をほそめられた。
「……ボクたちが何をしても、偉いなと褒めてくれる人も、間違いだと叱ってくれる人も、もういないんだということに、ボクが無自覚すぎた」
「いえ、そのような……」
「国のいちばん高いところ……、いや、大河のもっとも高い場所で、コルネリアをひとりにしてしまった」
「エイナル様……」
「……コルネリアのデビュタントの晩、置いて行かれないよう必死で追うと決めていたはずなのに、……ボクが怯んでしまった。不甲斐ないことだ」
「エイナル様が、いつも後ろから見守ってくださっていたことが、どれほど心強かったことか……」
向かい合って座るエイナル様の、お隣に腰かけ直す。
そして、手を伸ばし、エイナル様の手をキュッと握り締めた。
「わたしが動揺したときには、そっと後ろから抱き締めてくださいました。エイナル様が、わたしから目を逸らされたことは、一度もありません」
ポスッと、エイナル様の逞しい肩に、身体を預ける。
手を握り直し、指を絡めた。
「……エイナル様が怯んだことなど、一度もありません。ただ、わたしのことを大切に考えてくださっていただけです。……わたしがそれを一番よく知っています」
唇を重ね、窓の外のルイーセさんと目が合って、頬を紅く俯いた。
ちょっと、油断し過ぎだった。
「……コルネリアの策は正しい。ボクは王配の義務を負う」
エイナル様の力強いお言葉に、顔を上げ、前を向いた。
清流院に戻り、叙任式の準備を進めるようクラウスに命じる。
大河の諸王もお招きする。
ブラスタ王国の大河委員会への正式加盟の署名式を執り行い、あわせて、統合幕営と、治安当局者会合の位置付けも話し合わなくていけない。
密かに進めていた、新通貨への切り替えの準備も大詰め。
新通貨に使うわたしとエイナル様の肖像は、サウリュスに打診してみたのだけど、
「未完成のものを、永く使われる通貨になど! ……それを目にし続けよという、新手の拷問か!?」
と、激しく拒否されたので、テンゲルの画家に依頼した。
本来、それが順当な訳だし。
強制捜査で得られた資料、さらに大河の水位、各地の降雨量も届き続ける。
わたしの執務室に決裁を取りに来た、カリスに笑われた。
「ネル。……忙しいのに、お肌がツヤツヤしてるわね?」
「ふふっ。……だって、エイナル様の執務室が、明日からお隣に来るでしょう?」
「あら、正直ね」
「カリスだからよ。……ずっと楽しみにしてたんだもの」
エイナル様と話し合って、わたしの執務室に机を並べるのはやめておくことにした。
「……コルネリアが、チラチラ見てくるから、落ち着かないんだよね……」
「お、お気付きだったのですか……」
カリスが不在のとき、緋布交換の決裁作業を、わたしの執務室でエイナル様に手伝ってもらった。
ご自分の机を下座に置こうとされるエイナル様に、
「いえ、お隣で」
と、口をへの字にお願いしたものだ。
カリスが、ふふっと意味ありげに笑った。
「今回は、おなじお部屋は断られちゃったんだ?」
「そうなのよ~」
「でも、ネルは、それが嬉しいんだ?」
「……うん」
わたしのお願いを、なんでも聞いてくださるエイナル様のことは大好きだ。
だけど、ご自分の考えを、ちゃんと伝えてくださるエイナル様は、もっと嬉しい。
「隣のお部屋だし……、わたしが迷うことがあれば、すぐ会いに行けるし」
清流院は大河委員会の施設なので、各国に親書を発し、エイナル様の王配としての執務室を設けることに特に許しを求めた。
『わざわざ許しを求められるとは律儀なことだ。……この際、エイナル殿下にも委員会の役職を持ってもらい、事務局総長たるカリス殿の執務室も清流院に置かれてはどうか?』
と、バーテルランド王から心優しい返書を頂戴した。
各王からも賛同していただいて、エイナル様には議長特別補佐の肩書きを負っていただき、カリスの執務室も清流院に移した。
なので、カリスとも会いやすくなった。
「ふふっ。エイナル様が執務を始められるのは、叙任式のあとからでしょ? そんなにソワソワしなくても……」
「で、でも、明日からは、先に、ご自分が使いやすいように、ご自分で整理されるって仰ってたわ」
「……邪魔しちゃダメよ? ネル」
「ええ~、お昼くらいは一緒に……」
「そうね、ばあやに伝えておくわ」
翌日のお昼休み。そ~っとエイナル様の様子をのぞきに行く。
本と資料を吟味しながら、ひとつひとつ丁寧に棚に収めていかれるお背中が、無性に愛しくてたまらない。
わたしと一緒にのぞく、カリスが呟いた。
「……どこに仕舞われてたのかしらね。あれだけの資料……」
「ほんと……」
能ある鷹は爪を隠すにしても、すこし隠し過ぎだと思う。
エイナル様に気付かれてしまい、カリスと3人で、一緒にお昼ご飯にした。
豪雨対応のときも、忙しい最中、大河院の執務室でこうして一緒に、ばあやのサンドイッチを頬張ったなと、懐かしい気持ちになった。
そして、叙任式の日を迎える。
華々しい席で、エイナル様は「陛下」として、わたしと席を並べてくださった。
嬉しさがこみ上げてとまらない。
カルマジンに初めて入った日、王領伯は玉座をふたつ用意せず、エイナル様を貶めようとした。
もう誰も、エイナル様にあんな仕打ちをすることはない。
女王と並び立つ、王配陛下なのだから。
清流院は元々、テンゲル王の行幸用の宮殿で、そこまで広くない。
それでも、すべてのテンゲル諸侯を収め、わたしたちの門出を祝ってもらった。
ギチギチの会堂で、なんとか晩餐会を開き、大河の諸王からも口々にお祝いの言葉をいただいた。
ばあやの手を引っ張って、リエパ陛下に改めて紹介。安全なダイエット食のレクチャーをお願いする。
それほど、すでに、ほっそりされていた。
翌日、諸侯は王都、もしくは領地に帰る。
諸王とは引き続きの協議。
「……船荷証券を厳しく監督するため『大河公証役場』の設立をご検討いただきたいのです」
ここで一気に、不正な商取引の芽を摘んでおきたい。
大河公証役場は、大河委員会条約に加盟する六王国が共同で設立し、清流院の監督下におく独立機関とする。
各国主要港に支部を置き、船荷証券と積荷を照合、不審な点がある場合はもちろん、ランダムにも立ち入り検査を行う。
記載内容に相違がなければ、緋布の〈鑑定紙〉技術を応用した、偽造が極めて困難な特殊インクで、船荷証券の原本に割印を押して、通し番号を付与する。
その上で、荷受人に、船荷証券の税関への提示を義務付け。
税関は、割印、通し番号、記載内容を確認し、すべてが一致してはじめて、積荷が引き渡される。
〈幽霊船荷〉による架空の船荷証券を防ぐだけではなく、密貿易の抑止にもなる。
「……まさに、大河を清らかならんとするために、欠かせない仕組みですな」
と、リレダル王が唸られた。
「金融学の分野においては、リレダル王国がもっとも先進的な研究に取り組まれております。……ぜひ、お力添えを賜ればと」
「承知した」
西方からリレダルに届く、不穏な情勢についても協議する。
「……実は、海上交易の交易商も似たようなことを口にしています」
イグナス陛下のお言葉に、諸王の表情が曇る。
当面は情報収集にあたるしかないにせよ、しばらくの間、統合幕営を維持することで合意した。
リレダル王が、深々と頭をさげる。
「……直接の脅威は、陸上でつながるリレダルだけであるというのに、諸王のご厚意に、深く感謝申し上げる」
「なに、我ら〈大河の民〉ではありませんか!」
大柄なレオナス陛下が、呵呵大笑され、皆の表情が緩んだ。
統合幕営の維持は、万が一、西方からの軍事的脅威がリレダルに及ぶようなら、大河流域六王国が一致結束して対応するため。
イグナス陛下が身を乗り出される。
「統合幕営を、情報将校から大将クラスに格上げしてはどうか?」
「い、いえ、イグナス陛下。……さすがにそれは、時期尚早かと」
「ふふふっ……。血気盛んは、クランタス王の美徳。いざという時には頼りにしておりますぞ?」
と、最年長のバーテルランド王が目をほそめた。
諸王の間に、連帯が生まれ始めている。
各国とも、強制捜査とそれに伴う治安維持対策、さらには堤防破壊テロ対策もあり、実務機関が忙殺されている。
当面は、国王間の口頭合意をもとに諸対策を進め、法的根拠を明確にする条約改定は追ってということで合意する。
それらを陪席するクラウスが共同文書にまとめてくれ、各王確認の上、署名。
ブラスタとポトビニスも正式加盟した、大河委員会の新体制を仮発足させた。
その間、エイナル様は各国の王妃と連続会談。ブラスタのリエパ陛下以外とも、王妃王配間のチャンネルを開くことを確認し合ってくださった。
ルイーセさんが囁く。
「……どの王妃も、間近で見るエイナルにポオッとしてたぞ」
「まあ……」
「焼いてやれ、やきもちを」
「ぜ、善処いたしますわね……」
苦笑いを返し、ご帰国される諸王のお見送りに、エイナル様とならぶ。
「あ、慌ただしいね……」
「ええ……。この局面では、王自らが実務を担うしかありませんから……」
ヒソヒソお喋りしながら、にこやかに手を振った。
そして、エイナル様とクラウス、それにカリスも交えて、テンゲル国内の対策について協議する。
「どうぞ、エイナル陛下」
と、カリスが資料を手渡す光景に、ふいに胸が熱くなった。
エイナル様は、エイナル陛下となり、政治向きの協議にも、正式に立ち会ってくださるのだ。
誰に憚ることもなく、エイナル様と一緒にお仕事できることに、嬉しさがこみ上げる。
「ふむ……、テンゲル復興国債」
「はい。エ、エイナル陛下……。さらなる復興の加速のため、新規国債を発行すると……」
「なるほどね……」
エイナル様が、ニヤリと笑われた。
「……おとり、ということだね?」
「そうです! さすが、エイナル陛下! ……いまは新通貨への切り替えタイミングですが、新規国債は旧通貨でも購入でき、出所は問わずに引き受け先を探している……、と噂を流します」
新通貨への切り替えで、事実上、不正な隠匿資金は凍結した。
そこに、有利な条件の国債発行を匂わせたら、喰い付いてくる可能性が高い。
強制捜査で末端を潰し、新通貨で本体を狙い撃ちにして、新規国債であぶり出す。
打てる手は、すべて打つ。
大河の水位が上昇を始めた。
本日の更新は以上になります。
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