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19.冷遇令嬢は選んだ

王太子フェルディナン殿下の接遇を命じられ、エルヴェンの街をご案内して歩く。


フェルディナン殿下は、なにか気になるものが目に入ると、目を輝かせて駆ける。


近侍が駆け、護衛騎士が駆け、わたしも駆けた。



「ほう! エルヴェンの織物産業は順調に復興しているようだな!? 王都でも人気になっているぞ?」



などと、店の者に気さくに声を掛けられ、感激させて、また何かに目を輝かせて、駆ける。


老博士が一旦王都に戻られているので、わたしのスケジュールは丸一日あいている。


なので、もう2日も駆けっ放し。


ヘトヘトだ。


夜のカリスとの語らいもテラスではなく、ベッドだ。脚をマッサージしてくれる。



「ネルのこと、お口説きあそばされるのではなかったの?」



と、カリスが笑った。



「コルネリアを俺の妃にしたい!」



フェルディナン殿下のお言葉に、キョトンとしたわたしだったけど、クラウス伯爵は眉を寄せた。



「殿下……。コルネリア様とエイナル閣下の縁談は、バーテルランド王国との和議の一環なれば……」


「なに。絵に描いたような政略結婚ではないか。ならば、こちらが大公世子から王太子に相手を変えれば、むしろ、バーテルランドに譲った形になるであろう?」


「そ、それは、……そうですが」


「もちろん、無理にとは言わん。俺はエイナルと『競う』と言っただろう?」



と、フェルディナン殿下が、琥珀色の瞳をキラキラと輝かせ、わたしを見詰めた。



――ほ、本気なんだ……。



ドキリと息を呑んで、エイナル様のお顔を見上げた。


苦笑い気味に微笑まれている。



「コルネリアに選んでもらえば良い。それで良いな、エイナル?」


「殿下の御心のままに」



と、エイナル様は、フェルディナン殿下に了承の拝礼を捧げてしまった。



「そりゃ……、コルネリアはボクのものだ! 誰にも渡さないぞぉ! ……なんていう関係ではないのかもしれないけど……」



わたしが唇を尖らせると、マッサージの手を止めずにカリスが笑いを重ねた。



「私がエイナル閣下にシンパシーを感じるのは、ネルの選択を絶対に否定しないところね」


「……ん?」


「婚約者が顔をススだらけにしても、笑って拭ってくださるだなんて、普通、大公の世子なんて立場の人の行動ではないわね」


「……うん」


「選んで、決めなきゃね」


「はぁ~、どういうおつもりなんだろ」



選ぶにしても俺という人間を知ってもらってからだと、フェルディナン殿下はわたしに接遇をお命じになられた。


どんな甘い言葉を囁いてこられるのか、あるいは権力をふりかざしてこられるのかと、キュッと身構えていた。



「……ただ、……走ってる」


「ふふっ。似た者同士じゃない?」


「う~ん……。そういうところもある」



好奇心旺盛で、何にでもすぐに飛び付かれる奔放なおふる舞いに振り回されてる。


だけど、カリスの言う通り、まわりから見たらわたしも、あんな感じだと思う。


エイナル様との街あるきは、わたしがどんどん先に行っても、背中をいつも守ってくださっているような安心感がある。


フェルディナン殿下と街を歩くと、殿下が切り拓かれる道を付いて行く感じ。どこに連れて行かれるのだろうとワクワクする。


わたしは、とにかく屋敷の別邸から脱出したかっただけだ。


それだけの理由で政略結婚を了承したわたしに、突然の選択肢が訪れた。


クラウス伯爵は難しい顔をされていた。


だけど〈政略結婚〉としては、わたしがどちらを選んでも問題がないらしい。


3日目は、遊覧船『エイナル&コルネリア号』にご案内して、大河を揺られた。



「コルネリアは、随分、エイナルにこき使われているな?」


「……え? そのようなことは……」



フェルディナン殿下が艦橋の手すりに背中をあずけ、冬の曇り空を見あげた。


白い息が、河風に流されてゆく。


渓谷を過ぎ、折り返し、再開された堤防修復工事が目に入る。順調そうでなにより。


王太子殿下のご同乗で、老ガイドのいつにも増して張り切った声が響いてくる。


その表情をチラリと横目で見られたフェルディナン殿下が、薄く笑われた。



「……街の者はみな、コルネリアの顔を見付けたらパッと表情を明るくする。どれほど視察を重ねれば、あのような関係が築けるのか。分からぬ訳ではないぞ?」


「恐れ入ります……」


「総督代理の役目を、立派に果たしているではないか」



支給していただく経費に見合うだけの働きはしたい。けど、総督府の実務に口出しするのは迷惑だろうし、なにより賢しらだ。


せめて、街の視察は丁寧にと思っていた。


仕事ぶりをお褒めいただいたのは、素直に嬉しかった。


フェルディナン殿下のエルヴェン滞在は、4日間のご予定。



「長々と時間をかけるものでもあるまい?」



と、最終日に、お返事することになった。


慌ただし過ぎる。


文字通り駆け足で過ぎた4日間。脚はパンパンで、ジッと立っているのがつらい。


だけど、わたしでは見付けられなかったものをフェルディナン殿下が見付けられ、一緒に目を輝かせる日々は、とても刺激的だった。



「よし、エイナル! ともにコルネリアへの愛を語って、選んでもらおうではないか!?」



とか言い出されて、わたしの前におふたりが並ばれる。



――な……、なに? この展開?



立会人を命じられたクラウス伯爵が彫像のような無表情で立ち、隣のカリスが真顔なのは笑いをこらえているからだ。


古典の恋愛物語のような設えに、驚きではなく口が半開きになった。


応じられるエイナル様もエイナル様だ。


だけど、真剣な眼差しをわたしに向けてくださり、ドキリと胸が高鳴った。


傍目にどんなに滑稽な設えであっても、エイナル様は王太子殿下と、わたしを奪い合ってくださっているのだ。



「ボクは、コルネリア殿の瞳を輝かせ続けよう。ただ、それだけで良い」


「なんだ、それだけか?」



と、フェルディナン殿下が仰られ、こちらも引き締まった表情で、わたしを見詰めてくださる。


そうだ。フェルディナン殿下は、すでに決まった政略結婚に横車を入れ、王家にも比肩する権門、ソルダル大公家の世子から婚約者を奪おうとされているのだ。


短期決戦で決着させようというのは、むしろ、本気の表れだったのかもしれない。


わたしは、どれほどフェルディナン殿下のお気持ちを真正面から受け止めていただろうと、かるく後悔しながら、琥珀色の瞳を見詰め返した。



「俺の妃になれば、コルネリアを働かせたりはしない。王宮から一歩も出ずとも、何不自由ない暮らしをさせよう」



だけど、その想いを受け取ることは出来なかった。


わたしは、エイナル様との婚約の継続を望むと、静かに告げる。


フェルディナン殿下がどれほど本気であられたのか、今となっては分からない。


人となりに惹かれるところはあった。


だけど、わたしを解ろうとはされていなかったのだなと、頭をさげた。



「はっはっは! フラれた、フラれた! エイナル!コルネリアを大切にせよ」



と、フェルディナン殿下は、明るく笑われた。本当に嵐のようなお方だ。


クラウス伯爵が、耳打ちしてくれる。



「殿下は気まぐれなお方ですが、根に持つようなお方でもありません。ご案じになられることのないよう……」


「……ご助言、痛み入ります」



エイナル様がわたしの隣に並ばれ、ふたりでフェルディナン殿下に片膝を突いた。



「働き者のコルネリアを、次の大河伯に推薦している。早晩、勅命が降りるだろう」


「…………えっ?」



思わず、フェルディナン殿下のお顔を見返してしまった。満面の笑みだ。



「半分引退しておった老博士が、急に王国中の河川計画の見直しなどに手を付けるから、王都は大騒ぎだ」


「え、ええ……」


「なにがあったのかと老博士の口を割らせたら、コルネリア。そなたの名が出たという訳だ」



大河伯とは、大河総監とも呼ばれるリレダル王国における要職中の要職だ。


わたしを妃にという話も、公式の場で口にされた以上、本気ではあられたのだろう。


だけど、それよりも、わたしが要職に相応しいかどうかのテストを兼ねておられたのでは……?


と、目の前が、急に狭くなる。


リレダル王国を縦断する大河の治水を統括する要職、大河伯。


そんな立場に就けられてしまったら……、お母様から授けられた学問を明らかにするほか……、ない。


ガタガタと、身体に震えがくる。


わたしの恐怖はシンプルだ。


学がないと蔑まれる屈辱に耐えていれば、ご飯が食べられる。


賢しらなことを言えば、飢える。


閉じ込められて、飢える。


狭くなった謁見の間で、キョロキョロと辺りを見回す。


探している人がいない。誰だっけ……? 誰を探してたのだっけ……。


あれ? ここ、……どこ?


と、途方に暮れたとき、ふわりと両手があたたかい温もりに包まれた。



「……コルネリア殿。ボクが、この手を放すことはありません」



やさしい眼差しがあった。



「手に手を取り合い、瞳を輝かせに、どこにでも一緒に行きましょう」


「……エイナル、……様?」


「そうです。……コルネリア殿が本当に恐がられているものが何なのか、ボクにはまだ分かっていない」


「はい……」


「コルネリア殿が秘しておきたい宝物が、世に明らかにされてしまうかもしれない」


「はい……」


「……だけど、大河伯となれば、王国中のどこにでも〈お出かけ〉できます」


「どこにでも……?」


「ある意味においては、国王陛下より自由にどこにでも行けます。治水は国の要。その行動を阻む壁はありません」


「……壁が? …………ない?」


「ええ、そうです」


「エイナル様……」


「はい」



わたしの視界に、エイナル様の優しい眼差しほか、何もなかった。


ただそちらに向かい、心を進ませた。



「わたし……」


「はい」


「……バカでなくても、奥さんにしてくださいますか?」


「もちろん、喜んで。コルネリア殿がコルネリア殿である限り、ボクの奥さんでいてください」


「はいっ!」



エイナル様の手を、ギュッと握り返した。


気が付けば、視野が戻り、カリスが小さく拍手していて、クラウス伯爵とフェルディナン殿下は頬を赤く、目を背けていた。


客観的に見れば、王太子殿下の御前で、王太子殿下そっちのけに愛を囁き合っただけだと、……気が付く。



「いいものを見せてもらった」



と、厳かにうなずかれるフェルディナン殿下の仕草に、エイナル様とふたり、顔を真っ赤にした。



「ふたりの婚礼では、カーナとふたり、盛大に悔しがることにしよう」



フェルディナン殿下はそう仰られ、総督府を後にされる。



「聞けば、コルネリアはまだデビュタントを済ませておらんというではないか!? エイナルとふたり、王都にのぼれ。大河伯就任と合わせ、盛大に祝おう!」



気まぐれで奔放ではあられたけど、気持ちの良いお方であられた。


けれど、いまのわたしがエイナル様を選んだことに、なんの悔いもない。


腕に手をかけ、フェルディナン殿下の馬車をお見送りさせていただいた。

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