188.王配殿下は最初が肝心
Ψ Ψ Ψ
雨のそぼ降る中、カルマジンの目抜き通りを歩く。
八百屋の野菜は青々と瑞々しく、食堂は賑やか。街には活気がある。
「エイナル殿下ーっ!」
と、最近オープンしたばかりの真新しいカフェから、女の子たちが駆けてきた。
羊毛洗いの女の子たち。
コルネリアと出かけたピクニックで知り合って、それから街で会っても気さくに声をかけてくれる。
「そうか、茜集落の娘たちと……」
「はいっ! 私たち仲良しなんです!」
若い世代は、屈託なく交流を重ね、一緒に遊びに行く仲らしい。
新しいカフェの出すチーズケーキの美味しさを、競うようにして教えてくれる。
他愛もない世間話に耳を傾け、皆の暮らしぶりを尋ねる。
「……ウ、ウルスラ様と、ノエミ様はお元気ですか?」
茜集落の娘が、おずおずと聞いてきた。
「うん。ふたりとも元気だ。ウルスラはコルネリアの側で頑張ってるし、ノエミはマメに手紙をくれるよ」
「そうですか……、良かった」
「ふふっ。みんなにも手紙を書くように伝えておくよ」
「あ……、はいっ! ありがとうございます。お願いします、エイナル殿下!」
茜集落の同世代の娘たちからすれば、ふたりの栄達は特段羨ましいものではなく、むしろ災難に遭ったように感じている。
せっかく外の世界に出られたというのに、また宮仕えという囚われの身になったように見えるのだろう。
――私たちばかり楽しんで……。
と、引け目さえ感じているようだ。
だけど、こればかりは価値観の問題で、ボクから無理に説き伏せても仕方がない。
「ボクも見てるし、コルネリアもちゃんと、ふたりのことを考えてくれてるよ」
すこしでも安心してもらえるよう、微笑みながら語りかける。
その間も、馬蹄の音が響き続ける。
強制捜査の進捗を知らせる急報が、大河流域国家の各地から届き続ける。
カルマジンの街には、どこか物々しい雰囲気が漂う。
「心配いらないよ。……コルネリアが、大河のほかの王様たちとも協力して、悪いヤツを捕まえたって報せだ」
ボクが供も連れず、いつもと変わらないお気楽な風情で街をあるくと、皆がどこか、ふっと息を抜く。
コルネリアの、不正との闘いは、この街から始まった。
王領伯は捕縛され、戒厳令が布かれ、街の者はすべて、取り調べの対象になった。
戒厳令が解かれても、女王コルネリアの滞在は続き、再審庁が置かれ、清流院が開かれた。
開明的な改革が続き、理不尽な手数料は廃止、税は簡素化され、民の手元に残るおカネは増えた。
だけど、カルマジンの民の心は、落ち着かない。
――確実に、いい方に向かっている……。
と、頭で理解するのと、心の平穏は別の問題だ。
ボクは積極的に街に出て、みなと交わる。
今回の〈各国一斉共同捜査〉にあたり、コルネリアの出した布告を、ゆっくりと穏やかに説明する。
「……じゃあ、儂らは関係がないって話ですか……?」
「ん~、そう思ってて、大丈夫だよ」
「……また、取り調べの対象になるってことは……?」
「はははっ、ならない、ならない! ……カルマジンは調べ尽くして、みんなが潔白だってことは証明されたんだから」
「そうですか……」
「ふふっ。だから、コルネリアも清流院の誘致を決めたんだよ? ……あれは、本当にすごい組織なんだから」
ボクの言葉を聞いて、街の者たちはようやく納得した顔を見せてくれる。
とはいえ、のどかな元の暮らしを求める民にとって、カルマジンが国際的な枢要都市になることは、誇らしくもあるけど、特段嬉しい話でもない。
コルネリアが、大河流域六王国すべての指揮を一手に担っていると聞いても、ピンとくる者は少ない。
「はははっ! ……コルネリアは、悪いヤツらを懲らしめてるだけだから、なにも心配することはないよ」
ボクの言葉に、
――それは、分かったのですが……、なんで、王都じゃなくて、カルマジンで?
という表情を見せる。
ただ、ボクがニコリと笑えば、皆どこかホッとしてくれる。
王配たる者、それでいい。
ふつうの王国なら王妃が担う役割を、ボクが務める。当たり前のことだ。
政治には口出しせず、にこやかに佇み、慈善事業に励む。王妃のあるべき姿。
クランタスのリエパ陛下のあり方などは、大変に勉強になる。
民や臣下の前では、決して夫である国王レオナス陛下の前に出ようとはされない。
だけど、ボクやコルネリアしかいない場所では、レオナス陛下の言いにくいことを代わって口にし、代わって頭をさげられる。
すべてを、レオナス陛下に捧げている。
ボクも、かくあるべきだ。
コルネリアの治政は磐石に見えて危うい。
動乱からおよそ1年。
あの鮮やかな平定劇の興奮から、皆が冷めてくる頃合いだ。
立て続けに実行される改革に、疲れを感じる諸侯が出てきても不思議ではない。
改革の前面に立つ、枢密院議長のクラウスと大将軍のビルテは、いずれもテンゲルで叙爵されたとはいえ、リレダルの出身。
宮中伯のカリスは、バーテルランド。
側近集団でも、ナタリアだけはテンゲルの伯爵家を出自に持つけど、ばあやがバーテルランド、ウルスラはコショルーの難民。
女王コルネリアあるところ、常に剣聖ありと、吟遊詩人が歌うルイーセもリレダル。
最近、コルネリアの側近と認識されはじめたメッテ殿は、ブラスタの王女。それも刺青入り。
そして、サウリュスがクランタス。
つねにコルネリアの側に従う、謎の美形宮廷画家は、実は王政の黒幕なのではないかと囁かれている。
ちなみに、サウリュスに、もみ手をしながら近付いた者は、
――あっ……、違うわ、これ。
という薄笑いを浮かべて、そっと離れていくけど、噂には尾ひれがつくものだ。
要するに、動乱平定の興奮が冷めたとき、諸侯の目に映るのは、〈よそ者〉が幅を効かせるテンゲルだ。
そして、今日もまた、動乱前のテンゲルを知らない子どもが生まれている。
改革され、住みよいテンゲルが当たり前だと思って育った者たちが、王国の表舞台に出てくるまで、およそ20年。
諸侯の子女ならば、15年もすれば社交界に顔を出し始める。
そのとき、〈よそ者〉の王配が、大きな顔をしていては、コルネリアの治政を大きく揺るがすことになるだろう。
しかも、その頃には、ボクはソルダル大公位を継承している可能性が高い。
最初が肝心。
コルネリアの治世は、まだ始まったばかりだ。
いまのボクのふる舞いが、コルネリアの治世を15年、20年と揺るぎないものにする。
コルネリアに求められない限りは、一歩も二歩も引いて、表には出ない。
ボクはただ、コルネリアの〈旦那様〉として、あたたかい家庭を築くことだけを考えていればいい。
ボクが女であれば、コルネリアの子を産んで、コルネリアの治政を助ける王子や王女を儲けられただろうに、残念だ。
子を儲けることすら、コルネリアの仕事。
せめて、開花した才を静かに見守り、プライベートな時間では、コルネリアの疲れを癒すことに徹するべきだ。
「愚かだな……、エイナル」
ルイーセの、いつもの不愛想な物言いに、苦笑いを返した。
忙しいコルネリアに時間をつくってもらい、リエパ陛下からの親書にアドバイスを求め、執務室を出たところだった。
「ルイーセは、いつも、コルネリアを側で見てるんだから、ボクなんか愚かに見えても仕方ないよ」
「……なんだ、分かっているではないか」
「ふふっ。……言ってはなんだけど、コルネリアの才は、ボクが最初に見つけた才だよ? 身の程は弁えてるつもりだけど?」
「やっぱり、愚かだな。そっちではない」
「ん?」
「……コルネリア陛下が聡明であられるということだ」
「あ、うん……。ボクもそう言ったつもりだけど?」
「なぜ、カルマジン公を断った?」
「……カルマジン公?」
思わず、キョトンと聞き返してしまった。
「……なんだ、覚えてもいないのか?」
「あ、いや……。そういえば、そんなことも言ってたね」
コルネリアが、ボクに恩義を感じてくれるのは嬉しいし光栄だ。
だけど、「公位」を贈るとなると、テンゲルの諸侯がどう受け止めるか分からない。
辞退して、話は終わったはずだけど……。
「エイナル。……そんなことでは、いつかコルネリア陛下に〈やきもち〉を焼くハメになるぞ?」
「……え? 誰かいるの? その……、コルネリアの……」
「……たとえ話で狼狽えるほど惚れてるのなら、もっとほかに、やりようというものがあるだろう……」
「え? え? どういうこと?」
ルイーセが、自分の額を手で打った。
「……あとで、コルネリア陛下に叱られそうだから、ハッキリ言っておくが」
「あ、うん」
「コルネリア陛下に、ほかの男の影など一切、ない! ……いいか? さっきのは、私のたとえ話、戯言だから、陛下に告げ口したりするなよ?」
「あ、そう……」
ルイーセが、おおきくため息を吐いた。
「……コルネリア陛下に惚れてる男は星の数より多いだろうが、陛下の目に映っているのは、エイナル。お前だけだ」
「なんか、気を使わせた?」
「お前にではない。コルネリア陛下に気を使ったのだ。勘違いするな」
不満げに顔をそむけたルイーセに、苦笑いを返す。
ボクの方が付き合いが長いのに、すっかりコルネリアの忠臣だ。
嬉しくも、頼もしくもある。
そして、夕餉をとりに街に出る。
コルネリアは執務室に籠り切りで、強制捜査の指揮を執っている。
早馬は、昼も夜もなく、ひっきりなしに馬蹄の音を響かせている。
ボクは、街の者たちと明るく杯を酌み交わし、彼らが抱く不安を和らげる。
ひとりの寝室は、すこし寂しいけど、コルネリアの才が大きく花開いている場面だ。
ボクは、ボクのやるべきことで、コルネリアを支える。
そして、強制捜査は節目を迎えた。今夜は久しぶりにコルネリアとの晩餐。
すこし早いけど、心も軽く向かう途中、ナタリアに呼び止められた。
真剣な表情のナタリアに求められるがまま、一緒に尖塔を途中まで登り、階段にある小さな窓から外をぞいた。
「私の秘密のスポットだったのですが……、やむを得ません」
「え?」
「あちらに……、サウリュス殿のアトリエが見えます」
「……あ。ほんとだね」
コルネリアが、モデルを務めていた。
「……エイナル殿下。あの表情をご覧になっても、まだ何もお感じになられませんか?」
と、ナタリアが、哀切な表情を窓の先に向けた。
もう一度、サウリュスの前に座るコルネリアに、視線を向けた。
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