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187.冷遇令嬢は泣き付いた

狷介博士、ルーラント卿との打ち合わせを終えて気を引き締め直す。


大河は広く、長く、だけど、堤防が決壊して困らない箇所など存在しない。


そして、軍も治安当局も人の住む市街地を中心に警戒せざるを得ず、大河の堤防にズラリと並べるようなことはできない。



――テロの標的箇所を予測。



困難でも、取り組むしかない。


わたしと狷介博士たちで検討した結果、脆弱な箇所を狙い「最小で子どもの拳大サイズの穴を3つ、三角形をなすように開ける」ことで、増水すると水流が穴を広げ、堤防は決壊させられるという結論を得た。


堤防建設の基礎となる土木工学において、つねに警戒される、浸透破壊――パイピング現象を応用した破壊方法。


ただ、巨大な構造物である堤防に対し「子どもの拳大サイズの穴」を目視で見付けるのは、専門的な技師でも至難の業。


当然、穴は隠されているだろうし、騎士や衛士の巡回に、発見はまず期待できない。


堤防のすべてを守らないといけないわたしたちに対し、敵はどこか一か所でも決壊させられたら目的を果たす。


最初から分の悪い戦い。


すでに割り出された脆弱地点は各国に通知し、警備の強化を要請している。


また、ルーラント卿は、清流院に集う各国の治安当局者たちとの意見交換も始めてくれている。



「……なにか、見落としがあるような気がしてならないのです」



いつも冷静なルーラント卿が、焦りの言葉を口にする。


ただ、局面は確実に進んでいる。


闇の輪郭は捉えた。


ナタリアは水脈史編纂室をフル稼働させ、隠匿資金の在り処について分析を開始。


皆で当面の方針を確認し合った。


さらに数日が過ぎ、現時点で把握できたアジトへの強制捜査が、すべて終わる。


取り逃した者の追跡など、各国の捜査体制は維持される。だけど、一旦、大規模な一斉捜査には区切りがついた。


カリスは自分の執務室に戻り、捕縛者の多く出た、王家領各地の統制に指揮を執る。


大河流域国家のすべてで捕縛された者、その数、約四千名。


そのすべてが沈黙を守る。



「……ほんと、陰湿な連中だ」



メッテさんが吐き捨てた。



「四千人の下っ端を切り捨てても、親玉はどこかでのうのうとしてるんだぜ?」


「ええ……」


「……必ず捕まえて、卑怯者の顔を拝んでやろうぜ」



険しい表情のメッテさんが、わたしの執務室をあとにした。


そして、入れ違いにゲアタさんが姿を見せる。ソファを勧め、向かい合って座った。



「……この間、手下の者を張り付けておりましたが、〈柳のじいさん〉も〈柳の組合〉も動きませんでした」


「そうですか……、ご苦労様でした」


「引き続き、監視を続けさせます」



カルマジン近郊の港町。


いつも子どもに飴を配っている〈柳のじいさん〉は、かつて前王政に無実の罪を着せられた民を逃がしたり、匿ったりしていたという。


それは、再審庁に出頭してきた者たちの証言からも、裏付けがとれた。


容易に類推ができる。



――デジェーを逃がしたのは〈柳のじいさん〉と、彼が率いる水運業者の相互扶助組織〈柳の組合〉なのではないか?



だとすれば、柳のじいさんには、闇の勢力に加担している疑いが出てくる。


水運業者といっても、ふだんは漁師で、依頼があれば小舟で荷物を運ぶといった小規模なもの。


そして、小舟からは、カリスへの襲撃が想起される。


軍用高速船に油壷を投げ付けたのは、無数の小舟だった。


もちろん、あのときも港町は捜査対象になっていた。だけど、特段怪しいところは出てこなかった。


それに、わたしに「無実の者を逃がしていた」と教えてくれたのは、港町のラヨシュで、ラヨシュは〈柳の組合〉の一員だ。


疑いはあるけど、確証は何もない。


なので、メッテさんとゲアタさんに依頼して、エルヴェンから移住してきた信頼の置ける無頼をひとり、送り込んでもらった。



「へっへ……。博打で大勝ちして、気ままな旅をしてるんだよ。いい街だなぁ~」



と、のんびり港町に居ついた体裁で、情報収集にあたってくれている。


そして、柳のじいさんと、柳の組合は、各国一斉の大規模な強制捜査にも、動揺を見せることはなかった。



「……分かりました、ゲアタさん。お手数ですが、引き続きお願いします」


「ですが、気になることが……」


「はい。……なんでしょう?」



ゲアタさんの赤錆色をした瞳が、ギラリと輝いたように見えた。



「……イグナスとの面会から帰って来てから、メッテが妙に上機嫌なんですが」


「え?」


「……なにか、ありました?」


「え……、えっと~」



イグナス陛下と熱い抱擁を交わされたことは、ゲアタさんには内緒にすると、メッテさんに約束してしまった。



「さ、さぁ~?」


「……ほんとですか?」



ツツツっと視線をそらすと、ゲアタさんの小鳥のような顔がテーブル越しに追い駆けてきた。



「あ、あの……、ゲアタさん?」


「はい」


「お、幼馴染のようなイグナス陛下にお会いになった訳ですし、ご、ご機嫌がいいのはそのせいなのでは?」



ジロリとわたしを睨む、ゲアタさん。



「イグナスは、メッテのことを嫁にもらってくれるんですかね?」


「……え?」



メッテさんを助けにこなかったイグナス陛下に、ゲアタさんは批判的。


メッテさんからは、そう聞いていた。


思わず、ゲアタさんの瞳をのぞき込む。



「……その気もないのに、粉かけるようなマネされたんじゃ、たまりませんから」


「ああ……、えっと……」


「メッテが幸せなら、私はなんだっていいんですけどね……」



と、ゲアタさんはちいさく息を抜き、わたしから離れた。


プイッと顔をそらし、遠い目をして唇を尖らせている。


整った顔立ちは、ますます小鳥のよう。


メッテさんが無頼の道を選ばれたとき、ゲアタさんとの主従関係は一度解消したと聞いている。


それでもゲアタさんは、今度はメッテさんの子分として、一緒に無頼の世界に身を投じられた。


常にメッテさんの側にあって、メッテさんが薊の刺青を彫れば、ゲアタさんも鳳蝶(あげはちょう)の刺青を入れた。


剣の腕も立ち、ゲアタさんを慕う無頼も多い。立派な姐さんで、親分のひとりとして、メッテさんを支えている。



「メッテにあんな顔をさせてるのは、イグナスじゃなくて、コルネリア陛下……。そう思うことにしておきます」


「はい……」


「それに、ポトビニスにもブラスタにも頭を下げさせたのは、さすがコルネリア陛下だって、スッとしました」



ポトビニスに目を向けさせてくれたのは、ゲアタさんだった。



「……メッテさんは、よい子分さんをお持ちですわね」


「え? ……急になんです?」


「ゲアタさんは、メッテさんとイグナス陛下を応援したいんですか?」


「……したい、ってことはないですけど」


「ええ」


「イグナスには、いまさら思わせぶりなことはやめてほしいですね」


「ふふっ、そうかもしれませんわね」


「どうせメッテのことだから、ありのままで懐のなかに入れてしまうんでしょうけど……」


「あら」


「……カッコイイ女ですから、メッテは」


「ええ、そうですわね」


「でも、イグナスがそれに甘えてるのは、どうにも腹が立ちます」


「ふふっ、ほんとですね」



ゲアタさんは、イグナス陛下にも、ブラスタ王国にも、ポトビニス王国にもわだかまりを持ちながら、メッテさんの幸せだけを祈ってる。


メッテさんがまた傷付くようなことがないようにと、それだけを願われている。


わたしは、そんなゲアタさんを応援したい気持ちになる。


いつか、ふたりでイグナス陛下を問い詰めましょうねと囁くと、



「……そんなことしたら、メッテがなんて言うか……」



と、唇を尖らせる姿も愛らしい。


なんとなく温かい気持ちにさせてもらいながら、ゲアタさんを送り出した。


そして、手元の資料を整理し直し、今後の捜査に備える。


まだ、資金洗浄後の資金の在り処が突き止められていない。


各国の治安当局が、四千人の捕縛者への尋問にあたっており、またその周辺の人間関係を洗っている。


沈黙の掟を守る彼らから証言が得られなくとも、捕縛者の相関図を描いていけば、必ず浮かび上がってくるものがある。


それを慎重に見極め、首魁にたどり着かないといけない。


王都からクラウスが到着したと報せがあり、謁見の間へと向かう。


清流院に集った治安当局者の非公式会合は、そのまま存続させることになった。


ただ、条約や協定など法的裏付けのない組織であり、情報共有が個人の裁量に委ねられている形は、緊急時はともかく、常設機関としては法的安定性を欠く。


そこで、正式な条約が整うまでは、一旦、全員を母国と両属の形で、テンゲルの枢密院における〈客員参事官〉の肩書きを与えることで、各国と合意した。


クラウスの統制下に置き、当面はテンゲルの法に基づいた、厳格な守秘義務を負ってもらう。


闇組織による暴動や治安騒擾の恐れが去った訳でもなく、統合幕営も存続している。


正直、わたしが手一杯で、クラウスに泣き付いた形だ。



「……クラウス、手間をかけます」


「いえ、ご安心ください。必ずや機能的な組織として立ち上げてみせましょう」


「心強い限りです」


「……いずれはルーラント卿を責任者とする、国際的な刑事警察機構に育てたい……、というご意向かと拝察いたしますが」


「さすがクラウス、その通りです」


「それでは、その線での新たな条約締結、もしくは大河委員会条約の改正を、各国に働きかけてまいります」



クラウスの働きは目覚ましい。


もともと、動乱を経たわたしの統治では、治安対策をエルヴェンから連れてきた騎士団に委ねるしかなかった。


ほぼ軍政に近い。


それをクラウスが、テンゲル本来の警察機構である衛士団の再建に取り組み、今回の強制捜査で見事にその能力を証明した。


治安当局者の非公式会合にも、騎士団からではなく衛士団から役職者を参加させることができた。


軍政から平時体制への移行に目途が立ち、動乱は本当の収束を迎えようとしている。


クラウスはいつも、わたしが構想したことを、素早く確実に、しかも、より良い形で実現してくれる。



「いまのテンゲルは、クラウス枢密院議長の手腕あればこそ。頼りにしています」


「恐れ多いお言葉にございます」



わたしに片膝を突くクラウスが、顔を上げた。



「……して、コルネリア陛下。〈次の手〉の方は……?」


「あ……、ええ」



結局、エイナル様とはまだお話ができていない。


クラウスに曖昧な笑みを返してしまう。



「……こちらの準備が整い次第、追って申し伝えます」


「ははっ、かしこまりました。……念のため申し添えますと、枢密院の準備は万端整っております」


「……ありがとう。頼りにしています」



そのまま、略式ながら治安当局者たちの〈客員参事官〉への任命式を執り行い、謁見の間をあとにする。


今晩は久しぶりに自分の寝室に帰る。


その前には、エイナル様との晩餐。


しばらくお会いできなかったけれど、今夜はエイナル様にわたしの話を聞いてもらえるだろうか……。


思い浮かぶ、やわらかで優しげな微笑みが、すこし怖い。


晩餐を前に、シトシトと雨の降り続く窓の外を眺める。雲の薄いところが夕陽に染まり、どんよりと赤い。


そして、こちらも久しぶりに、サウリュスのアトリエに入った。



『コルネリアには、何も考えなくていい時間があってもいいと思うよ』



エイナル様のお言葉を思い返しながら、ただ空を見詰めて30分、サウリュスの前に座って過ごした。



本日の更新は以上になります。

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