183.冷遇令嬢は義妹の謎を解かない
実のところ、フランシスカがわたしを「お姉様」と呼ぶことすら、特大の非礼だ。
フランシスカは既に貴族籍を剥奪されており、わたしを呼ぶなら「女王陛下」と呼ぶのが正しい。公式には姉妹ではない。
それに、同じ目線の高さで対面すること自体が破格の待遇。
本来であれば、両膝を突き、わたしを直視することも、直接言葉をかけることも許されない。
だけど、フランシスカはその恩情にも気が付いてはいない。
わたしのテンゲル王都水没策が、自分のアイデアを盗用したのだろうと、得意気に胸を反らしている。
さすがに気分が悪い。
私欲に駆られ、リレダル王国に大損害を与え、和平を壊してでも自分の領地を守ろうとしたフランシスカの行いと、民を救い、より多くの命を守るためだったわたしの水没策を同列に扱われたのでは、たまったものではない。
「お姉様が、テンゲルの女王に即位できたのは私のお陰でしょ!?」
反論すべきか、……迷う。
おなじ地平で言葉を紡ぐことに、大変な抵抗がある。
一度、すべての生活を失ってでも王政の転換を決意してくれたテンゲル王都の民たちや、彼らを安全に退避させてくれたカーナ妃殿下、ビルテさん、ルイーセさん、カリス。みんなを貶めるような気がする。
「テ、テレシア……様が、テンゲル王家の方だったなんて、とても驚いたけど……、でも、お姉様が……」
「もういいわ、フランシスカ」
「だって!」
「……よく分かったわ」
わたしの冷えた声に怯んだのか、フランシスカは俯いて黙り込んだ。
フランシスカに向き合ってみようと、わたしはこの場に赴くことを決意した。なら、最後まで話を聞いてやるべきだとは思う。
フランシスカが変わったと感じるところは、たしかにある。
チーズの冷燻は逸品だったし、燻製小屋での仕事にも真面目に取り組んでいる。
だけど、まったく変わってないところもある。
リレダルの堤防の決壊未遂という自分の恥ずべき過ちを、わたしの「アイデアの源泉」「女王即位の要因」であったと認識をすり替え、自己正当化しようとしている。
とても、続きを聞く気にはなれない。
ただ、フランシスカは祖母レナータとは違う。自分の敗北を認め、受け入れている。
それだけが、わずかな救いだ。
わたしは、ナタリアから預かった船荷証券の控えを机に広げた。
「これ、貴女のサインよね? フランシスカ」
「……知らないわ」
「船荷証券の証人なること自体は、なんの罪でもないわ。……だけど、嘘を吐くことは、大きな罪よ?」
俯いたフランシスカが、チラリと上目遣いにわたしを見た。
仕草の醜さに、思わず眉が寄る。
だけど、嫌悪感を吐き出してしまわないよう気をつけながら、ナタリアたち水脈史編纂室が集めてくれた証拠資料を、淡々と机の上に重ねていく。
「……モンフォール侯爵領の会計帳簿に残っていた貴女のサイン。筆跡がおなじね。それから、エルヴェンのドレス店に残っていた貴女のサイン。……エイナル様との婚約を、わたしと差し替えさせようとしたときのものね。これは、わたしのデビュタントに、招待されてもいないのに押し掛けたときの……」
「もういいわよ!」
「よくないわ、フランシスカ」
「いいわよ! お姉様はひどい!」
顔を上げたフランシスカは、世界にはこんなにも人の心を動かすことのない涙が存在するのかと、驚きを禁じ得ない涙を、目にいっぱいにためていた。
――そういえば、あの豪雨の夜、フランシスカの「ひどい……」の続きを聞いてあげなかったわね。
と、思い出す。
「……わたしの、なにがひどいの?」
「軟禁されてたなんて言いながら、テレシアから英才教育を受けてた。そんなことしてもらえたら、私だって、もっと賢くなれたわよ!」
「そう……」
「私には何もなかった! お父様はいつもテレシアとお姉様のことばかり考えてて、お母様はいつも寂しそうで、私のことはほったらかし。私はいつも独りだった! 私はただ、モンフォール侯爵家の体面を保つためだけの道具だった!」
もしも――、と考えさせられる。
もしも、わたしが幸運に恵まれず、いまもあの別邸に軟禁され、ただただ父とフランシスカの元で虐げられ続けていたら。
もしも、エイナル様やカリス、愛する人や、愛してくれる人、多くの仲間たちに巡り合えていなければ。
わたしもまた、いま目の前にいるフランシスカのようになっていたかもしれない。
同情ではない。
敢えて名前を付けるなら、憐み。
フランシスカもまた、わたしと同じく「冷遇」され、歪んでしまったのだ。
「サインがなによ! 私が自分だけの力で、すこしばかりの贅沢を手に入れることが、そんなに悪いことなの!?」
フランシスカの存在はモンフォール侯爵家の体面に傷を入れていたし、証人として価値があるのはフランシスカだけの力ではない。モンフォール侯爵家の歴史と伝統があればこそ。
論理も認識もめちゃくちゃだ。
サインの本人確認を求められただけなのに、「悪いことをしたと非難された」という受け止めの飛躍も、実にフランシスカらしい。
ただ、ほんの少しだけ、フランシスカに優しい気持ちになれた。
「……悪くないわ」
「じゃあ!」
「わたしはただ、このサインは貴女のものよねって聞いただけよ?」
「なんで、そんなこと聞くのよ!? 私が悪いって思ってるからでしょ!? ……わ、私の首を刎ねようと思って、また罪をなすりつけようとしてるんでしょ!?」
色々、突っ込みたい。
なにより、「なすりつける」もなにも、フランシスカはしっかり罪を犯している。
それも、わたしとお母様の軟禁は領主の家長権の範囲だと罪には問わず、公金横領や領地の腐敗に関するものだけで、16年の強制労働の罰が相応しいだけの罪だ。
――いや……、そもそもフランシスカは「なすりつける」という言葉の意味を、正確に知ってるのかしら……? 単に〈それらしい言葉〉を使ってみただけ……?
この謎を解く必要性が、低すぎる。
エイナル様がプルプル震え始めた気配がする。たぶん、笑いをこらえてる。
最近、エイナル様の沸点が低い。
ルイーセさんは、モンフォール侯爵領の腐敗追及の時点で既にわたしの臣下に移籍してくれていて、フランシスカの奇妙奇天烈なところを、よく知っている。
特に気配の変化は感じない。
「あのね、フランシスカ……」
まずは噛んで含めるように、ひとつずつ、サインしたこと自体を責めているのではないと説明を試みる。
難航する。
なんの時間か分からない。
ついにエイナル様が、
「フランシスカ殿の首は刎ねない。ボクが保証する。……それでどう?」
と仰ってくださり、ようやくフランシスカが納得した。
「そうよ……、私のサインよ。それが、どうしたって言うのよ?」
文字通り、日が暮れている。
ばあやがサンドイッチを差し入れてくれて、かるく晩ご飯の時間にする。
「……そういえば、フランシスカと一緒にご飯を食べるのって、初めてね」
「そうね……。ふん、女王になったくせに、粗末なものを食べてるのね。それとも、私へのあてつけで、こんなものを一緒に食べてみせてるの?」
「あら、美味しくない? ばあやのサンドイッチ」
「……美味しいわよ」
「ばあやの茹で卵も美味しいわよ?」
「茹で卵なんか、誰が茹でても同じでしょ? バカじゃないの?」
「そういえば、お土産にもらった貴女のチーズの冷燻、とても美味しかったわよ」
「え……。そ、そう?」
「ええ、とても。ね、ルイーセさん?」
ふり向くと、ルイーセさんが目を丸くしていた。気持ちは分かる。
「あれは、フランシスカ殿が……?」
「ええ、フランシスカが開発したんですって。旦那様の感想はいかがでした?」
「美味いと言って、とても喜んでいた」
「ふふっ。ですって、フランシスカ」
「そ……、そう。良かった……」
と、フランシスカは頬を紅くして俯いた。
自分の努力が他人から認められた経験が、あまりにも少ないのだろうと察せられる。
とてもアンバランスな姿。
だけど、燻製小屋の職人たちには、とても良くしてもらっているのだろう。
フランシスカへの罰を定めたとき、
――せめて自分の行いの意味を自覚してから、反省し、悔いてほしい。でないと、わたしの19年が虚し過ぎる。
と考えた、わたしの願い通りに進んでいるのかもしれない。
まだ最初の1年が過ぎたばかり。
勤労の尊さに目覚めたのなら、フランシスカとしては大進歩だ。
――罪人を良民へと領導するのは、為政者の大事な責務よ。
かつて燻製小屋でフランシスカの働きぶりをのぞき見したとき、カリスがわたしにかけてくれた言葉と一緒に、サンドイッチを噛み締めた。
尋問を再開する。
サインした経緯を詳しく知りたいだけなのだと、フランシスカがようやく理解してくれたとき。
「……それを話したら、お姉様はわたしに何をしてくれるの? もっとマシな生活をさせてくれるなら、考えてあげてもいいわよ?」
と、フランシスカが言い出し、
――ま、そうなるわよね……、フランシスカなら。
と、今度はわたしが納得させられた。
要求が「マシな生活」程度な分だけ、成長のあとが見られる。と思うことにした。
これがレナータであれば、
『女王の妹として王女の称号を贈りなさい。王女なのだから宮殿も新しく建てて、領地も当然。領地は豊かな地でないと認めません。ついでにモンフォール侯爵の爵位も私に返しなさい』
とかなんとか言いそうなところだ。
フランシスカの物言いは不遜ではあるものの、少なくとも自分が罪人であることは受け入れ、強制労働の待遇改善を求めてきただけだ。
ここまでくれば、今晩中に証言を得たい。明日になれば、いちからやり直しになっていてもおかしくない。
わたしは取引を受け入れることにした。
本日の更新は以上になります。
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