182.冷遇令嬢は義妹に対面する
「……正直、気は進まないわね」
と、カリスは顔を上げた。
わたしが直接、フランシスカへの尋問を行うことに、止める理由はたくさんある、という表情だ。
「うん……」
「でも、ネルが話すのが、いま一番確度の高い方法だとも思うの」
「……え?」
「アレは……、通常の尋問官じゃ無理ね」
「え、そんなに?」
「ふふっ。有効な……、というか意味のある証言を引き出すのに、すごく時間がかかっちゃう……、かな?」
と、カリスは苦笑いをした。
要するに、フランシスカはちっとも変っていないというのが、カリスの見立て。
「……フランシスカ様が、なんで怯えてるのか聞き出すのに、どれだけ……」
「あ、うん……。なんか、ごめん」
「ふふっ、いいのよ。ネルが謝ることじゃないわ。……でもね」
カリスが小さな包み紙を取り出し、テーブルの上に置いた。
「……なに?」
「開けてみて」
複雑な笑みを浮かべたカリスを怪訝に思いながら、そっと包み紙を手に取る。
厚手で丈夫な未晒しのクラフト紙。
すこしゴワゴワして、燻製の香りがする。燻製小屋で燻煙チップの仕入れに使われてるものだ。
そっと開くと、ふわっと、桜やリンゴの木のような甘く穏やかな香り。そして、艶のある淡い飴色をした、丸い形の塊。
「チーズ? ……チーズの燻製?」
「そう。毒見はしてあるから、食べてみて」
「あ、うん……」
口にすると、燻製の香ばしい香りが鼻に抜け、次にチーズの濃厚なコクと、穏やかな塩味が口の中に広がる。
食感は硬すぎず、ねっとりと滑らか。
その中にある、カリッ、コリッとした歯ごたえは……。
「なにこれ、美味しい。……チーズに木の実が練り込んであるのね」
「そうなの。クルミ、ヘーゼルナッツ、それから、赤カシの実」
「え? 赤カシの実って、ドングリ?」
「そう。……燻製小屋の側に落ちてるドングリを、何度も水にさらして、茹でこぼして丁寧にアク抜きしてあるんだって」
「へぇ~っ!? ……ちょっと渋みがあって、独特の甘みと……、これ元はシェーブルチーズよね? 山羊乳の」
「ええ」
「酸味が控えめで、コクのあるシェーブルチーズに、こんなに合うんだ、ドングリ。……燻製にしてるからかな? 冷燻よねこれ?」
「食べたことない味がするでしょ?」
「うん、初めて! へぇ~っ!? ……燻製小屋の新商品? これはスゴイわね」
「……フランシスカ様がつくったの」
「え?」
「まだ試作品らしいんだけど……、『どうしても、お姉様に献上するんだ』って」
「そ、そう……」
髭ヅラの騎士が燻製小屋の親方に確認し、間違いなくフランシスカが試作中の品だということで、携行を許し、カリスに判断を委ねたらしい。
形は不ぞろい。完璧な円ではなく、すこし歪んでいる。
所々に濃い焦げ茶色の燻煙のムラがあり、手作り感と、試行錯誤の跡を感じる。
だけど味は複雑で芳醇。
試作品だというけど、見た目を整えたら、すぐにでも商品として出荷できそう。
フランシスカを侮る訳ではなく、フランシスカひとりの力でつくれる品ではない。
そもそも、エルヴェンの燻製小屋は魚介がメインでチーズの取り扱いは少ない。
燻製小屋の職人をはじめ、出入りの業者や多くの人たちから協力してもらわないと、つくることができない。
「……そう。フランシスカが……」
「真面目に働いて刑期を務めてるって、命乞いのアピールだとは思うけど……」
「そうね……。でも、美味しい……」
あのフランシスカが、誰かの力を借り、まったく新しい商品をつくった。
静かな感動がある。
赤カシの実にたどり着いたのは、予算の都合だろうか? シェーブルチーズに合う木の実を探してのことだろうか?
色々、聞いてみたい。
もうひと口食べ、目を輝かせる。
罰としての強制労働とはいえ、フランシスカは人生で初めて「自分の力で生きる」ということを経験しているのだ。
カリスが、涼やかに微笑んだ。
「まあ……、会いたくなっちゃうわよね?」
「ふふっ。そうね」
人差し指をピンと立てたカリスが、甲高い裏声を出した。
「……私、燻製小屋での強制労働を通じて、自分の過去の行いが、どれほど他者を傷つけ、浅はかであったかを、遅まきながら自覚したのよ、お姉様」
「え? フランシスカのマネ? ……言ったの、そんなこと?」
「あ、ごめん……」
「なんだ。カリスの妄想?」
「……言ってくれたら、いいのになぁって」
「ふふっ。メッテさんに叱られちゃう」
「え?」
「甘い期待は抱くなって」
「ふふっ……、ほんとね。メッテさんの仰る通りだわ」
だけど、つい期待してしまうほどに、この『三種の木の実を練り込んだシェーブルチーズの冷燻』は手間暇がかかっていて、出来がいい。
カリスが、ジッとわたしを見詰めた。
「……ネル、尋問の手配はするけど、無理だと思ったら、すぐに切り上げて。あとは私たちがやるから」
「分かった、ありがとう」
カリスの執務室を出て、ドアの外で待ってくれていたルイーセさんにチーズをひとつふる舞う。
「……美味いな」
「ふふっ。そうでしょう?」
「旦那の土産に、もうひとつもらってもいいか?」
「ええ、どうぞ」
「ありがとう。旦那が喜んでくれそうだ」
生涯で初めて、妹を自慢に思った。
そして、フランシスカへの尋問が、再審庁の一室でセッティングされた。
ナタリアによる船荷証券の調査、カリスによる王家領から流出した不正資金の精査。
ともに順調だけど、量が膨大で先が見えていない。
「……なにかパターンでも見付かれば、芋づる式に解明が進みそうな予感はあるのですが……」
ナタリアの報告に、カリスも頷く。
もしも、フランシスカの証言から、なにか手がかりが得られるなら、早い方がいい。
飾り気のない石畳の部屋。
女王の謁見でもあり、質素だけど真新しい空色のワンピースに着替えさせられたフランシスカが、身を堅くして座っていた。
手枷はつけさせないよう命じていた。
「……久しぶりね。元気にしてた?」
フランシスカの向かいに腰を降ろし、獄吏を部屋からさがらせる。
わたしの後ろにはエイナル様とルイーセさん。扉の向こうにはメッテさんとゲアタさんが控えてくれている。
ふんっと、フランシスカが鼻で笑った。
不遜な態度。
思わず、にやっと笑う。
――フランシスカは、こうでないとね。
という、妙な安堵があった。
ピクリと動いたルイーセさんには、
「非礼があっても、咎めないでいてください」
と、お願いしてある。
フランシスカが、もう一度、鼻を鳴らした。
「……じょ、女王陛下ともあろうお方が、罪人の心配とは、ご奇特なことね」
フランシスカと父に課した罰は、強制労働とはいえ開放刑。外部との接触はあるし、情報にも触れられる。
わたしの即位も、大河委員会のことも知っているだろう。意味を正確に理解しているかどうかは別にして。
「罪人といえども、わたしの臣民。更生状況は気になるものよ?」
「ふ、ふん……。名君ぶっちゃって」
「ふふっ。それ、褒めてくれてるの?」
「違うわよ。……燻製の匂いが取れなくて困ってるわ。そ、それより、何の用?」
唐突に出てきた「燻製の匂い」が、わたしの「元気にしてた?」に対する返答なのだと理解するのに、わずかに時間を要した。
それから、何の用もなにも……、たった今、更生状況を確認すると伝えたばかりだけど……。
と、フランシスカに思ったところで仕方がない。
本題に入ろうか、もうすこし燻製小屋での暮らしを聞いてみようかと、悩んだ間に、フランシスカが口を開いた。
「わ、私……、漬け汁の世話があるんだけど」
「……漬け汁?」
「ふん。そんなことも知らないの? ……燻製にする前、魚を漬け込むのよ?」
「へぇ~、味付け?」
「バカね、臭みを取るのよ。……漬け汁があるのとないのとじゃ、出来上がりが全然違うんだから」
「へぇ~、知らなかったわ」
「ふふん。エルヴェンの燻製小屋の秘伝なんだから」
「へぇ~」
わたしが燻製をつくらせてもらったときは、既に漬け込み済みのものを使わせてもらったのか。
とにかく、初めて聞いた。
まだまだ、わたしの知らないことばかりだと、目を輝かせる。
「毎日かき混ぜて、新しい塩やハーブを継ぎ足してやらないといけないのよ?」
「フランシスカが任されてるんだ?」
「そうよ。……生き物みたいに繊細なんだから」
わたしが続きを促すと、得意気にご教授くださるフランシスカの語り口調に変わりはない。
ただ、あの別邸で毎日のように聞かされていた、独特な謎解釈が混じる奇妙な学問ではなく、地に足の着いた職人技。
何度も何度も叱られながら、香り、色、味、液の肌触り、五感で覚えていったのだと分かる。
「……お、お姉様には、難しくて分からないかしら?」
「ふふっ、そうね。……今度、ゆっくり教えてもらいたいわ」
「じゃ、じゃあ……、早く戻してよ」
「そうもいかないのよ……」
わたしの言葉に、フランシスカは顔を青ざめさせた。
――あ……、そうだ。フランシスカは、わたしに首を刎ねられるかもって思ってたんだった……。
だけど、なんと言えば、フランシスカがわたしの言うことを信じるのか。咄嗟に言葉が見付からない。
フランシスカは、たしかに変わったのだろう。
それでも、わたしとの関係に変わりはなかった。
「わ、私!」
「……ええ」
「お姉様の役に立ったでしょう!?」
「……? なに? 漬け汁?」
「バカ。ほ、ほら、お姉様がテンゲルの王都を沈めたのって、私のアイデアを盗んだのよね?」
「……ん?」
「だから、私がリレダルの堤防を決壊させてって言ったのをマネしたんでしょ!?」
そうきましたか。
本日の更新は以上になります。
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