181.冷遇令嬢は会いたかった
甲板で着岸を待つ間、軍用埠頭の隅に、護送されるフランシスカの姿を見付けた。
小雨ふる中、木製の手枷をつけられ、腰縄で結ばれ歩いている。
髪は簡素な麻の被り布でまとめられ、くすんだ緑のワンピースに、腰には焦げ茶色をした革のエプロン。
スカートの丈が短めなのは、燻製小屋の煤けた床に引きずらないため。
急を要する緊急保護として、働いているところをそのまま連行されたのだろう。
袖は肘までたくし上げられたままだ。
チラリと目が合った。
けれど、フランシスカはわたしだと気が付かなかったようで、そのまま窓に鉄格子がはめられた、黒塗りの質素な馬車に乗せられた。
わたしの目に映ったフランシスカは、手枷こそつけているけど、ふつうの町娘と変わりがない。
ふつうの女の子。
スッと、息を胸に入れる。
かつて、わたしの心の奥底で足をつかんで放さなかった、怪物のようなフランシスカとは、……やはり別人。
フランシスカから証言を得ないといけない、唐突に訪れたフランシスカとまた関わらなくてはいけないという重圧が、イメージを肥大化させていたのだと気が付く。
ゆっくりと息を吐き、エイナル様の腕に手を乗せた。
「……エスコートしてくださいませ」
「喜んで」
エイナル様はやわらかに、やさしげな微笑みを向けてくださる。
わたしの心を労わってくださる微笑みに、わたしは安心を覚える。
わたしに物心がついたとき、フランシスカは既に本邸にいた。19年間の軟禁。そのすべてが払拭された訳ではないのだと、改めて自分を省みながら、タラップを降りていく。激動ではあったけど、まだ別邸を出て1年とちょっとでしかない。
女王の帰還。枢密院議長クラウス以下、在都の枢密院顧問官をはじめ、高位の文官武官がそろって、わたしを出迎えてくれる。
「三国水防協定の締結、まことにおめでとうございます。また、クランタス王イグナス陛下も交え、大河河口諸国和解の野外饗宴を主催されたとか。重臣一同、コルネリア陛下のご威徳に、感嘆の念を禁じ得ません」
「ありがとう、クラウス。……わけて、水防協定においてはクラウスの働きなくして、締結には至りませんでした。重ねて礼を申します」
「恐れ多いお言葉。この上ない栄誉にございます」
埠頭での受礼を終えて、そっとクラウスだけを呼ぶ。
すぐに王宮でフランシスカの尋問を行うと伝えると、強く反対された。
「たとえ元貴族、元妹君とはいえ、女王陛下が一介の罪人を王宮にて自ら尋問されるなど、玉座の権威を損ないましょう」
「え、ええ……、そうね」
「……ここは、カリス殿の献策通り、速やかにカルマジンに移送すべきです」
冷淡な表情を浮かべたクラウスが、ふっと視線をそらす。
「ですが……、コルネリア陛下の優しいお心は重々知っております」
優しく……、はないのだけど、わざわざ訂正するほどでもない。
曖昧に表情を固めてしまった。
「……御自ら尋問されるにしても、せめて、カルマジンにて、内密にされてはいかがでしょうか」
「そうね、献言に従うわ。ありがとう、クラウス」
「い、いえ。……くれぐれも、ご無理をなされませんよう」
クラウスの顔を見上げる。
『一方的に、長女から次女に差し替えようとは……、わがリレダル王国を侮っておられるのか?』
クラウスは、エイナル様との婚約をわたしからフランシスカに差し替えようとした父を、エルヴェンの街角で一喝してくれた。
あれがなければ、わたしはあの別邸に連れ戻されていたかもしれない。
なんの根回しもなく、突然、自分で尋問するなどと言い出したわたしの心の置きようを、心配してくれているのだろう。
「ふふっ。……ありがとう、クラウス」
「いえ……」
冷淡な表情の向こうに広がる、やさしく温かい心遣いが嬉しい。
こそこそエイナル様に耳打ちしていたので、たぶん、クラウスは親友としてお小言を言っていたのだろう。
――お前がお支えしなくてどうする、王配だろう!?
とか、なんとか。たぶん。
わたしのせいで、エイナル様に申し訳ないことをしたと苦笑いする。
通り雨がやみ、陽の光が射した。
王宮に入り、諸決裁を済ませる。
「……本来、わざわざ陛下のお耳に入れるほどのことではございませんが……」
と、フランシスカと父を乗せた護送馬車は既にカルマジンに向かったと、クラウスが報告してくれる。
――そうか……、父もいたのか。
おなじ馬車に乗せたのなら、ふたりが会うのも一年以上ぶり。
どんな会話を交わすのだろうと、想像をたくましくしてしまった。
ブラスタ王国との和解交渉を完遂したクラウスを労う、立食の晩餐会をひらく。
皆が口々にクラウスを讃えるのが嬉しく、表情をピクリともさせないクラウスに、エイナル様とふたりで笑いをこらえる。
「あれは、嬉しいんだと思うな」
「ええ。照れてますわね」
「クラウスだって、まだ若いからね。褒められたい盛りだよ?」
「ふふっ。では、わたしたちも褒めに行きましょうか?」
「ボクはダメだよ」
「あら」
「ふふっ。褒められてるところを、こうして眺めてあげてる方が、きっとクラウスは喜ぶよ? コルネリアだけで行ってあげて」
「……よくご存じなのですわね」
「ながい付き合いだからね」
クラウスは、エイナル様の幼馴染。
ビルテさんやルイーセさんとも同級生。
コショルー公宮に向かう途上、わたしに臣従を申し出てくれ、後日、改めてビルテさんたちと同様の〈友だち付き合い〉をお願いしてみたのだけど、冷淡に断られた。
「オレは、コルネリア陛下の臣下であることに誇りを持っております。……どうか、このままで」
忠義に厚い割に、意外とわたしの個人的な願いには応えてくれない。
けど、それがクラウスのいいところでもある。
皆の輪に加わり、たっぷり労わせてもらった。
翌朝、クラウスたちに見送られながら、カルマジンに向け出立。
エイナル様の馬の前に乗せてもらい、両脇をルイーセさんとメッテさんが固める。
青空に白い雲。道々の野草を眺め、支流の河面を見ては水位が気になる。
エイナル様は、わたしがフランシスカと「向き合いたい」と決意したことを尊重してくださった。
「コルネリアが決めたことなら、ボクは止めないよ。……でも、そのときは必ずボクに隣にいさせてほしい」
「エイナル様……」
「……それから、少しでもコルネリアがツラいと感じたら、すぐにやめるんだよ。いい?」
「分かりました」
ポスッと、エイナル様の胸の中に背中を預け、赤くなった顔を隠す。
わたしにとって避けたくない道なのだと、エイナル様は理解してくださっている。
その上で、ご自身も立ち会い、物理的にも精神的にもわたしを守ろうとしてくださる。
お気持ちが嬉しく、頬が火照る。
そういえば、わたしにとって〈幼馴染〉と呼べるのはフランシスカだけだ。
エイナル様とクラウスの絆を思い、すこし寂しく笑ってしまった。
「ケジメは、自分でつけるもんだろ?」
と、メッテさんが笑った。
「行ってこいよ、姫様。直接会って腹割って話すのが一番だ。私が外で見張っててやるから、安心してぶん殴ってこい!」
「な、殴りは……、ふふっ」
イグナス陛下と「腹割って」話されたばかりのメッテさんの仰ることだ。
妙に説得力があるし、背中を押される。
――わたしも、フランシスカを抱き締める? ……いや、まさか。愛してないし。
と、自分の妄想に吹き出す。
「……だけどな、姫様。あの手の女が、泣いて謝るなんて思うなよ。期待するだけ、姫様が傷つくからな」
「はい。……ご助言、心いたします」
「はははっ! ご助言なんて大層なもんじゃねぇよ」
ばあやは大反対。
馬車の窓から首を出して、わたしを諌める。とても珍しく、眉間にはシワが寄っている。
「なぜ、あのような者のために、これ以上コルネリア陛下が心を痛めねばならないのですか」
そう言われては、なぜなのか自分でもハッキリと言葉にはできない。
「……ですが、私などが心配するまでもなく、コルネリア陛下は充分にお考えになられてのことですわよね」
そう言われては、そんなに考えてないような気がしてしまう。
「……どうぞ、ご存分になさいませ。ばあやは、お側におりますから。いつでも、コルネリア陛下のお側に……」
と、ばあやの首が窓に引っ込む。
自己完結されてしまった。ばあやまで悩ませてしまって、なにやら申し訳ない。
ルイーセさんは不愛想に呟く。
「コルネリア陛下のやりたいことを実現させるのが、親衛長として私の役目だ」
かつて、わたしの〈聖域〉への潜入調査も、ルイーセさんが実現させてくれた。
おんぶしてもらい、柵を越えた。
ノエミやウルスラ、茜集落の者たちを救け出すことができた。
「当然、護衛にはつくぞ?」
「あ、はい。ありがとうございます」
「……ただ、あの豪雨の夜」
「はい」
「コルネリア陛下への無礼な物言いに斬り捨てようとしたのに、ビルテに羽交い絞めに止められてしまった」
「あっ……。そんなことも、ありましたわねぇ」
「……次は斬る」
「ははは……。お手柔らかに」
乾いた笑いを漏らすわたしに、エイナル様が「ボクが止めるよ」と、耳打ちしてくださる。
メッテさんは大笑いして、
「大将軍様は、ほんとにお強いんだな!? ……羽交い絞めとはいえ、剣聖様を止められるとは!」
と、本題に関係ないところで唸られた。
みんなが、それぞれにフランシスカとは面識があって、わたしを気遣ってくれる。
わたしを独りにはしないと言ってくれる。
そして、カルマジンに入る。
再審庁の執務室にカリスを訪ねる。
「は~ん! カリス、会いたかった!」
「もう……、大袈裟ねぇ」
苦笑いされながら、ソファに腰をおろす。
再審庁は、元はカルマジンの政庁。地下牢を備えており、先に到着したフランシスカと父が収監されている。
カリスは、既にフランシスカに会ったとのことだった。
「……怯えてた?」
「ええ……」
と、お茶をスプーンでかき混ぜながら、カリスが苦笑いを重ねた。
「フランシスカが、なにを怯えることがあるの?」
「……急な移送で」
「うん」
「……気の変わったお姉様に、首を刎ねられるんじゃないか……、って」
呆気にとられる。
移送理由は機密に関わることで、フランシスカに説明されなかったのは確かだろう。
けれど……。
「……フランシスカは、ほんとうに……、わたしのことを何も知らないのね……」
「面白いから、そのままにしてあるわ」
「もう……、カリスったら」
すまし顔でお茶を飲むカリスに、頬をゆるめてしまう。
「本当のことを知らされない、ただ牢屋の壁を見詰めてるしかない気持ちを、思い知ったらいいのよ」
「ふふっ。……そうね」
そして、わたしが自身で尋問にあたると告げると、カリスは考え込んだ。
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