180.冷遇令嬢は義妹を召喚した
エイナル様に手を握っていただき、ふたたびハッとした。
やわらかく握り締めてくださる、エイナル様の温かな手。わたしの心を何度も繋ぎ止めてくださった、やさしい手。
その温もりにむしろ、まだわたしにとって、フランシスカの存在が大きなものなのだと気が付かされ、とても悔しい。
エイナル様は、そのままわたしを後ろから抱き締めてくださった。
「ちょ……、エイナル様?」
「ん?」
「……レ、レオナス陛下もメッテさんもいらっしゃいますのに……。兵たちも見ております」
「大丈夫、大丈夫。レオナス陛下もボクなんかより、コルネリアの話の続きが聞きたいと思うよ?」
「な……、なんかはイヤです」
「ん?」
「……ボクなんか、とは仰らないとお約束くださいました」
「ふふっ、ホントだね」
「わ、笑い事ではありません。あ……、船を停めてください」
騎士たちに堤防補修の指示を出す間も、エイナル様はわたしの後ろから退いてくださらない。
ハッキリと恥ずかしい。
顔を真っ赤にしながら、土嚢の積み方をレクチャーしていく。
わたしの話を聞く騎士は謹厳な表情を崩さないし、チラリと見れば、メッテさんもレオナス陛下も、その先に見えるビルテさんまで、素知らぬ顔をしてくれてることが、ますます恥ずかしい。
だけど、嬉しい。
エイナル様が、わたしを気にかけてくださっていたことが、なにより嬉しい。
グレンスボーで初めてお会いしたときから変わらない、やさしい眼差しが、わたしを見守ってくださっていた。
わたしの異変に気が付き、そっと手を握り、そして、胸の中に収めてくださった。
騎士たちが走り、艦隊を出発させる。
観念して、背中をエイナル様の胸に委ねた。
ますます心地よく、気持ちは落ち着き、おなじくらいに、恥ずかしさがこみ上げる。
「それで、コルネリア?」
「え、はい」
「……ギルドから上がる税収をどうしたらいいの?」
「あ……」
エイナル様が、レオナス陛下への助言の続きを促してくださる。
「……交易がもたらす新たな税収はインフラ、社会基盤の整備に再投資すべきです」
「ふむふむ」
「優先すべきは街道の整備。それから、河川の浚渫、地方部の小規模港湾の改良、荷馬車の中継地点を計画的に増設。……ブラスタ王国の地形なら、運河の開削を検討しても良いかもしれません」
「へぇ~っ!」
「……こ、国内の物流コストを下げれば、農夫に開発させる『特産品』は、より安く、より遠くまで運べるようになります」
「なるほどな~っ!」
「……ぷぷっ」
「え?」
「エイナル様……、お気持ちは嬉しいのですけど、……ちょっと反応が、大袈裟すぎますわ」
「あ、ごめん」
「ふふっ。……物流は国の血液。富が都市部だけに集中することを防ぎ、国全体が等しく豊かになる土台となります」
「う~む……、素晴らしい」
と、レオナス陛下が唸られた。
「あ。あと、ひとつだけ、どうしても」
「いや、ひとつと仰られず、いくつでも」
「ふふっ。では、遠慮なく……。交易によって得られる新たな税収の使い道として、豊作の年には小麦の余剰分を適正価格で、王政として買い上げ、備蓄すべきです」
「王政として?」
「はい。……穀物商や富農まかせにはせず、王政の手で、豊作の年の小麦価格の暴落を防ぎ、農夫の収入を安定させます」
「な、なるほど……」
「もちろん、凶作や飢饉の備えにもなります。……凶作の年には市場に放出し、小麦価格の暴騰を防ぎ、民の家計を守ります。飢饉の年には窮民救済に使えます」
「うむ……」
「……わたしの好みとしましては、備蓄した小麦が軍用糧秣に転用されないことを願いますが……」
「だが、備えにはなる」
「ふふっ、……ええ。ブラスタ王国の強みは、豊かな大地と誠実な農夫たち。この基盤を揺るがすことなく、商いの活力を導入していく」
「う~む……」
「目指すべきは、急激な革命ではなく、着実な進化。……誰ひとり取りこぼすことなく、皆で豊かになる未来が可能だと考えます」
「いや、恐れ入った!」
すっかり〈立ち聞き〉の体裁を忘れたかのように、身を乗り出されていたレオナス陛下が、破顔一笑された。
「交易の振興に、無頼の活用をご助言いただけるものだとばかり思い込んでいたが、いやいや、どうして。ブラスタ王国、国家百年の大計をご教示いただいた!」
「……恐れ入りますわ」
「これは、リレダル王が公爵に叙爵してでも引き留めようとするし、バーテルランド王は王政顧問に任ずるはず。……いや、テンゲルの諸侯が女王に戴くはず」
レオナス陛下は口に手をやり、眉間にシワを寄せる。
「……いや、イグナスが王権の一部を委ねる決断をしたのにも納得だ」
「ふふっ。どうだ、すごいだろう? 私の姫様は?」
と、メッテさんが、レオナス陛下の肩に手をやり、ニヤリと笑った。
エイナル様は、わたしを後ろから、さらにギュッと抱き締めてくださる。
「……コルネリアの才は、敵国でこそ花開くのです」
「敵国でこそ?」
怪訝な表情で、レオナス陛下がエイナル様を見詰めた。
「敵国であっても惜しみなく策を授ける。民には敵味方の分け隔てはないと、自ら足を運んで汗をかく。……そんなコルネリアの目が輝くたび、皆の目も輝き、いつの間にか敵も味方もなくなっている……」
「……素晴らしいですな」
「ええ、素晴らしいんです。ボクの奥さんは」
「エイナル様……」
そんな風に思っていてくださったのかと、胸が温かいもので満たされる。
そして、自分でも不思議なほどに、心を軽くしていただいたのは、レオナス陛下のお言葉だった。
――ひとつと仰られず、いくつでも。
わたしは、いまだに『賢しら』と思われることを恐れていたらしい。
それが、心の奥底に根付いたものなのか、久しぶりにフランシスカの名前を聞いたせいなのかは分からない。
次第に、視界が内側に向けても晴れてくる。
幽霊船荷の解明のため、フランシスカに証言を求めること。
強制労働先から召喚したフランシスカに『借り』をつくることに、わたしは抵抗があるのだ。
エイナル様が耳元で囁かれた。
「……フランシスカ殿は、真面目に額に汗して働いてたって聞いてるよ?」
「ええ……」
「どんな風になってるんだろうね?」
「……まったく変わってないかもしれませんわ」
「それならそれで、すごいことだね」
「ふふっ。……ほんとですわね」
この一年。わたしは女王になり、大河委員会の議長となり、清流院の総裁となった。
わたしを除く、大河の五王は、わたしに王権の一部を委ね、わたしは大河流域国家の盟主の座に就いた。
多くの人に恵まれ、支えられ、考えたこともなかった高みに引き上げていただいた。
おなじ一年。フランシスカは何を目にして、何を感じ、何を感じなかったのだろうか。
おっかなびっくり、会ってみよう。
尋問を人には任せず、わたし自身でフランシスカに向き合ってみよう。
「あ、船を停めてください。……今年は上流域の水防強化で、例年より水位が高くなることが予想されます。そうすると、堤防のこの箇所を水は見逃してくれません。至急、強化が必要です」
あの別邸から解き放たれ、自分の足で大地を踏みしめているこの場所から、もう一度、フランシスカを見詰め直してみよう。
――互いを労わりあう心さえあれば、……どうにかはなるもんだって思ったよ。
メッテさんのお言葉は、いまはまだ、ちょっと苦い。
わたしが、フランシスカを労われる日が来るのだろうか。
「……会うのが、楽しみですわ」
「うん、そうだね」
と、エイナル様はわたしの頬に美しいお顔を寄せてくださり、やわらかに微笑まれた。
わたしは、心の中にまで義妹フランシスカを召喚する、勇気をもらった。
Ψ
軍船は、ブラスタ領内を遡り、テンゲルとの国境まで戻った。
ブラスタの堤防の緊急補修には、道筋がついた。
夜間は軍船を停め、簡単な船中晩餐会をひらき、レオナス陛下、リエパ陛下ご夫妻との親睦を深める機会にもなった。
その際、ご側近方も排した密談の席を求められた。
ダギス家当主としてメッテさんも立ち会われる中、求められるままに、ブラスタの今後の王政について、詳細な助言をさせていただいた。
「いや、惜しい。いかにも惜しい。……テンゲル女王にご即位の前であれば、ブラスタでも王政顧問の役職に就いていただけたものを。バーテルランド王が、実に羨ましい……」
とまでレオナス陛下から仰っていただき、ふくよかなリエパ陛下のつぶらな瞳がキラリと輝く。
「……コルネリア陛下。ぜひ、今後とも、わが夫、レオナス陛下に個人的なご助言を賜ることはできませんでしょうか」
「あ……、わたしに出来る範囲であれば」
「はあ、嬉しい。……私からエイナル殿下に親書をお出しする形で、両陛下の直接のやり取りは抑える……、ということではいかがでしょうか?」
エイナル様もご快諾され、今後の友好関係が確認される。
メッテさんが、ニヤリと声を潜めた。
「な? ……すごい女だろう、リエパは」
「え、ええ……。愛の深さに呑み込まれそうになりましたわ」
レオナス陛下のためであれば、ご自身の体面など二の次というご姿勢。
万が一、わたしからの助言だと外に漏れても、自らがすべての責を負うという、強いお覚悟に圧倒されてしまった。
「それでは、コルネリア陛下。いずれ、わが王都にも遊びに来てくだされ」
「ええ、テンゲルの王都にもお招きしたく存じますわ」
レオナス陛下は、ブラスタの軍用高速船に乗り移られ、帰国の途に就かれた。
わたしは、そのまま軍船でテンゲル王都の港に向かう。
そして、移送されたフランシスカと父が、テンゲル王都に到着したばかりのところに出くわした。
ポツリと雨粒が頬を打つ。
本格的な雨期の到来までには、まだ少し猶予がある。けれど、確実に近付いている。
まずは、フランシスカから証言を得たい。
本日の更新は以上になります。
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