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18.冷遇令嬢は理不尽に愛される

それからのエイナル様は、エルヴェン領内のどこにでも連れて行ってくださった。


馬の前に乗せてもらい、わたしの背中を包み込んでいただくようにして、ゆったりと目新しい景色を一緒に楽しむ。


農夫が避難先から戻った郊外の農地では、冬小麦が芽吹き始めていた。



「春にはこの辺り一面が緑色に染まり、夏が来る頃には収穫です」



と、エイナル様が目をほそめられる。


農地のあちこちには、まだ瓦礫が積み上げられていて戦争の爪痕が残る。


激戦地跡では、両国兵士の冥府での安寧を祈って、ふたりで黙祷を捧げた。


大河沿いでは魚市場が本格的に再開し、川魚に加えて、下流の母国バーテルランド王国を経て届けられる海の魚も並ぶ。


市場の裏手では、魚の燻製づくりが行なわれていて、わたしの目が輝いた。



「ケホッ、ケホッ……」



と、煙に目をしばしばさせながら、わたしも燻製づくりに挑戦させてもらう。


ススだらけになった顔をカリスに拭いてもらおうとしたら、



「ボクにやらせて」



と、エイナル様が拭ってくださった。


お優しい笑顔が近くにあって、上等な絹のハンカチ越しに、エイナル様の指がわたしの頬を撫でる。


照れくさくて、唇をキュッとすぼめて、でも、エイナル様のお顔を眺めてしまう。


わたしの作ったナマズの燻製を、エイナル様とカリスと一緒に頬張り、初めて少しだけお酒を舐めた。


燻製職人の奥さんが、エルヴェン地域伝統の織物を教えてくれる。


自分の指が思ったほど器用でなくて、むむむっ、なるほど、やってみないと分からないことがたくさんあるなと、手元を睨む。


ドレス店では、ブロム大聖堂訪問のためのドレスを新調していただいた。


冬の朝焼けのような、ピンクからオレンジへのグラデーションが美しいシルク生地。


例年より寒さ厳しい今年の冬にも、暖かみのあるデザインで、まるでエイナル様の優しい視線に包まれてるみたい。


わたしの憧れ、カーナ様にも早く見ていただきたいと、姿見の前でクルリと回った。


エイナル様を長くお慕いされていたカーナ様のご気性は、きっと、わたしの遠慮や配慮を好まない。


目一杯、幸せな姿をお見せしないと叱られてしまう。


裏のドレス工房では、縫い物に挑戦。


余り布をもらって、エイナル様にはハンカチを、カリスにはコサージュをつくってプレゼントした。


それから、



「あらまあ! 姫様がつくってくれたのかい!?」


「いつも果物をくれるお礼よ。どう? ……使ってくれる?」


「そりゃ、こんな可愛らしいエプロン! ……気に入ったよ。ありがとうね」



と、果物屋のおかみさんが、わたしのつくったエプロンを巻いてくれた。


おかみさんの旦那さんも息子さんも、兵士として戦い命を落とした。奪ったのは、わたしの母国の兵士だ。



「……お互い様だからねぇ。姫様や総督様に聞かせる話じゃないけど、戦いたくて戦う兵士はいないよ。向こうさんだってね……」


「そうね……」


「あははっ! そう暗い顔しないでおくれよ。生き残ったからには、せめて幸せにならないとね! 姫様のエプロンのお陰で、新しい旦那をつかまえられそうだよ!」



エイナル様がそっとわたしの腰を抱いてくださり、おかみさんに平和を誓う。



「ああ! 頼りにしてるよ、総督様!」



おかみさんの笑顔が、眩しくて、わたしも笑顔でうなずいた。


あれから、エイナル様はわたしに何もお尋ねにならない。



――あっ! ……いま、わたし、賢しらなことを口走ったんじゃ……。



と、顔色を窺っても、変わらぬ微笑みを向けてくださる。


そして、わたしをどこにでも連れて行ってくださる。



「……グレンスボーを発つときに申し上げた通り、……ボクは、コルネリア殿の輝く瞳を見るのが、好きなのです」



と、すこし恥ずかしそうにはにかんで、鼻の頭を掻かれるばかりだ。



――クズ父の本性が露見したら、両国の和平が壊れてしまうかもしれない……。



というのは、ただの言い訳だと自分でも分かっている。


エイナル様がわたしに向けてくださる優しさに、甘えている自覚がある。


実家侯爵家で、わたしがどれほどの冷遇を受けて育ったのか、エイナル様にわたしの口からご説明したことは一度もない。


わたしたちの語らいに、わたしの過去の思い出がのぼることはなく、それはきっと、不自然なことだ。だけど、エイナル様は何も仰られずに微笑んでくださる。


夜中のテラスで、カリスが微笑んだ。



「理不尽に幽閉されてたネルには、理不尽に愛される資格があるわ」


「……り、理不尽に? ……愛される?」


「理不尽って言葉は不穏当かもしれないけど……、理由なくって、ところかしら?」


「うん……」


「私だって、そうよ?」


「……えっ?」


「私は、ネルが好き。だから仕えてる。いまは、それでいいじゃない」


「……いいのかな?」


「ネルがエイナル様に惹かれてる理由を言葉にしたら……、なんだか噓っぽくならない?」


「あ……、うん」


「いいじゃない。『好き』で」



寒さ厳しい真冬の夜更け過ぎでも、カリスとは一緒に星空を見上げて話したかった。


カリスは、白い息を指先に吹きかけながら、なにも言わずに付き合ってくれる。



――好きだから……、いてくれるんだ。



という思いは、わたしの心を、理由なく温めてくれた。


そして、ようやくブロム大聖堂訪問の日程が決まって、旅支度をウキウキと始めた。


カーナ様や、ホイヴェルク公爵家で夫人教育に励んでいる母国のご令嬢へのお土産を選びに街をあるく。



「わっ、わたし……。お土産選びって初めてなのよ……」



と、カリスに耳打ちして、一緒に頭を悩ませてもらう。


総督府の文官に命じたら、適切なものを用意してくれるのだろうけど、せっかくの初めてなので自分で選びたい。


凛とお美しいカーナ様に似合いそうなアクセサリーを中心に見て回った。


ところが、わたしたちのブロム大聖堂訪問は、突然、延期になってしまった。



「王太子殿下が……」


「ええ。気まぐれなお方で、急遽、エルヴェンをご視察になられたいと……」



と、エイナル様が困り顔で、わたしに謝ってくださった。


総督職にあるエイナル様だけでなく、わたしも正式には総督代理のままだった。


急いで、王太子殿下をお出迎えする準備に追われる。


カーナ様との再会のために仕立てたドレスはとっておきたくて、落ち着きのある紺色のシルクベルベットで新調した。


やがて、王太子フェルディナン・リレダル殿下の煌びやかな隊列が、エルヴェンの総督府へと入城して来られた。


わたしはエイナル様の後ろに控え、総督代理として、エイナル様の婚約者として、フェルディナン殿下をお出迎えする。



「やあやあ、エイナル! いつも通り、突然の気まぐれで申し訳ないな!」



と、悪びれもせず、突き抜けるような笑顔で姿を見せられた、フェルディナン殿下。


冬の寒気を吹き飛ばすような、赤みを帯びた黄金色をしたフレイムゴールドの髪は、燃え盛る炎を思わせる。


やや面長で、鼻筋の通ったお顔立ちに、琥珀色をした瞳。純白のベストに濃緑のコート。さすが高貴な気品を漂わせるけれど、表情からは奔放なご気性が窺い知れた。


総督府のエントランスで、騎士たちの捧げる儀仗も待たれず、そのまま、ツカツカとわたしに歩み寄られた。



――えっ!? わたし!?



と、大きく開いた口を、慌てて扇で隠し、かろうじて目元で微笑みをつくった。



「おお! これが、カーナからエイナルを諦めさせたという、バーテルランドの秘密兵器か!!」


「……ひ、秘密兵器?」


「父親が屋敷に囲い込んで、誰の目にも触れさせなかったと言うではないか!?」


「ど、どこで、それを……」


「王都ストルムセンで夫人教育に励む、バーテルランドの令嬢たちだ! 皆、はやくそなたに会いたがっておったぞ!? コルネリア・モンフォール!」



エイナル様に自分の口からご説明したことのないわたしの生い立ちを、突然に暴露され、わたしは動揺した。


けれど、フェルディナン殿下の語り口があまりにも明るく、あっけらかんとしていて……、反応に困った。



「殿下……」


「おっ!? なんだ、クラウス?」


「……まずは儀仗を」



と、淡々とした口調のクラウス伯爵に促され、フェルディナン殿下がわたしから離れていく。


クラウス伯爵の飄々とした態度から、自由過ぎるおふる舞いは、いつものことなのだろう。


エイナル様と並ばれると、あたまひとつ背が低い。わたしよりは長身であるけど、奔放で腰の軽いふる舞いがよくお似合いではあった。


そして、謁見の間に入られ、



「エイナル、そなたと競おうと思ってな! コルネリアを俺の妃にしたい!」



と、その場にいる全員を、呆気にとらせられたのだった。


え? ……な、なんのお話しですか?

本日の更新は以上になります。

お読みくださりありがとうございました!


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 は………はぁッ!?(怒) なんだこのボンクラは?
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