178.冷遇令嬢は生涯初めての言葉を口にする
軍用高速船のみでの調査艦隊を編成。
ブラスタ王国の高速船も加わり、急速に大河を下る。
ブラスタから提供された図面をもとに、わたしの気にかかったところで船を停め、小舟で河岸に降りる。
「カーブの外側で流速が速い。川の中に何本か杭を打ちましょう」
「……杭、ですね」
と、ブラスタの騎士が、メモを取る。
旗艦にもどり、ふたたび大河を下る。
船にかかるのはテンゲル女王旗とブラスタ国王旗。レオナス陛下とリエパ王妃も同乗され、わたしの作業を見守られる。
「ここは補修が間に合いません。発想を浸水のコントロールに切り替え、遊水地の準備に舵を切りましょう」
ブラスタの技師に助言し、テンゲルから連れてきた排水技術の職人をつける。
「……こちらに浸水を誘導すれば、小麦畑へのダメージは最小限に抑えられます」
職人の提案に、技師が目を大きく見開き、深く頷く。
テンゲルの排水技術は、大河流域国家で随一のものだ。豪雨災害の時、この技術がリレダルにもあれば、わずかに起きた床下浸水も完全に抑えられたかもしれない。
ブラスタの技師も真剣な面持ちで職人の話を聞き、何度も頷いては、図面を引き、騎士団に引き渡す。
レオナス陛下が勅命にサインされ、当該地域を治めるブラスタ諸侯への早馬が飛ぶ。
ビルテさんが、温かいココアをさし出してくれた。
「女王に即位したというのに、まったく衰えが見られないな。……豪雨対応時の水防師団を思い出すよ」
「ふふっ。ビルテさんもですか? わたしも思い出してました」
旗艦の右舷で警戒にあたる、ルイーセさんの少年のような横顔と背の大剣を眺め、目をほそめた。
あの頃、エイナル様のご差配で、初めてビルテさんとルイーセさんに知り合った。
友だちのいなかったわたしの求めに快く応じてくださり、いまも友人付き合いを続けてくれている。
ココアをいただき、河風に揺れるビルテさんの赤い髪を見詰めた。
「……大河伯とは、宮殿や研究室に閉じ籠るのではなく、現場に出かけて自分の目で確かめ、ときには工事の指揮も執るお役目なのだと、いちばん最初に、お義父様から教えていただきました」
「大公閣下からか」
「ええ。どこまでも〈お出かけ〉したい、わたしだからこそ老博士が強く推薦してくださったと……。ふふっ、懐かしいですわ」
視線を艦橋にやると、エイナル様が、レオナス陛下とリエパ陛下の接遇にあたってくださっている。
リレダルが持っていた先進的な制度。大河の水防を一元管理する大河伯という仕組みが、大河流域のすべてに行き渡った。
さらに、テンゲルにあった排水技術や、各国で独自に発展していた各種の水防技術も共有され始めた。
その始まりが、軍船で大河を遡ったあのときの視察だったのかもしれないと考えると、感慨深いものがある。
「船を停めてください。……この地点は、騎士団を投入すればギリギリ掘削が間に合い、川の直線化が可能です。その分、はやく排水できます。すぐに手配を」
「……雑談しながら、よく見てるな」
「ふふっ。……心が満たされると、集中力が増すのですよね、わたし」
左舷で警戒にあたってくださるメッテさんが、ひとつ欠伸をされた。
わたしとささやかに乾杯した後も、なかなか寝付けなかったのかもしれない。
船尾で目を凝らす、胸板の厚い髭ヅラの騎士は、エルヴェン総督府時代からわたしの配下にあった最古参のひとり。
カリスが襲撃されたときには、冷静な指揮を執り、窮地を脱してくれた。
感覚が鋭敏に研ぎ澄まされている。
わたしに見落としがあれば、ブラスタの民が大水害に襲われるかもしれない。
まずは、流れに乗って大河を素早く下り、大きな問題点を洗い出す。
ポトビニスとの国境で折り返し、今度はスピードを緩めて大河を遡り、こまかな点まで注意深くチェックするという段取りだ。
「……クランタスの海は、またお預けですわ」
「ふふっ。雨期を乗り越えた後だな」
ビルテさんが、わたしを労うような笑みで応えた。
ポトビニスとクランタスの雨期対策は、大河委員会の指導のもとで先行しており、いまのところ懸念点はない。
ブラスタでの緊急補修が終われば、わたしはカルマジンに戻って、すべての指揮を執るべきだ。
なので、海はお預け。
大河両岸の堤防に気を配り、図面上では分からない脆弱な箇所がないか、水位が上がったときを想像しながら点検していく。
艦橋からは、エイナル様とリエパ陛下の親しげな会話が聞こえてくる。
「……エイナル殿下の献身的なご奉仕。おなじ王の配偶者……、王妃として見習いたいものですわ」
「いえいえ、ボクなど。ただ、コルネリアの後ろでニコニコしてるだけですよ」
「……その大変さを知る者同士、ご交誼を願いたいものですわ」
「ボクなどで良ければ喜んで」
『ボクごとき』や『ボクなんて』とは二度と仰らないと約束してくださったのに、『ボクなど』では一緒ではないか。
と、すこし口を尖らせるのだけど、社交辞令的としては普通の謙譲な物言いだ。
ブラスタとの今後の外交関係を考えても、いま、わたしが水を差すのはよろしくないと、我慢する。
やがて、両岸にひろがる広々とした風景に目を奪われる。農業国だけあって、平野や農地の端が見えない。
河幅も広くなり、ゆったりとした大河の趣きを感じられる。
「……河底が浅くなっているようです。テンゲルから急ぎ浚渫船を差し向けます。……バスケットと重りを組み合わせれば、急造することも出来ますので、ブラスタ側でも対応を」
水防師団時代から従う騎士が、ブラスタの騎士たちに指導してくれ、わたしからもひと言添える。
「……汲み上げた泥の一杯分だけ、街や畑を襲う水が減り、民の命と財産、生活を守れると思ってください。根気のいる作業ですが、粘り強くお願いします」
「かしこまりました。人の厭う仕事に身を捧げてこそ、ブラスタの騎士。心してかかります」
「雨期に入り、水位が上がり始めたら撤収を。二次災害の恐れがあります」
引き締まった表情の騎士が、旗艦を降り、別の高速船で河岸に向かう。
気鋭の新王を戴き、ブラスタの騎士団は士気が上がっているのだろう。動きが機敏で、統率がよくとれている。
レオナス陛下が、わたしの側にお運びくださった。
「よもや、ここまで惜しみない助力をいただけるとは……。感服いたしました」
「ふふっ。……ともに大河の恵みに生かされる者同士。大河の脅威にもまた、ともに備えるのは自然なことですわ」
「う~む、仰ることはその通り……。ただ、それを徹底して行動に移されるところが、皆がコルネリア陛下に魅了されてやまない所以なのでしょうな」
「あら、お褒めに預かり光栄ですわ」
「……ときに、コルネリア陛下」
と、レオナス陛下が大柄な身体をちいさく折り曲げ、声を潜められた。
「はい、なんでしょうか?」
「……イグナスとマウグレーテの再会は、いかようにございましたか?」
「ふふっ。内緒です」
「そう仰らずに……」
「メッテさん、すぐ側にいらっしゃるのですから、ご本人に直接聞いてみられてはいかがですか?」
「いや……、なかなかの女傑に成り果て、迂闊なことを聞けば火傷しそうで……」
「成り果て、……は、失言ですわよ?」
「お。これは失礼を」
「ふふっ。メッテさんに言い付けますわよ?」
「はははっ! これはコルネリア陛下に、思わぬ弱みを握られてしまった」
身体を起こされたレオナス陛下が、天を仰いで愉快気に笑声を響かせた。
船首に立つ国王ふたり。
周囲を固めるブラスタの軍船にも親密な様を見せるのは、両国の和解を促進するためだろう。
やがて、艦隊はポトビニスとの国境に至り、河岸に立たれるヨジェフ陛下と栄誉礼を交し合う。
わたしたちの視察は通告してあり、ご帰国の途上、わざわざお運びくださったのだ。
そして、大河を折り返し、ゆったりと遡上し始めると、今度は帰国されるイグナス陛下の軍船とすれ違う。
互いに艦橋に立ち、栄誉礼を交わす。
お隣に立つレオナス陛下が、囁かれた。
「……イグナスめ。だいぶ、遅かったな」
「ふふっ。テンゲルをお楽しみいただいていたのでしょう」
「会うのは久しぶりだったが、明らかに飲み過ぎておりましたからな」
「お楽しみいただいた証しですわよ?」
「はっは。……そういうことにしておきましょう」
遠目に、イグナス陛下の視線がわたしたちの足元、こちらの甲板の方に向いているのが見えた。
そこにはメッテさんがいらっしゃる。
今日のいでたちは、いつもの白のタンクトップに、幅広のバギーパンツ姿。腰には銀の細剣を佩き、長柄の鉾槍を捧げる栄誉礼を執られているはず。
大河の航行で船がすれ違うときには、互いの左舷を見せ合う。
なので、メッテさんには左舷の護りをお願いしていた。
でも、わたしの立ち位置からだと、メッテさんの表情を窺えないのが残念。きっと、いい笑顔をイグナス陛下に向けられてると思うのになぁ。
「あら……」
イグナス陛下の軍船とすれ違った後、進行方向からテンゲルの軍船が見えた。
軍用高速船はすべて、わたしに従いブラスタに来ている。
なにか急報をもたらしたのだろうと、艦隊の進行を止めた。
届いたのは、ナタリアからの書簡。
船荷証券と機密情報すべての精査が終わるには早すぎるし、なにか新しい事実が分かったのかと、急いで書簡を開いた。
サッと目を通し、わたしは生涯で初めてこの言葉を口にした。
「マジか……」
書簡に綴られていたのは、新しく集まってきた船荷証券の控えに関する情報。
原本と同じ内容が記載されていると証明する証人のサインの中に、ナタリアはひとつの名前を見付けたのだ。
――フランシスカ・モンフォール。
あたまいたい。
本日の更新は以上になります。
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