177.冷遇令嬢は内緒の話に目を輝かせる
「まあ、一杯だけ付き合ってくれよ」
と、メッテさんに誘われた。
東の空は、端の方がぼんやりと白み始めている。
メッテさんの天幕の前に椅子を並べ、陽の光に姿を消そうとしている星々を眺めた。
ラム酒の瓶と、槌目仕上げのキラキラとした錫のグラスをふたつ持ったメッテさんが、天幕の中から出てこられる。
まだ、白銀のドレスに、白レースの長手袋というお姿なのに、物腰はすっかり〈無頼のメッテ〉に戻られていて、なんだか変な感じ。
大股をひらいてドカッと腰を降ろし、慣れた手付きでグラスにラム酒を注ぐ。
わたしのグラスには、ちょっぴりのラム酒を注ぎ、たっぷりのオレンジジュースで割ってくれた。
コツンと、錫のグラスを合わせる。
「……情けをかけてしまったな」
ひと息にグラスをあけたメッテさんが、ラム酒を注ぎ足しながら苦笑いした。
「素敵でしたわよ?」
「ふふっ。……可憐なる王女マウグレーテであれば、愛する婚約者の胸に自分から飛び込んでただろうけどな」
飛び込んだのは、イグナス陛下の方。
メッテさんは、それをしっかりと受け止められた。
「……こう見えて、ナイフとフォークより重い物は持ったことがなかったんだぜ?」
「ええ……」
「無頼として生きると決め、剣をとり、武を修めた」
「天賦の才がございましたのね」
「ははっ。……まあ、そういうことだ。イグナスもまさか、自分が飛び込んで、私が微動だにしないとは思わなかったんだろうよ」
「そ、そうかもしれませんわね……」
「ふふっ。……倒れ込む私をフォローするつもりの動きをしててな」
「え、ええ……」
「そのせいでバランスを崩しかけたところを、私がフォローして抱き止めた」
「ま、まあ……。そんなことまでお分かりになるのですね」
「あの場面でスッ転ばれてもなぁ……、王だっていうのに」
「ははは……」
おふたりの抱擁は、わたしには感動的で、ただ見惚れていたのだけど、よもやそんなことが起きていたとは……。
いまだ馬にも乗れないわたしでは、見極めることができなかった。
ちょっと、目が輝く。
「……初めて会ったとき、世の中にはこんなに顔のキレイな男がいるのかと……、まあ、一目惚れだったな」
「ええ……」
「そのくせ、激したら止まらないというか、一本気というか」
「ふふっ、……はい」
「あの性分で、よく辛抱できたなというのは、私の本心だ」
と、メッテさんは、白む空に目をほそめながら、実に楽しげに若き日のイグナス陛下のことを聞かせてくださる。
そして、すこし悪戯っぽく笑った。
「……ゲアタには内緒にしといてくれ」
「え?」
「ゲアタは、私を助けに来なかったイグナスには、ずっと批判的だ。……私が抱き締めさせたなんて聞いたら、怒るだろうから。ヘソを曲げると面倒なんだ、アイツ」
「ふふっ。……承知しました」
ゲアタさんはカルマジンでお留守番。再審庁を取り仕切ってくれている。
「最近、再審庁で初めて、ようやく無実が証明できた者が出てきたって話は……」
「ええ、報告は聞いております」
「……最初だし、私が家まで送ったんだ」
「そうでしたか」
「十数年の逃亡生活。愛する妻と子の待つ家にようやく帰り着いたら、恋焦がれ、会いたくてたまらなかった妻に、新しい夫ができてた」
「まあ……」
前王の敷いた暴政が生んだ悲劇に憤りを覚え、眉根が寄る。
けれど、メッテさんの声は明るい。
「家をあけていたのは自分だと、妻と子の幸せを祈り、黙って立ち去ろうとしたら、新しい夫ってのが、これまた出来た男でな」
「え、ええ……」
「本当の夫が帰ってきたのなら、出て行くのは自分だと、妻と子を返そうとする」
「へ、へぇ~」
「夫は夫で、これまで通り妻と子を幸せにしてやってほしいと新しい夫に頼み込む。それで、押し問答になって……」
「ええ……」
「ふふっ……、奥さんがキレた。私はふたりが押し付け合うほどダメな妻なの!? ……ってな」
「まあ」
「新旧ふたりの夫が、拗ねた奥さんを必死に宥めて……、みんなで一緒に暮らすことになった」
「へ、へぇ~……」
「さすがに笑っちまったが、子どもは父親がふたりになったって大喜びでな。子どもって言っても、十数年ぶりの再会だ。もう立派な大人なんだが……。なんて言うか、新しい関係を築くってのは、難しそうで難しくない」
「ええ……」
「互いを労わりあう心さえあれば、……どうにかはなるもんだって思ったよ」
「……そうですわね」
メッテさんは、クイっとグラスをあおり、またラム酒を注ぎ足す。
「悪いな。明日も早いってのに」
「いえ。……姐さんのお相手にご指名いただいて光栄ですわ」
「はははっ。……酔ってたな、イグナス」
「え? ……そ、そうでしたか?」
「緊張で気が張ってたんだろうけど、抱き締めるうちに、どんどん酔いが回ってきてたぜ?」
「まあ……」
「……エイナル殿下が、私を送るようにってコルネリア陛下に仰ったのは、イグナスを介抱して近侍に引き渡すためだな」
若き日。メッテさんを見捨てる形になったことに、イグナス陛下は罪の意識を抱き続けてこられたのだろう。
だけど、再会したメッテさんの凛としたお姿に、謝ることも出来なくなった。
許されることを、恐れたのかもしれない。
「どうでもいい」
と、メッテさんに笑い飛ばされては、ご自分の存在が消えてしまうような恐怖を、どこかに感じられていたのかもしれない。
そんなすべてを、メッテさんは抱き止められた。
「偉かったな、イグナス」
と、イグナス陛下のすべてを肯定してあげた。
酔いが一気に回ったのは、あの場に限らない、長年にわたる緊張が解けていったからだろう。
メッテさんが、ふっと小さく笑った。
「サウリュスを同行させなかったのは?」
「ああ、……イグナス陛下が難色を示されまして」
「ふふっ、そうか」
「ええ……」
「……誰に対して『いいカッコ』をしたいのか、丸分かりだな?」
「え? ……ああ、そうですわね」
と応えつつ、仰る意味の半分も分からない。
だけど、メッテさんの楽しげな笑顔に水を差す気にもならない。
メッテさんが心の内にお住まいのイグナス陛下を愛でているのなら、わたしにはそれでいい。
「さて……、陽が昇ればブラスタに凱旋だな」
「はい。よろしくお願いします」
「まったく、侍女長様の言う通りだった」
「え? ……カリスの?」
「……こき使われますわよ? ってな」
「ははは……、すみません」
ブラスタの堤防調査には、わたし自身が行くことにした。
大河院と清流院が、雨期対策とテロ対策で手一杯なこともあるし、ブラスタ王国全体で見れば、まだまだ和解による信頼関係の構築が万全とも言えない。
下手に技師などを遣って、嫌がらせでもされたら台無しになりかねない。
女王自ら出向くことで、こちらの誠意を示す意味があるし、わたしとしても久しぶりの〈お出かけ〉が楽しみだ。
「レオナスとリエパも同行するそうじゃねぇか」
「ええ。わたしに任せ切りでは申し訳ないと仰っていただき」
「……リエパ。アレはすごい女だぞ?」
「え?」
「あんな美人はいなかったんだ」
「へ、へぇ~」
「まるまるコロコロと太って、あれはわざとだな」
「わざと?」
「ふふっ。……切れ者のレオナスの横に美人の妃がいたのでは、周りから警戒されちまう。ぷくぷくの妃がニコニコしてたら、油断させられるだろ?」
「へ、へぇ~っ!?」
「……リエパはレオナスのためなら、そこまでやる女だし、レオナスの好きなものは自分も心の底から好きになる」
クククッと、メッテさんが忍び笑いを漏らした。
「見てろよ? 今度はあっという間に痩せて、威厳ある王の隣りに相応しい絶世の美人王妃になるぜ? レオナスのためだけにな」
「……す、すごいですわね」
「あんな風に人を愛することは、私にはできねぇな」
カハッと笑って膝を叩いたメッテさんは、気持ち良さそうにラム酒をあおった。
そして、右手に着けた白いレースの長手袋の指先を口に咥えて、グイッと外した。
「姫様」
「え、あ、はい」
「……誰にも言うなよ?」
「あ、え? 何をですか……?」
と、目を白黒させるわたしに、メッテさんは身を乗り出し、薊の刺青の絡みつく右の手首をさしだされた。
真白な肌に鮮やかな刺青。
紋様化された棘のある葉と茎の合間、ちょうど手首の内側、静脈の上に、イグナス陛下のお名前が小さく彫られていた。
「あっ……」
「ふふっ。ゲアタも知らねぇんだ。私と姫様だけの内緒な?」
「は、はいっ!」
「ありがとな。会わせてくれて」
と、メッテさんは立ち上がり、大きく伸びをされた。
「……イグナスが出立する気配もねぇ。こりゃ、こっちが先に出発だな」
「ええ、そうなりそうですわね」
「ははっ。このまま、もう一回顔を合わせるのも、なんだか間抜けな話だし、イグナスが酔い潰れてくれてて、ちょうど良かった」
「ふふっ」
「陽が昇るまでわずかな時間だけど、ひと眠りしてから行こうぜ」
「ええ、そうしましょう」
「……夢のような夜が明けるな」
そう言って、メッテさんは東の空に目をほそめた。
ブラスタ王国の堤防補修、そして闇の勢力との対峙へと戻っていく。
それまでのつかの間、緋色の天幕の寝室で、今晩の感動をエイナル様と語り合ってから、すこしだけ眠りに落ちた。
ナタリアからの、驚きの急報がこちらに向かっているとも知らずに。
本日の更新は以上になります。
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