176.冷遇令嬢に表情は窺えない
国境地帯への布陣が決まり、イグナス陛下の来訪が決まり、雨期の後としていたメッテさんとの面会が早まった。
わたしとエイナル様の天幕での面会となり、急遽、天幕を新調することにした。
簡素で武骨な軍用天幕では、おふたりの再会の場として相応しくない。
真正緋布と茜緋布を交互に縫い合わせた天幕が出来上がり、清流院の中庭で、仮組みをエイナル様と見上げて……、
「……派手ですわね」
「派手だね……」
なかなかに瀟洒な天幕が出来上がってしまった。
中に入ると、ゆったり広々。
エントランスホールのような小部屋から、寝室と応接間に分けてある。
明かりは天幕に炎が燃え移らないよう、白金製の小さなランプがいくつも灯され、むしろ荘厳さを醸し出す。
ちょっとした移動宮殿といった趣き。
エイナル様がクスリと笑った。
「……まあ、おふたりをボクたちの寝室にお招きするのも変だしね」
「そ、そうですわね……」
「ふふっ。……コルネリアは、ふだんはまったく贅沢をしないし、このくらいはいいんじゃない?」
「は……、はしゃいでる感じになってませんかね? ……わたしが」
「んぅ~……っ、大丈夫じゃないかな?」
テロ対策に通常の雨期対策。船荷証券と機密情報の精査。各国との外交交渉。
押し寄せる多忙さにかまけて、天幕づくりを依頼した職人たちには、状況をかいつまんで伝えただけだった。
まさに力作。
他国の王をもてなすのに相応しく、感動の再会の場に相応しい瀟洒で荘厳な空間。
文句を言う筋合いのものではない。
ただ、ちょっと、わたしの肩に力が入り過ぎてるみたいで照れ臭いだけだ。
だけど、メッテさんはその荘厳さをも上回る、壮麗なるカーテシーをご披露くださった。
「エルヴェンの無頼メッテこと、マウグレーテ・ダギス。コルネリア陛下の御意を得て、イグナス陛下の御前に参上いたしました」
緋色の空間に、白銀のドレスと白いレースの長手袋、それにメッテさんの白っぽい銀髪が映える。
そして、肩から二の腕にかけて鮮やかに輝く、薊の刺青。
そのお姿は、優美にして威風堂々。凛々しくも艶麗。武侠の女神が舞い降りたかのごとくだった。
「ク、クランタス王イグナスである」
しばしの沈黙の後、万感の思いがこもる、イグナス陛下のお声が震えた。
わたしとエイナル様で、おふたりをテーブルへとお誘いする。
大きく息を吸ったイグナス陛下が感無量のご表情で、メッテさんの椅子を引かれた。
「恐れ入ります」
優美に微笑むメッテさんが着座され、対面にイグナス陛下、その間にわたしとエイナル様とが腰を下ろした。
ばあやがお茶を淹れてくれる。
「……ラベンダーとローズマリーのブレンドティにございます」
清涼感のある香りが天幕を満たす。
今晩のばあやの働きは、まさに獅子奮迅。見事な差配ときめ細やかな心遣いで野外饗宴を成功へと導き、大河河口諸国を長年の対立から和解へと至らしめた影の立役者。
そして、ラベンダーの花言葉は「沈黙」「あなたを待っています」。
すべては互いの胸に秘められ、語られることのなかった沈黙の時間と、心の奥底にあった想い。
ローズマリーの花言葉は「追憶」「思い出」「記憶」。
このふたつのブレンドは、おふたりが共有する遠い過去の痛みの記憶を静かに癒し、あたらしい一歩を踏み出すための、始まりの一杯に相応しい。
さらに、ローズマリーの薄く緑がかった黄色とラベンダーの紫がブレンドされると、透き通った優しい金色になる。
まるで、メッテさんの黄金色をした瞳のように輝く……。
呆れるほどに行き届いた、繊細な配慮。
そして、ローズマリーの花言葉には「変わらぬ愛」「あなたは私を蘇らせる」といったものもある。
メッテさんの浮かべた微かな苦笑いには、ほんの少しだけ、少女のようなはにかみも混ざっていた。
ばあやが下がり、不思議と心地よい沈黙が広がった。
イグナス陛下は、ほとばしるような熱い視線をメッテさんに注ぎ続ける。
メッテさんはそれを従容と受け止め、ただ微笑みながら洗練された所作でハーブティを口にする。
神話の一場面のような、神々しい光景に見惚れ、テーブルの下で、思わずエイナル様の手を握った。
「……此度、イグナス陛下より〈盟約〉のお申し出を賜り……」
と、メッテさんの艶のある唇が開いた。
「光栄なことこの上なく、喜んでお受けしたく存じます」
「めい……」
ハッとした表情を浮かべたイグナス陛下に、メッテさんが目をほそめた。
「……コルネリア陛下をお支えするとの盟約。この無頼のメッテ、わが身に刻んだ薊の紋章にかけて、生涯、違えることはございません」
それは、イグナス陛下からのお言葉、
――今後は過去のご交誼とは別に、大河の闇を晴らされるコルネリア陛下をお支えする『同志』として、新たなご交誼を願いたい。クランタスの玉座に誓って他意はない。
に応えるものであり、かつて交わした愛情の明確な終了を告げる言葉だった。
「光栄なのは……、こちらの方」
と、イグナス陛下が呟くような声を出された。
「……このイグナス。ともにコルネリア陛下をお支えすると誓う。しょ、生涯にわたって、盟約を守るでしょう」
「コルネリア陛下」
「は、はいっ!」
メッテさんの瞳が優しげな光を湛えて、わたしを見詰めた。
「面倒をかける」
「い、いえ、そんな……。わたしこそ、光栄なことで……」
「……エイナル殿下。大切な奥様に厄介なものを背負わせた。許されよ」
「メッテ殿。お気遣いはありがたく思いますが、コルネリアは厄介とも面倒とも思ってないと思いますよ? ね、コルネリア?」
エイナル様がやわらかな眼差しを、わたしに向けてくださる。
わたしは頷いて、メッテさんとイグナス陛下を交互に見詰めた。
「はい……。おふたりが、手に手を取り合い、わたしを支えてくださる。これ以上に心強いことがありましょうか」
「ははっ。手に手を取り合うとは言っていないが……?」
「ええ~っ!? ……取り合ってくださいよぉ……、あ、姐さん」
「はははははっ。……久しぶりに、姐さんと呼んでくれたな」
メッテさんは、無頼としての姿をイグナス陛下に見せようとされている。
皆が「苦難」と呼ぶその半生を、メッテさんご自身は強い覚悟と気高い誇りを持って選ばれたのだということを、やわらかくお伝えしたいのだ。
わたしにも、事前にイグナス陛下に何度も念押ししたことがある。
『いいですか、イグナス陛下。絶対にメッテさんの刺青を見ても「おいたわしいお姿」とか言ってはダメですからね。絶対の絶対ですからね』
刺青入りの王女など、前代未聞。
どれほど気高くお美しくとも、
――無頼に身を〈落とした〉。
というのが、一般的な解釈だろう。
だけど、メッテさんが誇りと覚悟を持って選ばれた人生だ。
元婚約者であるイグナス陛下に哀れまれたのでは、わたしが切なすぎる。
イグナス陛下は、静かに言葉を紡がれた。
「……メッテ殿とお呼びすればいいのか、マウグレーテ殿下とお呼びすべきか」
「これよりは、ご遠慮なくメッテとお呼びください」
と、メッテさんが微笑んだ。
「……亡き父母から呼ばれた、大切な愛称にございます」
「それでは、メッテ殿」
「はい」
「クランタスの無頼もまた、親分と仰ぐメッテ殿のご指導のもと、民の生活に尽くすようになりました」
「それは、なによりです。……どうぞ、多少の〈やんちゃ〉にはお目こぼしを」
「ご自身の身分や地位よりも、父母を討たれた怨みよりも、ただ民の生活を思い、闇を晴らそうとされるコルネリア陛下の求めには快く応じられる。……メッテ殿の鮮やかな生き様。形容する言葉とてない。ただ、敬仰の念が止まらぬ」
「……過分のお言葉、恐れ入ります」
「どうぞ、今後とも……、生涯にわたるご交誼を賜りたい」
「光栄に存じますわ」
「ただ……」
と、イグナス陛下の眼差しに熱が増した。
「……私が、メッテ殿に〈敬仰の想い〉を抱き続けることを、お許しいただけるだろうか?」
「人の心の内を、他人がどうこうできるものではありません。……どうぞ、ご存分になさいませ」
メッテさんは優しく微笑みながら、ハーブティを口にした。
そして、雨期を目前にした堤防破壊テロへの備えと、資金洗浄スキーム解明後の強制捜査について、〈盟友〉としての会話をふたつみっつ、イグナス陛下と交わされた。
メッテさんが席を立たれる。
イグナス陛下も見送りに立たれた。
わたしはメッテさんに寄り添い、ともに天幕を出ようとした、そのとき。
「イグナス!」
イグナス陛下に背を向けられたまま、メッテさんの透んだ声が響いた。
「よく辛抱したな」
「……メッテ殿」
「あのとき、婚約者の元に駆け付けるのをお前が辛抱したから、いまの平和がある」
メッテさんの言葉に、イグナス陛下はただ立ち尽くされていた。
「たとえお前が近衛も連れず、ただのひとりで乗り込んでいたとしても、ブラスタとクランタスの開戦は必至だった。……婚約者よりも民の平穏を選んだお前は偉い」
わたしの立ち位置からも、メッテさんの表情は窺えない。
ただ、その美しい背筋は、いつも通りまっすぐに、凛と伸びていた。
「婚約者を見捨てたという心ない誹謗にも耐え忍び、国軍にひとりずつ味方を増やし、即位して軍権を握るや否や、国軍を率いて蜂起。王国から佞臣を一掃した手腕も見事。……誰がお前を貶そうとも、私はお前を認める」
クルリとふり向いたメッテさんは、爽やかな笑顔を浮かべておられた。
「立派な王になったな、イグナス」
「……メッテ殿。私は……」
「来い」
そう言って、メッテさんは両腕を大きく広げ、可愛らしくはにかんだ。
「私がお前を褒めてやる」
「メッテ殿……」
「さっさと来ないなら、やめにするぞ? 結構、恥ずかしいんだからな?」
イグナス陛下の足が一歩、踏み出された。
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