173.冷遇令嬢は隣に並んだ
茜色に染まり始めた空の下。
大河のほとりに立つイグナス陛下は、揺らめく河面からの照り返しに麗しいお顔を輝かせながら、手元に持つ何かの紙片をジッと見詰めていた。
万感の思いが伝わる熱い眼差しに、訳も分からず胸を打たれる。
情が激しいとは、火がつけばすぐに行動に移してしまう苛烈さと、動けないとなれば寸毫たりとも動けない膠着とに、自身も翻弄されることなのだと、ひと目で察せられる、強い視線。
正直、ここまでお迎えに来るのは、とても大変だった。
イグナス陛下がお会いになる順序は、まずレオナス陛下、そしてメッテさん。繊細な外交交渉の積み重ねで決まったことだ。
なので、レオナス陛下との面会が実現する前に、イグナス陛下をお迎えに行くわたしの、襲撃に備えた護衛をメッテさんにはお願いできない。
もちろん、わたしの騎士はみんな強い。
だけど、今回同行してくれてる中で、際立って腕が立つのは、ルイーセさん、メッテさん、エイナル様。
そのエイナル様には、わたしが中座している間のレオナス陛下とヨジェフ陛下のお相手をお願いしないといけない。
枢密院議長のクラウスがいたら、エイナル様の代わりを頼めたのだけど、まさか、こんな事態になるとはつゆ思わず、すんなり王都に帰してしまった。
わたしが死にたくないという以上に、わたしが闇の勢力に討ち取られたら、それは法の側の敗北で、絶対に許されない。
死にたくもないけど。
それで、まずは潜ませた伏兵を率いるビルテさんの本営まで赴くことにして、やはり油壺攻撃に馬車は危険だと、ルイーセさんの馬の後ろに乗せていただき、
「……まったく、人騒がせなヤツだな」
と、呆れ顔のメッテさんに背後の護りをお願いし、両脇を騎士団で手厚く。
本営に着いたら、メッテさんはビルテさんと交代。その際、伏兵から重装甲騎槍師団も護衛に加え、護りを厚くする。
メインの護衛を前後に、両翼には数を配置する。
街道ではなく荒野を駆けるので、横長幅広の陣形でもいけるだろうと〈イグナス陛下お迎え作戦〉の概要が固まる。
そして、外交シーン用の重厚なドレスから、略装のドレスへとばあやに着替えさせてもらって、ようやくルイーセさんの後ろに跨る。
さらに、本営から移動を開始する際、あからさまに伏兵の馬蹄を響かせてはレオナス陛下に非礼だし、国境の向こうに展開するブラスタの兵が「すわ変事か!?」と動きかねない。
気付かれないのは無理にしても、レオナス陛下にギリギリ〈見て見ぬフリ〉をしてもらえるルートを割り出す。
荒野を駆けるのはこのため。
「……まあ、ここまできたら逆にどうしても顔を拝みたくなったな。イグナスによろしく伝えてくれ」
と、片眉を下げて苦笑いのメッテさんに見送られ、本営を出発する。
わたし自身が面会を調整した手前、メッテさんには申し訳なくて仕方ない。
――ご自分から、どうしても会いたいと仰りながら、いざとなったら『ビビった』って何なのよ~っ!?
と、イグナス陛下にプリプリしながら、ルイーセさんの背中にしがみつく。
荒野を抜けて大河にいたり、さらに遡って港を目指す。
イグナス陛下の軍船が着岸できる規模の港は、ブラスタとの国境を超えて、テンゲルの王都寄りにしかない。二度手間だけど仕方がない。
やがて、港の手前の何もない荒野にクランタスの護衛の兵団が見えて来て、先触れを走らせる。
馬を降りると、イグナス陛下の近侍の者たちが、あきらかに困惑した様子で出迎えてくれた。
――武力をもって宮廷を制圧し王権を確立したイグナス陛下には、いざというとき信頼できる近侍がいないのだ……。
と、近侍の者たちを労う。
彼らとしても、イグナス陛下がなぜ会談の場に向かわないのか理解できず、かといってその心情を打ち明けてももらえず、ただ、わたしに平謝りするしかないのだ。
「……わたしに任せていただけますか?」
「誠に恐れ多いことながら、不甲斐なき我らではいかんともしがたく……」
「いいえ。皆さまが側に控えておられることが、どれほどイグナス陛下の御心の支えとなっておられることか……。気に病まれることなきよう……」
威儀を正し、堤防の上に立たれるイグナス陛下の元へと案内してもらう。
そして、その眼差しに胸を打たれた。
揺らぐ水面から放たれる光の粒が、イグナス陛下の麗しい横顔を洗い、その瞳には燃えるような奥深い光が宿る。
決意とも悲哀ともつかぬ熱が、わたしにまで押し寄せてくるようで、言葉をなくした。
数瞬、熱に呑まれた心を落ち着け、黙してイグナス陛下のお隣に並んだ。
大河の水面がキラッ、キラッと陽光を反射するのを眺めて過ごす。
「……コルネリア陛下か」
ようやく、わたしに気付かれたイグナス陛下が視線を上げた。
お手元で大切そうに持たれていたのは、サウリュスの描いたメッテさんの肖像画。
「……無頼の者に、譲ってもらったのです」
イグナス陛下は、激するでもなく、漂白されたようなお声を出され、もう一度、お手元に視線を戻された。
「お美しくなられた……」
「ええ……」
ポツリポツリと、御心の奥底からこぼれ出てくるようなお言葉に、ただ耳を傾ける。
「……私と婚約などしたばかりに、苦難の道を歩ませてしまった……」
長年の恋慕と、婚約者を救えなかったという深い悔恨。その想いを抱えたまま、ついに再会の時を迎えることになられた。
「薊の刺青……」
「ええ……」
「美しい……」
「はい」
「……だが、墨を入れるには痛みが伴うと聞く」
「はい……」
「肌に何度も針を刺し……、薊を刻んでいく……、その痛みに耐える時間……」
「ええ……」
「……そこに思いが至り、果たして私にマウグレーテ殿にお会いできる資格があるのかと……、考えが止まらなくなった」
イグナス陛下は激情家ではあるけど、決して浅慮なお方ではない。
あらゆることに考えを巡らせ、激しい情念を燃やし、そして、立ち止まってしまわれた。
「父王の死の床で……」
「はい」
「サウリュスの存在を知り……、王政を壟断する佞臣どもを、撫で斬りにする決意ができた……」
「……はい」
「あやつらがおらねば、マウグレーテ殿のもとに駆け付けることも出来たのにと……」
「ええ……」
「兵を挙げ、すでに冥府に旅立たれたものと思い込んでいた、マウグレーテ殿の後を追うことになっても良かった……」
「……はい」
「だが、生き残ってしまい……、王政を平定し……、サウリュスに王位を譲ろうとしたが……、相手にされなかった」
最後、イグナス陛下は微かに笑われた。
父王が本当に愛した女性の子息、異腹の兄にこそ王位は相応しいと、佞臣を討ってから譲ろうとした相手が、あのサウリュスだったのだ。
笑ってしまうくらい、すげなくされたのに違いない。
「……父もわたしも、本当に愛する女性を、幸せにはできない運命なのか……」
イグナス陛下はお顔をあげ、大河の流れを眺めた。
「会えば、また不幸にしてしまうのではないか……」
「ご自身の目で、お確かめください」
「……コルネリア陛下」
わたしにはイグナス陛下のご心情に分け入ることも、メッテさんとの間に立つこともできない。
ただ、その激情に寄り添うことしかできないだろう。
イグナス陛下の瞳を見詰めた。
「いまのメッテさんが不幸か、幸せか。イグナス陛下ご自身の目で、お確かめください」
「そうか……」
と、イグナス陛下は、また手元の肖像画に視線を落とした。
「……コルネリア陛下の目には、マウグレーテ殿が幸せだと映っているのですね」
「わたしの目は、イグナス陛下の目ではありません……。ですが、薊の刺青は光り輝いて見えます」
「私が……、傲慢でありました」
イグナス陛下は、堅く目をほそめた。
「……幸せかどうかは、マウグレーテ殿……、いや、無頼の大親分にしてダギス家のご当主、メッテ殿ご自身がお決めになること」
「お会いになられたら、メッテさんも喜ばれると……、わたしは思っています」
「……とんだ非礼を犯した」
そう言って顔をあげられたイグナス陛下のご表情は、夕陽に染められ、すべてを呑み込まれた決意に彩られていた。
「また、コルネリア陛下に教えられてしまいました」
その笑顔は息を呑むほどに美しく、女性的な面立ちは麗しく輝いていた。
ルイーセさんなら、
『もういっそ、メッテの嫁にしてもらえ』
とでも言っただろうか。
わたしも、微笑みを返す。
「さあ、まずはレオナス陛下がお待ちですわよ」
「ああ……、それがありました。アイツに頭をさげないといけないのか」
「ふふっ。わたしがお取り成しさせていただきますわ。それに、そもそもはレオナス陛下が謝罪するための場ですのよ?」
「はははっ。……憎きブラスタの前王を退位に追い込んでくれた恩人でもあります。せいぜい礼を言わせてもらいます」
イグナス陛下と並び、堤防から降りた。
そして、ルイーセさんの馬の後ろに乗せてもらったわたしが先導する形で、イグナス陛下を帷幕へとお連れする。
本日の更新は以上になります。
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