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168.冷遇令嬢はやっと分かった

逸る気持ちを押さえつけ、まずは今日の内にやっておくべき仕事を片付ける。


わたしが決裁すべき内容には、他国との外交に関わるデリケートな案件もある。深呼吸をしてから、丁寧に読み込む。


ポトビニスの新王に即位したヨジェフ陛下が、ブラスタ入りされている。


クラウスと連携し、ブラスタとの和解交渉をアシストしてくださるためだ。



「……妥結は間近。ブラスタの堤防の緊急補修は雨期に間に合いそうだけど……、誰に行ってもらうか」



ブラスタの技術力では、独力での実施は難しいだろう。


大河院から人を遣りたいけど、いまはテロ対策と通常の雨期対策とで手一杯だ。



「……いや、和解後は、ブラスタがテロの標的になることも考慮すべきね……」



それは追い追い考えるとして、クラウスから求められた妥結条件への承認を与える。


取り急ぎやるべきことは、すべてやり終え、後回しにできるものは後回しにして、今日の公務を切り上げる。


そして、水脈史編纂室へと急いだ。


女性騎士から、入室時の手荷物検査を受ける。


心は急いている。だけど、機密の保持には、たとえ女王にして清流院総裁といえども例外は設けないことで、規律の厳格性を守る。


ただ、温和な女性騎士の柔らかな物腰に、気持ちを落ち着けてもらえた。


部屋に入れば、ウルスラの報告通り、雰囲気はいい。


業務の性格上、活気こそないけれど、無駄な緊張感も弛緩も見られない。


質の良い集中力で満ちていた。


ミカに頼み、確認したい資料を出してもらう。


チェックしたい項目は多い。そして、わたしは「ある」ことを見付けるのではなく、「ない」ことを確認しないといけない。


見落としのないよう、焦らず、ゆっくりと確実に目を通していく。


日が落ちて、外が真っ暗になる頃。


わたしは確認を終えた。



「……やっと、分かった」



ノエミからのお手紙に書かれていた内容。



――リレダルの公設取引所では、船荷証券も扱うようになるそうです。



雷に打たれたような衝撃だった。


船荷証券は、船主が荷主から預かった荷物の明細。


高速の郵便船で先に荷受人に送られ、荷物を受け取る際の引換券になる。


その船荷証券自体が、商品として売買されていることを、わたしは知らなかった。


いつから? とか、どのように発展して? といった学問的な興味は尽きないけれど、主な目的はすぐに分かる。


まずは資金繰りだろう。


荷物を受け取る前に転売すれば、現金をいち早く手にできる。


船荷証券の売買が商習慣として定着しているなら、短期融資の担保にもなるはずだ。


公設取引所で扱うということは、投機目的の場合もあるだろう。穀物など市場価格の変動がある品なら、運搬中の値上がりを狙ったり、あるいは利益を確定させたい者は、早々に売り払いたいと考えるだろう。


『船荷証券自体の売買』という新たな知識を得れば、派生的に、どのような扱いがされているのか想像し理解することはできる。視界が一気に開けた。


編纂室のメンバーは既に退勤し、部屋に残るのは、わたしに付き合うウルスラだけ。


ウルスラが、恐る恐る口を開いた。



「……な、なにが分かったのですか? お、お姉ちゃん……、なにか変なことを書いてました?」


「ふふっ、違うわ。とても、大事なことを教えてもらったの」


「そ、そうですか……」



気を付けてたつもりだけど、わたしの表情が鬼気迫るものになっていたのかもしれない。


ウルスラを怖がらせたのなら申し訳ない。



「……なかったのよ」


「え?」


「そうね……。船荷証券の控えは、真正性の証明……、産地の証明として、緋布みたいな高級品の取引では商品に添付されるのよ。決まり事というよりは商習慣ね」


「は、はい!」



わたしが順を追って説明しようとしたら、途端にウルスラの瞳がキラキラと輝く。


身体はすこし前のめりになるし、まっすぐにわたしを見詰める。


子爵夫人という勲功爵を持つ女王侍女になったというのに、最初に出会った頃より、さらに好奇心を隠さなくなっていた。


ナタリアとばあやの指導で垢抜けてきてもいて、ハッキリ言えば、かなりカワイイ。



――これは……、狷介博士に可愛がられるはずね……。



と、クスリと笑ってしまう。



「……船荷証券は荷送人が荷物を船主に預けるとき、船主から発行されて、荷受人が受け取る荷物と引き換えに、船主に返却されるの」


「なるほど……」


「だから、荷受人は荷物を受け取る前に、控えとして写しをつくっておくんだけど、そこには荷受人が受け取る船荷のすべてが記載されてるわ。……船荷証券は一商品あたりじゃなくて、一取引あたりで発行されるから」


「はい……」


「当然、控えを渡せば、購入者に緋布以外の船荷のことも知られてしまうんだけど……、たとえば、この船荷証券を見てくれる?」


「うわ……。サファイヤのネックレスに、ダイヤの指輪。どれも高そうですねぇ」


「どう思った?」


「え?……高級品ばかりだなって……」


「そう、この荷受人の商人は『緋布だけじゃなくて、宝飾品みたいな最高級品も扱えるほどの大店なんだな』っていう、信用にもなるのよ」


「へぇ~」


「正体不明の小規模な商会からでも、高級品の緋布を購入できる、ひとつの安心材料になっていたでしょうね」


「なるほど……」


「で……、なかったのよ」


「え?」


「……緋布と一緒に積まれたはずのテンゲルの宝飾製品が、陸揚げされ、通関した記録がどこにもないのよ」


「へ、へぇ~……。え? ……どういうことですか?」


「船荷証券に記載するだけで、実際には船に積んでなかったのよ」



だけど、船荷証券上では存在することになっている。


その船荷証券を、不正に得られた資金で購入し、さらに転売すれば、正規の商取引で得られた利益に化ける。


資金が洗浄される。


しかも、国境をまたぐので、清流院が設立され通関情報という機密が共有される前には、発覚は不可能に近かった。


通関では船荷の現物が確認され、船荷証券は関わらない。そもそも、船荷証券は別便で送られる引換券。あくまでも商人間の取引で効力を持つ「私的な権利書」であり、税関では公的書類とは扱わない。


制度が船荷証券の性格の変化に追い付いていない。


存在しない、いわば〈幽霊船荷〉と国境の壁、そして制度の未熟を突いた、巧妙で壮大な資金洗浄スキーム。



「……こ、このお名前の方は?」



と、ウルスラが、船荷証券の控えに残るサインを指差した。



「ふふっ。いいところに気が付くわね」


「へへっ……。そ、そうですか?」


「……原本から写しをつくるとき、写しに原本と同じ内容が記載されているかどうかを確認した、証人のサインよ」


「え? じゃあ、その人を捕まえたら、悪い人たちにつながるんじゃ……」


「そうね……。でも、わたしがこの『悪さ』をするとしたら、証人には無関係な第三者を使うわね」


「う~ん、……どうしてですか?」


「ふふっ。下手に〈からくり〉を知ってる者にサインさせたら、名前が残るし、そこから秘密が漏れるかもしれない。……証人はあくまでも2枚の書類に同じ内容が記載されてることを証明するだけ。実際の船荷まで見て確認する訳じゃないわ」


「証明の手数料だけ払って済ませた方が安全……、っていうことですか?」


「そう! 賢いわね、ウルスラ」


「へへへっ……」


「悪用したらダメよ?」


「それは、もちろん!」


「……いずれ聴取には応じてもらわないといけないけど、優先順位は低くなるわね」


「なるほど……」



それに、高級品への箔付けのため、証人として貴族がサインしている場合もある。


いま、ここに手を着けると話が大きくなり過ぎるし、万一、闇の勢力に察知されたら、暗殺の恐れもある。



「まずは、記録に残る限りすべての痕跡を精査する方が先ね」



メッテさんによる港湾の健全化で、王都の港に寄港しなくなった船主も、間違いなく関与している。


立ち去った荷役人夫もグルかもしれない。



〈月の進路に誤りなし。――蜻蛉(かげろう)



デジェーからのメッセージの通り、わたしは闇組織を、着実に追い詰めていた。


ただし、各国に提出を要請していた機密情報は限定的。〈からくり〉は判明しても、全容解明のためには、すべての通関情報を照合する必要がある。


わたしは、各国への全件提出の要請に踏み切った。


緋布以外の高級品に添付された船荷証券の控えも、可能な限りすべてかき集めて送ってもらう。


幽霊船荷の記載された船荷証券を特定し、そこに登場する荷送人と荷受人を、不審な小規模商会群と照合する。


この資金洗浄スキームに関与する商会を割り出せば、各国に強制捜査を要請できる。


ただし、あくまでも慎重に。


敵にしている闇の勢力は、平気で油を撒いて火を放つような者たちだ。


強制捜査で踏み込むより前に、捜査の手が及んでいると察知されたら、小規模商会群のすべてを焼き払う恐れもある。


そして、首尾よく小規模商会群から闇の勢力の関係者を捕えられたとしても、恐らくは、末端の尻尾切り要員の捕縛に留まる。


だけど、闇の正体に手をかけられる。


捕縛できた者たちが、たとえチーズ屋の主人のように沈黙を守ったとしても、捜査の手を大きく広げられる。


雨期が始まり、大河の水位が上がるまでの全容解明が見えてきた。



本日の更新は以上になります。

お読みくださりありがとうございました!


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