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167.冷遇令嬢は戦慄した

清流院、表の実務責任者である狷介博士のお部屋を訪ねると、ちょうどウルスラが学問を教わっているところだった。


ひねくれ者で、いつも言葉に角のある狷介博士だけど、娘のような歳のウルスラは可愛いらしい。


娘というよりは孫を見るような目で、顔をほころばせていた。



「これはこれは、コルネリア陛下。わざわざのお運び、何かありましたかな?」



すこし照れたように、眉をしかめた狷介博士が、ソファを勧めてくださった。



「博士……。清流院の本来業務からは離れますが、どうしても博士のお力をお借りしたいことが出来ました」


「ふむ……」



ウルスラが部屋を下がろうとしたので、そのまま近侍するよう命じた。


博士のお部屋の壁にかかる、大河流域全体を描いた地図を見詰める。


各国の無頼が寄せてくれた情報から、ナタリアが抽出したちいさな盗難事件の数々。


ひとつひとつを取れば、他愛もないし、意味も分からない。ソーセージをつくる牛の腸だけ盗んで、何に使おうというのか。


だけど、ひとつの場所に集められたなら、大きな意味が導き出される。


牛の腸は、なめして特殊な加工を施した上で繋ぎ合わせれば、強靭で防水性のある、水防工事に便利な簡易の排水管となる。


麻袋は土砂の運搬に欠かせず、滑車はその麻袋を引き上げるのに必要。


狷介博士を見詰める。



「……空を見上げて、天が崩れるのを恐れるような話かもしれません」


「ふむ……」


「ですが、堤防の破壊工作……。いえ、堤防の大規模破壊テロの計画が進行している恐れを、なしとは出来ません」



盗難は広範囲にわたり、無秩序な情報の群れから、ありもしない意味を見出しているだけかもしれない。


壁のシミをオバケだと恐れているだけかもしれない。


緋布偽造の摘発から始まった、不正資金との戦い。闇の勢力との戦い。


いまだ全貌は捉えられず、情報はいつも断片的。新年の大火と続く放火未遂、カリスの乗る高速船への襲撃の後は、有形力による攻撃も鳴りを潜めている。


こちらは常に最高度の警備と警戒を強いられる神経戦の様相を呈しており、疑心暗鬼との戦いでもある。



「……最後のピースが埋まっております」


「最後のピース?」


「技術です。……堤防に関する知識と技術」


「ほう……」


「技師のギーダ。脱獄した彼女の行方が分からないままです」



ギーダは性格こそガサツで難があった。だけど、技術力は確か。


専門は測量だとはいえ、リレダルの水防技術における最高機関、大河院直属の技師だったのだ。


牛の腸が水防工事に使われることなど、誰もが知ることではない。だけど、ギーダなら知っている。


堤防の構造や工法を熟知しており、それはつまり、どうすれば効率良く壊せるかも知っているということだ。


そして、施工図面がなくとも、ギーダなら自分で測量してしまうだろう。


狷介博士が眉間に険しいシワを刻んだ。



「……なるほど。備える価値はあるとして……」



壁にかかる大河の地図に、目を向ける。



「果たして、どこが破壊されるのか……」



大河は広くて長いからこそ、大河なのだ。


全域を常時警戒することは、事実上不可能。敵の狙いを絞り込む必要があるけど、途方もない作業が待っている。



「……まとめて正規のルートで購入するのではなく、各地に分散させた盗品で資材を賄う理由は、人為的なテロではなく自然決壊に見せかけるためでしょう」


「なるほど……」


「敵の狙いは、大河委員会議長――大河伯であるわたしの権威失墜。ひいては、大河委員会体制の崩壊。そのために大規模氾濫を引き起こす……」


「……ならば、最小の労力で堤防を破壊でき、最大の政治的ダメージを与えられる場所を狙う……」


「かつ、復興には困難を伴い、責任の所在が『大河伯コルネリア』に集中する場所」


「ある程度は絞り込めますが……、何分、壊す側として考えた経験がない」


「……大河流域すべての水脈図、地質データ、過去の決壊記録。まずは物理的な脆弱箇所を徹底的に洗い直すほかありません」


「わははははっ!」


「……は、博士?」



ペチリと額を手で打った狷介博士が、天を仰いで、愉快気に笑われている。



「豪雨の予測に、天候データをすべて洗い直したときの比ではありませんな!」


「……仰る通りです」



狷介博士は、ふたたび壁の地図を険しい視線で睨みつけた。



「……政治向きのことは分かりかねる。技師の視点、専門家の視点で『壊しやすい箇所』の特定に全力を上げましょう」


「はい。よろしくお願いいたします」



平常時に堤防が破壊されたとしても、直せばいいだけだ。


問題は雨期が近いこと。


大河は増水し、水位が上がり、堤防には強い水圧がかかる。


仮に、堤防の脆弱部分を狙って基礎にちいさなトンネルでも掘ってあれば、土砂は根こそぎ洗い流され、外見上は何の変化もないのに、堤防の土台はスカスカになる。


堤防は自重と大河の水圧に耐えられなくなり、予兆もなく一瞬にして大規模に崩落。


堤防は決壊する。


誘水に使うであろう牛の腸など、破壊工作の痕跡はすべて押し流され、堤防の設計ミスや検査ミスとの見分けがつかなくなる。


決壊の原因は『大河委員会の指揮の不備』とされてしまうだろう。


そして、引き起こされた洪水は、民の生活を破壊する。


大河委員会体制、ひいては、わたしの権威とは、リレダルを豪雨災害から守ったことに由来する。


この権威を喪失すれば、大河委員会の議長どころか、テンゲルの女王位すら危うい。


加盟国の王がわたしを擁護してくれたとしても、各国の宮廷までは押さえ切れない。大河委員会は存在理由に大きな疑問符をつけられ、いずれは自然消滅。


テンゲルの名に泥を塗ったとして、わたしは女王位を追われ……。


闇資金の追及が止まる。


雨期が到来しても、すぐに大河の水位が上がる訳ではないとはいえ、脆弱箇所の特定を急ぐしかない。


ウルスラには引き続き、水脈史編纂室と狷介博士とわたし。三者の連絡を命じる。


水脈史編纂室の照合作業で敵の正体が浮かび上がれば、堤防を破壊される前に強制捜査に入れる。


いまは、清流院の表も裏もフル稼働させ、闇の勢力に対峙するしかない。



  Ψ



わたしも、すぐに狷介博士の調査に加わりたいのだけど、まずは女王として、大河委員会議長としてやるべきことに着手する。


加盟各国の王に『堤防破壊テロの可能性』を報せる親書を発する。


たとえ見付けだすのは難しくとも、警戒体制を厳しくしてもらう必要はある。


リレダルには、脱獄したギーダの行方を追う体制の強化を要請。捕縛には至らなくとも、もし足取りがつかめたら、破壊工作の対象範囲を絞り込める可能性がある。


あっさり捕縛できたら、わたしの杞憂でしたというだけの話でひと安心。


すこし恥ずかしい思いをするけど、それで安全が確認できるのなら何の問題もない。


バーテルランドには犯罪捜査のスペシャリスト、ルーラント卿の派遣を要請。


ナタリアのまとめた「盗難マップ」から、資材の集積ルートを予測してもらいたい。


あるいは、こちらもルーラント卿の分析で杞憂だと判明するなら、それはそれでありがたい。


ナタリアとゲアタさんの作業部屋に、ルーラント卿の机を用意して到着を待つ。


さらに、リレダルの大河委員会本部――大河院と清流院との連絡体制を、雨期時の1日12便に格上げ。


大河院の研究部門を取り仕切る初老の女性博士に、狷介博士への全面協力を命じる。


テロが杞憂でも、堤防の脆弱箇所の分析は無駄にはならない。


テンゲル女王としては、王都のビルテさんとケメーニ侯爵に、堤防全域の警戒レベルの引き上げを命じる。


また、エルヴェン公爵、モンフォール侯爵としても、同様の命を領地に発した。


もちろん、警戒対象は支流にもおよび、完璧な監視は、ほぼ不可能に近い。


それでも、日々の巡回と不審な箇所がないかの探索は、やらざるを得ない。


こればかりは、警戒していることを闇組織に隠す必要がない。警備強化でテロの決行を断念してくれるのなら、それはそれで良いとするしかない。


カルマジンに置く重要機関、清流院と再審庁が一気に慌ただしくなる。


ナタリアは自信を取り戻し、



「ふふっ。……もしも、すべてが杞憂だったら、私に各国へのお詫びの使者を命じてくださいませね」



と、悪戯っぽく笑っている。



「そのときは、わたしも一緒に行くわよ」


「あら、素敵。コルネリア陛下とのふたり旅だなんて……。エイナル殿下にやきもちを焼かれそうですわね」



と、すっかり口も滑らかだ。


カリスは引き続き王家領の不正追及にあたり、メッテさんは不当に裁かれた者たちの再審が軌道に乗り始めて大忙し。


わたしは自分の執務室で各国との調整に追われる。


ウルスラは編纂室と狷介博士の研究室とを走り回り、各部署の進捗と部屋の雰囲気とを教えてくれる。


編纂室ではレムの事件があったばかりだし、狷介博士はあのご気性。


膨大な作業に追われ、部屋の雰囲気が険悪になっていないか気を配っておきたい。


ばあやは、みんなをマッサージ。


気持ち良くて、わたしも寝室に入ったら、毎晩すぐに寝てしまう。エイナル様とあまりお話できなくて、すこし寂しい。


そんな中、わたしの癒しはノエミから届くお手紙だけ。


リレダルの王立学院での学びを、こまめに書き送ってくれる。


ただそれも、しっかり目を通す時間はとれなくて、執務机に顔を伏せたまま、ウルスラに読み上げてもらっていた……。



「……え?」



手を止め、顔を上げた。



「……ウルスラ。いまの箇所、もう一度、読んでくれる?」



お母様が父に軟禁されて生じた20年の空白。それを埋める一文に、わたしは目を輝かせる以上に、愕然とし、戦慄した。


なぜ、こんな簡単なことに気が付かなかったのか。


だけど、ついに闇資金の謎が解けたかもしれない。



本日の更新は以上になります。

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