161.冷遇令嬢は憐みの視線を送る
清流院の敷地内にある別棟。騎士団詰所の一室に隔離した、レムのもとに赴く。
中肉中背の丸っこい体格に、耳がすっぽりと隠れるほどの黒髪。しばらく散髪をしてないような無造作なスタイルで、全体的にボリュームがあって重たい感じがする。
太い黒眉からは篤実で素朴な印象を受け、目付きは穏やか、人懐っこそうな丸顔。
わたしの知る真面目なレムがそのままの様子で、椅子にちょこんと座っていた。
かつて、モンフォール侯爵領での腐敗追及では、口裏合わせを持ちかけてきた腐敗官僚からの多額の謝金を断固断り、わたしに告発してくれた正義漢でもある。
さらに、それまで目にした贈賄や収賄を、長期にわたってこと細かく記録してくれていて、腐敗の追及に大いに役立った。
――レムの日記。
腐敗追及の切り札として、わたしにもカリスにも、大きな指針をもたらしてくれた。
「……いつか、モンフォール侯爵家に正義がもたらされるものと、堅く信じておりました」
涙ぐんだレムの晴れやかな笑顔を、わたしは忘れることができない。
そして、この場においても、レムの表情には濁りも淀みもなかった。
まっすぐな視線でわたしを見詰める。
「コルネリア陛下。私が取った行動について、弁明の機会を賜り、心からの感謝を申し上げます」
「ええ。水脈史編纂室で本当は何が起きていたのか。わたしに聞かせてください」
ナタリアの憔悴し怯えた表情を心の奥底で抱き締め、湧き上がる憤りを押し隠し、レムには穏やかに語りかけた。
わたしの態度に気を良くしたのか、レムは滔々と語る。
「私の行動は、確かに規定を逸脱したものであったかもしれません。ですが、すべて、コルネリア陛下と、陛下が重用されるナタリア様をお守りしたいという、忠誠心から出たものでございます」
「ええ……」
「ナタリア様は清流院という最重要機関の責任者でいらっしゃいます。ですが、まだお若く、ご気性はあまりにも純粋です。ご自身の周囲に渦巻く嫉妬や、見えざる敵の脅威に対し、あまりにも無防備に見受けられました」
使命感すら漂わせ、レムは熱く語る。
すでにレムの自室には騎士団の探索が入っており、ナタリアに関する様々な物品が発見されている。
ゴミ箱から回収したであろうナタリアの書き損じのメモ。ナタリアの使ったインクの吸い取り紙。
指先で押して使う吸い取り紙には、ナタリアの文字が鏡文字になって写る。
それを自室に収集し、眺めていたレムの歪んだ独占欲はとても不気味で怖気がたつ。
もちろん、書き損じも吸い取り紙も、機密として取り扱うべきもので、無断で持ち出すことは重大な規律違反。
それだけでも断罪に値する。
さらに、ナタリアの使ったカップと、底に残った微かな茶葉を乾燥させたもの。
そして、執務室の椅子から拾った、ナタリアのすみれ色めいた銀色の髪の毛。さらには、ナタリアが置き忘れたハンカチ。
すべて、いつ収集した物なのか丁寧なメモと一緒に保存されていた。
胸が締め付けられるほどに心苦しく思いながら、ナタリアにも確認してもらった。
「……私の……、ハンカチです……」
ナタリアのかすれる声が耳から離れない。
そして、なによりも、わたしの心を震え上がらせたのは、ナタリアの観察日記だ。
几帳面なレムらしい有能さを、フルに発揮した詳細な観察の記録。
『本日のナタリア様のご様子。朝の挨拶の声は僅かに上ずっていた。気圧の変動によるものか、あるいは前日のミカの報告書にご不満か。ミカに注意せねば』
『昼食はスープとパン。パンを少し残される。ご体調にご懸念あり』
『午後、宮中伯カリス閣下と3分間談笑。会話内容を要確認』
レムの「ナタリアを守りたい」という想いが「監視」と「管理」へと変質していく、おぞましい記録。
ナタリアの心身の状態、人間関係のすべてを把握し、潜在的なリスクを分析しているつもりなのだ。
そして、添えられたスケッチ。
「ペンを握る右手の、指の角度」「資料を読む際の、伏し目がちの瞳の輪郭」「特定の言葉を発音する時の、唇の形」「胸の丸みの見事な流線形」
ナタリアの身体のパーツや、無意識の癖を、まるで研究対象のように、何度も何度も、様々な角度から描いている。
サウリュスが描く「美」や「魂」を捉えた芸術的な絵ではない。
ナタリアの特徴を細部にわたって捉えるための、犯罪捜査資料のような、無機質で部分的なスケッチのコレクション。
異常な執着の堆積物。
――こんな視線に晒されてたら、ナタリアでなくても、……たとえ見られる側が男性であっても憔悴するわね……。
さすがに、観察日記とスケッチはナタリアには見せなかった。
レムは、一点の曇りもない透んだ瞳でわたしを見詰め、熱く語り続ける。
「私が書類に忍ばせた言葉は、単なる私信ではございません」
「……そうなのね」
「はい。『私は常に見守っております。いかなる脅威も、この私が見逃しはしません』という、ナタリア様にご安心していただくための、そして見えざる敵を牽制するためのメッセージでございました」
「そう……」
「お部屋におうかがいしたのも、断じて私情からではございません。あれは『警備体制の脆弱性を指摘するための、実地検証』でございました」
「……なるほど」
「私のような一文官が容易にナタリア様の私室近くまで侵入できるのであれば、本物の暗殺者ならどうでしょう? 私は、ナタリア様ご自身にその危険性を認識していただくため、あえて危険を冒したのです」
「ええ……」
「コルネリア陛下。私は陛下が築かれたこの新しいテンゲルを守るためなら、いかなる〈汚れ仕事〉も厭いません」
かつてデジェーが牧草地でわたしに言った言葉と同じ言葉を、レムが使うことが不快でならなかった。
カリスへの襲撃にあわせ、デジェーはたった一度だけ、わたしにメッセージを送ってくれた。
それは、きっと命懸けで、もしも潜入する闇の勢力に知られていたら、デジェーは既にこの世の人ではないかもしれない。
汚れ仕事という言葉を、軽々に使うレムへの憤りが重ねて湧き上がる。
「……たとえそれが、上官であるナタリア様から誤解され、罰せられることになろうとも。私の忠誠は、規則の上にあるのではなく、コルネリア陛下の理想を守るという、ただ一点にのみございます」
レムの話を遮ることなく、わたしは最後まで聞いた。
「レムの忠誠心、しかと聞き届けました」
「ははっ。光栄に……」
「その上で、問います。わたしがナタリアを清流院の責任者に任じたのは、ナタリアが『若く、純粋だから』でしょうか?」
「それは……」
「違います。ナタリアが誰よりも有能で、信頼に足る人物だからです。レム、あなたは年齢や性別でナタリアを判断し、その能力を侮辱した」
「いや、ですが実際に……」
「それは、ナタリアを任命した、わたしの判断を侮辱したことと同義です」
忠誠心などを言い訳にはさせない。
ほんとうの忠誠とは、そんな身勝手なものではない。
「次に、レム、あなたの言う『守護』について。あなたの役目は、与えられた任務を誠実に遂行することであり、ナタリアの身辺を守ることではありません」
「し、しかし……」
「その役目は、ルイーセさん以下、騎士団が担っています。あなたは、存在しない脅威を勝手に作り上げ、その実、あなた自身がナタリアにとって最大の脅威となったのです」
「私がナタリア様の脅威だなど……」
「書類に私信を忍ばせることを、あなたは『メッセージ』と言いました。しかし、受け取る側が恐怖を感じれば、それは『脅迫』です」
「きょ……、脅迫?」
「そうです。そして、私室への接近を『実地検証』と言いました。しかし、相手の許可なく私的な領域に踏み込むことは『不法侵入』に他なりません。あなたの行動は、すべてが独りよがりな自己満足です」
押し黙ったレムを、冷えた視線で見詰める。
歪み暴走した正義感。レム本人は『恋愛感情』ではなく『ナタリア様を守るための、危機管理』だと信じ込んでいる。
これから、わたしが下す最終的な処置の前に、レム自身に自らの行いの本質に向き合ってもらわねばならない。
ことは、国家と大河委員会加盟各国の最高機密の周辺で起きた。
レム自身が悔悛の情に至らないのであれば、わたしは最も苛烈な処断を選び、禍根を断たざるを得ない。
それを回避する最後の機会を、過去の功臣であり、有能なレムに与えたい。
「そして、レム。……あなたは最も重大な過ちを犯しています」
わたしが送る憐みの眼差しに動揺したのか、レムの視線はキョロキョロと泳ぎ、身体は小刻みに震えはじめた。
最後の最後まで自己正当化をやめなかったフランシスカほどには、レムが愚かではないと信じたい。
本日の更新は以上になります。
お読みくださりありがとうございました!
もし気に入っていただけたり、おもしろいと思っていただけたなら、
ブクマや下の☆☆☆☆☆で評価していただけるととても励みになります。




