16.冷遇令嬢はなんだか面映い
「この場は、オレに任せてください」
と、クラウス伯爵が潜めた声で、わたしに耳打ちした。
肩に力が入って、うまく頷くことが出来ない。クズ父への憤りを抑えきれないまま、クラウス伯爵に視線で肯いた。
「伯爵家より迎えたご正妻の養女とされた、ということでしょう。偽りなど、とんでもない。むしろ、父侯爵閣下がこの和平を重視されている証にございます」
「ふん……。そうとも、言えるわね」
と、扇を降ろされたカーナ様が、視線を河岸に向けられた。
退屈そうな横顔が、大河の河面からの照り返しを受けてキラキラと輝いた。
背景には、ゴシック様式の尖塔が天を突くブロム大聖堂。一幅の絵画のような風景。
耳元にエイナル様の口があった。
「……コルネリア殿。ご事情をただちには図りかねるが、コルネリア殿がボクの婚約者であることに変わりはない」
「はい……」
父の浅薄な行いへの申し訳なさ。近くにあるエイナル様の美しいお顔。耳元で優しく響く囁き声。
わたしの心は千々に乱れた。
「だから……」
「……はい」
「船の名前を変えようだなんて、仰らないでください」
「……えっ?」
「エイナル&コルネリア。……ボクは、とても気に入っているのです」
不意打ちのように、悲しげな囁き声が耳に飛び込んできて、思わずエイナル様に顔を向けた。
――ち、近い……。
と、ドキっと胸が高鳴る。
「ボクはもう……」
「はい」
「なにがあっても、コルネリア殿を手放したくない」
エイナル様の真剣な眼差しに、思わず、扇で口元を隠した。
パックリ開いた口を、エイナル様にお見せする訳にもいかない。
遊覧船に乗るたくさんの人々。側にはクラウス伯爵にカーナ様。カリスもわたしを見詰めてる。
その真ん中で、わたしにしか聞こえないような甘い声でエイナル様が囁かれたのは、
――愛……、ってことよね?
息のかかるような距離で、エイナル様のエメラルドグリーンの透んだ瞳を見詰め返し続ける。
こういうとき、なんてお答えすれば良いのか、お母様からも老博士からも教わっていない。
「皆さま、ご覧ください!」
と、老ガイドの明るい声が響いた。
「エルヴェンの新名物! 仲睦まじき総督ご夫妻にございます! あっ、ご夫妻になられるのは、もう少し先でした!」
ドッと、乗客のみなさんが沸き立つ。
「長くツラかった戦争の終わりを告げる、エイナル&コルネリア号! その初遊覧に相応しい、おふたりの愛情溢れるお姿に、どうぞ皆さま、盛大な拍手を~っ!」
老ガイドの明るく煽り立てる声に、苦笑いされたエイナル様が身体を起こされ、わたしの腰に手を回してくださる。
乗客の拍手に応え、手を振るエイナル様。
突然の祝福に、わたしは顔を真っ赤にして、思わずエイナル様の胸に顔を埋めてしまった。
恥ずかしがる顔を隠したつもりが、なおのこと拍手が盛大になる。
ポンポンッと、エイナル様がわたしの腰を優しく叩いてくださった。
「民が、これだけ祝福してくれているのです。どうぞ、胸を張って応えてやってくださいませんか?」
「はい……」
と、顔をすこし上げ、みなに手を振る。
恥ずかしい。
なんで、自分が恥ずかしく感じているのかも分からないまま、エイナル様に寄りかかって、手を振った。
「我ら皆! おふたりの愛の証人となる栄誉を授けていただきましたぞぉ!」
と、煽り続ける、老ガイド。
――も、もうっ! ちょ、調子に乗り過ぎよぉ~!
と、睨むのだけど、老ガイドはニコニコと親指を立てて見せる。
そうじゃなくて~っ! と、周りの乗客たちの表情が目に入ると、みんなが感慨深げな笑顔で、わたしたちを見詰めていた。
――終わったのだ、戦争が。
一人ひとりの顔に、ありありと安堵の色が浮かんでいた。
貴族や王族の思惑で始まる戦争は、彼らのプライドやメンツのせいで終わらない。その間、傷付き続けるのは庶民だ。
何度も戦場となり、何度も統治が入れ替わったエルヴェン近郊の庶民は、その度に振り回され、傷付いてきたことだろう。
わたしは、そっとエイナル様のお背中に手を伸ばした。
エイナル様は驚かれたようにわたしに顔を向けられ、そして、微笑んでくださった。
わたしたちが互いに慈しみ合うことで、民の傷を少しでも癒せるのなら、恥ずかしがっている場合ではない。
きっと、わたしの顔は、頬の上側だけでなく、全部が真っ赤に染まっているだろう。
とても、カーナ様のように優雅にふる舞えているとは思えない。
だけど、わたしなりに、みんなの祝福に応えたい。キュッと脇を締めたまま、小さく手を振った。
「あ~あ。つまんない」
と、カーナ様の声が響いた。
拍手がピタッとやみ、甲板の上が静まり返る。
「……皆にフルーツを。私からの祝福ですわ」
と、カーナ様が年配の侍女に声をかけられると、乗客から歓声が上がった。
元水兵の乗務員たちが、
「ホイヴェルク公爵令嬢カーナ様よりのお振る舞いにございま~すっ! エイナル様とコルネリア様のご婚約を祝してのお振る舞い! 皆さま、どうぞ~っ!」
と、乗客に果物を配って歩く。
たちまち船上には皆の笑顔が溢れ、大人も子供も老人も果物の甘みに舌鼓を打つ。
カーナ様が、パチリと扇を閉じた。
「民からのこれほどの祝福に手を振るだけで済ませようとは、エイナル様のお隣に相応しくありませんことよ?」
「べ、勉強になります!!」
と、わたしが思わず拳を握ると、カーナ様はキョトンと目を見開かれた。
そして、クスクスと笑い始める。
「……あそこに見えるブロム大聖堂は、わがホイヴェルク公爵家の領内。一度、遊びにいらっしゃい」
「えっ!? よろしいのですか!?」
思わず、身を乗り出す。
「え、ええ……」
「けっ、建築界の巨匠クヌーズ伯の設計で、意匠はゴーム老の最高傑作と名高い薄衣を表現した彫刻で、石造りなのに舞い飛びそうだと聞く、あのブロム大聖堂の中に入れていただけるのですか!?」
「ふふっ。コルネリア殿は、随分、博識でいらっしゃるのね」
「あっ……」
興奮して、思わず賢しらなことを口走ってしまったと、エイナル様の顔色を窺う。
「カーナ……。キミも、コルネリア殿のことを気に入ってくれたようだね」
「……エイナル様が王国のために政略結婚を受け入れられるのは、やむなきこと。せめて、私を第2夫人にしてもらおうと押し掛けました」
ええっ!? と、カーナ様とエイナル様の顔を見比べた。
クラウス伯爵に目をやると、バツの悪そうに目を細めて、かるく左右に首を振った。
「されど、ようやく諦めがつきました。コルネリア殿と比べられ続ける人生など、私には耐えられそうにありません」
「そうか……」
と、エイナル様が慈愛に満ちた、けれど、明確に線を引くお声で応えた。
カーナ様が優美なカーテシーの礼を執られて、わたしの目が釘付けになる。すぐにもマネしてみたいのだけど、我慢した。
「……エイナル様。長きに渡る非礼、どうかお許しを」
「なに。思い返せば、よき青春の日々でした。……カーナ殿におかれても、どうか、よき伴侶に巡り合われますよう……」
と、エイナル様がわたしの腰にあてた腕に力を込め、抱き寄せられた。
「妻となるコルネリアと共に、祈っております」
唐突な甘酸っぱい展開に、目をパチクリさせてしまう。
わたしには経験のない、学院生活の余韻を味わわせてもらったようで、なんだか面映い。
――そりゃ、エイナル様は高貴なお生まれで、これだけの美形でいらっしゃるのだもの……。お慕いするご令嬢もたくさんいらっしゃったわよね。
美しいお顔を上げたカーナ様が、乗客たちを見渡された。
「敵国に単身送り込まれ、この短い期間に民を魅了されている。互いに血を流し合った、敵国の令嬢の身にありながら。……私ごときでは、到底敵いませんわ」
「あ、いや、皆さん、とても良くしてくださっていて……」
「ふふっ。……わが家で夫人教育に励む令嬢は苦労しております」
「あっ……」
「小姑の私では、うまく手を差し伸べることもできず……。一度、エイナル様と一緒に遊びに来てくださいませ」
同じ境遇にある令嬢が、嫁ぎ先に馴染めずにいるという話に、胸が痛んだ。
わたしは偶然にも〈あたり〉を引いただけなのだ。エイナル様という、特大の〈あたり〉を。
遊覧船を降り、カーナ様をお見送りさせていただく。
「……けれど、平民のお母上。大変な大人物であられたと聞いたわ」
と、カーナ様が囁かれた。
「貶すような言い方をしてしまって、……ごめんなさい」
「もったいないお言葉です。きっと、母も喜びます」
「……コルネリア様」
「はい」
「……エイナル様に尽くしてね」
颯爽と立ち去られるカーナ様のお背中は、やっぱり真っ直ぐに伸びていて、凛と優雅で憧れる。
お母様の存在を消そうとしたクズ父への憤りも、いくぶん和らいだ。
カーナ様のホイヴェルク公爵家に行かれた母国のご令嬢が、お母様のことを「大変な大人物」と伝えてくださっていたと知れたからだ。
母国の屋敷の外で、お母様とわたしがどのように語られていたのか、わたしには知る由もない。
はやく、カーナ様の招きに応じて、ブロム大聖堂の見学がてら、ご令嬢にお会いしてみたいと、胸を膨らませた。
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