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158.冷遇令嬢は黙殺する

謁見の間に立つ、ポトビニスの王太子ヨジェフ殿下は伏し目がちの紺藍の瞳をほそめ、柔和に微笑む。


クラウスに委ねたブラスタとの交渉が、大詰めを迎えている。


ブラスタとクランタスに挟まれる小国ポトビニスとしては、ブラスタとテンゲルの関係に(くさび)を打っておきたい。


大国同士に手を組まれると、自国の存立が危うくなると考えているのだろう。



「王太子殿下御自ら、わざわざのお運び。一体、何用でございますでしょうか?」


「……実はコルネリア陛下のお耳に入れておきたい、重大情報がございまして……」



案の定、ヨジェフ殿下は憂い顔で声を潜めてきた。


暗に求める人払いを、わたしは黙殺する。


メッテさんはわたしに釘を刺すように、何度もこう言って聞かせる。



「父母の仇討ちをするつもりはない」



ブラスタ王家はもちろん、ダギス家の焼き討ちにポトビニスの関与があったとしても、放っておけと突き放す。



「……王族やら貴族やらがチンケなメンツでいがみ合い、戦争にでもなれば、血を流すのは結局、民だ。バカバカしい。……ダギス家は敗けた。それでいい」



命懸けで逃げ延び、無頼に拾われ、命を繋いだメッテさんの出した結論だ。


戦時下のエルヴェンで、支配者は頻繁に入れ替わり、何度も戦場になり、逃げ惑う民を救うのに無頼が果たした役割があった。


ともに焚火を囲んで、眠れぬ夜を笑って過ごした。



「明日のことなんか考えても仕方ねぇだろ! 歌でも歌おうぜ!」



無頼のその日暮らしの性情に慰められ、ツラい夜をなんとかやり過ごせた民がいた。


それは、亡命とすら言えない惨めな身の上にあったメッテさんにとっても同じだった。


拾ってくれた親分を手伝い、避難民の世話をし、兵団から食料をかっぱらい、皆で分け合って飢えをしのぎ、一緒に歌い、一緒に笑った。


民の援けに王女の地位など何の役にも立たないと、無頼の世界に身を投じたメッテさんは、高潔だと思う。


わたしが高い壁に囲まれた狭い空を見上げていた頃、メッテさんは戦災で焼け出された流民たちを援けようと奔走していた。


戦争が終わり、やっかい者扱いに戻った無頼の力を、わたしが借りた。



「……世が乱れることを望むようなことがあっちゃいけねぇ。頼りにされたことが忘れられずに戦争を望むようでは、無頼の風上にも置けねぇ。義にもとるってヤツだ」



カラカラと、メッテさんは笑う。


大国の離間を謀り、世をかき乱しながら、小国ながらに存在感を放つ外交巧者とは、まさに王侯貴族の理屈だ。


わたしはヨジェフ殿下に、にこりと微笑んだ。



「あら、それは大変ですわね。して、重大情報とはなんでしょう?」


「い、いえ……。まずはお人払いを……」


「ブラスタ王国が、テンゲルとの国境近くに兵を集結させていることでしょうか?」


「いや……」


「ポトビニスの小隊も駆り出されていることですか?」


「い、いや、それには訳が……」


「分かっておりますわ。ポトビニスの本意ではないのでしょう?」


「……さ、左様……」


「ブラスタ諸侯の腰が重いので、ブラスタ王から要請があったのでしょう? お付き合いも大変ですわね」


「ご理解賜り、恐悦至極にて……」


「そうそう、ブラスタで品余りした小麦は購入してさし上げたのですか? ポトビニスの人口からいえば5年は食い扶持に困らなくなりますものね」


「あ、いえ……、その件なのですが」


「はい」


「テンゲルもお困りでしょうから、わが国を通じて……」


「……密貿易まがいの迂回貿易に荷担せよと?」


「そ、そのような申されようは心外にございます。あくまでも貴国の……」


「ご存じの通り、小麦は足りております」


「し、しかし……」


「小麦には冬小麦と春小麦がございます」


「え、ええ……。そのようなことは……」


「冬の寒さが厳しい地では、冬小麦が越冬できず、春に種をまく春小麦が栽培されます。……わが国の従属国であるコショルー公国のような」


「な……」


「ふふっ。わが祖父コショルー公が孫娘の窮状を案じ、この春には春小麦に振り向ける耕作地を増やしてくれたのだそうですわ。家族の愛とは、ありがたいものですわね」



ブラスタ王が国境近くに国軍を集結させたのは、ポトビニスが焚きつけたせいだと、クラウスからの報告が届いている。


事態のエスカレートを懸念する、ダギス家派のブラスタ諸侯が、クラウスに囁いた。


ダギス家再興で動揺するブラスタ国内を鎮めるため、ブラスタ王はポトビニスをクランタスから奪い返して威厳を見せたい。


その心の隙を、ポトビニスが利用した。


テンゲルの小娘など、小麦の輸出を止めたら簡単に白旗を振って降参してくると、ブラスタ王に吹き込んでいたのも、恐らくポトビニスだろう。


だけど、思惑は外れ、余った小麦をポトビニスに買い取らせよというクラウスの策で、逆に窮地に追い込まれた。


テンゲルがこのままブラスタの小麦を一粒も必要としなくなれば、ポトビニスの倉は食べきれない小麦で溢れ、手持ちの資金は、あっと言う間に底をつく。


ポトビニスは国ごと破産する。



「……そういえば、テンゲルとは反対側、ポトビニスの国境付近に、クランタスが兵を集結させていることをご存知ですか?」


「そ、そのような情報をどこから……」


「ダギス家のご当主マウグレーテ殿下から教えていただきましたのよ?」


(あざみ)の者が……」



メッテさんが、わたしの後見で王女の名乗りを回復したことで、ブラスタの無頼は一致団結、すべてが悲劇の王女メッテさんの子分になった。


ポトビニスの無頼も過半が追随。


無頼王女の力になろうと――美人の女親分に、いいところを見せようと――、国境付近の森に潜むクランタス兵のことを探り当て、報せてくれた。


イグナス陛下は、わたしにも内緒で密かに兵を動かし、ブラスタがテンゲルに攻め入れば、後背を突く構えをとられていた。


クランタスが本気を出せば、ポトビニスは即日陥落。兵はブラスタになだれ込む。


イグナス陛下からすれば、軍船の進路を阻まれたという自らの因縁で、わたしを矢面に立たせる形になったことを、心苦しく思われてのことだろう。


ただ、武力行使を嫌うわたしに憚り、こっそり準備されていたことは、ちょっと微笑ましい。


メッテさんが握る、無頼の諜報網には筒抜けだったところも含めて。



「ふふっ。……マウグレーテ殿下は顔の広いお方で、各国に()()()をお持ちだとか」


「……左様ですか。さすがは、コルネリア陛下が後見されるダギス家のご当主……」



ちょっと考えたら分かりそうなものだけど、お高くとまった王族が、無頼の世界に興味など持たないのは普通のこと。


惨めな亡命王女が無頼に身を落とし、あろうことか柔肌に刺青を彫ったらしいと、せせら笑っていたのだろう。


事態を把握できないのか、ヨジェフ殿下の視線が泳ぐ。


そして、傍らに立つゲアタさんの鳳蝶(あげはちょう)の刺青に視線が止まり、大きく目を見開いた。



「クランタスのイグナス陛下も情に厚いお方で、テンゲルとブラスタの戦端が開けば、すぐさま、わたしを助けに来てくださるおつもりだとか。……大河委員会で席を並べる仲ではないかと」


「ぐ……」


「……ポトビニスは、イグナス陛下の兵に道をお貸しくださいますわよね?」


「そ、それは……、国に帰って父王の裁可を仰がねばなんとも……」


「あっ! 申し訳ありません。わたしの話ばかり、賢しらなことを」


「い、いえ。貴重なお話を……」


「それで、ヨジェフ殿下がお知らせに来てくださった重大情報とはなんでしょう?」



わたしが微笑むと、ヨジェフ殿下は目を逸らして押し黙った。


テンゲルとブラスタの和解は避けられないと見て、両国間に不信の種を植え付けにでも来たのだろう。


おおかた、自ら煽ったブラスタの出兵準備をことさらに騒ぎ立てた上で、



『国境近くのブラスタ兵は、ポトビニスの小隊が抑えておりますので、ご安心を』



とでも言って、わたしに恩を売りつけるつもりだったのか。


ポトビニスにしても、ブラスタにしても、結局、わたしを舐めていたのだ。


女の王など、所詮はお飾り。


前王を放逐するために、テンゲル諸侯が担いだ神輿に過ぎないと。


軍事、経済、外交、諜報。すべての面で上回り、圧力をかけるわたしに、ヨジェフ殿下は顔を青ざめさせている。


だけど、メッテさんが過去を不問にすると仰っている以上、わたしの役目は、ブラスタとポトビニスを闇の勢力に対抗する、法の側の戦列に加えることだ。


くだらない思惑など、黙殺する。



「……ご心配には及びませんわ」



と、微笑むと、ヨジェフ殿下の本性を隠せなくなった鋭い視線が、わたしに向いた。



本日の更新は以上になります。

お読みくださりありがとうございました!


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